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心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

漠然とした不安の対処方法

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心の中に漠然とした不安のようなものがあり、それがなかなか拭い去れない、というケースがあります。本人の中でも、なぜそこまで不安を感じているのか、よくわからないような感じ、です。

未来に目を向けると怖れを感じやすくなり、現在に集中すると怖れではなく今やっていることや起きていることに意識が向きます。不安を感じているときというのは、現在よりもどこか未来のことに意識が向いている状態です。漠然とした不安がある、ということは、何か未来に関することで、気になって怖れを感じていることがある、ということになります。


こういうとき、どうなることを自分は怖れているんだろうか? という問いかけが一つのカギになります。何を怖れているかも不明瞭である、という状態は、怖れを増幅させます。漠然とした不安感から、何を怖れているのかを明確にしていくことは、自分自身への理解を深め、怖れを取り扱うときの力になります。

どうなることを怖れているのかがおぼろげにでも見えてきたら、自分はどうしたいのか、が次のポイントになっていきます。逃げたいのか、何か課題のようなものをクリアしたいのか、現実がどうかなるのはどうでもよくて、この怖れをただただなんとかしたいのか、その答えは人それぞれかもしれません。大切なのは、あなたはどうしたいのか、という部分です。

どうしたいですか? という問いかけに対して、少し角度を変えたものが自分からわきあがってくることがあります。それは、どうしたらいいのかわからない、という思考です。ただ、ここで大切なのは、どうしたら正解なのか、ということではないです。正解/不正解ではなく、どうしたいのか、というのが重要な部分です。自分が抱えている現実に対して、正解のルートがあって、そこを選ぶことが大切、という話ではなく、私はどうしたいんだろうか?、に集中することが大切です。

この、自分はどうしたいのか? という問いかけは、自分が何か行き詰っているときや、何か問題を抱えているときに、とても大切なものです。人生に正解や不正解があって、正解を選ばないととんでもないことになる、というのは幻想のようなもので、本当に大切なのは、自分はどうしたいのか、という部分です。ある意味では、やりたいことを主体的に選択するのは正解で、やりたくないことを条件反射的にやってしまうのは不正解と言えるかもしれません。自分がどうしたいのか、という部分が明確になって初めて、どうしていくのがいいのか、というステップに進むことができます。

このあたりが明確になると、漠然とした不安を抱えている、というステージから、意思をもって怖れに対処しようとしている、というステージに上がっていきます。ここまでくると、何が怖くて、それに対してどうしたいのか、が明確になっているので、かなり前進です。


今できることは何でしょうか? この問いかけが次のステップになります。その答えが見えたら次にすることは、今できることに集中する、です。怖れは未来に目を向けた時に湧き上がってくるものです。今現在できることに集中すると、集中できた度合いだけ、怖れに意識が向かなくなります。怖れが完全に消えるわけではないですが、怖れに向けていたエネルギーを今できることに向けることになり、現実が何かしら動き始め、結果として何らかのフィードバックが出てきます。

怖れを感じているときというのは、何かしら変化を求められているサインです。自分がどうしたいのかが明確になっていれば、そこにはできることが見えてきますので、怖れを感じながらでも、今できることに集中することは、そこに変化を呼び込んでいくことになります。

怖れがあるときというのは、行動にエネルギーがものすごく乗りやすいです。行動に向かう気持ちが乗るまでは苦しいですし、そこで動けない状態が続くこともありますが、いったん行動し始めると、怖れのエネルギーは自分を駆り立てる感じのエネルギーに変わり、その分のパワーが乗ります。やりすぎてしまう、ということもあるくらいです。(それで疲れ切ってしまうこともあります。心と体を休めるということも大切ですので、バランスは大事です。)


不安感を抱えていること、怖れを感じること、それら自体は実は問題ではないです。未来に目を向けた時に何かクリアにしておいた方良いことがあったとして、それに向けて今自分は何も行動できていないことから、不安や怖れを感じるのは自然なことですし、そこから変化があって行動に移すことがあるとしたら、アラーム機能が心に備わっているという意味では、不安感や怖れはあなたにとって、役立っていると言えます。不安感や怖れがなかったら、自分が求められていた変化に気付けなかった、といったこともあるかもしれません。

ただ、不安感や怖れが強いときは、それ自体が苦しいということもあると思います。そんな時に、ここに書いたことを少しでも役立てていただけるなら、幸いです。

 

親からの愛情が感じられないパターン

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親から愛されているのかよくわからない、という風に思えてしまうケースがあります。心の中にある親の存在は、その人の精神的成長にとって大きな意味を持ちますが、その部分に、自分は親から愛されてないかもしれない、といった怖れや疑いのようなものがあると、生活の様々なシーンに影響が出てくることがあります。

親は親なりに子供を愛するものですが、子供の立場である自分自身にとってそれがわかりやすいものである、とは限らないです。親も完璧な人間ではなくて、どこか不器用なせいでそれが伝わりにくいものになることもあれば、偏った価値観があったり、精神的に未成熟な部分を親が抱えていることから、愛情以外のものもまぜこぜになって伝わってきて、本人からすると、親にどう思われているのかわからない、という感じになることもあります。


