心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

彼氏がいるのに他に好きな人がいる

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彼氏がいるのに、他に好きな人がいて、その人のことが頭から離れない、という経験はあるでしょうか?
夫婦関係というより、恋人同士の関係性の中での話なのですが、なんだか、恋人とは別に他の人にも自分の気持ちがいっちゃってしまっている時のお話です。

2股に近い状態になったりするようなパターンもあるかもしれませんが、恋人がいるのに他の人に気持ちが傾いていることから、罪悪感のようなものを感じることもあるかもしれません。人によっては、その人のことをこれ以上好きにならないように忘れようとしたり、距離を取ろうとしたり、なるべく意識しないようにしたとしても、それがうまくいかなくて、自分の気持ちがどうしても抑えられない、ということもあるかもしれません。

恋人とは違う意味での良い部分や魅力、そういったものをその好きな人は持っているのだと思います。別の言い方をすると、恋人に求められない要素や足りない要素、そういったものを、その人は持ち合わせているかもしれませんが、時としてその人に関することで強い感情を感じて、その感情に自分自身が振り回されるということもあるかもしれません。

好きな人への気持ちを手放して、恋人を心の中でもう一度選択する、とか、その反対に思い切って恋人と別れて、その好きな人を選択する、といった、心の中でどちらかを選択する、ということができていれば、このどっちつかずな状態にはならないとは思います。

ただ、そうなっていないのであれば、自分の心の中で、恋人にも満足していないし、その好きな人にも満足していない、あるいは、その好きな人を選択するということに何か怖れや抵抗感のようなものがあって、あえてそちらは選択していない、ということなのかもしれません。

少し変わった言い回しになるかもしれませんが、ある意味では、恋人のいいところと、好きな人のいいところの両方とも欲しいけど、両方を満たすような存在はいないから、仕方ないから心の中で、恋人とその好きな人のそれぞれから、欲しいものをちょっとずつつまみ食いしている、という見方もできる状態なのかもしれません。

ここで鍵になるのは、自分の中にある、満足していない、という部分です。


もし、この状態に陥った、もしくは、陥りそうなら、少し自分の心と向かい合って見て、自分が本当に欲しいものってなんだろう?って考えて見てください。自分自身を責めるのではなく、一旦、その自己攻撃は脇に置いて、今の自分の状態を自問自答して整理してみる感じです。

恋人の良い部分はどこでしょうか?
自分が恋人から欲しいものは何でしょうか?
恋人から欲しいけどもらえないもの、もしくは、その恋人に求めても無駄だと思っているものは何でしょうか?
あえて自分自身に問いかけてみる感じにはなりますが、今の恋人との関係性を維持しているのはなぜでしょうか?

その好きな人のどの部分に魅力を感じているでしょうか?
それは今の恋人に求めても無駄な部分でしょうか?
思い切って、その好きな人の方を選択しないのはなぜでしょうか?

もし、自分の気持ちを整理して見て、好きな人への気持ちを手放して、今の恋人をもう一度心の中で選択し直したい、と思えるなら、そうしてください。もし、整理して見た結果、好きな人への気持ちの方がどうしても大きくて、どうしてもその好きな人の方を自分の中では選択したいと思えるなら、今の恋人との関係性を見直してください。自分がどうしたいのか、という気持ちはとても大切です。

ただ、もし、気持ちを整理しようとして見ても、どちらも選べない、という結論が出ることもあるかと思います。その場合は、まずは自分の心の中にある、両方への執着を手放す、ということにトライして見てください。この場合、ある意味ではどちらにも満足していない、ということを示しています。どちらも自分が本当に望んでいる相手ではないのに、心から、この人がいい!って選べる相手でもないのに、中途半端な状態の立ち位置に自分が立っている、ということになります。


