心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

人の結婚を喜べないときに覚えておいてほしいこと

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身近な人や友人が結婚するというときに、なんだか素直に喜べない、というケースがあります。どちらかというと、人の不幸を望んでしまうようなところが自分にあるかのような感じがしたり、まるで自分が悪い人になってしまったかのような気がする人もいるかもしれません。他人の不幸は蜜の味、なんていう言葉もあります。ある意味では嫉妬心のようなものがあって、そこから、人の足を引っ張りたいかのような気持ちが湧き上がってくるようなこともあるのかもしれません。

嫉妬心というのは、非常に強くなることもある感情です。嫉妬にとらわれてしまうと、様々なネガティブな想いが自分の内側に生まれ出てきます。良くないと思ってはいても、ついつい相手の不幸や失敗を望んだり、相手に何か良いことがあったときでも、それを祝福するのに強い抵抗感を感じたりすることもあります。例えば、自分が本当に欲しいものを手にしていないときに、その隣で手に入れている人がいたら、羨ましくなると思います。自分が手に入れることを絶望しているものがあるときに、その隣で簡単に手に入れている人がいたら、否定するような気持ちが出てきやすくもなります。なぜあの人は手に入れていて、自分は手に入れられないのか?、というところに、何かネガティブな感覚が心の中にでてくることもあるかもしれません。


ここでポイントとなっているのは、自分はまだそれを手にしていない、という部分ではなく、自分が手に入れる未来を当たり前と思えているか、という部分です。自分が受け取れると思えていたら、次に続こう、とか、自分の時はどんな風になるのか楽しみ、というくらいの感覚かもしれません。その反対に、自分が今後それを手にできるような感覚が薄いとしたら、先を行く相手に対して、モヤモヤした感情が出てきやすくなっても不思議ではないです。

自分が望む結果を手に入れれるかどうかに疑いがあるとしたら、それはなぜでしょうか?
自分の心の中に「私には無理だ」と思わせる理由のようなものがあるとしたら、そこにはどんな思考があるでしょうか?
あらためて聞かれると、自分でもあんまり意識していなかった、当たり前だと思っていた思考を言葉にすることができます。言葉にして表に出すと、その思考が今の自分にとって身に付け続けるにふさわしいかどうかを、見直すことができるようになります。

自分の結婚について、どんなイメージを持っているでしょうか?
自分の幸せについて、どんな考えを持っているでしょうか?
自分の中でどう考えているか、ということを意識上にあげてみて、客観的に見たときに、変えたほうがよいと思える部分はないでしょうか?
幸せに向かっていく上で、自分の足を引っ張っているようなネガティブな部分はないでしょうか?

そういったネガティブな思考やイメージのようなものは、無意識に深く沈み込んで、もう動かせない岩のようになって、自分自身を縛り付けるような働きをすることがあります。自己評価を下げる思考や、自己否定をする思考がここで出てくることもあります。


自分の足を引っ張っているものが、自分の内側にあることに気付くことができると、それをそのままにしておくか、それとも取り除いてしまうかということを、主体的に選択することができます。かなり根強く自分を縛り付けている思考が出てきている場合は、取り除きたいと思っても、簡単にはできないような感覚が出てくることもあるかもしれませんが、取り除くと強く心に決めれば、思考は取り除くことができます。

深く根付いている思考ほど、取り除くときに一山越えるかのような要素が求められてきます。色んな言い方があるのですが、例えば、こんな感じのものです。
・本気になる。
・コミットメントする。
・100%の力を発揮する。
ググっと力が入れることが必要になってくるような感じですが、長年染み付いた自分の歩みを強力にブロックしていた思考を取り除くときには、こういった部分がちょこっと求められてきます。思考を取り除くときの抵抗がそれだけ強力だからです。自分の足を引っ張っている思考やイメージを取り除くことを強く念じてみてください。

次に、その思考やイメージを取り除く代わりに、新しいものを取り入れようとしてみて下さい。どんな考えを取り入れれば、今よりももっと、自分が欲しいものを手にすることができる、ということを信頼できるようになるでしょうか?
どんなイメージを持てば、その欲しいものをもっと身近に感じることができるようになるでしょうか?

繰り返し行うことは、自分の身体や心にその行為をなじませます。新しく取り入れる思考やイメージが自分自身に定着するように、取り入れることができる習慣のようなものは作れないでしょうか?

自分が欲しいものを手にするための道のりのスタート地点には、自分の願望、があります。その道のりの先に願望の達成があるのだとしたら、ゴールにたどり着くうえでカギになってくるのは、信頼です。自分の心の中を信頼にあふれさせるためには、どんな考え方や、イメージや、習慣を取り入れるのが良いと思えるでしょうか?