子供の頃の、親子関係はどんなものだったでしょうか?大人になってから、自分が子供の頃体験したことを思い起こしたときに、成長した今だからこそ気付けることもあります。子供時代の視点から親を見ると、親にも幼い部分や余裕がない部分があるというのは見えにくいです。両親が自分自身のことでいっぱいいっぱいになっているなんて想像することもできず、冷たい態度や、ネガティブな反応を見せてきたときに、それは自分が悪いからなんだ、ということのように解釈してしまうことも多いです。

成長するにしたがって、僕たちは、自分が悪い、という罪悪感があがってくるのとほぼ同時に、自己防衛のために、自分は正しい、という考え方を使って抵抗するようになります。これは大人になってからも、良く出てくるパターンかもしれませんが、自分が正しいとなると、悪いのは親、ということになります。そうすると、自分を愛してくれない親のことを心の中で責めるようになります。愛していないわけじゃないんだけど、親にも弱い部分があって、いつも愛情いっぱいで接してあげることができるわけじゃない、という解釈ではなく、私のことを愛していないから、あんな態度をとるんだ、って思っちゃいやすくなります。

自己防衛のために、親が悪いということを証明したくなる気持ちが出てくることもあります。他の人が聞いても、それは親がダメ、と言いたくなるようなエピソードを心の中で集めたくなるかもしれません。親との関わり合いの中で、ストレスを感じるような出来事があったときに、それは自分が悪いのではなく、親が悪い、と言いたくなるような状況の場合、親がいかに問題のある行動をしたのかを、人に聞いてもらいたくなることもあるかもしれません。

親に愛されていないように感じられることから、自分は悪いと思うようになり、そこへの抵抗のために、自分は正しくて親に問題がある、と言いたくなるようになり、一旦の結論として、ダメ親が自分を愛していない、というものが出てきます。ここで思考停止することは可能ですが、それはあくまで物事の一側面を表しているだけです。親は親なりに子供を愛していますが、あなたにはそれを感じることができていない、という観点がそこには欠けています。


親なりに子供のことを大切に思っているけれども、子供にはそれが伝わっていないし、どちらかというと、大切に思われていないと感じている、ということに親が気付いていると想像してみてください。親の立場に立って、その心の中を想像したら、どんな感情を感じていると思えるでしょうか?人によっては、愛情を感じていない自分のことを責める気持ちがでてくることもあるかもしれません。ただ、一旦その罪悪感は心の片隅によけて置いて、親がどんな気持ちを感じるかを想像してみてください。

虚しさや、悲しさがあるような気がするかもしれません。怒りを想像する人もいるかもしれませんが、ここで、親の中にある罪悪感は感じられるでしょうか?例えば、もし神様がいて、その神様があなたの親にこんな風に告げるシーンを想像してみて下さい。
「あなたは子供を愛したつもりかもしれませんが全然伝わってないです。あなたのお子さんはあなたに愛されていないと思っています。」
この記事のタイトルに書いた内容通りだった場合、宣告の内容はわりとそのままですが、そんな風にあなたに思われる未来を想像して、子供を育ててきたでしょうか?

私がさっきから書いている「親は親なりに子供を愛している」という前提が間違っているでしょうか?

もし、あなたが親と過した期間がほとんどなく、長い間音信不通の状況が続いているといった状況でもない限り、あなたの心の中に描いた親の姿がそこで罪悪感を感じているものだったとしたら、私の前提は当てはまります。長い歴史の中で培われた経験をもとにあなたが心の中に描いた親の姿は、親の心の中の状態をよく表しており、親が罪悪感を感じている度合いだけ、子供に愛情を伝えたかった、ということを意味しています。

もし可能なら、罪悪感を感じている親の姿を想像したまま、心の中で親のことをその罪悪感ごと抱きしめてあげてください。そこであなたが親に愛情を伝えたいと思った度合いだけ、親が本当は伝えたかった愛情を受け取ることができると思います。


ここで一つ、補足しておきたいことがあります。もし、どうしても親が自分に愛情を向けているということが信じられない、としたら、親からの愛情を無理やり感じようとするのではなく、自分が自分を愛することを優先してあげてください。

愛情を感じられないことで、自分を大切にすることができずに、何か自分自身を無価値のように扱ってしまったり、犠牲的な生き方をしていたとしたら、それはとてももったいないです。愛情を感じることができない代わりに、親からネガティブなレッテルのようなものを貼られたこともあったかもしれません。ただ、そこでその内容に同調してしまうと、自分を貶めるような言葉を心の中で自分自身に向けるようになりがちです。

親が張ったセンスのかけらもない醜悪な「私はダメな子だ」などという自分を不自由にするレッテルはさっさとはがしてしまい、その代わりに、自分の心に「私は愛される存在だ」という自分を自由にする旗を高く掲げることが大切です。

親が自分にそそぐ愛情がひとかけらも感じられないなら、無理に親からの愛情を感じようとする努力はしなくとも良いです。仮にひとかけらでも感じられるなら、そのかけらだけは受け取って、それ以外の雑多な暴言・無視・説教・価値観の押しつけといった心の産業廃棄物のようなものは、河川敷にでも投げ捨ててしまってOKです。親からのネガティブなメッセージに耳を傾けたり、心を奪われる必要性は一切ないです。重要なのは、自分が自分の心に掲げたその愛と自由の旗を誰にも譲らないこと。その旗が高く掲げられている限り、誰もあなたの心を深いレベルでは傷つけることはできないです。


