心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

素の自分をパートナーの前で出せない

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好きな人の前で、素の自分が出せない、ということはあるでしょうか?
パートナーの前では、自然体でいるというよりも、何かそれ用の仮面を被っているかのような状態。例えば、彼をつなぎとめるために、なるべく嫌われないようにしようとするあまりに全然自分を出せていなかったり、可愛いと思われたくて、普段の自分を抑える代わりに天然で可愛い甘えん坊を演じている、なんていうケースもあるかもしれません。相手のことが好きなあまりに、自分の言いたいこともあんまり言えず自然体でいられない、なんていう方もおられるかもしれません。

こんな自分はパートナーから十分に愛されない、と言った部分を抱えていて、それをパートナーのまえで隠したい、という想いがあると、自然体でいることは難しくなるかもしれません。ただ、それを続けていると、どこかしら無理をしているのがだんだん苦痛になってきたり、相手から見たときに何を考えているのかわからなかったり、大好きな相手と十分に繋がれていない感覚がしたりすることがあります。

取り繕っている姿よりも、ありのままの素の自分の方が素敵、なんていうのはよく聞く話かもしれませんが、もし、パートナーの前で素の自分を出せていなくて、本当にこのままでいいのかな?、なんて疑問を抱くようなことがあれば、一度、今の自分のありようを見直して見た方が良いかもしれません。


素の自分をパートナーの前で出したら、どうなると思っているでしょうか?
そんなこと考えたこともない、かもしれませんが、想像してみるとどんな予想ができるでしょうか?
良いこともあれば、悪いこともあるかもしれません。(いくつか例をあげてみます。)
「今の現状を維持したいけれども、それが壊れてしまうような気がする。」
「もしかしたら受け入れてもらえるかもしれない。ただ、もし受け入れたもらえるなら、今よりももっと好きになってしまうかもしれない。」
「自己開示してしまったら、引き返せなくなる気がする。」

怖くて考えられない、と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。ただ、実際にそうするかどうかは置いといて、頭の中で考えてみるだけであればまだ安全です。
どんな怖れを感じているでしょうか?
どうなると思っているでしょうか?

素の自分を出すということは、リスクがあるように感じることかもしれません。ただ、素の自分を出してパートナーに受け入れてもらったり、自己開示した上で自分をパートナーに愛してもらう、ということができた方が、自分がパートナーから愛されているということをより受け取れるようになります。


自分のどんな部分を隠しているでしょうか?
どんな部分を相手の前で出さないようにしているでしょうか?
その部分を相手から隠しているということは、その部分を含めたあなた自身のことについては、ある意味では、まだパートナーに愛されていないと感じていると思います。そこも含めて、愛されたいと願ったことはないでしょうか?

将来的に絆を深めていく未来を思い描くのであれば、いずれ、あなたの素の姿というのは、パートナーにさらされていきます。逆の言い方をすると、絆を深めていくためには、そこをパートナーに表現していくことが求められてきます。あなた自身のありのままの姿と、パートナーのありのままの姿を見せ合って、そこで繋がっていく、ということは、パートナーシップのある関係性の中では、とても大切になってきます。そこに隠していたり、伏せていたりするものがあると、そこに距離感が生み出されていくことになります。それはお互いの間の絆の力を弱めます。

恋愛関係の中では、いろんなことが起き、良いこともあれば、悪いこともあります。ネガティブな感情を感じるような状況、例えば、気持ちのすれ違いや、誤解が生まれるようなことも恋愛関係の中で起こったりしますが、そこではコミュニケーションが重要な意味を持ってきます。その時に、あなたから見た時に、パートナーの気持ちが見えなかったり、何を考えているのかわからないと、不安やネガティブな予想がたくさん心の中に出てくると思います。反対に、パートナーがあなたのことがわからなかったり、理解できなかったりする度合いだけ、パートナーも同じような気持ちを抱きやすくなります。そうすると、ともにそこを乗り越えていく、ということが難しくなっていきます。ありのままの自分を相手にみせることで、あなたをパートナーに理解させてあげて、ありのままのあなたをパートナーに愛させてあげる、ということができているほどに、その峠を越えていきやすくなります。


もし、パートナーの前でありのままの自分を出せていないことに疑問を感じるようなことがあるのなら、少しずつでも良いので、ありのままのあなたをパートナーに見せてあげてください。あるいは、自分にはそんな部分がある、ということを話してあげてください。

パートナーがその時にどんな反応をするのかは、パートナーに委ねられることになります。さらっと受け入れてもらえるかもしれませんし、戸惑われるかもしれません。あるいは、とても好意的な反応が返ってくることもあるかもしれません。怖さを感じることもあるかもしれませんが、もし、そこで受け止めてもらえたなら、今よりも一歩、好きな人との関係性を深めることができます。

迷いがあるようなら、自分は本当はどうしたいだろうか?、ということを自分に問いかけて見てください。ここに正解があるわけではありません。ただ、自己開示した上でパートナーと向き合ったほうが、絆を深めることができる、ということに関して、やって見たいという気持ちがあるのなら、ぜひ勇気を持って一歩を踏み出して見てください。

 

周囲に気を使いすぎて疲れてしまったとき

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人付き合いの時に周囲に気を使いすぎて疲れてしまうようなことはあるでしょうか?
気の合う人同士との付き合いであれば、疲れるようなこともないかもしれませんが、あまり馴染めていない環境だったりすると、ときに苦痛に感じるようなこともあるかもしれません。例えば、素の自分を出すのが苦手で周囲に無理に合わせているようなところがあったり、周りの目を気にしすぎて肩に力が入りすぎているようなところがあると、そこで余計に疲れてしまうようなこともあるかもしれませんね。

人付き合いの中で、ある程度の緊張感であったり、ある程度の気遣いというのは求められるものかもしれません。距離のある人間関係の中では、なんでもあり、というわけには行かないですし、円滑にコミュニケーションを進めるために、最低限気を配らないといけないところというのは、状況によって出てくると思います。

ただ、素の自分とのギャップが大きくて無理をしているようなところがあるほどに、人間関係の中で感じるストレスは大きくなっていきます。人間関係の中で、〜でなければならない、といったことを考えているような部分があって、それが素の自分の振る舞いと大きく異なるほど、苦痛は大きくなります。例えば、もともと大人しい性格なのに、無理でも明るくしなきゃいけない、と思っていたりとか、本来は広く浅く付き合うよりも狭く深く付き合う方を望んでいるのに、その環境の中では頑張っていろんな人と仲良くしなきゃいけない、と思っていたりなど。本当は言いたいことをなんでも言い合うようなやりとりを望んでいるのに、その環境の中ではなるべく言わないようにしたり、過剰にオブラートに包まなくてはならないと思っていて、そこにいるだけで息が詰まりそうな感じがしている、なんていうケースもあるかもしれません。本来の自分のあり方とは離れた、〜でなければならない、といった、自分自身に当てはめている、あるべき論、にはどんなものがあると思えるでしょうか?


