心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

自分のコンプレックスをパートナーに愛してもらう

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コンプレックスのようなものがある場合、彼や彼女など自分のパートナーからの愛情を受け取る上で、ちょっとした不安が出てくることがあります。
自分のコンプレックスを彼は受け入れてくれるだろうか?
それとも、コンプレックスの部分は避けるような反応をされるだろうか?
自分が気にしている度合いだけ、その部分というのはとても気になってきます。

自分のコンプレックスの部分を相手に話した時に、「全然気にならないよ」とか「そんなの関係ないよ」みたいな反応を期待するものかもしれませんが、自分の期待を裏切るかのような反応が返ってきた場合には、すごく傷つけられたような感じがしてしまうものかもしれません。

これをパートナー側の視点から見ると、どういう感じになると思えるでしょうか?
コンプレックスのある部分は、あなたにとっては地雷のような部分になります。あなたのパートナーは、コンプレックスに関係した話になった時には、その地雷が埋まっている場所を慎重に歩くことが求められます。ただ、ここで彼がちょっと対応を間違えて地雷が爆発してしまうと、あなたはおそらくこう感じます。
「私は愛されていない。」

彼が地雷を巧みに避けるハンターのような男性の場合、あなたを愛していようがいまいが、うまく地雷を回避できるかもしれません。ところが彼が不器用だったり、鈍かったり、感情の扱い方に疎い男性だった場合、あなたのことを愛していたとしても、彼は地雷を踏みやすいです。相手が地雷をふむ限り、あなたの基準でいうと、彼はあなたのことを愛していない、と感じてしまい易くなります。

そうすると、あなたには悪気もなければ、意識的に何かやっているつもりもないのに、まるで彼の愛情をテストしているかのような感じになります。隠れた形であれ、あなたにパートナーをテストしたくなる気持ちがある場合、あなたのコンプレックスは、彼の本当の気持ちを感じて受け取るための、あなたのセンサーを狂わせてしまいます。


あなたは、パートナーのことを愛したい、でしょうか?
たぶん答えは、Yes、だと思います。愛したいも何も、愛してますけど、なんて思う方もおられるかもしれません。

地雷原を歩いているパートナーに愛情を送るとしたら、あなたにできることは何でしょうか?
できることなんて何もない、でしょうか?
地雷原を作ったのはあなたです。できること、、、、本当に何もないでしょうか?

恋愛では、私たちは自分が傷つくことを怖れます。そうすると、相手を愛することよりも、自分を守ることに目が行きがちになります。愛と感謝って忘れてしまいがちですが、自分の身の安全を忘れることはあんまりないです。

ただ、パートナーとの関係性の中では、わりとここは問われてきます。自分の心を守ることを優先するか、それとも、パートナーへの愛を優先するか、この2つの選択肢が、2人の関係性を方向付ける分岐点に訪れることもあります。


コンプレックスは自分の評価を自分で下げさせるものです。
こんな自分からの愛情を、パートナーは本当に受け取ってくれるだろうか?
そんな怖れを抱かせるものです。
相手を愛するということは、どこか自分の全てをさらけ出すような、無防備になるような感じがするかもしれません。自分が相手を愛したとして、相手から愛はかえってくるのだろうか?そんな怖れを抱かせるものかもしれません。

パートナーがあなたのコンプレックスの部分をどれだけ受け入れてくれるかは、パートナーにしかわからないことです。ここの部分は、パートナーにゆだねるしかないです。あなたのコンプレックスの部分を愛するかどうかは、パートナーが決めることで、そこをコントロールすることはできないです。

コントロールできたとしても、その時、あなたはこう思うだけです。
「私がXXXしたから受け入れられただけで、そうしなかったら、この人は私の元を離れる。」
たぶん、それはあなたにとってあんまり嬉しくないものです。

そこで勝ち取ることができる恋愛の世界は、愛情はギブアンドテイクで扱われるもので、恋愛のテクニックが重要で、あなたのコンプレックスという弱点には価値がなく、弱点をいかにカバーするかにあなたは必死になる必要があり、相手からの愛情を、努力と才能で勝ち取らなければならない駆け引きが求められる世界です。付き合う前か、あるいは恋愛の初期の段階では、そういう要素もある程度はあるものかもしれません。ただ、相手と絆を深めていきたいという段階にいたっても、まだその世界観にどっぷりと浸かり続けるのは、あんまりお勧めできないです。

コントロールしようとするのではなく、あなたを愛そうとするかどうかを、パートナーにゆだねてください。その代わり、あなたにできるのは、パートナーを愛そうとすることだけです。そのとっても無力な状態に入っていって、パートナーにあなたを愛するかどうかゆだねて、そこでパートナーがあなたを愛するという選択をした時に、どれだけ嬉しいかを想像してみてください。

そこで求められるのは、あなたのコンプレックスをあなたのパートナが愛するかどうかを、あなたがテストするという意識ではなく、あなたの愛するパートナーにどれだけ信頼を送るかが問われてきます。あなたが疑えば、それはパートナーに伝わり、パートナーの中にあるあなたを愛することを選択したい、という意欲を確実に削いでいきます。

パートナーにテストや疑いを差し出すのではなく、あなたの心の傷をパートナーに差し出してください。相手をコントロールしてなるべく安全な状態を作り出したいといった自分を防衛する意識は一旦脇に置いて、パートナーがあなたを愛するかどうかをパートナーにゆだねてください。そこでは、パートナーはあなたの中にある地雷を怖れる必要がないです。ただ、あなたを愛することを選択したら、あなたがそれをとっても喜ぶんだろうなあ、ということがパートナーにわかるだけです。この時あなたは、あなたのコンプレックスをパートナーに愛させてあげることができます。


パートナーからの愛情が欲しい時、私たちに求められるのは、相手を愛することと、相手を信頼して愛を受け取ることです。テクニック的なものはその時邪魔になることがあります。上手くいったとしてもそれは私がそうなるように仕向けたから、というコントロールしたという意識が、愛情を受け取りにくくするからです。絶対に人をコントロールするようなことはしちゃダメですよ、ということまでは言うつもりはないのですが、愛するパートナーとの間には、できるだけ、コントロールは持ち込まない方が、二人の絆は深まります。

 

一人で頑張ってしまいがちな人

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一人で頑張るというのは、ある意味では楽な一面があります。誰かに任せるよりも自分でやった方が状況をコントロールしやすいですし、任せた人がちゃんとできるか、いちいち気にする必要もないです。いつまでに終わって、その出来栄えがどんな感じになるかの予想が外れないように自分がコントロールできます。やり遂げた時の、自分がやった、という達成感も自分のものです。ただ、一人でやれることには限度があります。その限度を超えて何かをしようとすると、何かを犠牲にする必要が出てきます。

