心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

信じていた人に裏切られたとき

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人との信頼関係というのはとても大切なものですが、これが壊されたり、相手に裏切られたと感じるような出来事があった場合、もう一度人を信じるということが怖くなってしまうものかもしれません。そのダメージが深い場合には、相手に対して怒りや恨みを強く抱いたり、周囲の人たちに対して心を固く閉ざしたくなる、といったこともあるかもしれません。

一口に裏切りといっても、いろんな状況があると思います。何かお金に関することで、相手に利用されたとしか思えないような体験をした人もいるかもしれません。浮気をされて、異性を信じられなくなった、という人もいるかもしれません。何か約束事を踏みにじられるようなことをされて、窮地に立たされた、という人もいるかもしれません。ここでは相手のことを当てにしていた部分が大きいほどに、裏切られたときのダメージは大きくなりやすいと思います。

正直なところ、裏切った相手の不幸を望む気持ちがでてきたとしても、不思議ではないです。自分がどん底の気分を味わったならば、相手には少なくともそれ以上か、もしくは倍以上にひどい目にあってもらわないと気が済まない、という方もおられるかもしれませんね。人を責める気持ちが出てきているときは、その気持ちを手放した方が自分自身も楽になれる、という法則のようなものはあるのですが、信じていた人から裏切られる、という体験された場合、そのダメージが大きいほどに、手放すという行為がとても難しくなるものだと思います。

裏切りを体験したことで、多くのものを失ってしまったように感じられる場合には、途方に暮れて先のことが考えられなくなって、後悔ばかりしてしまうようなこともあると思います。例えば、結婚を考えていた彼から浮気をされて、最終的に別れを選んだ場合、今まで彼に使った時間を返してほしいと思うこともあるかもしれません。一緒にビジネスをしてきた相手に裏切られて、仕事をまわしていけないような状況に追い込まれた場合には、相手を信じた自分がバカだったと思えるようなこともあるかもしれません。


裏切られたという体験から、怖れや恨みや後悔といった感情への執着が生まれると、心の中がその裏切りの出来事に支配されていきます。この場合、人の中にある愛や価値といったものがとても感じにくくなり、その代わりに、何か虚しさのようなものを感じやすくなります。

その世界観の中で描かれる心象風景は、人の心は冷え切っていて、包み込むような温かみもなく、代わりに、怒りや恨みだけが強烈な熱を発生しているような感じになります。そこにしばらくとどまる続けることも可能なのですが、もし、心の中に形成されたその世界の構造を変えることができるとしたら、変えたいと思えますでしょうか?

裏切りの体験はその世界観を作ったのかもしれません。ただ、実は裏切りが発生する前から、その世界観は自分の心の中で芽を出していた、といったら信じてもらえますでしょうか?その芽が出る前に、あなたの心の大地に、誰かが種を埋めて、そこに様々な出来事が雨のように降り注いで、裏切りの世界がそこに芽吹いた、なんていう言葉は嘘のように思えるでしょうか?

ここで言う種というのは、あなたの奥深くにある思考のことで、その種を大地に埋めたのは、あなた自身、なのだとしたら、裏切りのある世界の構造を変えるために、あなたの心の大地に根を張り巡らせたその雑草を根っこから引き抜くことが求められてきます。あなたは自分の心の大地に、どんな思考の種を埋めたのか?そこには、裏切られる世界の構造を変革させるための、重要なヒントがあります。


といっても、あなたが何か悪いことを考えている、という意味ではないです。自分自身が思考していることは、人生においてどんな体験を自分に引き寄せるか、ということと密接に関わっており、信じていた人から裏切られる、という手痛い体験をしたのならば、今がその思考の棚卸しをするための機会と言えるかもしれない、といった意味です。

思考の中には、意識して思考しているものと、半分無意識のうちに思考しているものがあります。このうち、半分無意識のうちにしているもの、というのは、自分の中では当たり前になっていて、普段思考しているというつもりもないようなものなのですが、この当たり前になっている部分は、自分自身の普段の立ち居振る舞いや、周囲の人に自分が発している雰囲気にといったものに大きな影響を与えています。主に棚卸しが求められてくるのは、こういう半分無意識のうちに考えている、自分の中で当たり前になっているような部分です。

棚卸しをするときにヒントとなるような、自らの問いかけとしては、例えば、以下のようなものがあります。

・自分の中のどんな部分が、自分を裏切るような人を引き寄せたのだと思えるでしょうか? 例えば、今回自分を裏切った人との縁は、どのように自分に訪れたでしょうか?
・相手に対して、やってくれて当たり前だと思っているものがあったとしたら、何でしょうか? (期待は裏切りを呼び込みます)
・本当はやりたくないのに、相手に合わせて犠牲的にふるまっていた部分はなかったでしょうか? もしそうだとしたら、そうしていたのはなぜでしょうか? (犠牲は裏切りを呼び込みます)
・自分が裏切られるよりも前に、相手側が先に、自分に期待を裏切られたと感じていた、という可能性はないでしょうか? もしそうだとしたら、なぜそんな期待を相手はしたのでしょうか? (裏切りは裏切りを呼び込みます)

思考は自分が感じている感情と密接につながっています。自分が相手に対して感じている感情は、今回初めて感じるような感情でしょうか?それとも、昔似たような感情を感じたことで、何か思い起こされるようなことはないでしょうか?自分の心の内側で、未解決になっている部分は、そこをクリアにするために、あえて再体験されるかのような出来事が引き寄せられる、ということがあります。今回の裏切りの体験は、その自分の中で未解決な部分と向き合うために、試練のように出てきた出来事、ということも往々にしてあります。自分の感じている感情とじっくり向き合ってみる、というのも、裏切りを引き寄せた部分が自分の内側にあるとしたら、それは何か、ということに気付くためのきっかけになることがあります。