人の成功や幸せを素直に喜べないことの裏側には、自分で自分の足を引っ張っているものが頭の中にある、ということに気付けるためのチャンスが眠っています。そこに向かい合う時には、絶望の部分や、自己評価の低さや、自己否定といった重たいものと向き合うことが求められてくることもありますが、自分と向き合うことに本気になれた度合いだけ、その絶望の壁を突き崩していくことができるようになります。

 

いじめられた記憶について

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いじめられた経験がある人もいれば、ない人もいるとは思いますが、いじめの内容や、どのくらい続いたかなど、その経験には個人差が大きいかもしれません。ただ、あまりにも過酷な体験だったために、そのときの記憶がいまでもよみがえってきて、辛い想いをされている方もおられるかもしれません。

私自身は暴力を伴ういじめを受けた経験があり、この記事を書くときに当時のことをちょこっと思い出しつつ書いているのですが、人によっては、いじめに関係した人たちへの怒りや恨みが残っていることもあるかもしれません。いじめられたということを、恥ずかしいと思ったり、もう一度同じことが自分の子供に起こることを想像して、怖れのようなものを抱く方もおられるかもしれません。

過去のいじめられた自分にも原因があったんじゃないか、なんて考えると、すごくネガティブな感覚に陥りますが、その思考の先には、自己攻撃があるので、あんまりおすすめはしないです。もし当時の振り返りをされるとしたら、当時の状況をできるだけ客観的に見た方が良いです。

いじめには構造のようなものがあり、いじめられた人というのは、ちょっとしたきっかけのようなもので、その構造に当てはまってしまった立場の人です。集団の中の構造の話なので、きっかけ次第でいじめられる側がいじめる側に回ったり、その逆もあり得ます。いじめられた人が悪いとか弱いとかどうとかいうレベルの話ではなく、この構造の中に、いじめの本質がありますので、いじめの対処には、いじめの構造を弱体化させたり、その構造から抜け出す、といったことが求められてきます。

ただ、罪悪感が強いと、いじめの構造の中のいじめられる側にすぽっとはまってしまう、という現実を引き寄せやすくなります。そのため、自分がダメだったから、いつもいじめられる側にいた、なんていう感覚を持っている人もいるかもしれませんね。罪悪感が強いわけじゃなくても、きっかけがあってそこに構造ができてしまえば、いじめは起こってしまうものなので、ここはいじめの本質ではないのですが、罪悪感が強いといじめの構造から抜け出しにくくなるので、その対処として罪悪感の癒しが有効なこともあるかも、です。

過去の自分を振り返って、そういえば、罪悪感のようなものを抱えていたかも、と思えるのなら、いじめられた理由(そんな理由で延々といじめられたら、やられる側としてはたまったものではない、という理由)を掘り下げるというより、その罪悪感にはどんなものがあっただろうか、というところを掘り下げるのはアリかもしれません。


いじめられた記憶が、自分の中で整理ができていたり、過剰な怖れや恨みを抱えているわけではないのなら問題ないのですが、その記憶がネガティブな形で今の生活に何かしら影響を出しているとしたら、ちょっと心の中を整理した方が良いかもしれません。

心の中を整理するときには、誰かに話を聞いてもらったり、何かに書いたりする(誰かに見せなくてもOK)のがお勧めです。言葉には力があり、過去の出来事を何かしらでも言葉で表現することで、頭の中でもやもやしていた嫌な感覚を、他の人にも伝えられるレベルにまで落とし込んで、整理することができるようになります。人に話すとその言葉は自分の耳にも入ってきますし、相手のリアクションも見れます。何かに書くという手段を使うなら、文章を読み返すことでその言葉は自分の目から入ってきます。そういったプロセスを通して、より客観的にその出来事を見れるようになります。

そんなひどい仕打ちを受けるほど、自分は悪いことをしていない(とか、そんなこと全くしていないとか)、ということも気付けますし、いじめが起きていたときの人間関係の特殊さにも気付けます。集団心理で過剰にエスカレートしたときの出来事も、客観的に見つめれるようになります。いじめの構造は、ある意味、人の良くない一面を強力に引き出します。少し主題から外れますが、昔いじめっ子だった人が、過去を振り返って、なんで自分はあんなことをしたんだろう、と、ぞっとすることも、もしかしたら、あるかもしれませんね。


ただ、いじめられた経験から発生する、強い恨みや怖れ、のようなものを抱えていることもあると思います。単に整理するだけでは自分の気持ちが収まらないもの、と言えるものかも知れません。

まず、恨み、ですが、これは正論になってしまって非常に申し訳ないのですが、人を恨むと自分もそのことに強くとらわれてしまいます。その結果、自分の人生に暗い影のようなものが差し込みます。相手のことはどうしても許せないとして、相手に強い恨みを持つと、そこに自分のパワーと時間が浪費されていってしまいます。それはものすごくもったいないです。

人を恨むと、そのエネルギーは自分自身にも返ってきます。心になにがしかの影響が与えられ、まわりまわって、それが何かの人間関係に影響したり、体のどこかに良くない影響を与えたりすることもあります。そんなひどい人のために、自分の人生を浪費することになるとしたら、それは可能な限り避けたほうが良いです。

自分に対してひどい仕打ちをした人物が、今後どんな道のりを歩むことになるのかは、天にゆだねる方が良いです。もし、自分自身をその恨みに縛り付けることから解放する、という選択をすることができるなら、恨みに浪費していた自分のパワーと時間を取り戻すことができます。人を恨むことから自分に返ってくる余計なものも避けることができます。