恋愛関係や夫婦関係の中で、自分とパートナーとを1つのチーム、として考えたとき、片方が頑張りすぎで、片方が頑張らない、という関係性になることがあります。職場で頑張りすぎている人は、パートナーシップの中でも、頑張る側に回ることは多いかもしれませんが、ここで、自分が犠牲する部分というのが多くなってしまうことがあります。

自分が頑張っているからなんとかなっている、と自分では思っていても、相手にとっては、それが空気のように当たり前のものとして受け止められていることがあります。犠牲的にしている部分があるのなら、それは当たり前のことじゃなくて、好きでやっているわけでもなくて、私が我慢している部分もあるのはわかってほしい、と思うものかもしれませんが、相手がその気持ちに全然気づいていないことがあります。

本音のところでは、頑張っているところを認めてもらいたいと想っていても、それがあまり理解されていないとしたら、なんのために頑張っているのか、わからなくなることもあるかもしれません。頑張るのに疲れて燃え尽きてしまって、二人の関係を終わらせたくなることがあったり、相手のことを好きなのかどうかもよくわからなくなることも、人によってはあるかもしれません。


ただ、もし、このパターンを変えていきたいという想いを持つのなら、一人でやる、というやり方を変えていくことが求められてきます。一人でやった方が楽な一面はもちろんあるのですが、犠牲的なものが多くなってきて、もう、一人で抱えているのが嫌になってきたような感覚があるなら、そのやり方を変えて、一人でなんでもやってしまう、というところから、パートナーと一緒にやるという選択肢も選べる、というところに成長していくことが求められてきます。一人でやった方が基本的にはコントロールは効きます。ただ、もうそれが嫌になってきたのなら、抵抗感が出てくるかもしれませんが、あえてそのコントロールを手放して、結果がどうなるかがある程度パートナーにもゆだねられる、といった部分を受け入れることが大切です。

そのために鍵になってくるポイントは3つあります。それは、執着を手放すこと、上手くいくことを信頼すること、流れに身をゆだねること、の3つです。


①執着を手放す
自分の中にどんな執着やこだわりがあるでしょうか?
強い執着やこだわりは、自分で物事を抱えてしまいがちになる状況を生み出します。

自分がどうしても保っておきたい何かがある場合、そのためにやらなければならないことや、やっちゃいけないことが出てきますが、パートナーが同じ考えや感覚を持つとは限らないです。そうすると、あなたがやらなければならないことを、パートナーが当たり前のようにやらなかったり、あなたがやっちゃいけないと思っていることを、パートナーが当たり前のようにやってきたりします。

そうすると、あなたの中では当然のように、相手が悪い、になり、パートナーからすると、何が悪いのかわからない、になります。パートナーがあなたの考え方に寄せてきた場合は問題ないですが、強い執着やこだわりは、相手から理解されないことが多々あります。そうするとあなたはこの点に関して、パートナーをあてにしないか、パートナーを責め続けるか、のどちらかになりますが、いずれにせよ、そこに関して、あなたは何かを抱えることになり、あなたが一人で頑張る、という領域が二人の間に生まれます。

執着がある度合いだけ、二人の間にこういった領域を作っていきやすいです。もし、ここで執着を手放す、という選択ができるなら、その領域の扱い方を変えていくことができるようになります。執着を手放すと、パートナーの考えを受け入れる余地が自分に生まれます。余地が生まれると、パートナーがあなたに同調しやすくなり、理解されやすくなりますので、コミュニケーションを取ることで、状況を改善できるようになります。


②上手くいくことを信頼する
上手くいくことを信頼する、といっても、ネガティブな結果がでるリスクは見ないようにするような盲目的な思い込みではなく、ネガティブな部分も、ポジティブな部分も両方見て、そのうえで信頼することを心の中で選択する、という感じです。

例えば、パートナーが自分の話を聞いてくれないんじゃないだろうか、と言う怖れを感じたとします。そこでパートナーが自分の話を聞くようにコントロールしようとしたり、どうせ聞いてくれないだろうと決めつけてハナから話をしなかったり、聞いてくれようが聞いてくれまいが関係なく言いたいことだけは言わしてもらう、といった攻撃的な態度であったりすると、あんまりよくない結果を招き寄せやすくなるのは、想像できるでしょうか?

コントロールできるならいいじゃないか、と思うかもしれませんが、信頼なきコントロールというのは、おそらくアメだけではなく、ムチや怖れを使うコントロールですので、相手からの反発を招きます。一時的には相手はいうことを聞くかもしれませんが、内心、こう思うわけです。
「いつか見ておれよ。」
「バレないようにしよう。」
「アイツに上手くやられたな。オレも上手くやらないとな。」
愛する人との関係性の中に、そういったものはできるだけ持ち込まない方が良いです。あなたが持ち込めば、パートナーも隠れて、あるいは、堂々と持ち込みます。あなたが抵抗できないくらい弱っている時に、愛する人からそれが返ってきたら、あなたのダメージが大きいです。

怖れを感じた結果、まるでその怖れを現実化するような、よくない結果をまねきよせることになってしまいがちになります。

怖れを感じるということは、そこに気をつけたほうが良いポイントであったり、気を遣ったほうが良いところがあると言うことを何かしら察知できる、と言うことであって、それは、自分の内側に物事を上手くいかせるためのエネルギーが、怖れという形で表現されている、ということを意味しています。

怖れがある時というのは、それと同時に上手くいく可能性も感じていて、上手くいくことを望む気持ちもあると思います。上手くいかないことを怖れる気持ちと、上手くいくことを望む気持ちの、この2つのエネルギーが心の中で統合されて、心の力の向きが、物事を上手くいかせるための方向に100%向いている状態が、上手くいくことを信頼する、という状態です。上手くいかないリスクが見えていたとしても、そこで怖れに浸るのではなく、怖れから察知できることを生かして、問題が解決されていくための力が相手や自分にある方に気持ちをフォーカスしている状態が望ましいです。

この状態でパートナーとコミュニケーションをしていくと、自立的に一人で物事を解決しようとしていた立ち位置から、パートナーと一緒に物事を解決していくという立ち位置に、自分のポジションをスライドさせることができます。

いかに相手にいうことをきかせるか、というテクニック的な話は、一人で状況をコントロールしようとしているところから、やはり抜け出せていないです。そうではなく、コントロールを手放して、パートナーを信頼する、ということが大切です。信頼ができた状態で、パートナーとの間にコミュニケーションの橋がかかった時に、一緒に問題を解決するステージに、あなたの愛するパートナーと一緒に立つことができます。


③流れに身をゆだねる
自分にできることはやった、執着もできる限り手放した、信頼もした、じゃあ、望む結果は出るでしょうか?
答えは、誰にもわからない、です。

もちろん望む結果が出るための100%に近しい状態まで持っていくことはできると思います。ただそれでも、想定外の出来事が起きたり、予想もつかないような良いことや悪いことは、色々と人生の中で起きます。だって、今まで生きてきて、実際そうじゃなかったでしょうか?