僕たちの心には、自分はこの程度、と自分自身に制限をつけるような部分が眠っています。恋愛でもこの部分があてはまることがあり、ある意味では無意識のうちに、自分自身の程度に合わせて恋愛対象を選んでいたりします。本当は望んでいない相手を選択していたり、その結果、パートナーとの関係性の中で全然満足できなかったり、不満をすごく抱えることになったりもします。

両方への執着を手放す、という時には、ただ手放すだけではなく、自分自身にどんな制限をつけているのか、というのも整理して見てください。

自分にはどんな相手がふさわしい、と思っているでしょうか?
恋愛相手に求めても仕方がないと思っているものがあるとしたら、それは何でしょうか?
今までに、好きだけど自分はこの相手にはふさわしくない、と思って諦めたような経験があったとしたら、それはどんなものだったでしょうか?

今の恋人とは別に他に好きな人がいる、という時に、その両方との関係性を中途半端に維持しようとする、というよりも、一旦、自分の心の中にある両方への執着を手放して、自分の気持ちを整理した方が良いです。その上で、両方の良い部分を持った、自分にとって最高といえるようなパートナーを受け取る、という選択を心の中でできた方が良いです。そのために、自分の心の中にある、そんなものは受け取れないとか、自分にはそんな最高の相手はふさわしくない、といった、自分自身の恋愛の可能性をブロックするような気持ちがある場合は、それこそ手放した方が良いです。

私は最高のパートナーを選ぶ、ということを心の中で宣言して、中途半端な関係性や、最高のパートナを受け取ることをブロックする感情を手放してください。

自分自身をブロックする感情を手放して、最高のパートナーを受け取るという選択をした時に、振り返って、今の自分の恋人との関係性と、好きな人との関係性を改めて見てみてください。
新たな選択をしたあなたにとって、今の状態を今後どうしていきたい、と思えるでしょうか?
現実の選択は、その気持ちの整理が終わってからでも遅くはありません。

ここでは、例えば、今の恋人に今まで言ってなかったことや、お願いしてこなかったこと、委ねてこなかったことなどがあった時に、それをもし相手が受け入れてくれるなら、今の相手が妥協ではなく、自分にとって最高のパートナーとなる、ということもあります。現実は、あなたが何を感じ、何を考え、どう判断しているかによって、受け取り方が大きく変わるものです。そのためにも、自分の気持ちの整理がとても大切です。


彼氏がいるのに他に好きな人がいる場合のことについて、私なりに書いてみました。自分自身の気持ちに制限をつけた場合は、その結果選択したパートナーに対しての妥協や打算が出てきます。ちょっと、嫌な言い方かもしれませんが、恋人をキープ君のような扱いにしてしまう感じになることもあります。そこでは、恋愛相手に全然満足できないので、他の相手にも心が動く、というパターンにはまりやすくなります。自分の気持ちに疑問を感じるようなことがあった場合、一度、自分の心の中を整理していく、ということに取り組んで見てくださいませ。

やりたいことに対する疑問や不安

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自分がやりたいこと、というのがあって、そこに向けて何かしら頑張ったり、楽しんだりしていたとして、ある時にふと、そのやりたいこと、というのに疑問や不安感のようなものが出てきて、気持ちが揺らいだことはあるでしょうか?

やりたいことがあってそれを楽しめている時というのは、それ以外のことも楽しめたり、前向きだったり、充実感のようなものを受け取ることができたりもします。ただ、やりたいことに対する疑問や不安感が生まれたときに、その充実感のようなものが失われて、それ以外のことも含めて全てのことに対してのやる気のようなものがなくなって、日々が無味乾燥した感じになることがあります。

もし、疑問や不安が出てきて、やりたいことが停滞しているような感じがするのなら、思い切って、その部分と向き合ってみても良いかもしれません。


どんな疑問が湧いたでしょうか?
どんな不安を抱いたでしょうか?
気持ちが揺らいだとして、どうして気持ちが揺らいだと思えるでしょうか?