信じていた人からの裏切りというのは、非常に辛い体験ですし、現実に大きなダメージを受けるものです。乗り越えるのも大変と思えるものですが、ただ、試練とも呼べるような辛い体験の中には、自分自身の器をぐっと大きくするヒントが眠っています。その辛い時期をただやり過ごすのではなく、そこから何かしら得たいというときに、ここに書いたことを少しでも役立てていただけるなら、幸いです。

 

甘ったれな自分

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自分の中の精神的に幼い部分を見て、自分は甘ったれだ、なんてと思うようなことはありますでしょうか?誰しも探せば、どこかしら精神的に未成熟なところを抱えているものかもしれませんが、そこに自己嫌悪のようなものを強く感じているような場合には、自分自身を厳しく罰したい気分になる人もいらっしゃるかもしれません。

例えば、辛い状態から簡単に逃げてしまいがちだったり、何かあったときに自分で解決できずにすぐに人を頼ってしまったり、誰かに依存してしまうような傾向があったり、、、などなど、自分自身の甘さを罰するための切り口は色々とあるものかもしれません。自分へのダメ出しが強いあまりに、自分に自信がない、という人もいらっしゃるかもしれませんね。

身近にその甘さをビシバシと指摘してくる鬼教官のような人がいる場合には、その自己嫌悪は強くなりやすいものかもしれません。いつも同じことを指摘され続けている状況で、かつ、その教官のものの見方に自分が飲み込まれてしまっているような場合には、なんて自分はダメなやつなんだろう、、、という感じで、自分自身に最低の評価をしがちになる、なんてこともあるかもしれません。


こんなとき、じゃあどうしたいか?、という自分なりの想いが最も大切です。もっとお気楽になりたい、という人もいれば、この甘さの部分をなんとかしていきたい、という人もいらっしゃるとは思いますが、もし、自分の中の未成熟な部分を成長させたい、という想いを持つのなら、どういう風に成長したいか、というゴールのようなものが明確にある方が、自分の気持ちを集中させやすいです。

甘さの部分をなんとかしたい、というときに、もし成長できている自分をイメージするとしたら、どんな感じになるでしょうか?
こんな風になれたらいいな、と思える自分自身の姿を思い描いてみてください。真似したいと思える人がいるなら、その要素をそのイメージに取り入れるのもありです。このイメージはできるだけ具体的な方が良いです。

自分にダメ出しをしているときというのは、とてもネガティブな雰囲気になると思います。ただ、自分を責め続けても、そこで立ち止まっているだけで、状況は前に進みません。そのエネルギーを、成長したい、という方向に向けることで、状況をより良い方向に動かしていくことができます。どんな自分になりたいでしょうか?
自分なりにたどり着きたいところを思い描いて、そこにエネルギーを向ける、という風に、この気持ちを切り替えていくことがとても大切です。


この目標のようなものに意識を向けていこうとするときに、それを邪魔するかのように、否定的な思考や感情が出てくることがあります。例えば、そんな風には自分はなれない、とか、そんな風になりたいけれども、正直そんな風になれるとは想像できない、とか、自分には似合わないかもしれない、とか、自分がそうなることを想像したら怖くなってきた、とか、なんだか気持ち悪い、などなど。ゴールに向かいたい気持ちと、そこに向かうことに抵抗するような気持ちが両方心にあるような感じになることがあります。

なりたい自分になろうとしているのに、そこに至るまでにやらなければならないことがあったときに、やりたくない、という気持ちが出てくる、というパターンもあります。辛いことや、苦労があるようなことは、できるだけ避けたいという気持ちが出てくるのは、ある意味本音の部分だとも思います。やらなければならないことって、よくよく見てみると本当にしなければならないことではないこともありえますので、避けれるなら、避けたても良いと思います。とはいえ、絶対にやらなければならないことは、ゴールに向かうためには、腹をくくってやっちゃった方が良いです。やりたくないけど、やらなきゃいけない、という意識で悶々としていると、それだけでパワーを使ってしまいますし、そこを他人から突っつかれることも時にあります。そういう場合は、やっちゃった方が楽です。ただ、どうしても気持ちが乗らない、ということもあると思います。こういうのも、ゴールに向かうことに抵抗する気持ち、の一つです。

目標のようなものを持った時に、いつも必ず目標が達成されるのかと言えば、上手くいくこともあれば、上手くいかないこともあると思います。自分がなりたいと思ったことが、必ずうまくいく、なんていうことがあるとしたら、このゴールに向かうことに抵抗する部分があんまりなかったり、あっとしても、それが弊害にはならなかった、のだと思います。ただ、みんながみんな、そんな風にはならないものなのかもしれません。


もし、この抵抗感を手放すことができるとしたら、目標のようなものにむけて自分のエネルギーを注いでいくことがぐっと楽になるのですが、そのためには、自分の中にどんな抵抗が眠っているかどうかに、目を向けることが求められてきます。

何に抵抗を感じていますでしょうか?
何がイヤでしょうか?
できないような感じがするとしたら、その理由は何でしょうか?