必要以上に気を遣って、過剰に状況をコントロールするような、細かいことをあれこれやっていたら、それこそキリないです、流れに身をゆだねて、コントロールできない部分に、自分のことをゆだねてみてください。実際、余計なことをしない方が上手くいく、ということは今まで生きてきて中でなかったでしょうか?

頑張りすぎな人ほど、このゆだねる、ということが苦手です。もちろん、やった方が良いと思えることはできるだけやった方がいいので、現実的にやることとしては、ある程度、さじ加減、というところはあると思いますが、必要以上に気を揉んでいないか、心配しすぎていないか、コントロールしようとしすぎていないか、ということは、自分でも気づけるところはあると思います。もし、そういう覚えがあるのなら、身をゆだねる、ということを取り入れようとして見てください。


一人で頑張ってしまいがちな人に向けて、執着を手放す、信頼する、ゆだねる、という3つのポイントを書いてみました。仕事というよりも、特に恋愛関係や夫婦関係の中で役立ちそうなこと、という観点で書きましたが、読んでいただいて、何かお役にたてられそうな部分があれば、幸いです。

 

母親からの依存

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大人になって離れて暮らすようになってからも、母親のことで気が重くなるようなことはあるでしょうか?
母親と自分との間に精神的に癒着しているような部分がある場合、その母親から精神的な依存をされることから色々な問題が出てくることがあります。例えば、母親から色々とネガティブなことを言われたり、母親がらみのことで何か犠牲的なことをしなければならないような状態になったり、という感じです。母親がすごく自分のことに干渉してきて、自分もその母親の意見がどうしても無視できなかくて、なんだかモヤモヤする、ということもあるかもしれません。母と娘、という関係性の中で出てくることが多い問題かもしれませんね。

今まで育ててきた恩や、どれだけ娘のことを大切に思っているか、ということを言われると、何かしら言い返せることがあったとしても、ちくっと罪悪感を突かれるような感じになるかもしれません。拒絶されるようなことを言われたり、兄弟間で差をつけられるようなことを言われて、自分の至らなさのようなものを感じることがあるかもしれません。ある意味では、母親だけに、自分の弱点を知っていて突いてくる、というような部分もあるものかもしれません。

母親に言われたネガティブな言葉に対して、同調して同じレベルで物事を見るのではなく、より成熟した視点で物事をみた上で対応できるなら良いのですが、精神的に癒着している部分があると、その度合いが強いほどに、そのネガティブな言葉や態度をとても重たく感じやすくなります。


私たちは自分が感じる感情にある意味では責任があり、物事をどう解釈するかで感じる感情を主体的に選択することができます。もし、解釈の仕方が偏っていて、ちょっとしたことでも過剰にネガティブにとらえるような物の見方を普段から選択しているなら、ネガティブな感情をとても感じやすくなります。ただ、ネガティブな感情を感じている時、私たちはそれを物の見方に原因があるとは気づきにくく、そんな感情を感じさせるきっかけを作った相手のことを責めたくなります。

母親が感じたネガティブな感情は母親のもので、その時に母親から言われた言葉であなたが感じた感情は、あなたのものです。ただ、精神的に癒着しているような部分があると、この辺りの境界線が曖昧になります。例えば、悪気が全くないあなたに対して、あなたのせいでひどい気分になったと母親があなたのことを責めてきた時に、お返しするかのように、そんなことを言ってきた母親のせいで私はネガティブな気分になった、と言いたくなる、という出来事があったとします。

母親がひどい気分になったのは、あなたがしてきたことに対して、よくない解釈をしたからだとしたら、母親があなたを責めてきた場合に、そこにあなたが責任や罪悪感を感じるというのは、あんまり賢明ではないです。たとえあなたが何にも悪くなかったとしても、相手の解釈でよくないように判断されるような何かをしたんだと母親から決めつけられたなら、あなたは母親の中で悪者になるわけです。その解釈や判断基準が偏っているのに同調してしまって、私の何が悪いの?、というところを考え込んでドツボにハマる、というところから視点と態度を切り替えた方が良いです。この場合、相手の感じるネガティブな雰囲気に巻き込まれるより、一歩引いて相手や状況をよく見て、このトラブルに対してどう対処するのがベターかな?、ということに意識を向ける方が良いです。

癒着があると、この罪悪感から自分の身を守るために、自分が悪者にされるなら、相手を悪者にしよう、という風に気持ちが強く動きます。そこで相手に強く言い返して悪者返しをしたくなる(何らかの理由をつけて、相手が悪いように言う)のですが、そうすると、相手がそのお返しにこちらを悪者にしてきて、、、、、という泥沼のブーメランの投げ合いが始まります。それは癒着を強化するだけなので、あんまりしない方が良いです。

精神的に依存している人は、相手に自分と同じ立ち位置に落ちてきてほしいと思いやすいです。自分が精神的にネガティブな感情を感じているのだとしたら、相手にもそれを感じてもらいたい、という気持ちがちらっと顔を覗かせます。なぜなら、その方が相手と繋がっている感じがするからです。自分がひどい気分なのに、相手が楽しそうにしていたら、そのことを責めたい気分が出てくることもあります。そこで、責められた相手がシュンとなったら安心します。同じところに落ちてきてくれた時に、繋がれる感じがするからです。自分が楽しい気分になって、楽しいところで相手と繋がれたらいいのですが、自分が変化するのは抵抗があるので、相手を変えることで自分の心の平安をとりたくなったりします。良いところで繋がるのではなく、底辺でつながりたくなるというこのパターンは、癒着がある時に出やすいです。もし、母親との間で、この底辺で繋がるようなパターンがあるという感じがするなら、そこは変えていった方が良いです。


癒着を手放す、ということを心の中で選択してください。母親との関係の中で何か問題が起きて、とてもネガティブな気持ちになったような時に、母親のせいで癒着が手放せないかのような気持ちになるケースもありますが、そんな時ほど相手のせいにせずに、相手の態度がどうであれ、自分が主体的に癒着を手放す、ということを選択することが大切です。

母親に対して、やってもらって当たり前と思っている部分や、期待を裏切られていると感じるような部分はあるでしょうか?
癒着がある時というのは、母親から依存されているだけではなく、自分が母親に対して依存しているような部分も隠れていたりします。自分の中にも、そういった依存的な部分がないか、チェックしてみてください。そこで「あ、私こんな風に思っていたんだ」と気付けるだけで、母親に対して思っていたネガティブな気持ちをちょっと軽くすることができます。