どうしても許せないと思えるのなら仕方ないですし、これは生き方の問題といえるかもしれません。ただ、そのことで自分自身の人生を無駄遣いしたくないと思うなら、手放すという選択肢もある、ということを覚えておいていただければ、と思います。


次に、怖れ、ですが、自分自身の中に、どんな怖れがあるのかを見つめてみる、ということをお勧めします。もし、何を怖れているのかが不明瞭だったとしたら、その状態は怖れを増幅させる、という結果を生みます。この辺りは、以前書いた以下の記事に書いています。記事の内容を簡単に書くと①~③のようなものを実践していく、という感じなのですが、どうしてこんなことをするのか、というあたりは記事な中身を読んでみていただければ、と思います。
①何を怖れているかを明確にする。
②自分はどうしたいかを明確にする。
③今できることをする。 

shinrinsen.hatenablog.com

 

いじめられた経験は自分の心に強烈な影響を与えます。心の中に傷のようなものができたような感覚が生まれることもありますし、強くその過去に捉われてしまうこともあるものですが、その過去の出来事に対して、自分はどうしたいのか、ということを主体的に選択することは可能です。

もし可能なら、ネガティブな思考は手放すという選択を。同じ経験を持つ人たちに対して、慈愛の心を持つという選択を。そんな風に、私は思っています。


いじめの構造については、以下のものが参考になるかも、です。

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

 

 

容姿のコンプレックス

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容姿にコンプレックスがあって、自分は異性から愛されない、と思い込んでしまうケースがあります。自分の容姿のなかに醜さのようなものを感じることで、こんな醜い部分を持っている自分が、異性から愛されるのだろうか、と強い疑いを持ち、ときにその疑いを強化する体験を重ねていくことで、深い絶望が心に生まれてくるようなことも、人によってはあるかもしれません。

美女と野獣という有名な物語では、魔女に呪いをかけられて野獣に姿を変えられた男が、自らの醜い姿に絶望します。バラの花びらが全て散るまでに、真実の愛を見つけられなければいけないという試練が男に与えられ、失意の中、男は城に閉じこもります。物語の中では、美しい娘ベルとの出会いから、男はその運命を大きく変えていくことになりますが、もし、ベルと心を通わせることがなかったら、その男の物語は非常に過酷なものとなったかもしれません。


人の魅力は色んな角度から見られます。ただ、異性の目から見た時に魅力を見るものの一つとして、容姿というのはとてもわかりやすい要素かもしれません。異性を好きになるときの基準として、容姿を非常に重要視する人もいます。容姿のコンプレックスが強いと、そのコンプレックスを補償するために、容姿がいい人を好きになりやすい、ということもあるかもしれません。

その反対に、容姿をあんまり重要視しない人もいます。内面的なことであったり、一緒にいて感じることであったり、共有できるものがあることであったり、尊敬できるような一面があったり、何か特別な才能のようなものがあったり、などなど、、、、様々な要素に魅力を感じれることから、容姿の良しあしの重要度が下がる感じかもしれません。ある意味では、どんなところに魅力を感じるのか、というときにその人の個性が表れます。

その人に抱く印象によって、容姿の感じ方自体も変わります。肥満気味の中年男性がかわいく思えたり、モデルのような顔をした美人がうす気持ち悪く思えたりすることがあります。

ただ、容姿のコンプレックスがあると、そういった人の感性の多様さに目がいかなくなります。「自分は見た目が良くない。それがすべて。」と思えてしまって、自分の容姿の欠点ばかりが気になります。


容姿のコンプレックスがあるとき、自分には魅力がないと思える度合いだけ、周囲に対して魅力的には思われないような印象操作のようなものを無意識にしてしまい、周囲をその「魅力的ではない」という視点に同調させやすくなります。ただ、その結果は、自分が本当に欲しいものではないと思います。

自分の容姿を良くないと判断しているその基準にはどんなものがあるでしょうか?その判断基準のようなものは、心の中に強く根を張っている思考だとは思いますが、改めて、それを言葉にしてみた時に、客観的に見て、その判断基準は自分が幸せになっていくために役立つものになっているでしょうか?

容姿のコンプレックスは「自分は魅力的ではない」といったセルフイメージに対する執着を、自分の心の中に作り出します。執着があるということを実感はしにくいですが、思い込みが強いほどその否定的なイメージに対して心が強くとらわれている状態になっています。その反対に「自分が魅力的である」というセルフイメージに対しては、抵抗感が強くなります。コンプレックスに反対するような言葉、、、例えば自分の姿を鏡で見て、それほど悪くない、とか、なかなか良い、といった言葉を心の中でつぶやいたときに、猛烈な否定が湧き上がってくるとしたら、自分の心の中で、その抵抗が強い、ということを意味しています。

愛情やつながりを求めるのならば、この抵抗感と執着を手放すことが求められてきます。やり方ですが、以下の①~④の質問を自分に問いかけて、直感で即答していってください。

①自分が魅力的である、ということに対する抵抗がありますか?