自分なりにその抵抗感を感じる理由を理解しようとしてみてください。ここでは直観を使ってみるのも、お勧めです。上に書いたような問いを自分にしたときに、頭の中にぱっと思いついたことは、ちょっと見当違いに思えるようなことも、よくよく考えてみると、当たっていることが多いです。

抵抗感の理由となっている、自分の内側にある思考を見つけてみてください。例えば、こんな感じです。
・自分を変えないで、結果を出したい。周りが変わればいい。自分を変えるために頑張るようなことはしたくない。
・こんな風に自分を変える、というのは、高望みしすぎ。私には、こんな自分はふさわしくない。
・私には、人として大切な、XXX、が欠けている。だから、こんな取り組みをしても上手くいくわけがない。
・結果がすぐに出ないなら、やりたくない。結果がすぐに出ると思えない。無駄な努力に思える。
・私のことを愛さない、XXX、が悪い。それなのに、私が自分を変える、というのはやっぱり理不尽だ。

ここと向き合うのには、エネルギーがいるかもしれません。見たくない部分かもしれませんが、そこをあえて見てみることで、なぜ、成長することに抵抗を感じていたのか、というのに気付くことができます。

この思考をやめると、抵抗感を手放すことができます。ただ、やめるかやめないかは、自由に選択できることです。やめる、と選択することで、抵抗感を手放して、なりたい自分になるための道が開けてきます。思い切って、その思考を自分の内側から削除する、というくらいの気持ちでも良いかもしれません。

その思考を取り除くときに、代わりに新しい思考を選択してください。といっても、特別な思考になるわけではないです。XXXをしたくなる、という思考をやめて、XXXをする、という思考を選択する。ふさわしくない、という思考をやめて、ふさわしい、という思考にする。そんな感じで、取り除く思考を見た時に、自然と思いつくものを、その代わりになる新しい思考として選択できます。この思考の整理ができると、なりたい自分になる、というプロセスをよりスムーズに進めることができます。


甘ったれな自分、というテーマで今回の記事を書きましたが、なりたい自分になる、とか、成長をブロックしている抵抗感に取り組む、といったことは、甘ったれな自分、というのとは関係なく、いつでも自分自身に使えるツールです。

自分自身と向き合うことは少し大変だなと思うこともあるかもしれませんが、そこにある思考を整理していくことができたときには、もやもやしていたものがすっきりとするかのような、感覚を受け取ることができるものです。

自分の中にある未成熟な部分に取り組みたいと思えるようなときには、ここに書いたことをぜひ役立ててもらえれば幸いです。

 

パートナーに口で勝てない

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夫婦間や恋人同士で言い合いになるようなときに、どちらかがいつも負ける、ということがあります。あんまり良くないケースでは、例えば、何か不満のようなものがあるときに、それを相手に伝えたとしても、上手く切り返されるだけで、結局自分が悪い、みたいな感じになってしまい、何も変わらないというパターンのようなものができてしまうこともあります。これが慢性化すると、言っても無駄なので、相手に何も言いたくなくなる、といった絶望感のようなものがでてくることもあります。

例えば、旦那様の方が理屈っぽくて、奥様の方が感覚や感情面が豊かで、どこかコミュニケーションがかみ合わない部分があるようなときに、奥様の方が言ってくることに対して、旦那様が理詰めで「お前の言っていることは間違っている」という論破をしてくるような場合だと、奥様の方が「この人には何を言っても無駄」と思いやすいかもしれません。

話を聞いてもらってわかってもらいたいだけなのに、なぜかこちらの至らないところを理詰めでねちねちつついてきて、「うまくいかないのはお前に原因がある」とかやられると、話すだけで疲れてしまうものかもしれません。もちろん、直した方がいいところは直した方が良いのかもしれませんが、伝えたかったことはそういうところじゃない、というのがあったとしたら、相手の指摘をありがたい、とはとても思えないかもしれません。それよりも、相手のそういうめんどくさい論破モードをいかに回避するかに、知恵を注ぎたくなるかもしれません。

最初は愛し合って生まれた関係性であっても、こういった絶望感のようなものが出てくると、お互いの関係が何か停滞したような感じになります。コミュニケーションをとっていくなかで、お互いの良い部分を取り入れあったり、一緒に成長していけるような流れがある場合は、お互いの絆は良い意味で深まっていくのですが、相手に何を言っても無駄だ、という感覚が出てくると、パートナーとのつながりを感じにくくなります。例えば、相手からの愛情を感じられなくなったり、自分が相手のことを大切に思っているのかどうかすらもよくわからなくなったりすることも、もしかしたらあるかもしれません。

人間というのはどこかしら完璧ではない部分があり、パートナーシップを組むことで、お互いにケアしあったり、良い意味で影響を与え合って一緒に成長していくことができるものですが、こういったきっかけで、関係性に行き詰まり感が生まれてくることもあったりします。


ここで大切なのは、口で勝てないときに、自分は何を感じているか、という部分です。少し気付きにくいことですが、自分が感じている感情は、実は相手も感じている、という側面があります。なんでわかってくれないんだろう、とか、この人には何を言っても無駄、と感じていたら、実は相手も同じことを感じている、といったことが往々にして起こったりします。

本当はもっとこういう風にしてほしいのにやってくれない、なんていう不満を感じていたら、相手も、もっとこんな風にしてほしんだけどなあ、という不満を感じているかもしれません。私ばかりがいつも頑張っている、向こうは何にもしてくれない、なんて不満を感じていたら、相手は相手で似たようなことを感じているかもしれません。

もし、自分が感じているのと同じ感情を相手も感じているとしたら、どうしたいって思えるでしょうか?
自分だけがネガティブな感情を感じていて、自分ばかりが苦しい想いや損をしていると思うと、何もやりたくないし、相手とただただ距離をとりたいと思うものかもしれません。ただ、もし、相手も自分と同じように感じているとしたら、そこで何かつながりのようなものは感じられないでしょうか?