自分の中で、一歩前に進む、ということを選択してください。癒着を手放していくために、自分の中にもある、母親に対して期待しているような部分を手放そうとしてみてください。もっと母親が精神的に成熟するべき、とか、あんな言い方はしないように態度を改めたほうがいい、とか、相手がもっと良い母親になることを期待しているような部分を手放してください。

相手を変えることは基本的にできないです。相手に期待したり依存する代わりに、自分が一歩前に進むためにできることって何だろう?って考えて見てください。例えば、ネガティブなことを言われたときに、軽く受け流せるようになる、とか、経済的に依存している部分があるなら、その部分を見直してみる、とか、犠牲を強要されるようなときに、ちゃんと断れるようになる、とか、一人で抱え込みがちなところがあるなら、人に相談して早めに解決できるようになる、などなど。こういったものはあくまで一例で、状況によって出来ることは色々と異なると思いますが、自分なりに工夫して出来ることを進めていくといった取り組みは、癒着を手放すためにプラスになります。


母親からの依存というテーマで書きましたが、実際にここにはまっている人は苦労が耐えないと思っています。自分が出来ることを可能な限りやったとしても、相手がやってくることは基本的に変わらないと思いますので、相手の性格や行動パターンを変えたくて仕方がない気分になるかもしれませんが、そこはグッとこらえて意識を問題解決に向けるように切り替えつつ、どれだけ自分の精神的な耐性をつけるか、距離を上手にとるか、いかに断るか、精神的に成熟していくか、といったところに注力していくことが大切なのかも、と思っています。ここに書いたことが、何らかの参考になれば幸いです。

 

女の我慢と自分のルール

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自分が自分に禁止していることって、どんなものがあるでしょうか?
女性の場合、相手への気遣いもあって、様々な我慢をしている部分というのは少なからずあると思いますし、それが当たり前になりすぎていて、我慢しているという意識もないものもあると思います。男性が女性のその優しさのような部分に甘えてしまっているような関係性も、それなりにあるかもしれません。ただ、時として、その禁止している部分について見直しが求められて来るような出来事が、不意に訪れてくることもあります。

本当はやりたいんだけれども、実際にやるのは良くないと思って我慢していることを、他の人がやっているのを見るようなことがある場合、しかも、それが周囲に受け入れられているような状況を見ると、非常に違和感を感じやすいですし、モヤモヤしたような気分にもなりやすいものだと思います。

例えば、付き合っている彼氏がいるときは、こういう風にするべき、とか、彼に対してはこういう風に気を使ってあげるのが当たり前、とか、結婚したら旦那様に対してはこういう風にしてあげるべき、、、、といったルールのようなものが自分の中にあって、その中には、別に好きでやっているという訳じゃないんだけど、そうした方がいいと思って、、、というのもあったとします。

そんなときに、友人や知人がそのルール違反のようなことをやっていて、しかも、それが彼氏や旦那様に受け入れられていたり、むしろ歓迎されているかのような話を聞いたりしたら、イライラっとするかもしれません。
「ちょっと何してるの!」
「そんなので本当にいいと思ってるの?」
「あなたもちゃんとやりなさいよ」
「あなたも我慢しなさいよ!」
と問い詰めたくなる気分が出て来るかもしれません。
(タイトルには、女の我慢、なんて書きましたが、男性でも似たような体験をされる方もおられるかもしれませんね。)


ただ、羨ましいと感じている、とか、ちょっといいなとは思っている、というのが本音としてあるのであれば、もしかしたら、自分の中にあるそのルールは、今、適切ではない可能性があります。古い過去のものというのは、今現在がもっとより良くなるために、時に邪魔になって来ることがあります。私たちの中にあるルールのような部分も同じです。

私たち自身が成長したり、周囲の環境が変化したりしていく中で、それらの成長や変化とともに、個別のルールは不要になったり、柔軟性のある取り決めに変えた方が、物事が進めやすくなったりする部分が出て来ることがあります。と言っても必ず変えなきゃいけない訳ではないです。時代が変わっても、人が変わっても、変わらない守っていくべきもの、というのももちろんあると思います。ただ、あなたが本当はやめたいと思っているのに我慢していることや、禁止していることというものがあるとしたら、それは、本当に今もまだ、自分や周囲の人たちが幸せになるためのルールとして役立っているかどうか、セルフチェックしてみた方が良いです。

役立っていると言うのとは少し違うという感じがしたり、あるいは、何か戸惑いや迷いのようなものがあるのなら、ちょっとそのルールの見直しを考えてみても良いかもしれません。


そのルールを守ることで、何か良いことがあるとしたらどんなものがあるでしょうか?
例えば、誰かに楽をさせてあげることができるような部分があるかもしれませんし、人間関係を円滑にすることができるような部分があるかもしれません。あなたにとっても、メリットと言える部分も何かしら出てくるかもしれません。どんな、良いことがあるか、ちょっと想像してみてください。

その反対に、ルールを守ることに、デメリットがあるとしたらどんなものがあるでしょうか?
本当はやりたくもない我慢や犠牲をしなければならないのかもしれませんし、それが周囲の人にも何か犠牲的なものを求めることになっている部分もあるかもしれません。ルールに縛られることで、人間関係が何か重たくなっている部分もあるのかもしれません。どんな、良くないことがあるという感じがするか、ちょっと考えてみてください。

良いこと(メリット)と、良くないこと(デメリット)を見比べてみて、どんな感じがするでしょうか?
もうそのルールは必要ないと思えるのなら、そのルールは一旦手放した方が良いです。もしそうなら、そのルールを手放すということを、心の中で宣言してください。

我慢するのが長年染み付いた癖のような感じになっているのであれば、手放すときに抵抗感を感じることもありますが、その抵抗感があるということは悪いことではなく、そういうものほど、手放したときに、自分の内面に大きな変化を生み出すことができます。

ルールを手放すことができるとしたら、代わりにどんなものを受け取りたいでしょうか?
我慢や禁止といった自分を抑圧するようなものの代わりに、自由さや、抑圧していたものから解放される感覚や、本当にやりたかったことなど、たくさんのものを受け取れるかもしれません。想像してみたときに、どんなものが受け取れると思えるでしょうか?
心の中で、ルールを手放すのと一緒に、それらを受け取ることを自分自身に許可してあげてください。


意識しておいてもらいたいのは、もともとルールがあるためにうまく回っていた部分に対するケアです。例えば、あなたが我慢や犠牲をしてくれることを、あてをしているような人がいる場合、あなたがルールを手放して新しい行動パターンをすることに対して、その人からの抵抗が出てきやすいです。その相手にとってやってくれて当たり前だと思っていることを、あなたがやらなくなるとしたら、相手からの抵抗感や不満のようなものが出てきやすいです。このとき、ルールを手放す代わりに、どういう風にしていくのが良いかを、自分なりに考える必要があるかもしれません。