②自分が魅力的である、ということに対する抵抗を手放せますか?

③自分が魅力的である、ということに対する抵抗を手放しますか?

④自分が魅力的である、ということに対する抵抗をいつ手放しますか?

①~③の答えははい、でも、いいえ、でもいいです。④の答えも自由です。何度か①~④を繰り返してみて、少し抵抗がやわらいだ感覚があったら、次に、以下の⑤~⑦の質問を自分に問いかけて、直感で答えていって下さい。

⑤自分は魅力的ではない、というイメージを手放せますか?

⑥自分は魅力的ではない、というイメージを手放しますか?

⑦自分は魅力的ではない、というイメージをいつ手放しますか?

こちらも何回か繰り返してみてください。初めてやるときは、リラックスして心を落ち着ける場所と時間を確保した状態でやってみる、というのがお勧めです。イメージを手放す、というのは自分の中からコンプレックスを完全に排除するというより、少しわきにおいておけるようになったり、そのコンプレックスから距離を置けるようになったり、あまり重要視しなくなる、という感覚のものです。実際にやってみんて、コンプレックスが重たくのしかかっていた状態から、少し軽くなる感覚があったら、それが手放す、という感覚です。(実際に体験してもらえると幸いです。)


魅力的ではないというイメージを手放すときにセットで考えることが求められてくるのは、魅力的である、というイメージを受け取ることです。

自分の魅力には、どんなものがあると思えるでしょうか?
良い部分を意識的に見るようにすることで、自己肯定できる部分があるとしたら、どんなものがあるでしょうか?
今まで言われたことで、受け取れなくて否定したことでも、今振り返ってみると、受け取れると思えるようなことはないでしょうか?

異性から見て、どんな魅力を感じられると想像できるでしょうか?
人の感性には多様性があり、自分ではあまり自覚のないことでも、相手から魅力があると捉えられることもあります。そんな魅力があるとしたら、どんなものがあると想像できるでしょうか?

どんな形であれ、自分のことを心の中で肯定できた分だけ、それは態度や雰囲気となって表れ、周囲をその自己肯定感に同調させやすくなります。この結果は、ずばり自分が本当に欲しいそのものではないかもしれませんが、望ましい結果だと思います。


恋愛のパートナーとの関係性の中で、容姿のコンプレックスが解消されていく、ということもあります。ある意味、パートナーにゆだねられる一面は強いのですが、例えば、コンプレックスのある容姿も含めて愛してくれるパートナーと出会えたとしたら、そして、その相手からの愛情を受けとるということができたなら、それは素晴らしいことだと思います。

ただ、このときも容姿のコンプレックスに関して手放していく、ということは大切です。手放せないままでいると、それはパートナーからの愛情に対しての疑いを生む要因になります。パートナーとの絆を育てて、愛情を受け取っていくためにも、容姿のコンプレックスを手放していく、ということはプラスになります。


容姿のコンプレックスは思春期から思考の積み重ねで根強いものとなっていることもあるかもしれません。ただ、そのコンプレックスにとらわれる度合いは、その思考への執着を手放していくことで軽くしていくことができるものです。手放すことができるほどに、コンプレックスを刺激されるような出来事と出会うことが減りますし、仮にそんな出来事があったとしても、そこから受けるダメージを減らすことができます。また、自分が愛するパートナーからの愛情も受け取りやすくなります。

容姿のコンプレックスに悩まされることがあったときには、それを手放していく、ということにぜひチャレンジしてみてくださいませ。

 

セドナメソッドについて
「手放せますか?→はい/いいえで答える。手放しますか?→はい/いいえで答える。いつ手放しますか?→答える。」の部分はセドナメソッドを使っています。セドナメソッドについては本も出版されておりますので、興味のある方は読んでみて下さい。

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

 

セドナメソッドの公式ホームページは以下のものです。

The Sedona Method | Heal Yourself by Letting Go | Official Site

 

漠然とした不安の対処方法

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心の中に漠然とした不安のようなものがあり、それがなかなか拭い去れない、というケースがあります。本人の中でも、なぜそこまで不安を感じているのか、よくわからないような感じ、です。

未来に目を向けると怖れを感じやすくなり、現在に集中すると怖れではなく今やっていることや起きていることに意識が向きます。不安を感じているときというのは、現在よりもどこか未来のことに意識が向いている状態です。漠然とした不安がある、ということは、何か未来に関することで、気になって怖れを感じていることがある、ということになります。


こういうとき、どうなることを自分は怖れているんだろうか? という問いかけが一つのカギになります。何を怖れているかも不明瞭である、という状態は、怖れを増幅させます。漠然とした不安感から、何を怖れているのかを明確にしていくことは、自分自身への理解を深め、怖れを取り扱うときの力になります。

どうなることを怖れているのかがおぼろげにでも見えてきたら、自分はどうしたいのか、が次のポイントになっていきます。逃げたいのか、何か課題のようなものをクリアしたいのか、現実がどうかなるのはどうでもよくて、この怖れをただただなんとかしたいのか、その答えは人それぞれかもしれません。大切なのは、あなたはどうしたいのか、という部分です。