補足の部分は、それまで書いていた内容とは一見真逆っぽい内容かもしれませんが、とても大切な部分でもあります。自分が自分を愛するという部分は、何にも代えがたい心の財産です。記事を読んでみて何かしら得られるところがあれば、そこだけでも持って帰ってもらえれば幸いです。

 

パートナーに強く執着してしまう

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付き合っている状態でも、パートナーに対して心の中に不安のようなものがある場合、パートナーへの強い執着が生まれることがあります。

執着があると、愛情を試すようなことを繰り返したり、パートナーが自分から離れていかないように束縛し続けたりしたくなることもあります。この場合、過剰にわがままを言って、それに応えてくれるのをみて安心しようとしたり、ルールのようなもの作って、それをパートナーに押し付けたりするケースも中にはあるかもしれません。

パートナーへの執着が強いと、パートナーに対して精神的な依存をしているような感じになります。自分がパートナーに対して不安感をもった度合いだけ、パートナーに不安感の解消に必要となる行動を要求するので、パートナー側の負担が増えます。自然とパートナー側の自己防衛が引き出されますので、なんとなくそっけない感じになったり、積極的に向こうから連絡を取ってはもらえなくなったりします。それにより、余計に不安感が出てくるので、執着が強化される、という悪循環が生まれます。


不安感を感じているとき、この不安感を感じる原因はパートナー側にある、と思うと、パートナーに対して改善を求めたくなります。ただ、改善を求めても、断られるケースがあります。理由は状況によって色々ありますが、相手から断られている限り、その不安感は解決されないことになるでしょうか?もしそう思うなら、自分自身の精神が不安定なのは相手のせいだ、と心の中で責めていることになります。

「あなたが私の言うことを聞いてくれない限り私は不幸になる。今、私を不幸にしているのはあなただ!」
という精神的な脅迫をしていることになります。精神的にパートナーに依存しているときは、パートナーのことは見えていないことが多いので、まさかそれがパートナーに苦痛を与えることにつながる、なんていうことには、気付かないことの方が多いかもしれません。

パートナーに強く執着している状態でお付き合いをしている場合、どういう形であれパートナーに何かを負担させています。今まで、どんなことでパートナーを責めたことがあるか、を振り返ってみて、そこに幼い理由で責めていたものはないかを考えてみたら、どんなものが出てくるでしょうか?

自分の精神的な幼さから、パートナーに求めていた部分があるなら、その問題の解消は、本来パートナーの義務ではなく、自分自身の課題です。自分の課題を放棄した分だけ精神的に不安定になりますが、その解消をパートナーの義務にして押し付けて誤魔化している、ということに気付くことが求められてきます。


パートナーへの強い執着と不安感があると、パートナーからの愛情を受け取りにくくなります。パートナーが愛情を送ろうとしても、不安感と執着があると、その愛情のエネルギーはブロックされてしまいますので、受け取る側もどれだけ愛されているかが感覚的にわからなくなります。どちらかというと、愛されていない、と感じやすいです。パートナーから見ると、いくら愛そうとしても、愛情を受け取ってもらえているようには見えないので、だんだん疲れてきます。疲れていくなか、愛情を受け取ってもらえない代わりに、本人の不安感の解消に必要となる犠牲的行為を求められますので、さらに疲れていきます。この悪循環を断ち切るには、不安感と執着の解消に、本人が向きあう必要があります。パートナーからの協力があった方がよいケースもありますが、主体的に動かないといけないのは本人です。


執着を手放すこと。パートナーに強く執着してしまっているとき、手放すのには強い抵抗があると思いますが、本当に欲しいものは、パートナーをコントロールすることで得られる一時的な安定ではなく、パートナーからの愛情だと思います。執着を手放した方が、パートナーの愛情を受け取りやすくなる、と言ったら信じてもらえるでしょうか?

パートナーに強く執着してしまうと、パートナーから見た時に、あなたの魅力が大幅に損なわれます。好きだから付き合っているので、パートナーにとってもあなたと一緒に過ごす時間は、価値のある時間であり、貴重な時間なのですが、執着されることでその価値が下がります。

あなたに強い執着がある場合、パートナーはあなたと一緒にいる間、愛情があるという証明をしつづける義務を負います。信頼関係があってその証明をする必要がない場合は、パートナーはあなたと過ごす時間をただただ楽しいものとして受け取ることができ、あなたの魅力を十分に満喫できます。逆に強い執着があって愛情の証明が必要になる場合は、あなたと一緒に過ごす時間、パートナーのあらゆる言動に、いちいちあなたのチェックが入ります。口には出さなくても、あなたの心の中ではチェックが確実に入ります。そしてこのチェック判定がNGになったとたん、あなたの機嫌が悪くなり、それはそこにいるパートナーのせいになります。

執着が強くなると、それに比例してあなたの心の名に地雷が増えるので、パートナーにとってあなたと過ごす時間は、あなたが地雷をたくさん埋まめた危険地帯を「あなたとのデートは楽しいよ!」と笑顔で歩くという、ものすごく難易度の高いミッションになります。価値あるデートの時間が、苦行の時間へと変わっていくのは想像できるでしょうか?この愛情証明欲求が、あなたの魅力を大幅に損ないます。愛があれば乗り越えられる?愛があるなら、そんなミッション自体を撤去してあげてください。

実際に執着を手放すということに取り組んでみたい、という方向けに私が書いた別サイト内の記事があります。心の中で行うエクササイズのようなものなのですが、執着を手放すといってもどうやったらいいのかよくわからない、という方は、色々考えるより、実際にこのエクササイズをやってもらった方が理解しやすいかも、と思っています。