自分を追い込むようなところはあるでしょうか?
あるべき論、を使って自己否定をしたり、自分を追い込むようなところがある方の場合、誰かに何かを言われなくても、自分で自分を追い込むことで疲れ切ってしまうようなことがあります。

自分を追い込む言葉、、、、例えばこんな感じでしょうか?
「本気でやったらできるはずなのに、できないってことは、はじめからやる気がないんでしょ?」
「やるべきだと思っているのなら、なんでやらないの?」
「やるべきだと思っているならやるはずだよね? やるべきだということを本当は理解していないじゃないの?」
「危機感ないの? やばいという自覚がないの?」
「やったほうが自分の為にもなるよね? 自分の為になることをなんでやろうとしないの? どうでもいいの? 考えたくないの?」
自分で書いてて「ストーップ!」って言いたくなります。言葉のひびきが若干厳しげな感じかもしれません。

自分を追い込みすぎることで疲れ切ってしまっているようなところがあるのなら、自分を追い込むのを止めて、あるべき論を手放していったほうが良いです。
それは、本当にしないといけないことでしょうか?
やらなかったら、本当にやばいことでしょうか?
自分が抱えている、あるべき論。それ自体に疑問を感じることもときには大切かもしれません。

あるべき論よりもむしろ、素の自分ってどんなものだろう、というほうに目を向けるとしたら、どんな姿が思い浮かぶでしょうか?
本来の自分のありのままの姿。あるべき論よりも、ありのままの自分を軸にして物事を考えるとしたら、自分を追い込む言葉よりも、自分のやりたいことや、自分にとって居心地の良い状況、それらを受け取るにはどうして行くのが良いのか、といったことのほうが重要になっていきます。


ありのままの自分、と言われてもピンとこない方もおられるかもしれません。人には多面性があり、好きになれる部分や、自分でも嫌っている部分があったり、自分でも認めたくないような部分があったりするかもしれません。ありのままの自分って何、って考えるとよくわからなくなるような方もおられるかもしれません。

ありのままの自分、というのがイメージしにくかった時の参考になれば、と思うのですが、例えば、自分にとって居心地の良さを感じている状態や、ストレスを感じていない状態、、、、あるいは、好きなことをしていたり、何かを楽しんでいたりするときの自分の状態を想像してみてほしいです。何かに縛られることなく、肩の力を抜いてリラックスして自由な状態。そんな時の自分自身のありようが、ありのままの自分の姿、と考えてみてください。

居心地の良さを感じている姿を想像してみてください。それはどんな状況で、あなたは何をしているでしょうか?
その光景を想像してみた時に、そのありのままの自分の姿をみて、何を感じるでしょうか?
ありのまま、というのは、何かを取り繕う必要もなく、何かを隠す必要もない状態です。あなた自身が一番楽さを感じれる状態を想像してみてください。居心地の良さを感じていて、楽で、最も自然でいられる状態の時のあなた自身のあり方。それを、あなたのありのままの姿、と考えてみてください。

ただ、罪悪感や無価値観を慢性的に感じていて、心の中にずっともやがかかったような状態だと、そんな自分のありのままの姿を想像することが難しいこともあるかもしれません。過去の私の話をすると、ありのままの自分とかどうでもよくて、まずは、ダメな自分をどうにか矯正しないといけない、と考えていました。心の中に罪悪感のようなものが巣食っていて常にそれに縛られていたため、成長しなきゃいけないって、自分を常に駆り立てようとしていて、ありのままの自分だなんて言われても、そもそも今のままでは全然ダメだろうって思い込んでいました。心の中に巣食っていた大きな罪悪感のようなものを手放すことができた時、すごく楽さを受け取ることができて、そこで初めてありのままの自分を見れるようになりました。過去の私と近しい感覚をお持ちの方は、もしかしたら、まずは罪悪感を手放すこと、が大切になってくるかもしれません。


自分自身が様々な経験をしたり、年齢を重ねたり、成長をしたり、あるいは、何かを手放したり、何かを受け取ったりしていく中で、物事の感じ方や受け取り方には変化が出てきます。そうすると、どういう状態が一番居心地がよくて、何が楽で、どういうのが自分にとって最も自然なのか、ということに関して、、、、自分にとって、ここが今一番ちょうどいいポイント、というのはちょっとずつ変化していきます。過去の自分にとっては、これがありのままだ、と思っていたところも、今の自分にとっては、変わってきているかもしれません。

ありのままの自分、というのは、停滞してずっとそこにあるような性質のものではなく、常に少しずつ変化しているものだと私は思っています。自分にとって、ここが原点だ、と定義しているようなものを心に持っている方もおられるかもしれません。ただ、それをずっと抱えていくのも、変えていくのも、その人自身のありようだと思っています。自分がどうしたいか、ということと、ありのままの自分、というのは密接に繋がっています。

だから、ありのままの自分でいたい、と思うのであれば、何かをするときに、自分がどうしたいのか、という所をよく押さえておくことが求められてきます。過去の自分ならばいつもこうしていたから、という延長線上に、必ずしも、自分のちょうどいいポイントがあるとは限らないです。人間関係においても、昔はこの人達とすごく気があったけれども、今は別の人達と一緒にいる方が居心地が良い、という経験をされたことのある方もおられると思います。夫婦関係でも、昔はこういう風にしていてそれがお互いにとってちょうど良かったけれども、今は、こういう風にしている方がお互い楽、というように、お互いがありのままで居心地良くして行こうという時には、変化、がときに求められて来るものだと思っています。そこで、過去のやり方にこだわりすぎると、なんとなく、無理矢理感や退屈さや停滞感が出て来ることもあります。

ある意味では、ありのままの自分、が変化していくようなもの。何もしなくても、周囲の環境がそこに同調してくれるとは限らないので、そこに自分がやりたいことや方向性のようなものが生まれて、やりたいことをやっていくことで、ありのままでいるための自分のポジションのようなものを作っていく、ということが大切だと思っています。


ありのままの自分と、実際に自分がしている振る舞いのギャップが大きくて無理をしているようなところがあるほどに、人間関係の中で感じる疲労度は大きくなっていきます。そこで疲れ切ってしまっている感覚があるのなら、自分の中のあるべき論よりも、自分がなるべくありのままの姿でいられる、という方を優先してください。

自分の中に存在するあるべき論。それは本当に必要なものでしょうか? 本当にやらなきゃいけないものでしょうか?
それよりも、あなた自身が自然に振る舞うことの方が、今は大切になってきていないでしょうか?
疲れ切ってしまっている、というその感覚は、あなたにそのことを今教えてくれてはいないでしょうか?