パートナーを変に上に見たり、下に見たりせずに、対等の関係である、という風に考えてみてください。関係性になにか行き詰まりが生まれているようなときに、それを相手のせいにすることは簡単かもしれませんが、お互いがそこに持ち込んでいるものが影響して結果的に行き詰まりが生まれているので、そこには何かしら、お互い様、と言えるような部分があります。パートナーとの間で起こった問題はどちらかに責任があるというものではなく、一緒に作り上げてしまっていたもの、というような、ものの見方をすることもできます。もし、そういう考え方にも一理あると思えるとしたら、問題が起きる前にできたことや、問題が起こった後にできることはなかったでしょうか?


もし、パートナーとの間にある行き詰まりを解消していきたいと思えるなら、自分がやってもらいたいと思うことを、まずは自分から相手に与える、というのが、その行き詰まりを解消していくことにつながっていきます。

自分のことをわかってもらいたいとしたら、自分が相手を理解する、ということをやっていきます。例えば、話を聞いてあげたり、耳を傾けたり、相手の価値観に寄り添うなどなど。もっと××してもらいたい、と思うような部分に関して、不満を抱いて相手を責める代わりに、自分が相手に××してあげれる部分はないだろうか、というのを考えて、無理のない範囲で、犠牲をしない程度に実践していくという感じです。

実際にそんなことをやってみて、そんなことができる自分自身をほめてあげるのも良いと思います。そこでは、喜んで相手に与える自分自身を感じることができますし、そこで相手とのつながりを感じることができます。

自分が感じていることは、相手も感じている、という側面がありますが、この、自分自身が相手に喜んで与えているということや、つながりを感じている、という感情の部分に、相手が共鳴しやすくなります。ここで、相手が実際に何かしらわかる形で、向こうから何か与えるような行動がでてくると、お互いに与えて受け取りあう流れが生まれ、それは2人の絆を深めていくことにつながっていきます。


口で勝てないとき、とても悔しい想いをするかもしれませんし、なんとか相手をやり込めたいと思うものかもしれません。もちろん、テクニック的なことを何か覚えて、策を弄して何か相手に返す、ということにトライしてみてもよいかもしれませんし、それで、一方的にやり込められていた関係性がなにか変わるかもしれません。ただ、本当に大切なことは、自分が相手に対して何を感じているか、という部分です。

そこには、パートナーとの間にある停滞感を変えていくためのヒントが眠っています。もし、パートナーとのコミュニケーションに行き詰まりを感じているような部分がある場合は、その自分の気持ちの部分にじっくりと向き合ってみてくださいませ。

 

子供から言われることで傷つくこと

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子供はいろんなことを親に体験させてくれます。楽しさや嬉しさや驚きなど、ありきたりのことから、聞いたことがないことまで、様々なことがそこには詰まっています。良いことばかりではなく、そこには腹の立つことや、ぐさっと心に来るようなことも含まれています。中には、苦労しかないと思っている人がいたり、そこから逃げたいと思ったことがある人もいらっしゃるかもしれませんね。人によってはタイトルに書いたような内容のことも、ときに体験することがあるかもしれません。今回は、そのあたりを少し掘り下げて書いていこうと思います。


例えば、何かコンプレックスを抱えていたり、心の中に踏んではいけない地雷のようなものを持っている母親がいるとして、自分の子供からそこを責められるような感じがすることをされたとします。

自分が大切にして愛して育ててきた子供からされるわけですから、これは堪えます。こんなことをする人間に育ててきたのはいったい誰だ?自分です。心の中で子供のことを責めることは一瞬できたとしても、育ててきたのは自分なので、その攻撃は心の中で即ブーメランで返ってきます。

こんな子供はうちの子供じゃない、と言いたくなるかもしれませんし、そんなことを言われている自分のことを情けない、と感じるかもしれません。なんとも言えない、いたたまれない気分になりやすいものかもしれませんね。

こんなとき、付き合っている友達が良くない、とか、保育園とか幼稚園とか学校がどうとか、相方(母親なら旦那様、父親なら奥様)がどうだとか、何か自分自身以外のところにその原因の置き場所を持っていこうとすると、それはもしかしたら、あくまで一時的な心の自己防衛として成功するのかもしれませんが、その反面、心が激しくささくれ立ち始めるのであんまりお勧めはしないです。


自分自身に目を向けた時に、自分を責める気持ちは出てきやすいものですが、ここで大切なのは自己攻撃の内容ではなく、この状況に対して、自分はどうしたいだろうか、という気持ちの部分です。何ができるかどうかは置いといて、どうしたいでしょうか?

子供にこうなってもらいたい、といった自分以外の人がすることは脇に置いといて、自分はどうしたいでしょうか?
この、どうしたいのか、という問いかけをするということは、その状況に対して受け身で苦しさを感じているだけの立ち位置から、より意欲を感じれるところに気持ちを切り替えていくためのきっかけになります。

この問いかけを自分自身にしたときに、どうしたらいいのかわからない、と思うこともあるかもしれません。ただ、本当にわからない、でしょうか?
どうするのが一番良い選択で正解に近づくことになるのか、ではなく、どうしたいか、というのが問いかけの内容です。できるかどうかは置いといて、です。今の自分に何ができるかどうかは置いといて、本当にしたいことは何でしょうか?

例えばそれは、子供に対して、こんなことをされても、ネガティブな気持ちを持つのではなく、愛情を送れる親でありたい、ということかもしれません。子供から言われたことで、自分の中にある弱い部分や甘えの部分を感じて、もっと、その甘さや弱さの部分をできるだけクリアしていきたい、という想いかもしれません。コンプレックスや地雷の部分に対して逃げているだけではなく、ある意味、開き直って、堂々としていられるような自分でいたい、という気持ちかもしれません。そんなことできない、というのは置いといて、もしできるなら、本当はこうしたい、という心の想いがとても大切です。本当にしたいことって、何でしょうか?