執着を手放すイメージワーク


パートナーへの強い執着は、せっかくの貴重なお二人の関係性を破壊するエネルギーを持っています。執着は手放すことができれば、その関係性に自然な愛情のエネルギーの循環を呼び戻すことができるものです。お付き合いしているときに、その関係性が重たくなっているように感じるときは、執着を手放すということに、一度取り組んでみてくださいませ。

 

男性の好意が苦手なタイプ

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男性から好意を持たれると気持ち悪くなってしまう、というケースがあります。例を挙げるとこんな感じです。
・今まであまり意識してこなかった男性が、自分に好意を持っているというのがわかったとたんに、気持ち悪くなってしまう。
・今まで良いイメージを持っていた男性が、自分に好意を持っているというのがわかったとたんに、避ける対象になってしまう。
これが行き過ぎると、どんな男性も受け入れることができない、という風になってしまうこともあります。

男性の振る舞いや態度に問題があって、女性が気持ち悪さを感じてしまうケースは置いといて、どんな男性に対しても、好意を持たれたとたんに受け入れられなくなるということが起こっているとしたら、男性側ではなく、女性側にフォーカスすることに意味が出てきます。この嫌悪感をもってしまう要因がその女性の心理の中にあるのだとしたら、それは何でしょうか?

全てがそうだとは言わないのですが、よくあるケースは、自分の中のセクシャルな部分に関して抵抗感が強い、というものです。自分で自分のセクシャルな部分に対して、嫌悪感をもっていると、そこは封印したくなるものなのですが、男性が好意をもって近づいてくると、そうも言ってられなくなります。その男性の態度や目線などから、自分のセクシャルな部分を意識されせられやすくなり、嫌悪感を感じやすくなる、という感じになります。自分はセクシャルな部分を嫌っているわけですから、こんな嫌な部分に魅力を感じて近づいてくる男性のことが気持ち悪くて仕方なくなります。

近づいていった男性からすると、相手からケダモノ扱いをされているような気分になるかもしれません。「オレ、そんなつもりじゃないのに、、、、」と思っても、自分にドン引きしている女性の目から「やらしい!変態!」と物語られるという、非常に悲しい展開になるかもしれません。

セクシャルな部分というのは、ある意味ではとてもパワフルなエネルギーがあり、そこに溺れてしまうと、コントロールできなくなる、といった怖れも抱きやすいものです。そこにある程度抵抗感が出てくるのは自然なことです。ただ、この抵抗感があまりにも強すぎて、嫌悪感を抱くレベルになると、どんな男性ともお付き合いすることが難しくなってしまう、という感じになります。

両親からの影響であったり、昔から自分の中に根付いているセクシャルな部分についてのものの見方であったり、その嫌悪感が出てくるルーツは様々です。

男性からセクシャルな部分に魅力を感じられることに対する抵抗感を形作っている思考にはどんなものがあるか、という部分を見てみることで、新たな気付きがでてくることもあります。自分のセクシャルな部分にどんな見方をしているか、とか、両親から影響を受けている部分があるとしたらどんなものがあるか、とか、男性が自分のセクシャルな部分に魅力を感じているシーンを想像したらその男性に対してどう思うか、とか、切り口を変えて、自分の中にどんな思考があるのか探ってみることで、そのルーツをさぐる糸口が見えてくることもあります。


このケースに当てはまる場合、近づいてくる男性に問題がある、のではなく、自分の中にあるセクシャルな部分を自分自身が嫌悪している、という部分に嫌悪感の発生源がある、ということに気付くことが大切です。自分が嫌がらないような近づき方を男性側に求めるのは、あんまり効果的ではないです。そこでどれだけ逃げても、セクシャルな部分に対する嫌悪感は、いずれ問題になってきます。

嫌悪感を手放すこと。もし自分の中に嫌悪感を形作っている価値観やものの見方があるのなら、どんなものがあるか自分の心の中を掘り下げてみていって、その中で手放せるものがあるなら、手放すことが大切です。思考を手放すことは、嫌悪感の緩和につながります。

自分の中のセクシャルなエネルギーに慣れること。嫌悪感を手放したくても、今まで抵抗してきたものを受け入れるのは、やっぱり怖いものです。いきなり男性にガンガン来られたら逃げたくなってしまうのは当然のことかもしれません。ただ、徐々にそのエネルギーに触れていくことで、慣れていくことができれば、嫌悪感を緩和していくことができます。男性からの目を意識した服装をしてみるのもお勧めです。自分に好意をもってくれている男性の中で、まだ抵抗感がましな方がいれば、その方から逃げるのではなく、友人として接するのも良いと思います。少々ギャンブル的ですが、とりあえず付き合うということをして、そこで慣れていくという経験をされたことのある方もおられるかもしれませんね。


異性からの好意に対して嫌悪感を抱くことがあるとしたら、自分の内側に、セクシャルな部分に対しての嫌悪感はないだろうか、という着眼点をもってみて下さいませ。セクシャルな部分に対しての嫌悪感は、ゼロにはできない(別に抹消しなくてもいいと思います)かもしれませんが、思考の見直しと、そのエネルギーに対する慣れのようなもので、ある程度緩和できるものです。現実問題として困ったことが出てきた場合は、その緩和を考えてみるのも、おすすめです。