どうしたいですか? という問いかけに対して、少し角度を変えたものが自分からわきあがってくることがあります。それは、どうしたらいいのかわからない、という思考です。ただ、ここで大切なのは、どうしたら正解なのか、ということではないです。正解/不正解ではなく、どうしたいのか、というのが重要な部分です。自分が抱えている現実に対して、正解のルートがあって、そこを選ぶことが大切、という話ではなく、私はどうしたいんだろうか?、に集中することが大切です。

この、自分はどうしたいのか? という問いかけは、自分が何か行き詰っているときや、何か問題を抱えているときに、とても大切なものです。人生に正解や不正解があって、正解を選ばないととんでもないことになる、というのは幻想のようなもので、本当に大切なのは、自分はどうしたいのか、という部分です。ある意味では、やりたいことを主体的に選択するのは正解で、やりたくないことを条件反射的にやってしまうのは不正解と言えるかもしれません。自分がどうしたいのか、という部分が明確になって初めて、どうしていくのがいいのか、というステップに進むことができます。

このあたりが明確になると、漠然とした不安を抱えている、というステージから、意思をもって怖れに対処しようとしている、というステージに上がっていきます。ここまでくると、何が怖くて、それに対してどうしたいのか、が明確になっているので、かなり前進です。


今できることは何でしょうか? この問いかけが次のステップになります。その答えが見えたら次にすることは、今できることに集中する、です。怖れは未来に目を向けた時に湧き上がってくるものです。今現在できることに集中すると、集中できた度合いだけ、怖れに意識が向かなくなります。怖れが完全に消えるわけではないですが、怖れに向けていたエネルギーを今できることに向けることになり、現実が何かしら動き始め、結果として何らかのフィードバックが出てきます。

怖れを感じているときというのは、何かしら変化を求められているサインです。自分がどうしたいのかが明確になっていれば、そこにはできることが見えてきますので、怖れを感じながらでも、今できることに集中することは、そこに変化を呼び込んでいくことになります。

怖れがあるときというのは、行動にエネルギーがものすごく乗りやすいです。行動に向かう気持ちが乗るまでは苦しいですし、そこで動けない状態が続くこともありますが、いったん行動し始めると、怖れのエネルギーは自分を駆り立てる感じのエネルギーに変わり、その分のパワーが乗ります。やりすぎてしまう、ということもあるくらいです。(それで疲れ切ってしまうこともあります。心と体を休めるということも大切ですので、バランスは大事です。)


不安感を抱えていること、怖れを感じること、それら自体は実は問題ではないです。未来に目を向けた時に何かクリアにしておいた方良いことがあったとして、それに向けて今自分は何も行動できていないことから、不安や怖れを感じるのは自然なことですし、そこから変化があって行動に移すことがあるとしたら、アラーム機能が心に備わっているという意味では、不安感や怖れはあなたにとって、役立っていると言えます。不安感や怖れがなかったら、自分が求められていた変化に気付けなかった、といったこともあるかもしれません。

ただ、不安感や怖れが強いときは、それ自体が苦しいということもあると思います。そんな時に、ここに書いたことを少しでも役立てていただけるなら、幸いです。

 

親からの愛情が感じられないパターン

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親から愛されているのかよくわからない、という風に思えてしまうケースがあります。心の中にある親の存在は、その人の精神的成長にとって大きな意味を持ちますが、その部分に、自分は親から愛されてないかもしれない、といった怖れや疑いのようなものがあると、生活の様々なシーンに影響が出てくることがあります。

親は親なりに子供を愛するものですが、子供の立場である自分自身にとってそれがわかりやすいものである、とは限らないです。親も完璧な人間ではなくて、どこか不器用なせいでそれが伝わりにくいものになることもあれば、偏った価値観があったり、精神的に未成熟な部分を親が抱えていることから、愛情以外のものもまぜこぜになって伝わってきて、本人からすると、親にどう思われているのかわからない、という感じになることもあります。


子供の頃の、親子関係はどんなものだったでしょうか?大人になってから、自分が子供の頃体験したことを思い起こしたときに、成長した今だからこそ気付けることもあります。子供時代の視点から親を見ると、親にも幼い部分や余裕がない部分があるというのは見えにくいです。両親が自分自身のことでいっぱいいっぱいになっているなんて想像することもできず、冷たい態度や、ネガティブな反応を見せてきたときに、それは自分が悪いからなんだ、ということのように解釈してしまうことも多いです。

成長するにしたがって、僕たちは、自分が悪い、という罪悪感があがってくるのとほぼ同時に、自己防衛のために、自分は正しい、という考え方を使って抵抗するようになります。これは大人になってからも、良く出てくるパターンかもしれませんが、自分が正しいとなると、悪いのは親、ということになります。そうすると、自分を愛してくれない親のことを心の中で責めるようになります。愛していないわけじゃないんだけど、親にも弱い部分があって、いつも愛情いっぱいで接してあげることができるわけじゃない、という解釈ではなく、私のことを愛していないから、あんな態度をとるんだ、って思っちゃいやすくなります。