私はこうしたい、と思えるものが出て来たら、まず、その気持ちを大切にしてください。その自分の気持ちは、自分が今置かれている状況に対して、どうしていくか、というときの大きな方針になります。

できるかどうかは置いといたので、今やりたいことというのは、できないかもしれない、という気持ちも出てくるような内容であるかもしれません。だとしたら、次の問いかけは、今できることはなんだろう?、です。

本当にしたいことを意識できている状態であれば、自分がどこに向かっていったらいいのか、なんとなく見えている状態になりますので、一気にそこまではいけなくても、今の自分から一歩進んだところにあるもので、今の自分にもできること、というので、何かしら思いつくものはでてくると思います。今できることはなんでしょうか?

ここからは具体的な行動になるので、実際にやることは細かいことから、内面的なことまで、色々あると思います。何かを始める前に、まずは調べもの、かもしれませんし。次に同じことをされたときに、どうしようか考える、とか、それが思いつかないので、ヒント探しに同じような体験をしてそうな人に話を聞いてみる、とかかもしれません。これは手段の話なので、やってみていまいちなものもあれば、自分が本当にやりたいことに向かって、大きなステップになる手段もあるかもしれません。どんなものでも良いのですが、動いていくことで、自分が本当にやりたいことに近づいていくことができます。今できることはなんでしょうか?


やりたいことが見えて、できることが何かしらちょっと一歩進む程度のものでも出て来たら、心の中の混乱が少し晴れてくると思います。

ここで改めて、自分の本当にやりたいこと、に意識を向けてもらって、心に決めてもらいたいことがあります。それは、私はこれを受け取る、と宣言することです。宣言する前に、怖れがでてくることもあるかもしれません。そんなこと絶対にできない、と思えるかもしれません。ただ、宣言をして、自分の心に決める、ということは、これからこの自分が抱えているものを乗り越えていくときに、とても必要なものになってきます。

今できることはなんでしょうか?
その問いかけをしてやってみたことが上手くいくこともあれば、上手くいかないこともあるかもしれません。本当にしたいことに向かっているときに、気持ちが折れてしまうこともあるかもしれません。もしかしたら、すでに、今折れそうになっている人もいるかもしれません。

ただ、本当にしたいことに向けて、私は何が何でも、これがしたい。だから、私は何が何でも、これを受け取るんだって、強く心に決めるという意識をもつことができると、何かあったときに、そこで一生懸命になることができます。その気持ちがあると、困難があったときにも、必死になって前に進んでいこうとしているうちに、そこを乗り越えていくことができるようになります。

もしかしたら、これは大変だと思うかもしれません。もしそう感じたとしたら、子供のことを思い浮かべてみてください。それをやり抜くだけの価値はそこにあるでしょうか?


大切な人から自分の弱点を突かれたときって、一瞬、うっ、てなりますし、逃げられないような感覚になるものだと思っています。そういうときに本気になる、という要素がどこかしらないと、その大切な人との関係性もグダグダになってしまったり、どちらかというと、本気になっているときの方が、そういうときに実は楽になれる、というのがあるものだと思っています。そういうとき、逃げるのも、必死で本気になるのも、使う労力はあんまりかわりません。どっちもきついです。ただ、受け取る結果が違います。きついことになるのは、一緒なので、どうせなら、本気になった方が楽だ、なんていう考え方もあります。

似たような感じの困難に出会ったときに、ここに書いたことを少しでも役立ててもらうなら、幸いです。

 

人の結婚を喜べないときに覚えておいてほしいこと

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身近な人や友人が結婚するというときに、なんだか素直に喜べない、というケースがあります。どちらかというと、人の不幸を望んでしまうようなところが自分にあるかのような感じがしたり、まるで自分が悪い人になってしまったかのような気がする人もいるかもしれません。他人の不幸は蜜の味、なんていう言葉もあります。ある意味では嫉妬心のようなものがあって、そこから、人の足を引っ張りたいかのような気持ちが湧き上がってくるようなこともあるのかもしれません。

嫉妬心というのは、非常に強くなることもある感情です。嫉妬にとらわれてしまうと、様々なネガティブな想いが自分の内側に生まれ出てきます。良くないと思ってはいても、ついつい相手の不幸や失敗を望んだり、相手に何か良いことがあったときでも、それを祝福するのに強い抵抗感を感じたりすることもあります。例えば、自分が本当に欲しいものを手にしていないときに、その隣で手に入れている人がいたら、羨ましくなると思います。自分が手に入れることを絶望しているものがあるときに、その隣で簡単に手に入れている人がいたら、否定するような気持ちが出てきやすくもなります。なぜあの人は手に入れていて、自分は手に入れられないのか?、というところに、何かネガティブな感覚が心の中にでてくることもあるかもしれません。


ここでポイントとなっているのは、自分はまだそれを手にしていない、という部分ではなく、自分が手に入れる未来を当たり前と思えているか、という部分です。自分が受け取れると思えていたら、次に続こう、とか、自分の時はどんな風になるのか楽しみ、というくらいの感覚かもしれません。その反対に、自分が今後それを手にできるような感覚が薄いとしたら、先を行く相手に対して、モヤモヤした感情が出てきやすくなっても不思議ではないです。

自分が望む結果を手に入れれるかどうかに疑いがあるとしたら、それはなぜでしょうか?
自分の心の中に「私には無理だ」と思わせる理由のようなものがあるとしたら、そこにはどんな思考があるでしょうか?
あらためて聞かれると、自分でもあんまり意識していなかった、当たり前だと思っていた思考を言葉にすることができます。言葉にして表に出すと、その思考が今の自分にとって身に付け続けるにふさわしいかどうかを、見直すことができるようになります。

自分の結婚について、どんなイメージを持っているでしょうか?
自分の幸せについて、どんな考えを持っているでしょうか?
自分の中でどう考えているか、ということを意識上にあげてみて、客観的に見たときに、変えたほうがよいと思える部分はないでしょうか?
幸せに向かっていく上で、自分の足を引っ張っているようなネガティブな部分はないでしょうか?