充実感があった日々のことを思い出して、なんとか、もう一度やりたいことに意識を向けたいと思っても、なかなか気持ちが乗らないというか、やる気が出ないというか、モヤモヤした気持ちがなかなか晴れないのだとしたら、心の内側に抱えている、その疑問感や不安感の部分を、少し見つめ直してみても良いかもしれません。

気合いで乗り切れるのなら、それも良いかもしれません。もう一度、本気でやりたいことに一生懸命になってみることで、今の時期を乗り切れるなら、それも良いと思います。ただ、それがうまくいかないようなら、自分の中でブレーキを踏んでいるその部分をじっくりと見つめて、何が自分の中で起こっているのか、理解することから始めてみても良いかもしれません。


疑問や不安といったネガティブな感情は、自分の思考や感情やものの見方などに、ちょっと変えた方が良いところがある時に、そのことを教えるかのように表層に出てくることがあります。この感情はある意味では、自分の内側から出てきたメッセージ、のようなものと言えるかもしれません。

ネガティブな気持ちにふたをするのではなく、その部分に耳を傾けてみるとしたら、どんなメッセージがそこに込められていると思えるでしょうか?

例えば、本当にしたいことじゃないのに、自分が本当に欲しいものとやりたいこととは直接繋がっているわけではないのに、やりたいことをやっているうちに何かがうまくいけば、欲しいものが手に入るという幻想に近いものを持っていて、その幻想が打ち砕かれるような情報を目にした時に、、、、
あれ? 欲しいものってこれだっけ?
これって本当にやりたいことだっけ?
という疑問が出てきたのかもしれません。その場合は、自分が本当に欲しいものってなんだろう、とか、本当にやりたいことってなんだろう、というところを見つめ直すことが求められてきます。

例えば、やりたいことに突っ走るあまりに、なおざりにしているようなものがあるのかもしれません。心の片隅にあった怖れや罪悪感のようなものを感じて、やりたいことをこのまま今のペースで続けるのはまずいかもしれない、という気づきがあったのかもしれません。この場合は、今やった方が良いことに自分でも気づいている、と思いますので、そこを見ないようにするのではなく、そこと向き合った方が良いのかもしれません。

例えば、やりたいことに行き詰まり感のようなものが出てきているのかもしれません。今までの延長上には、あまりよくないことが待ち構えているのは見えていて、それを避けるためにはどうしたら良いのかがわからない、ということから不安感や疑問が出てきているのかもしれません。その場合は、今までのやり方を変えたり、他の人のサポートを受け取った方が良さそうな状況がきている、ということに気づくことが求められているのかもしれません。

3つ例をあげましたが、疑問や不安感を感じる時は、大抵、こういうところを変えた方がいいものだ、というのがあるわけでもなく、本当にケース・バイ・ケース、だと思います。


気づきを受け取るためには、自分の内側にある抵抗感を手放すことが求められてきます。知りたくない、見たくない、わかりたくない、という気づきをブロックするような部分が自分にあると、今やって来ている軌道修正・方向修正のチャンスに対して心を閉ざすことになります。

とはいえ、、、、不安感や疑問の中に入っていくことで、自分が感じる感情に対して抵抗感を強く感じることはあると思います。根が深いものに関しては、そこに入っていくのに勇気がいることもあります。ただ、その抵抗感を手放すという選択ができるのは、自分自身だけです。

誰かに話を聞いてもらう、とか、頼れそうな人に相談する、というのも良いと思います。人からのサポートを受け取ることで、そこに入っていきやすくなる、ということもあります。カウンセリングを使うという選択をするのも一つの手かもしれません。ただ、大切なのは、抵抗感を手放して、その気づきを受け取る、という部分です。


ある意味では、どんな状況であっても私たちは、自分が受け取る必要のある答えのようなものを、誰かに聞く必要があるわけでもなく、自分で元から知っている、と言えるものかもしれません。答えは最初から自分の内側にあるのに、ただ、そのことに気づいていなかったり、答えを受け取ることに抵抗しているだけなのかもしれません。