自己防衛のために、親が悪いということを証明したくなる気持ちが出てくることもあります。他の人が聞いても、それは親がダメ、と言いたくなるようなエピソードを心の中で集めたくなるかもしれません。親との関わり合いの中で、ストレスを感じるような出来事があったときに、それは自分が悪いのではなく、親が悪い、と言いたくなるような状況の場合、親がいかに問題のある行動をしたのかを、人に聞いてもらいたくなることもあるかもしれません。

親に愛されていないように感じられることから、自分は悪いと思うようになり、そこへの抵抗のために、自分は正しくて親に問題がある、と言いたくなるようになり、一旦の結論として、ダメ親が自分を愛していない、というものが出てきます。ここで思考停止することは可能ですが、それはあくまで物事の一側面を表しているだけです。親は親なりに子供を愛していますが、あなたにはそれを感じることができていない、という観点がそこには欠けています。


親なりに子供のことを大切に思っているけれども、子供にはそれが伝わっていないし、どちらかというと、大切に思われていないと感じている、ということに親が気付いていると想像してみてください。親の立場に立って、その心の中を想像したら、どんな感情を感じていると思えるでしょうか?人によっては、愛情を感じていない自分のことを責める気持ちがでてくることもあるかもしれません。ただ、一旦その罪悪感は心の片隅によけて置いて、親がどんな気持ちを感じるかを想像してみてください。

虚しさや、悲しさがあるような気がするかもしれません。怒りを想像する人もいるかもしれませんが、ここで、親の中にある罪悪感は感じられるでしょうか?例えば、もし神様がいて、その神様があなたの親にこんな風に告げるシーンを想像してみて下さい。
「あなたは子供を愛したつもりかもしれませんが全然伝わってないです。あなたのお子さんはあなたに愛されていないと思っています。」
この記事のタイトルに書いた内容通りだった場合、宣告の内容はわりとそのままですが、そんな風にあなたに思われる未来を想像して、子供を育ててきたでしょうか?

私がさっきから書いている「親は親なりに子供を愛している」という前提が間違っているでしょうか?

もし、あなたが親と過した期間がほとんどなく、長い間音信不通の状況が続いているといった状況でもない限り、あなたの心の中に描いた親の姿がそこで罪悪感を感じているものだったとしたら、私の前提は当てはまります。長い歴史の中で培われた経験をもとにあなたが心の中に描いた親の姿は、親の心の中の状態をよく表しており、親が罪悪感を感じている度合いだけ、子供に愛情を伝えたかった、ということを意味しています。

もし可能なら、罪悪感を感じている親の姿を想像したまま、心の中で親のことをその罪悪感ごと抱きしめてあげてください。そこであなたが親に愛情を伝えたいと思った度合いだけ、親が本当は伝えたかった愛情を受け取ることができると思います。


ここで一つ、補足しておきたいことがあります。もし、どうしても親が自分に愛情を向けているということが信じられない、としたら、親からの愛情を無理やり感じようとするのではなく、自分が自分を愛することを優先してあげてください。

愛情を感じられないことで、自分を大切にすることができずに、何か自分自身を無価値のように扱ってしまったり、犠牲的な生き方をしていたとしたら、それはとてももったいないです。愛情を感じることができない代わりに、親からネガティブなレッテルのようなものを貼られたこともあったかもしれません。ただ、そこでその内容に同調してしまうと、自分を貶めるような言葉を心の中で自分自身に向けるようになりがちです。

親が張ったセンスのかけらもない醜悪な「私はダメな子だ」などという自分を不自由にするレッテルはさっさとはがしてしまい、その代わりに、自分の心に「私は愛される存在だ」という自分を自由にする旗を高く掲げることが大切です。

親が自分にそそぐ愛情がひとかけらも感じられないなら、無理に親からの愛情を感じようとする努力はしなくとも良いです。仮にひとかけらでも感じられるなら、そのかけらだけは受け取って、それ以外の雑多な暴言・無視・説教・価値観の押しつけといった心の産業廃棄物のようなものは、河川敷にでも投げ捨ててしまってOKです。親からのネガティブなメッセージに耳を傾けたり、心を奪われる必要性は一切ないです。重要なのは、自分が自分の心に掲げたその愛と自由の旗を誰にも譲らないこと。その旗が高く掲げられている限り、誰もあなたの心を深いレベルでは傷つけることはできないです。


補足の部分は、それまで書いていた内容とは一見真逆っぽい内容かもしれませんが、とても大切な部分でもあります。自分が自分を愛するという部分は、何にも代えがたい心の財産です。記事を読んでみて何かしら得られるところがあれば、そこだけでも持って帰ってもらえれば幸いです。

 

パートナーに強く執着してしまう

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付き合っている状態でも、パートナーに対して心の中に不安のようなものがある場合、パートナーへの強い執着が生まれることがあります。

執着があると、愛情を試すようなことを繰り返したり、パートナーが自分から離れていかないように束縛し続けたりしたくなることもあります。この場合、過剰にわがままを言って、それに応えてくれるのをみて安心しようとしたり、ルールのようなもの作って、それをパートナーに押し付けたりするケースも中にはあるかもしれません。