あるべき論というのは、ある意味では、あなたの中で、人間関係をうまく渡っていくためにあなたが作り上げたルールのようなものかもしれません。もし、あなたがそこで疲れ切ってしまっているのなら、そのルールには無駄がたくさんあります。それは過去のルールであり、今のあなたを生かすものではないです。あなたが楽になるために、あなた自身のために、そのルールを手放すという選択をしてあげてください。その代わりに、あなたが自然体でいられて、なおかつ、あなたがそこの人間関係の中で様々なことをあなたなりのバランス感覚でより良い状態に持っていくための新しいやり方を考えてみてください。

疲れ切っているときは、今の自分のやり方やあり方に無理がある、ということを意味しています。古くなってしまっているやり方、あり方、ルールのようなものを、一度見直してあげてください。ありのままの姿が一番楽で、あなた自身を一番活かしてくれます。いかにありのままの姿でいられるか、あるいは、ありのままの姿に今よりももっと近づけるか、にこだわってみてください。

 

彼に依存しすぎて子供のようになってしまう

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彼への依存が強すぎて、感情のコントロールができなくなるようなことはあるでしょうか?
例えば、そばに彼がいてくれないと気が済まなかったり、しばらくやりとりができないと、不安になって彼に感情をぶつけてしまうようなことはあるでしょうか?
人によっては、わがままや甘えを彼にぶつけることが止められなくなったり、子供のような振る舞いを彼の前でしてしまったりするような場合もあるかもしれません。

パートナーに対して過剰に依存的になってしまっているのをやめたいとも思ってはいても、その依存がなかなか手放せないのならば、そのことで苦しみを感じておられる方もいらっしゃるかもしれませんね。


ネガティブな感情が出てきたとき、いつもどうしているでしょうか?
感情には、どんどんと感じていくと感情が変化をしていく、という性質のようなものがあります。怒りが出てきてそれを感じていたら、怒りの下にある悲しみが出てきたり、自分の至らない部分を思い巡らせて罪悪感を感じたり、など。人によっては、感情を感じきってスッキリとすることもあれば、堂々巡りの思考をして、同じことを延々と考えているために、同じような感情を延々と感じ続けたりすることもあります。

精神的に成熟していくための考え方の一つとして、自分の感情に責任を持つ、というものがあります。自分が感じている感情のルーツをじっくりと深く掘り下げてみていくと、その感情は過去に感じたことのある感情が今蘇ってきているもので、過去に感じた心の痛みと、今感じているネガティブな感情はどこかでつながっている、という理解に至ることができます。今感じている怒りや悲しみや罪悪感も、表面的には環境のせいだったり、誰かのせいだったりするかもしれませんが、基本的には自分の内側から出てきているものです。ネガティブな感情を今感じているとして、それは自分の中のどの部分が反応して感じていることなんだろう、という部分を見つめていくことで、そこから学びや気づきを得ることができます。自分の感情の癖や思考の癖を理解し、自分にとってこれは変えた方が良い部分だな、と思えたり、手放した方が良いものだな、という気づきを得ることができれば、それを自分自身の成長の糧にすることができます。

ただ、パートナーに対しての依存が強い場合、パートナーとの関わりの中で自分が感じるネガティブな感情を、相手のせいにする、という選択をすることがあります。ネガティブな感情は自分に気づきを与えてくれるものですが、そこでその処理するためのエネルギーをパートナーを責める方向に持って行ってしまうと、まるで本来自分が向かい合わなければいけない課題を、パートナーにやらせているような感じになることもあります。

パートナーとの関わりの中でネガティブな感情が出てきたとき、いつもどうしているでしょうか?


依存を手放していくためには、自分が居心地が良いと感じる状態や、楽しいと感じる時間を、パートナーに依存することなく作り出していくこと。ネガティブな感情を感じた時も、セルフケアができるようになっていくこと。何でもかんでも全部自分でやるという必要はないのですが、自分にとってより良いと思える状態を、自分が主体的に動いていくことで作り出していく、という部分が大切です。

精神的な依存がある場合、誰かに何かをしてもらわないと自分の心が満たされることがない、という状態に陥りがちです。これがあると、依存された側にとってあなたの存在が重荷になります。恋愛関係でこの部分が出てくると、あなたが重たい女、になってしまい、パートナーからみたときのあなたの魅力を下げてしまいます。

やめておいた方がいいのは、依存を我慢し続けたり、依存を封印する、ということです。我慢をし続けた場合、我慢しきれなくなったときに爆発します。我慢をし続けるのではなく、自分の依存と向き合ってください。

心の中にあなた自身の依存的な部分を表す、ちっちゃい子供、がいる様子をイメージしてみてください。その子供はどんな表情をしていて、何を考えていそうでしょうか? 寂しがり屋でしょうか? わがままな子でしょうか?
イメージができたら、その子の面倒をあなた自身で見るとして、どうするのがいいのかを考えてみてください。この子は何をしたら喜ぶでしょうか?
どうしてあげたら安心するでしょうか?
何がしたいと考えていそうでしょうか?
パートナーに強く依存している時というのは、ある意味では、この子の面倒を彼に全面的に押し付けていたようなものです。依存を手放そうと思うのなら、この子守を彼に押し付けるのではなく、その子供の部分に、あなた自身が付き合うことが求められてきます。我慢をし続けたり、依存の部分を封印しようとしたりする、というのは、この子供を放置する、ということです。放置すればするほど、最終的に爆発したときのエネルギーは大きくなります。

精神的な依存があるとき、パートナーを親がわりに扱ってしまうことがあります。自分がいっぱいいっぱいの時、無条件に愛してくれることを相手に望んだり、子供のように依存的な部分を受け止めてもらいたくなってしまうこともあります。ただ、パートナーにもパートナーの事情があり、ときにあなたのことを受け入れることが難しかったり、余裕がないこともあります。パートナーにも弱点や、心の痛みや、苦手なこともあり、十分にあなたの求めに応えられないこともあります。その中でも、パートナーはパートナーなりに、できる限りあなたに愛情を注ごうと頑張ってくれることもあるかもしれません。パートナーはあなたをケアしてくれたり、導いてくれたりすることもあるかもしれませんが、基本的には、パートナーはあなたの上に立って引っ張ってくれる立場の人ではなく、あなたの隣に並び立つ人です。パートナーからの愛情を受け取りながらも、自分のことは自分でケアしていく、というところで、精神的な依存から抜けていくことが大切です。

自分一人の時間も楽しめるようになること。精神的な依存の部分をセルフケアもできるようになるということ。ただ、なんでもかんでも自分でやるのはやりすぎかもしれません。ある程度、依存から抜けることができたら、ときに彼に甘えてみたり、ときに彼に助けを求めたりなど、パートナーの前で見せる自分の依存の部分をON/OFFできるようになるとちょうど良い感じかもしれませんね。


自分の依存の部分を嫌うのではなく、向き合ってケアをしてあげてください。なぜなら、自分の依存の部分を嫌った場合、同じようなところでパートナーの中に依存があるのにあなたが気づいたとき、パートナーに対してあなたが嫌悪感を抱くことになってしまうからです。