相手に合わせる必要がない状況であれば、相手が色々言ってくることに対して断った方が良いかもしれませんし、場合によっては、人間関係を変えていく、ということを選択した方が良いかもしれません。相手に合わせてあげた方が良い状況であれは、自分の都合だけではなく相手の都合も加味してあげるような柔軟な対応をした方が良いかもしれません。あらかじめ何か伝えておいた方が良いこともあるかもしれません。伝え方やタイミングも、相手の状況に合わせて考えた方が良いかもしれません。どういう風に対応するのが良いのかはケース・バイ・ケースだと思いますが、我慢や禁止をすることで、ある意味ではうまくまわっていた部分にテコ入れをしていく感じになると思います。

我慢や禁止をしなくても、相手とのコミュニケーションや様々な調整をすることで、自分自身も大切にできる自分になる、という成熟さを受け取ることで、うまく今の生活や人間関係をまわしていくようにやり方をスイッチしていくことができればベターだとは思います。ただ、場合によっては、それが非常に難しいこともあるかもしれませんね。(この辺りは、また別の機会に掘り下げて書こうかと思います。)


我慢や禁止をしすぎている部分を手放してみて、新しいものを受け取って、より活力のある自分自身を受け取ることができるなら最高です。周囲の人をみてイラっとすることの理由に、自分の中にある禁止事項に引っかかっているから、というのがあるのなら、それは、ある意味では手放した方が良い我慢に気づけるチャンス、と言っても良いかもしれません。

手放しても良い我慢って、それ以外にもないだろうか、と見つめてみるのも良いと思います。思いの外、我慢していることが色々とあって、これはやめてしまったも良いかも、と思えるものがたくさん出てくることもあるかもしれません。そんな時には思い切って、たくさんある我慢の断捨離のようなものをしてしまっても良いかもしれませんね。

今まで良かれと思ってやっていた我慢も、見直せる部分があるのなら、ぜひ見直してみてくださいませ。

 

パートナーの痛みに寄り添う

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パートナーの心に弱いところがあるとしたら、どんなところだと思えるでしょうか?
たくさん思いつくこともあれば、あんまり考えたことはないけど、改めて聞かれたらどうだろう、って思う方もおられるかもしれません。ただ、どんな人であれ、何かしら未成熟な部分だったり、心に痛みを抱えている部分というのは、一緒にいるパートナーには隠しきれなかったりすることが多いので、何かしらパートナーの心の弱いところ、というので思い当たるようなところはあるのではないか、と思っています。

例えば、ある話題に触れると急に態度が頑なになるようなところがあったり、過去に体験したことで心に痛みを抱えているようなところがあったり、あなたから見たら、こうすればいいだけなのにと思っていても、パートナーにはそれが全然できなかったり(やらなかったり)、あなたから見て、そんなに気にしなくても良いようなところに反応してネガティブな感情を出してきたり、などです。

心の中で痛みとして抱えているようなものは、感情を伴った形で出てきやすいです。過去の恋愛で経験したことで痛みを抱えている部分や、人間関係全般で人に対して怖れを抱いているような部分や、家族関係の中で抱えている弱点のようなものなどが、あなたとの関係性の中で出てくることがあります。


相手のそんな部分をみて、不安を感じるでしょうか?
あんまりそういう部分は見たくないなあ、という気持ちも正直ちょこっとはあるでしょうか?
相手はそういう状態だとして、じゃあ自分はどうしたらいいんだろう、という風に感じるでしょうか?
それとも、助けてあげたい、でしょうか?
ただ、助けてあげたいという気持ちがあったとしても、何をすれば相手にとって助かることになるのかがわからない、という風に思われる人もおられるかもしれません。

誰かとパートナーシップを組むということは、それが恋人同士であれ、夫婦であれ、その距離感の中でお互いを愛し合うことを通して、お互いに大きく成長できるチャンスを手にできる、ということを意味しています。たくさんの感情を感じることになったとして、たとえそれがネガティブなものだったとしても、それらの感情には全て意味があり、自分が感じる感情を通して、自分自身であったり、相手のことを深く理解していくことができます。

パートナーの心の弱い部分をみて、何を感じるでしょうか?
それは、一人で抱えているのには限界があったり、時間がすごく必要であったり、一生ものの課題だったりするものかもしれません。ただ、もし、本人にそれと取り組む気持ちがあるのであれば、愛するパートナーからのサポートはかけがえのない、そして、とってもありがたいものになります。


感情は共鳴します。あなたのパートナーが感じている感情を、あなたも感じやすくなります。パートナーの心に弱いところがあったとして、あなたがそこに触れた時、パートナーが感じている感情に、あなたも共鳴しやすくなります。例えば、パートナーが将来に怖れを持っている場合、あなたがそんなパートナーをみて、この人と一緒にやっていけるだろうか、ということに怖れを感じやすくなる、といった具合にです。様々なパターンがありますが、基本的には、自分が感じている感情は、相手も同じように感じている、という目で見ると、そこからいろんな気づきを受け取ることができます。

もし、あなたがその感情に対して否定的な受け取り方をして、そんな感情を感じなくできるように抵抗しようとすると、その感情のトリガーとなったパートナーに対して否定的な態度になってしまいます。例えば、パートナーの弱さをみて、そこにあなたが怖れを感じた時に、そんな怖れを感じないですむようにパートナーをコントロールしようとすると、パートナーからあなたにコントロールが返ってきます。よくあるのは、あなたがパートナーにそんな怖れを感じないですむようにアドバイスをしたら、そのアドバイスをパートナーから拒否されて、その代わりに、あなたがこういう考え方をするべきだ、とあなたが受け入れにくい意見が返ってくる、というものです。そうすると、あなたはこのパートナーとやっていけるのだろうか、という怖れを強くもち、パートナーもまた、その怖れに同意する、というやりとりが感情レベルで行われます。すると、2人で一緒に怖れの中にどっぷりと浸かって、2人ともその怖れの原因を相手のせいにして、お互いに相手を変えて怖れを解消しようとして、お互いに自分が変わることを嫌がるので、話が前に進まない、という感じのドツボにハマります。


タイトルに書いた通りのことをするのがベターです。パートナーの弱さをみてあなたが怖れを感じた時に、その怖れを相手のせいにするのではなく、その怖れは自分が向かい合わなければならないものだと、意識を切り替えて、その怖れとあなたが向き合いながら、パートナーもそれと同じくらい、もしかしたらあなたよりももっと、その怖れを強く感じているんだな、って思って、そのパートナーの痛みに寄り添ってあげてください。

自分の感じている怖れを乗り越えようとしてみてください。2人で一緒に怖れの中にどっぷりと浸かっている時に、相手を変えて状況を前に進めようとするのではなく、自分が一歩踏み出せることがあるとしたら、何だろう?、って考えてみてください。