やりたいことに対して疑問や不安感が出てきて、停滞感が出て来ている時というのは、まさにその部分が問われている時と言えるかもしれません。今まさにその状態だったり、将来そんな状況が来たという時には、自分のその部分を見つめることで、人生を前に進める時のきっかけにしていただければ幸いです。

 

完璧主義を手放す

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完璧やる、というのは気持ち良いものです。達成感を感じれますし、できた自分を褒めたくなります。この部分に関しては、周りに文句を言われるはずがない、という気分になり、なんとなくプライドや自信のようなものを刺激されることもあります。ただ、完璧にやりたい、という想いが先行するあまり、周囲には理解されないような細かいところにこだわりすぎたり、自分を追い込みすぎて疲れ切ってしまったり、周囲に対しても妥協を許さないような感じになってしまう、など、ある意味では完璧主義的な部分を抱える、ということもあるものかもしれません。

自分に完璧主義的なところはあると思えるでしょうか?
私自身、あんまり自覚はなく、どちらかというと大雑把で、そういうところがちょっとくらいあったほうが良いくらいなんじゃないか、とか、ふわふわーっと思っていたのですが、ちょっと振り返ってみたら、そういえば嫁からそのようなところを指摘されたこともあるな、というのを思い出しました。私にもありましたね。

直接、人から完璧主義と言われたことはなくても、例えば、高い目標を目指すのはいいものの、度が過ぎて疲れ果ててしまうまで頑張りすぎる、という部分はないでしょうか?例えば、自分がすごくこだわっていることで、あんまり周りからは理解されないような、むしろ細かすぎると指摘されるようなところはないでしょうか?
まあ、そんな風に言われたら、自分自身に完璧主義的なところが少しくらいはあるかもなと、思えるような聞き方を私があえてしている部分もあるかもしれませんが、ここでちょっと注目してもらいたいのは、その完璧主義的な部分は、あなたのお役に立っているでしょうか?、という部分です。


自分にも完璧主義的な部分はあるかもな、と思えて、その中で、手放すことができたほうが良いな、と思えるような部分はあるでしょうか?
完璧主義があることで、自分を追い込み過ぎているところがあるのなら、もしかしたら、その部分は手放すことで、肩の力を抜いてあげたほうが、バランスがよくなる部分はあるかもしれません。完璧にすることにこだわり過ぎているために、周囲に対してのあたりが強くなっている部分があるのなら、手放して周囲に対する接し方を少し変えたほうが、全体的にうまく回るような部分が出てくるかもしれません。

完璧、というのは気持ちいいものです。完璧じゃない部分というのは、その気持ち良さとは反対に、失敗・怠惰・クオリティの低下などなど、ネガティブなものを生み出すのではないか、という怖れを感じさせるものかもしれません。ただ、完璧であることを追い求めるあまりに、完璧じゃないものを排除しようということに力を使いすぎることがあります。そこで疲れ切ってしまったり、何かそれが問題のようなものを生み出してしまうことがあります。

自分の中で、完璧主義を手放したほうが良いかもしれない、という部分はあるでしょうか?
もし、そう思える部分があるのなら、それはある意味では、今の状態よりもより良いものを受け取る余地が自分の中にある、といった、自分を成長させるチャンス、とも言えるかもしれません。


自分の中の完璧主義の部分を手放してください。無理やり手放すというよりも、自分の中で、この完璧主義の部分は手放したほうがいいな、と思えるものから手放そうとしてみてください。

完璧主義に関しては、メリットとデメリットの2つの面があると思います。自分にとってその完璧主義があることで、都合が良いというものがあるとするなら、それはどんなものでしょうか?
その反対に都合がよくない、もしくは、問題や課題のようなものがあるとするなら、それはどのようなものでしょうか?
2つを見比べてみて、やっぱり手放したほうが良いと思えるなら、手放すという選択をしてみてください。