感情面でパートナーとは繋がっています。あなたが感じている感情と、同じような感情をパートナーがまた違う形で感じていることがあります。あなたがパートナーに対して強く依存をしているとき、ひょっとしたら、パートナーの中にも似たような依存があるのに、あなたの前ではそれがただ表面に出てきていないだけかもしれません。あなたが頑張って自分の依存を切り捨てる、ということをした場合、依存的な部分を抱える彼はあなたにとって、どんな存在になるでしょうか?
ひょっとしたら、自分の依存を切り捨てたのと同じように、彼のことを扱うかもしれません。

パートナーの中に依存や痛みが見えたときに、あなたがどうパートナーを扱うのか、というのと、自分が自分の依存の部分をどう扱っているのか、という部分は繋がっています。

自分の依存をケアするだけではなく、パートナーからのサポートも受け取ることができ、パートナーはパートナーで自分のことをある程度ケアしながらも、あなたがパートナーのこともケアできるようになると、恋愛関係が自立と依存の関係性ではなく、相互依存的に絆が深まっていくことになります。その状態がすごく望ましい状態です。あなたが本当に望んでいる居心地の良い状態というのは、精神的に相手に依存しているだけの状態ではなく、一人でも立つこともできる精神的に成熟している者同士が、お互いをお互いに相互依存的に支え合いながら愛し合っているようなそんな状態ではないでしょうか?

彼への依存で苦しんでいるところから、頑張って依存から抜け出して目指す先があるとするのなら、もし可能なら、そんな関係性を目指していただければ、と思っています。

 

条件付きの愛情

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条件が満たされたら愛する、とか、気分が良かったり褒められるようなことがあった時だけ愛する、といった条件付きの愛情。無条件の愛情とセットで語られることもあるもので、褒められるようなことをした時だけ愛されて、そうじゃない時は愛されない、とか、親の言うことを聞いた時だけは愛されて、そうじゃない時は愛されないといった感じのものです。

親からどんな風に愛されてきたでしょうか?
親から子供にはたくさんのものが与えられます。ここまで育ててもらったこと、教えてもらったこと、注いでもらった愛情など、感謝できるものもたくさんあると思いますが、その中でも、条件付きの愛情は扱いがちょっと微妙なものかもしれません。

条件付きでしか愛されなかったとしたら、自分が親から愛されているかどうかについて不安を感じることもあるかもしれません。子供の頃には愛されるために一生懸命だったとしても、いつしか、そんな愛情の与えられ方に反発を感じるようになり、親を反面教師のように扱う方もおられるかもしれませんね。


条件付きの愛情で育てられて、そのことに不満を抱えていたとするのなら、自分が同じことをしてしまうのを避けたい気持ちは出てくるかもしれません。ただ、条件付きではないと愛されない、という思考が自分の中で定着すると、親以外との人間関係の中でも、私はこれをしているから愛される、とか、これをしていないと私は愛されない、という感覚を抱きやすかったり、相手からの愛情を受け取りにくかったり、パートナーから愛されているかどうかに不安を感じやすくなったりします。

ちょっと極端ですが、恋愛のケースでいくと、例えば、顔がいいから愛される、とか、お金持ちだから愛される、といったように、XXだから愛される、という思考をしていると、本当に愛されているのは自分ではなく、条件、のように感じる時があります。顔が良ければ誰でもいいのだろう、とか、お金さえ持っていれば別の人間でも良いのだろう、など、XXであれば自分でなくてもいいのだろう、と思えてくると、相手からの愛情を受け取りにくくなります。


条件付きの愛情。自分がXXするから愛される、と思い込んでいると、それは行動や態度に出てきます。相手に対して、君は私がXXすれば私を愛し、私がXXしなければ君は私を愛さない、と考えているのが雰囲気や言動に出てしまうと、あなたのことをよく見ている相手に、それが伝わります。相手も実際にあなたのことをそう扱っているのであれば、両者ともわかってやっているようなもので、ある意味ではお互い様と言えるかもしれません。ただ、もし、条件とか無関係にただただ本気であなたのことを心配していたり、あなたのことを本気で大切にしようとしている人からすると、そのあなたのありようというのは、ある意味では失礼というかなんというか、あなたは相手のことを全然わかっていない人になります。

無条件にあなたを愛してくれる人。条件付きで愛されることが当たり前になっている人にとっては、かけがえのない存在になり得る人。無条件に自分のことを愛してくれる人がいてくれることで、自分は無条件に愛されていい存在なんだということに気づくチャンスがそこにあります。ただ、もし、自分が愛されているということに気づくことができずに、無条件に与えられている相手からの愛情を受け取ることができないとしたら、それは、なんだか寂しげな状況です。


次に、条件付きの愛情をもらう側ではなく、与える側の視点で見てみます。条件付きで誰かを愛するということを、自覚があるにしろ、無自覚にしろ、もし仮に、あなた自身が行ったらどうなるかというと、その場合、条件に合致していた間は相手を愛していたのにもかかわらず、相手がその条件に反した瞬間にあなたの態度が変わることになります。その相手は、愛するパートナーであったり、自分の子供だったりするかもしれませんが、そこではお互いがネガティブな感情を感じたり、意見が衝突するようなことも出てきます。

条件付きの愛情を与えていた側は、条件に反した相手が悪いと考えるかもしれません。条件とかどうかという話ではなく、相手がなんでそんなことをするのかわからない、という怒りを感じている状態になるかもしれません。それを突きつけられた相手は、そんなことで責められても意味がわからない、と思ったり、そんな愛し方はいらない、と思ったり、裏切られたように感じたり、あるいは、あなたに嫌われたくないあまりに、何らかの想いを胸に秘めながらも我慢をして条件に合うように、あなたに愛されるように頑張るのかもしれません。これもまた、なかなかに辛い状況です。


条件付きでしか愛されない、あるいは、条件付きでしか愛せない、という思考に自分自身がとらわれている感じがあるのなら、条件付きの愛情に関しての自分自身の思考を手放すことが大切になってきます。

親からどんな風に愛されてきたでしょうか?
あなたにとって大切な人から、どんな風に愛されてきたでしょうか?
その中で、愛されるということや、愛するということに関して、あなたは心の中にどんな想いを抱いてきて、愛に関してどんな思考を持つようになってきたでしょうか?