感情は共鳴します。あなたが前に進もうという気持ちを持っているところを、パートナーは見ています。見てないように思えるかもしれませんが、あなたが前に進んでいく背中をパートナーは感じています。パートナーが抱えている心の弱い部分が、慢性的に抱えているものであれば、あなたほどサクサク前には進めないかもしれません。もしかしたら、あなたが動き始めるよりも、ずっと、ずーっと、パートナーが動き出すのには時間がかかるかもしれません。それでも、あなたがパートナーの痛みを否定することなく寄り添いながら、自分の痛みと向き合ってあなたが前に進んでいくところをパートナーに見せ続けることができるなら、それはパートナーが自分の課題を乗り越えるときの力になります。

そして、これはとても大切なことですが、パートナーを信頼してあげてください。自分が前に進むことを選択できたように、パートナーもその痛みを乗り越えるために前に進むという選択ができるということを信頼してあげてください。履き違えてはいけないのは、パートナーにその選択をあなたがさせてあげることはできない、ということです。その選択はあくまでパートナーがすることです。あなたにできるのは、信頼する、ということだけです。パートナーの中にある、前に進むという選択がしたいという想いの部分を見てあげて、信頼してあげてください。

パートナーの中にある価値をみて、それを伝えてあげてください。前に進むという選択をするのには、パートナーの中にある価値の部分が磨かれてくことが求められてくることもあります。パートナーが成長して、より良い結果を受け取っている様子を想像して、それを相手に強要するのでもなく、できるだけ相手もそのビジョンを楽しめるような感じで伝えてあげてください。行き詰まっているとき、あなたのパートナーは自分のことが信頼できなかったり、自分の価値を感じられなかったりします。自分が成長して今よりもより良い状態になっていたり、より良い結果を受け取っていることも想像できなかったりします。だから、その部分のサポートをあなたがやってあげてください。

あなたがパートナーを信頼して、あなたがパートナーの価値をみて、あなたがパートナーがより良い結果を受け取っているビジョンを見て、あなたが自分の怖れに向かい合って、前に進んでいくときのその背中をパートナーに見せてあげてください。パートナーに心の中で「怖がらなくても大丈夫だよ」ってメッセージを送り続けてください。上から目線でパートナーにアドバイスをするのではなく、あなたなりの人生への向かい合い方をパートナーに見せてあげてください。それが何よりもパートナーの力になります。もちろん、パートナーがそんなあなたをみて、相談してきたり、助けを求めてくることはあります。そのときもあなたがやることは同じです。パートナーの気持ちに寄り添って、あなたなりの気持ちを伝えてあげてください。


パートナーが心の中に痛みを抱えているときに求められてくるのは、パートナーへの愛です。愛するって、何をしたらいいの、というところで、こうするとベターだよっていうところを私なりに書いて見ました。愛を軸に考えた時に、他にもできることは色々とあるのだろうなあ、とも思いつつ、ここに書いたことで何かしら参考になるところがあれば、幸いです。

 

ネガティブなことをよく言ってくる人

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なんだか嫌な気分にさせられるような、めんどくさいなって言う気分になるようなことをよく言ってくる人は身近におられるでしょうか?
相性がよくなかったり、相手に問題があったり、はたまた、自分に問題があったり、どうしてそういうことになるのかは状況によって様々かもしれません。

以前、嫌いな人の対処の仕方、というタイトルの記事を書いたことがあり、その記事の中では、嫌だなと思える相手に対しては、心理的な距離をおくということと、自分自身の内面をケアするという2つのことを書いたのですが、今回はそことはちょっと違う感じで、ネガティブなものを人から言われたような場合に、その対処としてはどうしていくのがいいか、というところにフォーカスしていきます。

言われたことでただ苦しい気持ちに陥ってしまうのではなく、気持ちとしてももっと楽に対処していけるようにしていくには、どうするのがいいか、というところを書いていきます。 

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相手が言ってきたネガティブな言葉の受け取り方ですが、その言い方や感情的な部分はさておき、まずは、内容がどうだったかをみていくのが良いです。
それは、あなたにとって重要な情報でしょうか?
あなたにとって貴重で、耳を傾けた方が良いような内容でしょうか?
もし、価値のある部分があれば、その部分だけでも取り入れてみようとしてみてください。

相手があなたに伝えてきたそのままの表現方法だと、ネガティブな要素があったり、嫌味な言い回しだったり、脅しのような怖れを増長するだけのものが入っていたりして、余計なノイズのようなものが言葉にのっかっている状態になっています。本来の意味合いや価値がわかりにくいような、ある意味では残念な言葉、になっていますので、その人の代わりにあなたが、その言葉を自分なりにわかりやすくて価値のある言葉に翻訳してあげてから、その言葉を自分の内側に取り込んでください。それ以外の余計なものは取り込む必要のないものです。

ノイズ除去作業が終わったら、取り入れた方が良い部分以外のところは、現段階では、あまり価値のない言葉だと認識してください。場合によっては、取り入れる部分が何もない場合もありますが、その場合は、全体的にあまり価値のない言葉だったのかも、と一旦は認識してください。相手から言われたことで取り入れる必要のないものは、ノイズとして扱う、価値がないと思う、重要度を下げる、ということを意識してみてください。

後々、その人とのやり取りや、他の人から聞いた話の中で、あれはそういう意味だったのか、とわかることもあるかもしれません。ただ、その内容を取り出すのが難しければ、めちゃくちゃなことを言っているようにしか思えない相手のことを今無理矢理わかろうとするより、わかる範囲での理解にとどめて置いた方が良いです。気になる部分があるようなら、わからないことは自分で抱え込むより、誰かに相談した方がベターです。ただ、あまり価値がないただのネガティブでしかない言葉なら、誰かに相談しても「何言ってるんだろうねあの人は」という結論になることは多いです。

取り入れるところを取り入れたら、次はノイズの処理です。心の中で相手に言い返してみてください。といっても真剣に言い返すような感じではないです。その状況の中で、ちょっとでも笑えるような要素を見つけて、心の中でぷっと笑ってしまえるようなぐらいの感じでも良いのですが、心の中で、相手にツッコミを入れて、イメージの中で面白おかしくしてみてください。笑いは心の負担を軽くします。

笑いというより、あ、本当にこれ、相手もダメだな、と冷静に思えるようなものが見つかるなら、そこに心の中でツッコミを入れるのも良いです。ムキになって言い返すというより、冷静に相手に指摘できる感じも、自分の心の負担を軽くできます。慣れてきたら、リアルタイムで、相手からまさに何か言われた直後に、心の中で言い返せるようになったら、より心の負担を軽くできます。

ちなみに、ここでやりたいことは、ノイズカット、ですので、心の中で言い返すでもなく、取り入れるところを取り入れたら、あとはどうでもいいか、と心から思えて、何にも気にならなくなるようなら、そのまま言い返さずに、放置、でも良いです。