 

何か特別な存在になりたい、という気持ちの扱い方

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特別な存在になりたい、という気持ちから、成し遂げたいことや達成したい夢のようなものが出てくることがあります。

そのために何か頑張らなきゃいけなかったり、無理と思えるようなものにも挑んでいかなければならない、というとき、そこに抵抗を感じるあまりに、いま一つ本気になれなかったり、あきらめのような境地に至ることもあり、そういうとき、特別になりたいという気持ちと「がんばりたくない」という意識の間で、何とも言えない葛藤のようなものがでてくることがあります。

ある程度得意なものがあって、本気になったら達成できそう、という状況であれば、余計にその葛藤は高まりやすいかもしれません。

また、この、特別な存在になりたい、という意識は、自分と人とを比べて、自分は人とは違う、と言いたいというところから来るので、ある意味では、自分と周囲の人とを分離するような、つながりを断ち切るかのような性質も少し持っています。プライドが高い、という感じにもなりやすいです。そのため、ここから孤立感や寂しさが生まれてくることもあります。

その反面、人から認められたい、といった承認欲求のようなものともつながっています。自分は違うからと周囲の人を遠ざけておきながら、その人たちから尊敬のようなまなざしで見られたい、といった、なんとも言えない感じになりやすいです。

ちょっと厄介な性質を持つ、特別な存在になりたい、という意識ですが、ある程度であればみんな持っているものと言えるかもしれません。ただ、これが強すぎると、状況によっては、そのことで辛さを感じる方もおられると思います。今回は、その気持ちの取り扱い方、というところを少し掘り下げて書いていこうと思います。


心の奥の方には、自分で自分の価値を知っているような部分があります。ただ、様々な経験を通して、それを否定するような思考も同時に心の中に作り上げられています。例を挙げるとこんな感じです。
・大切な人から愛情をもらえなかった。→自分は愛される価値がない。
・自分が認める人から否定された。→自分は人から認めてもらえるような人間ではない。
・頑張ったけど結果につながらなくて、実力不足を感じた。→自分には才能がない。

自分で自分の価値を感じたいけれども、こういった思考があるために、その価値を感じることができない、となったときに、その経験やマイナスの思考を帳消しにできるような、何か特別なものを求める気持ちが出てきます。自分が特別優れているということを何とか証明したい、という欲求が強くなるほどに、特別な存在になりたい、という意識が強くなります。

自分で自分の価値を知っている部分とつながることができれば、この欲求は手放すことができます。自分の価値を否定する思考がその邪魔をしてきますので、その思考を手放すことが、自分の価値を知っている部分とつながるためのカギになってきます。

特別優れているということを証明するために、何かを成し遂げる、そのために本気になる、という手段もあります。自分が価値を感じれる何かを成し遂げた時、自分の中にある、自分を否定する思考が弱くなり、自分で自分の価値を知っている部分とつながりやすくなり、一瞬ですが、そこでは自分の価値を感じることができます。とはいえ、これはあくまで一つの手段です。

自分を否定する思考を手放して、自分の価値を知っている部分とつながること、それができれば、特別になりたい、という気持ちにとらわれなくなっていきます。


私たちには何かしら欠点があり、完全ではないです。人間関係にはトラブルが起きることもあり、何事もうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあります。ただ、それらの出来事自体は自分の価値を否定するものではないです。その出来事に自分の解釈で「私に価値がない」と判断をして、自分で自分の価値を下げている、というのが心の中で起こっています。

特定の人から愛されなかったからといって、自分の価値が下がるわけではないです。もちろん、下げることは可能です。これは自分で決めれることです。何かに失敗したからといって、自分の価値が下がるわけではないです。自分で下げると決めている、というだけです。

自分の心の中を掘り下げてみて、自分を否定する思考にどんなものがあるか見てみるとしたら、どんなものが出てくるでしょうか?どんなものであれ、それは絶対的なものというより、自分自身で決めていることだということに気付くことができたら一歩前進です。

自分の価値に関する判断は、自分自身に主導権があります。もし自分に主導権がなく、誰かから何かを言われて価値が決まる、ということであれば、そのコントロールできない誰かに自分の価値がゆだねられることになりますので、自分の価値がとても不安定になりますが、もし、そうだと思っているなら、それは誤解です。何か出来事が起きた時に、自分の価値に関して行われる解釈は、主体的に自分自身が行うことができるものです。

ただ存在しているだけで価値がある、という思考を主体的に選択することもできます。理由があって価値がある、という訳ではなく、自分が自分自身を見失っていなければ、自分の価値を感じている部分とつながれる、という状態は、自分で作れます。価値を決めるのは自分自身だからです。

なんでもありじゃないか、と思われるでしょうか?実際、その通りです。自分自身のことを自分の頭の中でどう解釈するか、という話なので、なんでもありです。自分が自分自身をどう解釈するか、というのが、自分に価値を感じれるか、という部分とそのままイコールになっています。

誰かにダメ出しをされた、とか、誰かから嫌われた、というのは、あくまでただの出来事です。どう意味づけするのかは自分が主体的に決定できます。だからどうした、と思うのも、自分の勝手です。私はなんてダメダメなんだー、と解釈するのも、自分の勝手です。