そういったネガティブな思考やイメージのようなものは、無意識に深く沈み込んで、もう動かせない岩のようになって、自分自身を縛り付けるような働きをすることがあります。自己評価を下げる思考や、自己否定をする思考がここで出てくることもあります。


自分の足を引っ張っているものが、自分の内側にあることに気付くことができると、それをそのままにしておくか、それとも取り除いてしまうかということを、主体的に選択することができます。かなり根強く自分を縛り付けている思考が出てきている場合は、取り除きたいと思っても、簡単にはできないような感覚が出てくることもあるかもしれませんが、取り除くと強く心に決めれば、思考は取り除くことができます。

深く根付いている思考ほど、取り除くときに一山越えるかのような要素が求められてきます。色んな言い方があるのですが、例えば、こんな感じのものです。
・本気になる。
・コミットメントする。
・100%の力を発揮する。
ググっと力が入れることが必要になってくるような感じですが、長年染み付いた自分の歩みを強力にブロックしていた思考を取り除くときには、こういった部分がちょこっと求められてきます。思考を取り除くときの抵抗がそれだけ強力だからです。自分の足を引っ張っている思考やイメージを取り除くことを強く念じてみてください。

次に、その思考やイメージを取り除く代わりに、新しいものを取り入れようとしてみて下さい。どんな考えを取り入れれば、今よりももっと、自分が欲しいものを手にすることができる、ということを信頼できるようになるでしょうか?
どんなイメージを持てば、その欲しいものをもっと身近に感じることができるようになるでしょうか?

繰り返し行うことは、自分の身体や心にその行為をなじませます。新しく取り入れる思考やイメージが自分自身に定着するように、取り入れることができる習慣のようなものは作れないでしょうか?

自分が欲しいものを手にするための道のりのスタート地点には、自分の願望、があります。その道のりの先に願望の達成があるのだとしたら、ゴールにたどり着くうえでカギになってくるのは、信頼です。自分の心の中を信頼にあふれさせるためには、どんな考え方や、イメージや、習慣を取り入れるのが良いと思えるでしょうか?


人の成功や幸せを素直に喜べないことの裏側には、自分で自分の足を引っ張っているものが頭の中にある、ということに気付けるためのチャンスが眠っています。そこに向かい合う時には、絶望の部分や、自己評価の低さや、自己否定といった重たいものと向き合うことが求められてくることもありますが、自分と向き合うことに本気になれた度合いだけ、その絶望の壁を突き崩していくことができるようになります。

 

いじめられた記憶について

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いじめられた経験がある人もいれば、ない人もいるとは思いますが、いじめの内容や、どのくらい続いたかなど、その経験には個人差が大きいかもしれません。ただ、あまりにも過酷な体験だったために、そのときの記憶がいまでもよみがえってきて、辛い想いをされている方もおられるかもしれません。

私自身は暴力を伴ういじめを受けた経験があり、この記事を書くときに当時のことをちょこっと思い出しつつ書いているのですが、人によっては、いじめに関係した人たちへの怒りや恨みが残っていることもあるかもしれません。いじめられたということを、恥ずかしいと思ったり、もう一度同じことが自分の子供に起こることを想像して、怖れのようなものを抱く方もおられるかもしれません。

過去のいじめられた自分にも原因があったんじゃないか、なんて考えると、すごくネガティブな感覚に陥りますが、その思考の先には、自己攻撃があるので、あんまりおすすめはしないです。もし当時の振り返りをされるとしたら、当時の状況をできるだけ客観的に見た方が良いです。

いじめには構造のようなものがあり、いじめられた人というのは、ちょっとしたきっかけのようなもので、その構造に当てはまってしまった立場の人です。集団の中の構造の話なので、きっかけ次第でいじめられる側がいじめる側に回ったり、その逆もあり得ます。いじめられた人が悪いとか弱いとかどうとかいうレベルの話ではなく、この構造の中に、いじめの本質がありますので、いじめの対処には、いじめの構造を弱体化させたり、その構造から抜け出す、といったことが求められてきます。

ただ、罪悪感が強いと、いじめの構造の中のいじめられる側にすぽっとはまってしまう、という現実を引き寄せやすくなります。そのため、自分がダメだったから、いつもいじめられる側にいた、なんていう感覚を持っている人もいるかもしれませんね。罪悪感が強いわけじゃなくても、きっかけがあってそこに構造ができてしまえば、いじめは起こってしまうものなので、ここはいじめの本質ではないのですが、罪悪感が強いといじめの構造から抜け出しにくくなるので、その対処として罪悪感の癒しが有効なこともあるかも、です。

過去の自分を振り返って、そういえば、罪悪感のようなものを抱えていたかも、と思えるのなら、いじめられた理由(そんな理由で延々といじめられたら、やられる側としてはたまったものではない、という理由)を掘り下げるというより、その罪悪感にはどんなものがあっただろうか、というところを掘り下げるのはアリかもしれません。


いじめられた記憶が、自分の中で整理ができていたり、過剰な怖れや恨みを抱えているわけではないのなら問題ないのですが、その記憶がネガティブな形で今の生活に何かしら影響を出しているとしたら、ちょっと心の中を整理した方が良いかもしれません。