もし、今あなたに、愛するパートナーや愛する子供がいるならば、そしてもし、条件付きの愛情に関しての自分自身の思考を手放していきたいという想いがあるならば、条件を手放して愛情を送るということと、相手から無条件に与えられる愛情を受け取るということに、コミットをすることが求められてきます。

コミットというのは、全力で取り組む、といった意味合いの言葉ですが、心理というよりビジネスシーンでよく使われる言葉かもしれませんね。必ずやり切ると決意する、とか、本気になる、といった感じのものです。

長い間自分自身を縛り付けてきた、条件付きの愛情に関してのネガティブな思い込みや、無条件に愛されるということへの不信感や抵抗感を乗り越えて愛する人と繋がるためには、コミットする、という部分がとても大切になってきます。

条件付きでしか愛されないと思い込んでいた人が、無条件に自分のことを愛してくれるということを信頼しようと思ったら、怖さ、のようなものを感じることもあるかもしれません。もしかしたら、条件というのは、自分の身を守るような役割があったのかもしれません。自分はXXだから愛される、と思っている人にとって、XXだから愛されるから大丈夫だ、といった、、、、ある意味では、保険というか、愛されるための保証のようなものが、XX、にはあったわけです。このXXに寄りかかることなく、ただ単に無条件に自分のことを愛してくれる、ということに、別の言い方をすると、相手の無条件の愛情に自分の身を委ねるというのは、XXにずっと寄りかかってきた人にとっては、恐怖体験です。ここでは、勇気、のようなものがいります。そのためには、コミット、が求められてきます。

無条件の愛情を受け取る、というだけではなく、自分からも相手に与える、ということも考えてみてください。人間なので完璧にはできないですし、そもそも、完璧にはできなくても良いもの、と私は思っています。私も完璧にはできてないです。あんまり自覚されることもなく「こういう風にしてくれないとあなたを愛そうという気持ちになんてなれないよ!」なんて拗ねている依存的な部分が、心の中に隠れていることもあり、それが条件付きの愛情、みたいな振る舞いをすることもあります。ただ、そういったものも、そのことに気づいたときに、その都度そっと手放してあげれば良いもの、と私は思っています。もし、自分が相手に条件のようなものを突きつけていると気づいたら、その条件を手放して、ただ愛するということを選択する、ということの繰り返しなのかなあ、と私は思っています。

このブログの中で、愛する人とコミュニケーションをするときには、自分の痛みではなく、相手の痛みをみる、なんていうことを何度か書いています。これを実際にやってみると、その瞬間、とりあえず自分のエゴの部分はぽいっと捨てて、相手のことだけを考える、別の言い方をすると、相手にどう愛情を送るのが良いのかということだけに意識を集中する、という感じの意識になります。自分がいっぱいいっぱいの時ほど、相手の痛みをみることが求められますが、そういう時ほどそれができないと、ついつい自分の痛みに目がいって、相手の話が心に入ってきません。このエゴの部分をぽいっと捨てるときに、一緒に条件のようなものもぽいっと破棄されます。


条件付きの愛情に関して、私なりに嫁や子供とのやりとりも思い起こしながら書いてみました。愛というのは語るものではなく、ただ感じて、ただ実行するものかもしれません。いろんな考え方があると思いますし、愛する人との人間関係の中で、求められてくることや、問われてくることも色々とあると思っていますが、無条件に人を愛するということは素晴らしいことだと思っています。無条件の愛情を受け取るということや、与えるということは、人が行う営みの中でも非常に価値の高いものだと思っています。

ここに書いたことで、何かしらお役に立てられることがあるのなら、幸いです。

 

思考の癖を修正する

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自分の思考の癖のようなものを変えたいと思ったことはあるでしょうか?
いくつか例をあげるとこんな感じです。
・〜しなければならない、とか、〜するべき、とか、〜であるべき、といった考え方で自分に厳しくしすぎたり、自己否定をしてしまう。
・自分に厳しいだけではなく、他人にも厳しくあたってしまうことがある。それで周囲からの反感をかったり、相手を精神的に追い込みすぎたりする。
・ネガティブなことを考えやすい。
・他人の意見を受け入れにくく凝り固まった考え方ばかりをしている。
・凝り固まった思考に自分自身が縛られて、生きづらさのようなものを感じたことがる。

長年染み付いた思考は、基本的な考え方や思考のベースになるものとして、自分の内側に深く根付いている感じになりやすいです。それは自分の内側にある他の思考や、身についた様々や習慣とも密接に繋がっており、そこを変えようとすると、他のものも一緒に変えることが求められてきます。逆の見方をすると、そういった思考と一緒にいろんな思考や習慣をごっそりと変えることができると、自分自身を大きく成長させることもできます。思考を変え、習慣を変え、普段の行動を変えると、自分自身が受け取る現実が大きく変わるというのを体験したことのある方もおられるかもしれませんね。


思考の癖を修正することができるなら、やってみたいと思えるでしょうか?
思考を変えようと決意したのに、また元の思考が戻ってくるという、残念な体験をしたこともある方はおられるでしょうか?

私も体験したことがあるのですが、自分の中に根付いている他の思考や習慣が、元の思考に戻そうという力を出してきますので、思考を変えることに対して、自分の内側から抵抗してくるためでもあるのですが、深く根付いているものほど、思考を手放すということを再度繰り返す、ということが求められることがあります。

思考の癖を変える、もしくは、思考を変える、という時に、この抵抗感のようなものと少しお付き合いすることが求められることがあります。もし、こういった残念な体験を作り出す、厄介な抵抗感をも乗り越えて、思考の癖を修正することができるとしたら、やってみたいと思うでしょうか?


手放したい、と望むことが、最初の第一歩です。思考の癖を修正するとして、どんな癖を手放したいでしょうか?
思考を変えるとして、自分の中のどんな思考を手放したいでしょうか?
自分の望みを明確にして、心の中で口にしてみてください。願望を抱くことが、そのスタートになります。


手放すことに抵抗感を感じている部分はあるでしょうか?
もし、本当に抵抗がなければ、思った通りにそのまま思考を変えることができます。ただ、思考の癖を修正したいと思っても、なかなかうまくいかなかったり、本当にできるんだろうか?、という疑いのようなものを感じたとしたら、自分の心の中に、思考の変化をブロックしている部分があるということを意味しています。

自分の思考を変えたいと自分は本気で思っているけど、なかなか変わらない、としたら、自分の心の中に潜んでいるブロックに気づくことが大切です。思考を手放したいという願望を抱いているのと同時に、手放すことに抵抗している部分が自分の内側にあるのかもしれない、という可能性を考えてみてください。例えば、こんな質問を自分に問いかけることで、そのヒントを得ることができるかもしれません。
・その思考を手放すことにデメリットがあるとしたら、どんなものがあると思えるでしょうか?
・その思考を手放すことに、不安感や怖れなど、ネガティブな感情を感じることがあるとしたら、どんなものがあると思えるでしょうか?
・その思考を持ち続けていることにメリットがあるとしたら、どんなものがあると思えるでしょうか?
・その思考を持ち続けていることで、安心感や安定感のような、自分にとってプラスになるような感情を感じることがあるとしたら、どんなものがあると思えるでしょうか?