今の私はダメダメだー、特別なことを成し遂げなきゃー。という解釈をすると特別な存在になりたい、というふうになります。そういう解釈をするのも自由です。もしここで、特別な存在ってそう思ったらなんだかバカバカしいな、って思えたなら、それも一つの解釈です。

大切なのは、それを決めているのは自分自身だということに気付くということです。


自分の心の中に、自分を否定する強力な思考がある場合、自分に価値を認める解釈をしたくても、その思考に引っ張られて、主体的に自分の価値を決めたくても、上手くいかないことがあります。

自分の価値を下げているのは自分自身だという自覚がありつつも、そこを変えることができなくて歯がゆい思いをする感じになりますが、その場合は、自分を否定する思考を手放す、ということを主体的に選択する、ということがカギになります。

自分を否定する思考は、過去に行ってきた思考の積み重ねで作り上げられており、自分の心の中に深く根を下ろして、完全に馴染んでしまっているものもあります。自分を変えるということは、それがどんなものであれ、大なり小なり抵抗感を感じることがあるものですが、思考を手放すときも、そういった抵抗感がでてくることがあります。

抵抗が強い場合は無理やり手放そうとするより、その抵抗感を認めてあげる方が上手くいきます。抵抗感を認めることができたら、抵抗感を手放す。抵抗感を手放せたら、自分を否定する思考を手放す。といった感じでステップを踏む方が、心の中に深く根を張っていたネガティブな思考をスムーズにはがしてあげることができます。


これはあくまで手段の一つですが、心から愛するパートナーと出会い、その人から自分が愛されるという体験を通して、価値を受け取る、という方法もあります。愛する人から愛されるという体験は、自分を否定していた思考を解きほぐして、自分の価値を自分に認める、ということを主体的にしていくためのきっかけにすることができます。

自分が価値を感じる何らかの成果のようなもの、に向けて本気で取り組む、というのも一つの手段です。本気で取り組んで成果を上げれたときにも、自分を否定する思考を解きほぐして、価値を受け取る、ということをするきっかけにできます。

きっかけ、という書き方をしたのは、そういった手段を使ったとしても、最後の最後、自分が主体的に自分に価値を見出す、というところで、やっぱり自分には価値がない、という判断もすることもできるためです。自分が愛する人から愛されたからと言って、でも自分はダメダメだー、という解釈を心の中ですることができます。何かを成し遂げたからと言って、でも自分は大したことない、という解釈を心の中ですることができます。それらはきっかけにすぎず、最後は自分で決める、という主体性が求められるからです。特別な存在になりたいと思って、何らかの結果を出して、色んな人から、特別な存在という風な扱いをされても、この部分は同じです。でも本当の自分は空っぽだ、という解釈を心の中でできてしまうからです。


自分の価値は主体的に自分が決めています。まずはそれに気づくこと。次に、どう価値を感じているか、が問われています。私自身は、どんな人も存在しているだけで価値がある、という考え方をしていて、それを自分自身にも当てはめています。仲間や家族や恋人がいて、そのつながりのようなものから、自分自身の価値を感じている、というのも人もいらっしゃると思いますし、仕事を通じて自分の価値を感じるという人もいると思います。人それぞれ自由に、価値を感じている状態があって、自分自身にとってしっくりくるものであれば、何でもよいと思います。

 

 

後悔を乗り越えていくための4つのステップ

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心の中に後悔があると、自分でもよくないと思っていても、後悔していることにどうしても意識が持っていかれてしまって、気持ち的に前を向きにくくなったり、目の前のことに対して気持ちが向かなかったりすることがあります。

恋愛に関することでの後悔がある場合、次の恋愛に進むときの障害になったり、今付き合っている相手がいたとしても、彼以外の誰かに執着があるような感じになることもあります。

例えば、前の彼に対して、本当は別れたくなかったという想いが残っている場合は、あの時にもっとこうしていれば良かった、といった後悔が心の中にあるかもしれません。自分が言ってしまったことに関して、言わなければよかったと思えるようなことや、本当はやってあげたほうが良いとわかっていたのに、勇気がなかったり、ためらいのようなものがあって、してあげられなかったことがあるような場合も、後悔が心の中に生まれるものかもしれません。自分にとって、今でも大切だと思える相手であるほどに、そういった後悔は強くなるものかもしれません。

なくしてしまったものや、壊れてしまったものに関しての後悔がある場合、今持っているものが色あせて見えてしまったりすることもあるかもしれません。例えばそれが自分自身にとって、強い思い入れのあるものであれば、そこから生まれてくる後悔に心が締め付けられるような感覚を持つ方もおられるかもしれませんね。

後悔があると、心の一部が過去にとらわれてしまい、今ここにあるものを十分に見ることができないような感じになりがちです。そこから前に進んでいくために、どうしていくのがいいのか、、、、そのあたりを今回は書いていきます。


①起こったことを受け入れる

自分の中で、後悔していることに関して、はっきりとその出来事を受け入られているなら、このステップは不要です。ただ、どうしても認めることができなかったり、起こったことを否定したい気持ちがある場合は、まず、事実を受け入れる、というステップが必要になります。

例えば、後悔として、前の彼と別れなければよかった、といったものがあるとします。そういった後悔も抱えつつも、実は心の中がごちゃごちゃになっていて、・・・本当は別れていないんじゃないの?・・・まだ付き合っているといえるんじゃないの?・・・といった意識も残っている場合は、まずそこをはっきりさせることが求められてきます。