パートナーへの執着が強いと、パートナーに対して精神的な依存をしているような感じになります。自分がパートナーに対して不安感をもった度合いだけ、パートナーに不安感の解消に必要となる行動を要求するので、パートナー側の負担が増えます。自然とパートナー側の自己防衛が引き出されますので、なんとなくそっけない感じになったり、積極的に向こうから連絡を取ってはもらえなくなったりします。それにより、余計に不安感が出てくるので、執着が強化される、という悪循環が生まれます。


不安感を感じているとき、この不安感を感じる原因はパートナー側にある、と思うと、パートナーに対して改善を求めたくなります。ただ、改善を求めても、断られるケースがあります。理由は状況によって色々ありますが、相手から断られている限り、その不安感は解決されないことになるでしょうか?もしそう思うなら、自分自身の精神が不安定なのは相手のせいだ、と心の中で責めていることになります。

「あなたが私の言うことを聞いてくれない限り私は不幸になる。今、私を不幸にしているのはあなただ!」
という精神的な脅迫をしていることになります。精神的にパートナーに依存しているときは、パートナーのことは見えていないことが多いので、まさかそれがパートナーに苦痛を与えることにつながる、なんていうことには、気付かないことの方が多いかもしれません。

パートナーに強く執着している状態でお付き合いをしている場合、どういう形であれパートナーに何かを負担させています。今まで、どんなことでパートナーを責めたことがあるか、を振り返ってみて、そこに幼い理由で責めていたものはないかを考えてみたら、どんなものが出てくるでしょうか?

自分の精神的な幼さから、パートナーに求めていた部分があるなら、その問題の解消は、本来パートナーの義務ではなく、自分自身の課題です。自分の課題を放棄した分だけ精神的に不安定になりますが、その解消をパートナーの義務にして押し付けて誤魔化している、ということに気付くことが求められてきます。


パートナーへの強い執着と不安感があると、パートナーからの愛情を受け取りにくくなります。パートナーが愛情を送ろうとしても、不安感と執着があると、その愛情のエネルギーはブロックされてしまいますので、受け取る側もどれだけ愛されているかが感覚的にわからなくなります。どちらかというと、愛されていない、と感じやすいです。パートナーから見ると、いくら愛そうとしても、愛情を受け取ってもらえているようには見えないので、だんだん疲れてきます。疲れていくなか、愛情を受け取ってもらえない代わりに、本人の不安感の解消に必要となる犠牲的行為を求められますので、さらに疲れていきます。この悪循環を断ち切るには、不安感と執着の解消に、本人が向きあう必要があります。パートナーからの協力があった方がよいケースもありますが、主体的に動かないといけないのは本人です。


執着を手放すこと。パートナーに強く執着してしまっているとき、手放すのには強い抵抗があると思いますが、本当に欲しいものは、パートナーをコントロールすることで得られる一時的な安定ではなく、パートナーからの愛情だと思います。執着を手放した方が、パートナーの愛情を受け取りやすくなる、と言ったら信じてもらえるでしょうか?

パートナーに強く執着してしまうと、パートナーから見た時に、あなたの魅力が大幅に損なわれます。好きだから付き合っているので、パートナーにとってもあなたと一緒に過ごす時間は、価値のある時間であり、貴重な時間なのですが、執着されることでその価値が下がります。

あなたに強い執着がある場合、パートナーはあなたと一緒にいる間、愛情があるという証明をしつづける義務を負います。信頼関係があってその証明をする必要がない場合は、パートナーはあなたと過ごす時間をただただ楽しいものとして受け取ることができ、あなたの魅力を十分に満喫できます。逆に強い執着があって愛情の証明が必要になる場合は、あなたと一緒に過ごす時間、パートナーのあらゆる言動に、いちいちあなたのチェックが入ります。口には出さなくても、あなたの心の中ではチェックが確実に入ります。そしてこのチェック判定がNGになったとたん、あなたの機嫌が悪くなり、それはそこにいるパートナーのせいになります。

執着が強くなると、それに比例してあなたの心の名に地雷が増えるので、パートナーにとってあなたと過ごす時間は、あなたが地雷をたくさん埋まめた危険地帯を「あなたとのデートは楽しいよ!」と笑顔で歩くという、ものすごく難易度の高いミッションになります。価値あるデートの時間が、苦行の時間へと変わっていくのは想像できるでしょうか?この愛情証明欲求が、あなたの魅力を大幅に損ないます。愛があれば乗り越えられる?愛があるなら、そんなミッション自体を撤去してあげてください。

実際に執着を手放すということに取り組んでみたい、という方向けに私が書いた別サイト内の記事があります。心の中で行うエクササイズのようなものなのですが、執着を手放すといってもどうやったらいいのかよくわからない、という方は、色々考えるより、実際にこのエクササイズをやってもらった方が理解しやすいかも、と思っています。