思考を手放したいけどできない、と思っているよりも、本当は思考を手放したくないという想いもある、と自分のことを認識できている方が、思考は手放しやすくなります。「できない」ではなく、本当は「やりたくない」という部分もある、ということを自覚するということは、私たちが思考を変化させていくための大切なプロセスです。そのプロセスをクリアできた時、私たちは、無意識に沈んでいた自分の無自覚な思考を、意識上に拾い上げていくことができるようになります。

そして、その抵抗感を抱いている自分を否定するのではなく、抵抗感を感じている自分にOKを出してあげてください。ああ、本当は嫌なんだな、って。ただ、自分自身の内側にある、変化に抵抗している部分を認めてあげてください。抵抗感を封印しようとするのではなく、その抵抗のある感覚をただ感じて、ただ認めてあげてください。否定するほど、抵抗は強くなります。まずは、その部分をあなたが受け止めてあげてください。


抵抗感を認めることができたら、次に、その抵抗感を手放すことができるか、自分自身に問いかけてみてください。
抵抗を手放すことはできるでしょうか?
それを自分に問いかけた時、抵抗を手放すこともできるし、抵抗を手放さないこともできる、という選択の自由をあなたは感じることができます。抵抗をやめたくないけど、やめようと思えばやめれる。やめるか、やめないかは、自分が選べるんだ、という感覚を感じてみてください。「できない」と思っていた時は、この選択の自由がないです。「できない」ではなく「やりたくない」という理解ができて初めて、この選択の自由が生まれます。
あなたは、どうしたいでしょうか?
抵抗し続けることもできます。もしかしたら、先延ばしにしても構わないかもしれません。
あなたは、本当はどうしたいでしょうか?
自分に問いかけてみてください。もし、抵抗を手放せると思えるのなら、そしてもし、抵抗を手放したいと思えるのなら、今、抵抗を手放すという選択を心の中でしてみてください。


思考の癖を直すとして、どんな風に直したいでしょうか?
古い思考を手放すとして、新しい思考として、どんなものを受け取りたいでしょうか?
長年染み付いた思考の癖。この癖を手放すとして、空いたスペースに、代わりに何を入れたいでしょうか?
よくあるのは、一度手放して空いたスペースに、同じものがすっぽりと入ってしまう、というパターンです。
せっかく開けたスペースに、また同じものが入ってこないように、代わりにもっと良いものを入れるとしたら何がいいと思えるでしょうか?

あなたがやりたいことを入れたほうが良いです。あなたがあなたのために決める新しい思考。どんなものがいいでしょうか?
正しいものを入れようと考えるよりも、あなたにとってしっくりとくるものであったり、あるいは、あなたにとって面白さや楽しさを感じるようなものを入れたほうがいいです。こんなことやってみたらどうなるんだろうって、あなたにとってワクワクするようなものを入れるのもいいかもしれませんね。

例えば、ネガティブな感覚や古い思考の癖がもう一度出てきたときに、それを天に委ねるようなイメージを描く、なんていう手もあります。どうしたらいいんだろう? とか なんでいつも自分はこうなんだろう? なんて自分で抱えて考え込んでしまうのではなく、丸ごと天に任せてしまうイメージ。なるようになる、なんて、少し気楽に肩の力を抜いて、流れに身をまかせるような感じです。そうするのががいい、と言いたいわけではなく、ヒントの一つとして参考にしてもらえば、と思います。

自分なりの思考の修正を、いいなと思えると思えるものを、ゆっくりと考えてみてください。あなたなりに創造してみてください。古い思考の癖に変わる、あなたらしい新しいものを。新しく創造したものが自分にとって魅力的であるほどに、自分がそれをベースに行動したいという意欲がわきます。その意欲が思考の癖を修正して新しいものを根付かせていくための原動力の一つになっていきます。


抵抗感を手放せている感じがしたら、修正したいと思っている癖を手放すことができるかどうか、自分自身に問いかけてみてください。
癖を手放すことはできるでしょうか?
抵抗感を手放せた感覚があるのなら、癖を手放すことに関しての難易度のようなものは、少し下がっていると思います。人によっては、グッと下がっている感覚を抱くと思います。思考を変えることができる可能性を感じていただけたら幸いです。あなたの思考なので、変えるか変えないかを決めることができるのは、あなただけです。もし、思考の癖を変えることができると思えるのなら、そして、思考の癖を変えようと思うのなら、今、思考の癖を修正する、という選択を心の中でしてみてください。


思考の癖を修正するときに、もう一つ、もし可能なら、取り組んだ方が良いのは、新しい習慣を身につける、ということです。思考の癖を修正して、新たなものを取り込んだものを、あなたの中に定着させるために、繰り返し行う習慣のようなものを取り入れることはできるでしょうか?
繰り返し行うことは、自分の中にその新しいものを定着させるのに役立ちます。もし可能なら、自分にできそうなことで、しかも、何か面白かったり楽しかったり充実感を感じれるようなことで、新しい思考を定着させるためにできる新しい習慣を何か身につけることはできるでしょうか?
新しい習慣を取り入れるということも、もしよければ、試してみてくださいませ。

依存していた相手と別れることになった時のこと

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自分にはもうこの人しかいないって思っていた恋愛のパートナーとの別れは、とても辛く、心引き裂かれるような想いをするものかと思います。パートナーの数だけそこにはストーリーがあって、人によって事情は様々で、今別れを経験した人たちの中には、気持ちを切り替えて次へと進んでいく人もいれば、しばらくそこにとどまることを選択する人もおられるかもしれません。ただ、パートナーに対して大きく精神的に依存していた場合、別れを受け入れることへの抵抗感も強くなりますし、中には絶望感を抱く人もいるかもしれません。全てが色あせて見えて、何もしたくない気分にもなるかもしれません。

パートナーへの依存が大きかった場合、なかなか気持ちを切り替えられず、相手のことを忘れたいとすら思えないかもしれません。復縁が可能なら、いつまでも、この想いを胸に抱き続けたいと思われるかもしれませんし、世界中に異性はたくさんいるなんて言葉を聞いたり、それに近しいことを人から言われても、どうしてもそうとは思えず、自分にはあの人しかいなかった、と思えるかもしれません。


もしもまだ、別れた人に依存する気持ちが残っているのなら、少し思い起こしてみて欲しいのですが、今、心の中でその人に対して感謝できることがあるとしたら、どんなことがあるでしょうか?
出会った時のこと、付き合うことになった時のこと、一緒にいて過ごした時間の中で相手から与えられたものや一緒に分かち合ったもの、出会えたことで知ることができたこと、愛し合うことを通して受け取れたこと、感謝できることにはどんなものがあったでしょうか?
思い起こしてもらって、その全てに心の中で感謝を伝えてもらってもいいでしょうか?

一緒に過ごした時間の中で、2人の間にあった絆を通して、どんなことを学べたでしょうか?
出会う前の自分と比べて、どんな学びを受け取れて、どんな成長ができたでしょうか?
人生には意味があって、その人と自分が出会って一緒の時間を過ごせたことは決して無駄ではなく、そこに大きな意味があったとしたら、そこにはどんなものがあったと思えるでしょうか?


この恋愛を通して、自分がクリアできなかった、ある意味では、残った課題のようなものがあるとしたら、それは何だと思えるでしょうか?