仮にもし、本当に相手に言い返しても、それが礼儀を失うような内容ではなく、周囲の共感すら得られるような内容で、口にしても問題ないようなものであれば、状況次第でありますが、実際に発言してしまっても良いです。そんなことってあるの?と思えるかもしれませんが、周りからみたら、言い返していいのになんで黙っているの?、という思われるようなケースはあります。周りの人に聞いてみて、具体的なケースをあげて、どう思われるか聞いてみるのも良いかもしれません。そこで自分でも気づかなかったような、取り入れた方が良い部分を気づくことができたり、その反対にあんまり気にしなくても良いことも、第三者的な意見を取り入れることで見えてくることがあります。そこでまた取り入れた方が良いように思える部分が出てきたら、また、良い感じで自分なりに翻訳してから、取り入れてくださいませ。

ネガティブなことをよく言ってくる相手への対処としては、基本的に相手のネガティブな部分に対して、断る、ということが大切です。やりたくもないし、やるべきとも全く思えないような犠牲を求められたら、それはできないよ、と断る。あなたが全く同意できないような考え方を、こちらの意見を聞くでもなく、一方的に押し付けられたら、私はそうは思わない、と断る。こういった、断る、という態度も、ノイズカットには重要です。

何に価値を置いて、何を取り入れるかは自分で決めることができ、何をノイズとして扱うのかは自分で決めることができます。言われてきついと思える言葉の中でも耳に入れておかなければいけないな、と価値のある諫言のようなものとして自分が受け入れると決めたもので、自分が苦しい想いをすることになるのは、ある意味では、自分の成長には必要なものだと言えるかもしれません。ただ、ノイズ扱いして良いものを取り入れてしまって、どうでも良いことで苦しい想いをするのは、ちょっと、あなたの時間と労力がもったいないです。ノイズは心の中に入ってこないように、カットする、ということが大切です。


相手に言われたことで、ノイズとしてカットしたいと思っても、まだまだ心がその言葉にとらわれているような感覚がある場合は、以下のエクササイズを試してみてください。座った状態でやるのがオススメです。

1. 右手を自分の胸に当ててください。
2. 言われたことで自分が感じているモヤモヤした嫌な気分が、胸の中から右手に移動していくイメージを持ってください。
3. 右手を胸から話して、握りしめてください。そのモヤモヤした嫌なエネルギーが右手に集まっていくイメージを持ってください。
4. 「私はこの感覚を手放します。」と宣言してください。
5. 腕を天井に向かって振り上げて、右手に握ったエネルギーを天井に放り投げてください。エネルギーが天に飛んでいくのをイメージしてください。

1〜5までやるのにそんなに時間はかからないと思います。少し胸が軽くなる感覚がするなら素晴らしいです。何度か繰り返してみてください。

人の体には心の浄化作用のようなものが備わっていて、それが発揮されると、心は平常な状態になっていきます。例えば、時間が経つにつれて、嫌な記憶は整理されて良い記憶だけが残っていく、ということがあったり、モヤモヤしたことがあっても、寝たらちょっとましになる、ということがあったり、そう言った心の浄化機能を促進させるのが、このエクササイズでやりたいことです。天に投げる、というのは、その心の浄化作用に自分のそのモヤモヤ感は任せてしまう、ということです。何度も心の中でそのことを思い出して、その感覚を繰り返していると、苦しみは継続しがちですが、そんなものは天にお任せてしてしまって、自分の中から一旦手放すような感覚をこのエクササイズで体験できれば、その分だけ、楽さを受け取ることができます。


身近にこういうネガティブなことをよくいう人がいて、めんどくさいなって思うことが多いのであれば、習慣的にそういう嫌なエネルギーが入ってくるような状態かもしれませんので、よくないエネルギーを外に出すような習慣を身につけた方が良いです。

運動をする、何か無心になれるような好きなことをするなどなど、、、、ヨガや瞑想なんかも良いですね。すでにそういった習慣を身につけれおられるなら良いのですが、もし、そうでない場合は、どんな習慣でも良いのですが、自分自身がスッキリするような習慣を身に付けることが求められているのかも、という風に考えてみて、何か新しいことをはじめて見るのもおすすめです。良い習慣を身につけて、良い日々を過ごすということは、そういうネガティブなエネルギーに対する耐性を自然とあげてくれます。

 

 

人から評価されたくない

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人から評価されたくない、という感覚はありますでしょうか?
悪い評価だったら耳を塞ぎたくなるけど、良い評価ならどんとこい、などど思う(=私)ような人もおられれば、たとえ良い評価であっても、それが自分の中身を理解せずに表面的なことをだけをみてのものであればノーサンキュー、という方がおられたり、そもそも評価されるなんて自分が下みたいで嫌、という方もおられるかもしれません。

人から評価をされる、というのは、それが良い評価であれ、悪い評価であれ、その評価のポイントが自分にとって違和感を感じるものだった場合に、違和感や嫌悪感のような感覚を感じることがあります。

例えば、仕事のできる人が、実は仕事はただ義務感でこなしているだけで、仕事なんて本当はどうでも良い、と思っている場合に、仕事ができる、という部分に対して良い評価をされる(例えば褒められる、とか)といったことがあると、その場では丁寧な受け答えをしていても、内心は「はぁ?仕事がなんだって?ああ、そう、、、。」なんて冷めているかもしれません。

例えば、とても美人の方が、外見の良し悪しの話はもうどうでもいいから、外見ではなく内面を見て欲しい、と思っている時に、外見を褒めて近づいてくる男性がいたら、外見の価値を見られていることは本当にどうでもよくて、「ああ、またこの手のタイプが来たな」なんて思うかもしれません。

それとは反対に、自分のことをよく理解してくれていて、自分もまたその人のことを尊敬しているような、そんな絆がある人から、ふとした時に特に褒められるとかでもないのに、信頼されている感じが伝わって来ることがあるとしたら、それだけでとても自分の中にある価値を感じれるものかもしれません。


自分が人をどう評価しているかが、その人への態度を決めているとしたら、人が自分をどう評価しているかが、自分が周囲からどう扱われているかを決めると思えるので、人の評価がとても大切、という風に思えるかもしれません。そうすると、人からの評価がとても気になってしまいます。

良い評価を過剰にされて勘違いのようなものをされるのも困るし、悪い評価をされて人からよくない扱いをされるのも困るとしたら、評価をしないで欲しいと思うものかもしれません。人の評価を過剰に気にしすぎると、そこから自分を守るために評価をされることを避けたくなります。評価されることが問題というより、自分がそこを気にしすぎているのが課題なのだとしたら、人からの評価を気にしすぎている部分を少し手放した方が良いかもしれません。