心の中を整理するときには、誰かに話を聞いてもらったり、何かに書いたりする(誰かに見せなくてもOK)のがお勧めです。言葉には力があり、過去の出来事を何かしらでも言葉で表現することで、頭の中でもやもやしていた嫌な感覚を、他の人にも伝えられるレベルにまで落とし込んで、整理することができるようになります。人に話すとその言葉は自分の耳にも入ってきますし、相手のリアクションも見れます。何かに書くという手段を使うなら、文章を読み返すことでその言葉は自分の目から入ってきます。そういったプロセスを通して、より客観的にその出来事を見れるようになります。

そんなひどい仕打ちを受けるほど、自分は悪いことをしていない(とか、そんなこと全くしていないとか)、ということも気付けますし、いじめが起きていたときの人間関係の特殊さにも気付けます。集団心理で過剰にエスカレートしたときの出来事も、客観的に見つめれるようになります。いじめの構造は、ある意味、人の良くない一面を強力に引き出します。少し主題から外れますが、昔いじめっ子だった人が、過去を振り返って、なんで自分はあんなことをしたんだろう、と、ぞっとすることも、もしかしたら、あるかもしれませんね。


ただ、いじめられた経験から発生する、強い恨みや怖れ、のようなものを抱えていることもあると思います。単に整理するだけでは自分の気持ちが収まらないもの、と言えるものかも知れません。

まず、恨み、ですが、これは正論になってしまって非常に申し訳ないのですが、人を恨むと自分もそのことに強くとらわれてしまいます。その結果、自分の人生に暗い影のようなものが差し込みます。相手のことはどうしても許せないとして、相手に強い恨みを持つと、そこに自分のパワーと時間が浪費されていってしまいます。それはものすごくもったいないです。

人を恨むと、そのエネルギーは自分自身にも返ってきます。心になにがしかの影響が与えられ、まわりまわって、それが何かの人間関係に影響したり、体のどこかに良くない影響を与えたりすることもあります。そんなひどい人のために、自分の人生を浪費することになるとしたら、それは可能な限り避けたほうが良いです。

自分に対してひどい仕打ちをした人物が、今後どんな道のりを歩むことになるのかは、天にゆだねる方が良いです。もし、自分自身をその恨みに縛り付けることから解放する、という選択をすることができるなら、恨みに浪費していた自分のパワーと時間を取り戻すことができます。人を恨むことから自分に返ってくる余計なものも避けることができます。

どうしても許せないと思えるのなら仕方ないですし、これは生き方の問題といえるかもしれません。ただ、そのことで自分自身の人生を無駄遣いしたくないと思うなら、手放すという選択肢もある、ということを覚えておいていただければ、と思います。


次に、怖れ、ですが、自分自身の中に、どんな怖れがあるのかを見つめてみる、ということをお勧めします。もし、何を怖れているのかが不明瞭だったとしたら、その状態は怖れを増幅させる、という結果を生みます。この辺りは、以前書いた以下の記事に書いています。記事の内容を簡単に書くと①~③のようなものを実践していく、という感じなのですが、どうしてこんなことをするのか、というあたりは記事な中身を読んでみていただければ、と思います。
①何を怖れているかを明確にする。
②自分はどうしたいかを明確にする。
③今できることをする。 

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いじめられた経験は自分の心に強烈な影響を与えます。心の中に傷のようなものができたような感覚が生まれることもありますし、強くその過去に捉われてしまうこともあるものですが、その過去の出来事に対して、自分はどうしたいのか、ということを主体的に選択することは可能です。

もし可能なら、ネガティブな思考は手放すという選択を。同じ経験を持つ人たちに対して、慈愛の心を持つという選択を。そんな風に、私は思っています。


いじめの構造については、以下のものが参考になるかも、です。

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

 

 

容姿のコンプレックス

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容姿にコンプレックスがあって、自分は異性から愛されない、と思い込んでしまうケースがあります。自分の容姿のなかに醜さのようなものを感じることで、こんな醜い部分を持っている自分が、異性から愛されるのだろうか、と強い疑いを持ち、ときにその疑いを強化する体験を重ねていくことで、深い絶望が心に生まれてくるようなことも、人によってはあるかもしれません。

美女と野獣という有名な物語では、魔女に呪いをかけられて野獣に姿を変えられた男が、自らの醜い姿に絶望します。バラの花びらが全て散るまでに、真実の愛を見つけられなければいけないという試練が男に与えられ、失意の中、男は城に閉じこもります。物語の中では、美しい娘ベルとの出会いから、男はその運命を大きく変えていくことになりますが、もし、ベルと心を通わせることがなかったら、その男の物語は非常に過酷なものとなったかもしれません。


人の魅力は色んな角度から見られます。ただ、異性の目から見た時に魅力を見るものの一つとして、容姿というのはとてもわかりやすい要素かもしれません。異性を好きになるときの基準として、容姿を非常に重要視する人もいます。容姿のコンプレックスが強いと、そのコンプレックスを補償するために、容姿がいい人を好きになりやすい、ということもあるかもしれません。

その反対に、容姿をあんまり重要視しない人もいます。内面的なことであったり、一緒にいて感じることであったり、共有できるものがあることであったり、尊敬できるような一面があったり、何か特別な才能のようなものがあったり、などなど、、、、様々な要素に魅力を感じれることから、容姿の良しあしの重要度が下がる感じかもしれません。ある意味では、どんなところに魅力を感じるのか、というときにその人の個性が表れます。

その人に抱く印象によって、容姿の感じ方自体も変わります。肥満気味の中年男性がかわいく思えたり、モデルのような顔をした美人がうす気持ち悪く思えたりすることがあります。