例えば、仕事上で失敗してしまったに対する後悔があるとします。ところがあまりにそれが自分にとって重たい出来事であるために、・・・失敗した事実を認めたくない・・・なかったことにしたい・・・・といった意識もある場合は、そこを自分の中ではっきりと認めることが求められてきます。

頭では何が起こったのかわかっていても、心ではその事実を受け入れられない、といった場合、後悔を乗り越えていく、ということが難しくなります。いろんな事情や、想い、考えなどがあるかもしれませんが、前に進むためには、まず起こったことを受け入れるということが、そのスタートになります。


②感謝する

後悔していることに関連したもので、何か感謝できることはないでしょうか?恋愛に関しての後悔であればその相手のことであったり、恋愛に関してことでなくても、それに関連したことでつながりを感じた人やお世話になった人、自分を支えてくれたもの、などなどに対しての感謝、です。

想いが強い分だけ、感謝できること、というのはたくさんでてくると思います。後悔を抱えていると、否定的な想いや、怒り、喪失感、などなど、ネガティブな感情も強い、かもしれませんが、そこは少し脇に置いといて、嬉しかったことや、ありがたかったこと、といった感謝できる部分を、探してみてください。

感謝できることを思い起こしてもらって、心の中で、相手にその感謝を伝えるところをイメージしてもらうと、心がふわっと軽くなるような感覚を感じることができると思います。

どんどん感謝できることを、心の中で相手に伝えてみてください。自分の心が、少しずつ軽くなっていく感覚を感じていく、ということができたときに、自分の中にある、過去の後悔に執着していた部分を少し軽くすることができます。


③執着を手放す

後悔しているものに関して、自分の中にどんな執着があるか自分なりに見てみてください。やってみると、色んなものが出てくると思います。この執着が強いほど、後悔の度合いも強くなります。恋愛に関連した後悔であれば、相手に会いたい、話したい、愛されたい、といった、相手に依存したいという想いから出てくる執着が代表的なものです。失ったものに関しての後悔であれば、その失ったもの自体への執着、といった感じです。どんな執着があるかは人それぞれだと思います。自分なりに心の中をさぐってみてください。

執着を手放す、というのは、執着しているものから心理的に距離を取る、ということです。諦めるというより、そこから距離をとろうと心の中で決める、ということが大切になります。

実際に執着を手放すということに取り組んでみたい、という方向けに私が書いた別サイト内の記事があります。心の中で行うエクササイズのようなものなのですが、執着を手放すといってもどうやったらいいのかよくわからない、という方は、色々考えるより、実際にこのエクササイズをやってもらった方が理解しやすいかも、と思っています。

執着を手放すイメージワーク

 

④罪悪感を手放す

後悔を抱えている場合、何かしら自分自身を責める罪悪感のようなものが心の中にあります。罪悪感には大きく分けて2種類あって、やらなかった罪悪感と、やってしまった罪悪感があるのですが、自分の心の中を探ってみて、どんな罪悪感があるのか見てみてください。

罪悪感が教えてくれているものは、あなたには変化がもとめられていますよ、という学びへのサインです。罰すること自体が目的というより、変化が目的であるとしたら、自分を罰したいという欲求のようなものは一旦わきに置いて、その変化に必要となる学びに注力するということが求められてきます。ここでは自分を罰することに意識をとられるのではなく、学びを生かすということを選択する、ということが前に進んでいくための一つのポイントになってきます。

後悔から学べることとして、どんなものがあるでしょうか?自分自身に変化がもとめられているとしたら、それは何でしょうか?これらを自分なりに定義することができたとき、その後悔は自分の人生に無駄なものではなく、意味のあるものだった、という別の見方が自分の内側に生まれていきます。

罪悪感があるとき、×××を許さない、というルールのようなものが自分の内側に存在しています。自分以外にも誰か許せない人はいないでしょうか?同じように責めている人がいるとしたら、それは誰でしょうか?罪悪感を手放すとき、その人に対しての攻撃も手放す、ということが求められてきます。

といっても、今後もその人の好き勝手を許容する、という意味ではなないです。過去やってしまったことに対して、ずっと攻撃性を持ち続けるのではなく、その人を責めることをいったん手放してみる、ということです。その人や自分自身への攻撃に意識が向くと、過去に自分の力がそそがれてしまいますので、学びや変化といった今現在自分が抱えている課題に力が向かなくなります。罪悪感を手放す、ということは、過去を手放して、今に意識を向ける、ということです。

罪悪感を手放す、という宣言を心の中で行ってください。そして、罪悪感を手放す代わりに、学びを受け取る、という宣言を心の中で行ってください。

執着が強いとここで抵抗感が出てくることがありますが、その場合は、③執着を手放す、のところに書いているエクササイズを試してみてください。


今回の記事では、後悔を乗り越えるための①~④の手順に分けて記載しました。人によってはピンとこないステップもあるかもわかりませんが、その場合は、自分のなかでしっくりとくる部分だけでも、受け取ってもらえると嬉しいです。

特に「②感謝する」のステップはわりと感情が動きやすいので、そこから得られるものもまた感じてもらいやすいかと思います。

後悔があって前に進んでいけないように感じた時に、ここに書いたことを実際に役立ててもらえると幸いです。

 

真面目すぎる性格

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真面目すぎる性格が災いしてなのか、マナー・ルール・常識といったようなものから外れているように思えた時に、そこで過剰にイライラを感じたり、ストレスを感じる、というケースがあります。