相手に強く依存して恋愛関係の中にどっぷりと浸かっていた時は、この状態がずっと続けば良いと思ったかもしれませんし、その世界が自分にとって全てだと思えたかもしれません。ただ、恋愛に強く依存するとその関係性は徐々に終焉に向かっていきます。恋愛をしていく中で様々な感情を感じることになりますが、感情を通して僕たちには自分が未解決の部分と向かい合わなければならないような様々なことを体験します。ただ、恋愛に強く依存している状態が続くと、その未解決の問題から目を背けるような行動をすることになり、それが2人の関係性に行き詰まりを生み出して、いずれ恋愛関係が終わる方向に物事が流れていきます。

例えば、自分に自信がなかったとします。自分には人して魅力がないように感じたり、自分には価値なんてない、なんていう感覚が強かったとします。そんな人にとって、パートナーのことを自分が好きなだけではなく、そのパートナーからも好意を返してくれたり、愛情を注がれる、と言うのは非常に価値が高い体験になります。自分のことを無価値だと感じている人にとって、こんな自分のことをちゃんと見れくれる人がいる、愛してくれる人がいる、と感じるのは、すがりつきたくなるような体験かもしれません。この人さえいれば他には何もいらない、なんて思う人もここで出てくるかもしれません。ただ、自分のことを無価値に感じている、というのは、本当にあなたに価値がない、と言うことではなく、あなたが様々な体験を通して自分には価値がないと思い込んでいる、と言うことを示しています。私たちは物事をありのままにとらえると言うよりも、どこか色眼鏡で見てしまうようなところがあるのですが、あなたが身につけている色眼鏡には、世の中を見たときに、あなたに価値を見る人はいない、とあなたが判断しやすくなるような補正が入っている、と言うことを示しています。その色眼鏡の視線の先には、パートナーも例外なく入ります。その結果、あなたはパートナーから、本当にあなたは価値を見てもらっているのか、あなたは本当に愛されているのか、と言うことに疑いを感じやすくなります。パートナーにはそのつもりがなくても、あなたの色眼鏡の判定には引っかかるような出来事があると、パートナーとあなたの認識にはズレが生まれるので、ここで感情のぶつかり合いが起き、あなたはネガティブな感情を感じます。ネガティブな感情があなたに教えてくれている課題は、あなたがその色眼鏡を外してパートナーからの愛情を素直に受け取れるようになる、ということです。ここであなたがその課題に引っかかり続けると、パートナーはあなたの色眼鏡判定に引っかかり続ける体験を通して、あなたに向ける愛情を疲弊させていきます。

例えば、あなたがパートナーに感じていた不満にはどんなものがあったでしょうか?
パートナーがあなたに伝えてきた不満にはどんなものがあったでしょうか?
恋愛関係の中では、お互いにとってより居心地良い状態を作り上げていくために、多くのコミュニケーションが求められてきます。コミュニケーションの中で、どうしてもすり合わせることができなかったり、どちらかが大きく妥協するようなものにはどんなものがあったでしょうか?
あなたがパートナーに依存しているために出てくる不満や、依存が生み出していたパートナーの間にあった壁のようなものも、思い起こして見てください。

例えば、パートナーが別れ際に話したことで、あなたの依存に関係したことはあったでしょうか?
別れの理由をオブラートに包む人もいれば、ありのままに言う人もいると思います。自分の身を守るために誤魔化すようなことを言う人もいれば、罪悪感にかられてとにかく自分が悪いと言う人もいると思います。
あなたはどんなことを言われたでしょうか?
もしかしたら、受け入れにくいことも言われたかもしれません。
ただ、もし言われたことの中に、自分にとって課題だと感じるような部分があれば、思い起こして見てください。


この別れを自分にとっての最後の恋愛、と決めずに、この過去の恋愛は自分にとって学びの意味があって、次につなげていくことができるものだとしたら、ここから前に進んでいけるとしたら、どうしていきたいでしょうか?
どんなパートナーとどんな恋愛をしたいでしょうか?
どんな自分でありたいでしょうか?

自分の課題をクリアできた度合いだけ、パートナーシップで受け取れるものが変わっていきます。正解があるわけではなく、あなたにとって、どんな風にしていきたいのかが大切です。
どういう状態があなたにとって居心地が良い状態でしょうか?
どんな恋愛関係があなたにとって望ましいでしょうか?
そこにたどり着くためには、どうするのが良いと思えるでしょうか?

もし、答えが自分の中で出なくて、どうしたらいいのかわからないような感覚があったら、どうしたいのかを、直感で自分自身に問いかけてみてください。自分の心の中に混乱や迷いや葛藤がある状態の場合、自分が本当にどうしたいのかという以外に、怖れや抵抗感など、自分自身のありのままのありようを否定するような思考が、心の中にごちゃ混ぜになっている感じになるので、自分が本当はどうしたいのかわからなくなってしまうことがあります。直感を使うと、そういったごちゃごちゃした思考を挟まずに、瞬間的に自分自身の心の中の奥深い部分から答えを拾ってくることができるので、直感で返ってくる答えが、自分の本心をズバリと当ててくれることがあります。迷いがあって、どうしたらいいのかわからないような時は、自分自身の直感を信じてみると言うのも一つの手です。

ちなみに直感を使う場合、私はここに、ひと手間、加えます。私の場合、直感で出た答えを、自分の中で一度検証します。そこに違和感がないか、、、それが本当に自分にとってしっくりくるか、、、をちょっとみてみます。ちょっと違和感があって、しっくりとこない感じがなんとなくある場合は、もう一度内容をじっくりと検証してみて、やはり違和感が消えなかったら、その直感はいったん破棄します。違和感がなく、しっくりくるし、それが自分の本心だと思えるけれども、その直感通り行動することに抵抗感や怖れを感じるのなら、これは直感が正しい、と私は判断します。その場合、抵抗感や怖れは自分のやりたいことを邪魔する思考、とみなします。

恋愛において選択を求められることというのは色々とあるかと思います。
どうするのがいいんだろう?
私、どうしたいんだろう?
そこに迷いのようなものがあって、もし、直感を使いたいなって思う時に、ご参考になればと思います。


依存していた相手と別れることになった時のことを、私なりに書いてみました。人生の中でも、ものすごく辛い時といえるものだと思います。この経験を通して、もう一度恋愛関係を持つ人があらわれても、新しいパートナーとの関係を受け取ってからも、人を好きになりすぎないように自分の気持ちを抑えるようにしたり、あんな想いはもうしたくないと自分の身を守りがちになる人もおられるかもしれませんね。好きな相手に依存することは、何も悪いことではないと思います。ただ、それがパートナーとの関係性を悪化させたり、自分の向かい合うべき課題と向き合わないようにするための要因となっている場合は、その部分は手放していくことが求められてきます。ここに書いたことで、何か参考になることがあれば、幸いです。

 

愛する子供がいて育児を頑張っているけれども誰もその部分を見てくれない

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愛する子供がいて、育児を頑張っているけれども、誰もその部分を見てくれないし、誰にも認めてもらえないどころか、まわりからダメ出しをされたり、冷たい目で見られるようなことばかりで、自分がみじめに思えるようなことはあるでしょうか?
誰かに認められたいし愛されたいけど、そういったものが自分の周りには全然ないように思えて、なんだか、むなしさやみじめさのようなものを感じることはあるでしょうか?