執着を手放すイメージワーク


パートナーへの強い執着は、せっかくの貴重なお二人の関係性を破壊するエネルギーを持っています。執着は手放すことができれば、その関係性に自然な愛情のエネルギーの循環を呼び戻すことができるものです。お付き合いしているときに、その関係性が重たくなっているように感じるときは、執着を手放すということに、一度取り組んでみてくださいませ。

 

男性の好意が苦手なタイプ

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男性から好意を持たれると気持ち悪くなってしまう、というケースがあります。例を挙げるとこんな感じです。
・今まであまり意識してこなかった男性が、自分に好意を持っているというのがわかったとたんに、気持ち悪くなってしまう。
・今まで良いイメージを持っていた男性が、自分に好意を持っているというのがわかったとたんに、避ける対象になってしまう。
これが行き過ぎると、どんな男性も受け入れることができない、という風になってしまうこともあります。

男性の振る舞いや態度に問題があって、女性が気持ち悪さを感じてしまうケースは置いといて、どんな男性に対しても、好意を持たれたとたんに受け入れられなくなるということが起こっているとしたら、男性側ではなく、女性側にフォーカスすることに意味が出てきます。この嫌悪感をもってしまう要因がその女性の心理の中にあるのだとしたら、それは何でしょうか?

全てがそうだとは言わないのですが、よくあるケースは、自分の中のセクシャルな部分に関して抵抗感が強い、というものです。自分で自分のセクシャルな部分に対して、嫌悪感をもっていると、そこは封印したくなるものなのですが、男性が好意をもって近づいてくると、そうも言ってられなくなります。その男性の態度や目線などから、自分のセクシャルな部分を意識されせられやすくなり、嫌悪感を感じやすくなる、という感じになります。自分はセクシャルな部分を嫌っているわけですから、こんな嫌な部分に魅力を感じて近づいてくる男性のことが気持ち悪くて仕方なくなります。

近づいていった男性からすると、相手からケダモノ扱いをされているような気分になるかもしれません。「オレ、そんなつもりじゃないのに、、、、」と思っても、自分にドン引きしている女性の目から「やらしい!変態!」と物語られるという、非常に悲しい展開になるかもしれません。

セクシャルな部分というのは、ある意味ではとてもパワフルなエネルギーがあり、そこに溺れてしまうと、コントロールできなくなる、といった怖れも抱きやすいものです。そこにある程度抵抗感が出てくるのは自然なことです。ただ、この抵抗感があまりにも強すぎて、嫌悪感を抱くレベルになると、どんな男性ともお付き合いすることが難しくなってしまう、という感じになります。

両親からの影響であったり、昔から自分の中に根付いているセクシャルな部分についてのものの見方であったり、その嫌悪感が出てくるルーツは様々です。

男性からセクシャルな部分に魅力を感じられることに対する抵抗感を形作っている思考にはどんなものがあるか、という部分を見てみることで、新たな気付きがでてくることもあります。自分のセクシャルな部分にどんな見方をしているか、とか、両親から影響を受けている部分があるとしたらどんなものがあるか、とか、男性が自分のセクシャルな部分に魅力を感じているシーンを想像したらその男性に対してどう思うか、とか、切り口を変えて、自分の中にどんな思考があるのか探ってみることで、そのルーツをさぐる糸口が見えてくることもあります。


このケースに当てはまる場合、近づいてくる男性に問題がある、のではなく、自分の中にあるセクシャルな部分を自分自身が嫌悪している、という部分に嫌悪感の発生源がある、ということに気付くことが大切です。自分が嫌がらないような近づき方を男性側に求めるのは、あんまり効果的ではないです。そこでどれだけ逃げても、セクシャルな部分に対する嫌悪感は、いずれ問題になってきます。

嫌悪感を手放すこと。もし自分の中に嫌悪感を形作っている価値観やものの見方があるのなら、どんなものがあるか自分の心の中を掘り下げてみていって、その中で手放せるものがあるなら、手放すことが大切です。思考を手放すことは、嫌悪感の緩和につながります。

自分の中のセクシャルなエネルギーに慣れること。嫌悪感を手放したくても、今まで抵抗してきたものを受け入れるのは、やっぱり怖いものです。いきなり男性にガンガン来られたら逃げたくなってしまうのは当然のことかもしれません。ただ、徐々にそのエネルギーに触れていくことで、慣れていくことができれば、嫌悪感を緩和していくことができます。男性からの目を意識した服装をしてみるのもお勧めです。自分に好意をもってくれている男性の中で、まだ抵抗感がましな方がいれば、その方から逃げるのではなく、友人として接するのも良いと思います。少々ギャンブル的ですが、とりあえず付き合うということをして、そこで慣れていくという経験をされたことのある方もおられるかもしれませんね。


異性からの好意に対して嫌悪感を抱くことがあるとしたら、自分の内側に、セクシャルな部分に対しての嫌悪感はないだろうか、という着眼点をもってみて下さいませ。セクシャルな部分に対しての嫌悪感は、ゼロにはできない(別に抹消しなくてもいいと思います)かもしれませんが、思考の見直しと、そのエネルギーに対する慣れのようなもので、ある程度緩和できるものです。現実問題として困ったことが出てきた場合は、その緩和を考えてみるのも、おすすめです。