真面目ということ自体は悪いことではないのですが、過剰な厳しさや正しさのようなものがあって、人に対して余計にイライラしてしまったり、それでストレスを抱え込んでしまっているようなところがあるのであれば、その厳しさや正しさのようなものは、もしかしたら、少し手放したほうが良いかもしれません。

ただ、ここでポイントになってくるのは、何にイライラを感じているか、という部分です。心の中に発生するイライラは、そこに何かしら自分にとって見ておいた方がいい部分があるよ、ということを教えてくれているサインのようなものです。

ストレスのもとになっている、自分の中にある正しさや厳しさを作り上げている思考にはどんなものがあるでしょうか?例を挙げるとこんな感じかもしれませんね。
・真面目にやるべきことをしてる人がいるなか、やるべきことをしない人がいるのが許せない。
・完璧じゃない状態が許容できない。
・既読無視にイライラする。人のことを無視して放置する態度が許せない。
・人の中にずるさのようなものが見えた時に、許せない気持ちが出てくる。

許せないものを無理に許す必要はないのですが、そこで自分がイライラやストレスを過剰に感じてしまっているのだとしたら、その許せない出来事から少し心理的に距離を置けるようになった方が、問題に対してより柔軟な対応ができるようになります。

完全に自分の中にある正しさや厳しさを消去するわけではなく、ちょっとその問題をわきにおいておけるような意識の状態を、手放す、と仮に表現するなら、その、手放す、ということができている状況を心の中に作ることができるようになると、自分が感じているイライラやストレスを軽減できるようになります。


イライラを形作っている思考は手放すことができるものです。自分にも当てはまること、を探すことがその方法の一つです。例えば、やるべきことをやっていない人を許せない、という思考があるばら、自分にも、やるべきことをやっていない、という部分がないか探してみる、というのが最初のステップです。イライラを感じたときに、その人を責めている内容とは少し異なることだとしても、やるべきことをやっていない、といったことで自分にも当てはまる部分がないか探してみて、自分にも当てはまることが見つかったら、、、、なぜ自分はそうしているのか、という理由を探す、というのが次のステップです。

ただ、それらを探すということに心理的な抵抗感がでてくることもあります。ちょっと想像してみてほしいのですが、本当はどうするのがいいのかわかっているのに、あえてそうしていない、ということを仮に自分がやっているとしたら、そこに弱さのような部分が隠れています。めんどくさかったり、恥ずかしかったり、怖かったり、自信がなかったり、といった感じのようなものです。私はしなくてもいいんだ!、なんていう自分を例外扱いしているような思考もそこには隠れていることがあります。

真面目すぎる性格、とはまた違う感じと言えるかもしれませんが、本当はやったほうがいいとわかっているのにあえてしていない、という感じになっているので、そこには未成熟だったり、幼い部分が眠っています。誰しもこういった弱点のような部分は抱えているとしても、正直、これはあんまり見たくないと思えるような部分であるほどに、自分の中で何か誤魔化したくなったり、自分にはそんな部分は無いし言い訳のようなものもない!、と言いたくなる気持ちも出てくるかもしれません。

重要なのは、実はその弱さの部分からイライラやストレスは誘発されやすい、ということです。非常に気づきにくいのですが、イライラしたりストレスを感じる要因の一つに、自分の中にあるその部分を見るのが嫌だ、というのもあったりします。真面目すぎる性格からの影響というより、人の中に見える自分自身の未成熟な部分に過剰反応をしてしまう心理が影響してきます。

この自分の内側を見つめていくときに出てくる抵抗感の対処としては、直観を使う、というのがおすすめです。直観を使うことで、抵抗が出る前に、アイデアを取り出すことができます。思いついたことをどんどん直観で出していった後、色々出した中からこれかなと思えるものを選ぶと、あれこれ考えてひねり出すより、より簡単に早く見つけることができます。


自分も同じことをしている、ということと、なぜそんなことをしているかの理由がわかったら、次に、自分の中のその部分を変えるとしたら、どう変えるのかを決めていきます。決めたら、自分の中にあるその部分を手放す、ということを心の中で宣言し、その決めた行動を実行に移します。それを習慣的にやっていくことで、行動が繰り返されることになり、その繰り返しが、変更後の思考を定着させていくことになっていきます。

人の中に見える未成熟な部分を攻撃してイライラしたりストレスを感じるのではなく、自分の中にある未成熟さと向き合って、成長していくことを選択する、という感じです。

未成熟な部分を放置しておくと、それが見せつけるかのように、同じように未成熟さを抱えている人の行動が目につくように、歓迎したくない出来事が引き寄せられ、イライラしやすくなります。成長を選択できると、出来事自体が起こりにくくなりますし、仮にそういう未成熟な部分を見せられる出来事が起きたとしても、イライラやストレスを感じにくくなります。

私自身もこの振り返りをすることがありますが、これはなんというか、心の中をどぶ掃除しているような感じがしています。やらない理由の部分に気付いたときには、自分にがっかりすることもあります。非常に心理的に厳しいと思えるときもありますが、学びもまた大きいものだと思っています。


人の中に見える不真面目さにイライラやストレスを感じてしまっているときは、ちょっと角度を変えて、自分にもあてはなることはないだろうかって、振り返ってみてくださいませ。それは、成長の一つの機会にすることができるものです。