ある意味では、人の評価が気になるのは、自分が周囲の人をそれだけ評価しているからかもしれません。例えば私が、周囲の髪の毛が薄い人をみて「おお同志よ!」なんて思うのではなく(そんな風に思っています)、「あいつは俺より薄いな」とか「あんな風に薄いところを隠してみっともないなあ。思い切って短くしてしまえばいいのに、そういう態度が情けない。」なんて上から目線でその人のことを判断するようなことをしていたとしたら、周囲が自分のことをそういう風に扱っていないかがとんでもなく気になると思います。自分が周囲を評価しているように、自分が評価されると思うからです。

「あの人はセンスが悪い」「あの人は仕事ができない」なんて評価を周囲にしていると、そういう目で自分が見られる可能性がちらっとでも見えると心が苦しくなりますし、そんなことを匂わせるようなことを言われると、自己防衛に全神経を集中させることになると思います。そうすると周囲の人が口にする何気ない一言に過剰反応をしやすくなったり、人との関わりそのものがめんどくさくなったりするかもしれません。

評価されたくないと思っている時、自分が周りのことをどんな風に評価しているか、チェックして見てください。基本的に心の中で自分がしている思考には、ブーメランのように現実として自分に返ってくる、という性質があります。例えば心の中で誰かをバカにしたら、思いもしない角度から、別の誰かからバカにされたような気になったり、誰かにバカにされるような可能性が気になって、そのことに怖れを強く感じたり、といったことがあったりすることもあります。

相手のことをあんまり知らないのに「この人は絶対×××だ」とレッテルを張っていると、たとえそれが良い評価であったとしても、今度は自分がそういう扱いをされた時に、自分のことをよく知りもしないのにレッテルを貼られているような感覚がして、不快感を感じるかもしれません。

自分がしていることを相手がして来た時に、自分が心の中でやっているようなことを相手がやっていると心の中で投影するので、自分が周囲に送っているエネルギーのようなものは、そのまま自分に返って来ます。そのエネルギーが自分にとって嬉しいものであれば、相手からそれを返されても心地よいのでそれは問題ないはずですが、そうでないなら、何か良からぬものを自分が周囲に対して発信している、ということを示しています。

誰かを心の中で評価したくなる思考と、人からの評価が気になる思考の両方を手放すことができた度合いだけ、評価にまつわることにとらわれて心が疲れてしまうような体験から、自分の意識を解放させてあげることができます。これは、人からどう思われても良いという意識になりましょうということではなく、気になりすぎると自分で感じる部分があるのなら、ちょっとその部分を軽くできるように心の中を調整してみましょう、という感じのものです。


手放す時には、代わりのものを受け取る、ということが大切です。例えば、人にレッテルを張って、相手のことを勝手に決めつけて評価してしまっているようなところが自分にあると思える場合、その思考を手放す代わりに、よりベターなことを頭の中で思考するとしたら、どんなものが良いと思えるでしょうか?
自分がしているのと同じように相手に思われても嫌じゃない、というものが良いです。

評価されることに意識を取られてしまっていることを手放す代わりに、それよりも良いことに意識を向けるとしたら、どんなものが良いと思えるでしょうか?
人から評価されることよりも、自分にとってより大切だと思えるものに意識を向けるような感じのものが良いです。

ある思考を手放して、別の思考を選択する、というのは、自分の中の価値観の見直しであったり、ものの見方を変えようとする試みに近い感じになります。この試みは、今自分が人生から受け取っているものに不満を感じている部分をより良いものにしていきたい時に、とても意味のある行為となります。なぜなら、自分自身の内側に存在する思考は、自分自身が体験する人生を形作る重要なパーツの1つだからです。

自分自身が普段思考していることは、自分自身が体験する感情に大きな影響を与え、無意識のうちに周囲の人たちと接する態度にもそれは表現され、自分から発信されるそれが周囲の人たちに伝わることで自分自身を取り巻く環境に影響を与えていき、結果的に自分が周囲から受け取る出来事を変えていきます。


人から評価されたくない、と思っていても、人は評価をしたがるものかもしれません。相手のことを決めつけてしまわずに、なるべく深く理解して接する方が良いのかもしれませんが、全ての人に対してそれをするのには限界があるので、どこか十分には理解していない状態で相手と接することに結果的にはなってきます。ただ、よくわからない相手と接する、というのは緊張しますし、怖いものです。

そういった時に、多分この人はこういう人だろう、とファーストインプレッションで予測して、こういうタイプにはこういう接し方で良いかも、と、ある意味では自分勝手な解釈をして接するようにすると、そのよくわからない相手と接する、という時に出てくる緊張感や怖れをある程度緩和することができるので、その方が気分的にちょっと楽だったりします。人のことを安易に決めつけずに、相手によって態度を変えることなく、どんな相手に対しても丁寧に接する方が良いのかもしれませんが、楽ができる方に気持ちが流れるというのはよくあることかもしれません。一度こうだと勝手な解釈をして人にレッテルを貼ると、その印象が変わることはなかなかないのですが、その中で、勝手にしている解釈が思わずぽろっと口から出てしまうと、人を評価するようなことをコメントする、という感じになります。ただ、そういう感じでぽろっと出てしまうコメントは往往にして、評価された人の耳に入った時に心地よいと思える言葉ではないこともあります。

相手の勘違いをといた方が良いと思える状況であれば、相手が自分にどんな勘違いをしているか理解して、コミュニケーションを重ねたり、地道に勘違いを解くために必要な手立てを考えて実行して行くことに注力することが求められてくるでしょうし、勘違いされていることが、自分にとってあんまり支障が出るものでなければ、細かいことは気にしない、という態度が求められてくるものかもしれません。つまらないことに気を回すより、他に自分にとって大切なことがあるかも、と気持ちを切り替えることも時には必要かもしれません。

なめられないようにする、なんていうテクニックを重視する方もおられると思いますが、これは、相手のファーストインプレッションをコントロールするのが目的のようなものです。安易な選択を相手にさせない。私と接するときは、ある程度の緊張感を持ってね、といった態度かもしれません。ネガティブなレッテルを貼られることに対する回避策であったり、丁寧な対応を当然のように相手に求める、といった性質のものかもしれません。他にも色々なテクニックはあるかもしれません。ただ、策を尽くしても、人から評価されないようにする、というのには限界がありますし、基本的に他人はコントロールできないものです。


自分が評価される、ということに関して、過剰に反応している部分があるのなら、それは手放した方が自分自身を楽にさせてあげることができます。そのためには、自分が普段思考していることの棚卸しが必要です。その思考を手放す代わりにどんな思考を選択するか、そこには正解があるというより、自分の価値観と付き合わせて選んでいくことが求められてくるものですが、大切なことは自分が考えていることが、結果的に自分が受け取るものにつながっているという部分です。