自分の話をよく聞いてくれて気持ちを受け止めてくれる旦那様がいたり、まわりに自分の話に共感してくれるような人がいるわけでもない場合、一人で頑張っているような感じになりやすいかもしれません。精神的に落ちるような時もあると思います。自分の価値を低く感じたり、自分には何の価値も取り柄もないように感じることもあるかもしれません。

お腹を痛めて産んだ愛しい子供。宝物のように感じていると思います。自分がどれだけ辛い目にあおうとも、子供を愛し抜きたいと思いつつも、心に余裕があまりなくて自分がいっぱいいっぱいの時には、時に子供に厳しい態度をとってしまうこともあり、そんな時には自分のことを深く責めることもあるかもしれません。

子供に対して愛しながら、時に悩みながら、時に立ち止まりながら、自分なりに一生懸命に頑張っている毎日。その日々の大変さを誰かにわかってもらいたかったり、その価値を誰かに見てもらいたいと思うことは、全然不自然なことではないと思います。ただ、誰からも認めてもらっていないと感じるなら、やりきれないような気持ちにもなるものかもしれません。


一つチェックしてもらいたいのは、この誰からも価値を見てもらっていないような感覚、別の言い方をすると、自分の価値を低く感じたり、あるいは、自分には価値のないような感覚、というのは今に始まったことではなく、子供が生まれる前から抱えていたようなことはないでしょうか? という部分です。

そういう訳ではない、という方も、もちろんおられると思います。ただ、もともとそういった感覚を抱えておられていた方、、、、特に、自分が幼い頃からそういった感覚を持っていて、自分の子供が生まれて親となった今でも、同じようなことを感じておられる方もいらっしゃるかもしれない、と私は思っています。

もし、当てはまるようなら、その子供はひょっとしたら、ある意味では、あなたが抱えているその感覚を乗り越えるために天から授けられたプレゼント、と言える存在かもしれません。子供と接することを通して、あなたがその感覚を乗り越えていくことができるチャンスがあるといったら、興味はありますでしょうか?

もし、興味があるのなら、ぜひ、意識を向けてもらいたいことがございます。


子供を抱きしめてあげたり、何かしてあげたりした時に、心が暖かくポカポカするような感覚を感じたことはないでしょうか?
愛しているからこそする、愛情を与える行為、といったらいいのでしょうか、、、。そういった、愛情を与える、という行為をすると、自然と自分自身の愛情深い部分が表に出てきて、自分自身もその感覚を感じることができます。人を愛するということはとても素晴らしいことで、自分の子供に、与える、ということをすることで、肌でその価値を感じることができます。これは何も子供相手に限った話ではなく、自分が誰かに愛情を持って与える、という行為をすると自然と感じることができるものです。

「色々やってあげてるんだからいい子にしてよ」とか「ちょっとぐらい喜んだり、いい反応をしてよ」といった、自分のエゴの部分がそこに混ざる度合いが大きくなると、せっかく顔を出しかけた自分自身の愛情深い部分が奥へと引っ込んでいくのが悲しいところです。私も気をつけよう。

誰かに愛情を持って何かを与えている時、私たちは、与えている対象に価値を感じるのと同時に、自分自身の心の中の愛情のある部分に触れることができます。子供の頃、あなたは親にどんな愛情を与えてもらったでしょうか?
あなたは今、子供をどんな風に愛しているでしょうか?
自分の子供にあなたが与える時、同時に、あなたは子供の頃の自分に、あなたが与える、ということを行うことになります。もし、自分の親は自分にやってくれなかったけど、本当はやってもらいたかったことって、どんなことがあったでしょうか?
あなたがやってもらいたかったことを、あなたが自分の子供に与えてあげてみてください。

もしかしたら、あなたはもっと褒めてもらいたかったかもしれません。もっと話を聞いてもらいたかったのかもしれません。もっと自分の方を見てもらいたかったのかもしれません。もっと自分のことを認めてもらいたかったのかもしれません。もっと触れてもらいたかったのかもしれません。

してもらいたいことを、してもらえなかった時、あなたは自分が愛されていない、とか、自分には愛される価値がない、なんて思ったのかもしれません。やってもらいたかったことを、あなたが、子供にしてあげてください。子供があなたからの愛情を受け取れるように。あなたには、それにはどれだけの価値があり、どれだけ嬉しいことが知っているはずです。それを、あなたが子供に与えてあげてください。その与える行為にどれだけの価値があるのかを、あなたは知っているはずです。


愛しい我が子。つながりを感じている時、あなたは何を感じているでしょうか?
ふとした時に無邪気な笑顔を見せてくれたり、甘えてきたりする我が子からあなたへと愛情が送られてきているのを、あなたはどんな風に感じているでしょうか?

子供はネガティブな感情をあなたにぶつけてくることもあると思います。わがままや癇癪をぶつけてくることもあるかもしれません。あなた自身、子供とのやり取りの中で、嫌な気分になることもあると思います。人間なのでいい時もあれば、悪い時もあると思います。

子供はあなたをどんな目で見ているでしょうか?
子供があなたに送ってきている愛情や、あなたに見ている価値の部分を、ただ素直に受け取ろうとしてみてください。大人の理屈はこの時邪魔になります。この時に優先した方がいいのは、あなたの理屈や常識ではなく、子供が心の中に抱く無邪気で素直な感情の部分です。ただ無邪気にあなたの中に価値を見てくれたことに、ただ無邪気にあなたを愛していることに、心の中で感謝をして、その気持ちを受け取ろうとしてみてください。


与えることと、受け取ること。子供と繋がることを通して、子供を愛し、子供の価値を見るのと同時に、子供からの愛情を受け取り、子供から見てもらっている価値の部分を受け取ろうとして見てください。それにより、あなたの心の中にある、自分には価値なんてないと傷ついているあなたの心の痛みが癒されていくイメージを持って見てください。

愛しい子供が大人へと成長し、やがてあなたの元から独り立ちしていくまで、たっぷりと愛情を注いでいくことは、何よりあなた自身のためになります。子どもが親にしてくれる、なんていう言葉もありますが、あなたが子供時代に抱えていたネガティブな想いや心の傷があるのなら、それは、あなたが親として子供と接していく中で、そこをクリアにしていくチャンスがあります。


私たちは、心の中に子供の部分を少し抱えています。子供時代に解消されなかったネガティブな想いや傷の部分も、そこに眠っていることがあります。親に対しての恨みつらみも、そこに眠っていることがあります。それは自分が親となった今、子供との関係性の中で、自分が子供に与え、そして受け取っていく中で、そこを解消させていくことができます。時として、そこと向かい合うことがとても辛いことがあったり、それが子供との関係性の中で、乗り越えなければならない壁のように感じることもあります。ただ、それはもう一度、自分の心の中の課題と向き合うためのチャンスが与えられているようなものかもしれません。