ただ、容姿のコンプレックスがあると、そういった人の感性の多様さに目がいかなくなります。「自分は見た目が良くない。それがすべて。」と思えてしまって、自分の容姿の欠点ばかりが気になります。


容姿のコンプレックスがあるとき、自分には魅力がないと思える度合いだけ、周囲に対して魅力的には思われないような印象操作のようなものを無意識にしてしまい、周囲をその「魅力的ではない」という視点に同調させやすくなります。ただ、その結果は、自分が本当に欲しいものではないと思います。

自分の容姿を良くないと判断しているその基準にはどんなものがあるでしょうか?その判断基準のようなものは、心の中に強く根を張っている思考だとは思いますが、改めて、それを言葉にしてみた時に、客観的に見て、その判断基準は自分が幸せになっていくために役立つものになっているでしょうか?

容姿のコンプレックスは「自分は魅力的ではない」といったセルフイメージに対する執着を、自分の心の中に作り出します。執着があるということを実感はしにくいですが、思い込みが強いほどその否定的なイメージに対して心が強くとらわれている状態になっています。その反対に「自分が魅力的である」というセルフイメージに対しては、抵抗感が強くなります。コンプレックスに反対するような言葉、、、例えば自分の姿を鏡で見て、それほど悪くない、とか、なかなか良い、といった言葉を心の中でつぶやいたときに、猛烈な否定が湧き上がってくるとしたら、自分の心の中で、その抵抗が強い、ということを意味しています。

愛情やつながりを求めるのならば、この抵抗感と執着を手放すことが求められてきます。やり方ですが、以下の①~④の質問を自分に問いかけて、直感で即答していってください。

①自分が魅力的である、ということに対する抵抗がありますか?

②自分が魅力的である、ということに対する抵抗を手放せますか?

③自分が魅力的である、ということに対する抵抗を手放しますか?

④自分が魅力的である、ということに対する抵抗をいつ手放しますか?

①~③の答えははい、でも、いいえ、でもいいです。④の答えも自由です。何度か①~④を繰り返してみて、少し抵抗がやわらいだ感覚があったら、次に、以下の⑤~⑦の質問を自分に問いかけて、直感で答えていって下さい。

⑤自分は魅力的ではない、というイメージを手放せますか?

⑥自分は魅力的ではない、というイメージを手放しますか?

⑦自分は魅力的ではない、というイメージをいつ手放しますか?

こちらも何回か繰り返してみてください。初めてやるときは、リラックスして心を落ち着ける場所と時間を確保した状態でやってみる、というのがお勧めです。イメージを手放す、というのは自分の中からコンプレックスを完全に排除するというより、少しわきにおいておけるようになったり、そのコンプレックスから距離を置けるようになったり、あまり重要視しなくなる、という感覚のものです。実際にやってみんて、コンプレックスが重たくのしかかっていた状態から、少し軽くなる感覚があったら、それが手放す、という感覚です。(実際に体験してもらえると幸いです。)


魅力的ではないというイメージを手放すときにセットで考えることが求められてくるのは、魅力的である、というイメージを受け取ることです。

自分の魅力には、どんなものがあると思えるでしょうか?
良い部分を意識的に見るようにすることで、自己肯定できる部分があるとしたら、どんなものがあるでしょうか?
今まで言われたことで、受け取れなくて否定したことでも、今振り返ってみると、受け取れると思えるようなことはないでしょうか?

異性から見て、どんな魅力を感じられると想像できるでしょうか?
人の感性には多様性があり、自分ではあまり自覚のないことでも、相手から魅力があると捉えられることもあります。そんな魅力があるとしたら、どんなものがあると想像できるでしょうか?

どんな形であれ、自分のことを心の中で肯定できた分だけ、それは態度や雰囲気となって表れ、周囲をその自己肯定感に同調させやすくなります。この結果は、ずばり自分が本当に欲しいそのものではないかもしれませんが、望ましい結果だと思います。


恋愛のパートナーとの関係性の中で、容姿のコンプレックスが解消されていく、ということもあります。ある意味、パートナーにゆだねられる一面は強いのですが、例えば、コンプレックスのある容姿も含めて愛してくれるパートナーと出会えたとしたら、そして、その相手からの愛情を受けとるということができたなら、それは素晴らしいことだと思います。

ただ、このときも容姿のコンプレックスに関して手放していく、ということは大切です。手放せないままでいると、それはパートナーからの愛情に対しての疑いを生む要因になります。パートナーとの絆を育てて、愛情を受け取っていくためにも、容姿のコンプレックスを手放していく、ということはプラスになります。


容姿のコンプレックスは思春期から思考の積み重ねで根強いものとなっていることもあるかもしれません。ただ、そのコンプレックスにとらわれる度合いは、その思考への執着を手放していくことで軽くしていくことができるものです。手放すことができるほどに、コンプレックスを刺激されるような出来事と出会うことが減りますし、仮にそんな出来事があったとしても、そこから受けるダメージを減らすことができます。また、自分が愛するパートナーからの愛情も受け取りやすくなります。

容姿のコンプレックスに悩まされることがあったときには、それを手放していく、ということにぜひチャレンジしてみてくださいませ。

 

セドナメソッドについて
「手放せますか?→はい/いいえで答える。手放しますか?→はい/いいえで答える。いつ手放しますか?→答える。」の部分はセドナメソッドを使っています。セドナメソッドについては本も出版されておりますので、興味のある方は読んでみて下さい。

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

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セドナメソッドの公式ホームページは以下のものです。

The Sedona Method | Heal Yourself by Letting Go | Official Site