手放す時に、ただ手放すだけではなく、この完璧主義を手放す代わりにすることも考えてみてください。完璧主義を手放す代わりに、それよりももっと良いものを自分の内側に取り入れるとしたら、どんなものが良いでしょうか?
その完璧主義を手放した自分は、どんな風に振舞うことになるでしょうか?
手放して成長した自分自身をイメージしてみてください。

例えば、完璧主義は、人と何かを一緒にするという時に、邪魔になることがあります。素直に相手に頼ればいいのに、自分一人で完璧にすることにこだわりすぎたり、完璧主義があることで、人との間に壁ができてしまったりする、といった感じです。完璧主義を手放したほうがより良い状態を受け取れる可能性はあるけれども、相手が信頼できなくて、より悪くなる可能性の方ばかりみてしまうようなら、完璧主義を手放す代わりに、他のもっと良いやり方はないだろうかって考えてみてください。


新しい習慣を取り入れる、というのもおすすめです。完璧主義を手放して、その代わりに新しい考え方や振る舞いや行動パターンのようなものを取り入れるとして、それを定着させるための習慣のようなものを取り入れることはできるでしょうか?
完璧主義が自分の中で当たり前のようになっている場合、ふとした時にそれが自分の中に戻ってくることがあり、結局手放していないような状態になることがありますが、習慣的にする何かによって、新しい考え方や振る舞いを繰り返し自分がすることで、そちらの方を自分の中に定着させることができます。


完璧主義を手放す、というテーマで書いてみました。自分自身をじっくり見つめてみると、手放しても良いなと思える部分は、何かしら見つかるものかもしれません。これは手放さなくても良いと思えるものや、どうしても抵抗感が強いものに関しては置いといて、手放したほうが良いと思えるものから、手放すことで、より自分が楽さを受け取れたり、他にもより良いものを受け取れるということを実感してもらえるなら幸いです。

 

やりたいことが見つからないとき

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日々の暮らしに充実感はどのくらい感じているでしょうか?
楽しいことを仕事にしていたり、趣味や大切な人との時間を楽しんでおられる方であれば、とても充実している!、という感じの状態だったり、もしくは、問題や課題のようなものが一切無い訳ではないけれども、基本的には毎日楽しいよ、という方もおられるかもしれません。

ただ、人によっては充実感と言われても、なんだかピンと来ないようなケースもあるのではないかと思います。例えば、特にこれといってやりたいと思えることもあまりなく、何かに強い意欲を感じるということも基本的にはない、といった受動的な感じを抱えていて、充実感といわれてもなんだかなあ・・・・と、ちょっとモヤっとするような感じの方もおられるかもしれません。

自発的にやりたいと感じることが少なくて、楽な方に流れることが多いけれども、内心、本当にこのままでいいのかな、、、、といった何となくモヤモヤした感じを抱えている、という状況もあるかもしれませんね。

そういったモヤモヤ感を抱えている場合にちょっと振り返ってみてもらいたかったりする部分があります。そのやる気のなさのようなものは、ずっと昔から抱えていたものでしょうか?大人になる前や、あるいは、もっとさかのぼって幼かった頃のことを思い返すと、またちょっと違う感じだったような、と思えるような部分はないでしょうか?


僕たちは子供の頃、親からしつけを受けます。親の方針にもよりますが、基本的には、これやっちゃダメ! あれやっちゃダメ! といったことを言われたり、耳にしたりすることが多いかもしれません。ある意味では、ここで我慢というものを覚えたりもします。その中で、やりたいことをやりたいようにやる、ということを自分の中で強く抑制していく方がおられたり、あるいは、罪悪感を覚えていくようなパターンもあるかもしれません。

僕たちは成長していくに従って、やりたいことをやろうと思っても、自分より上手にやる人、というのを目にすることがあるかもしれません。身の程を知る、とか、劣等感を感じる、とか、あの人は当たり前のようにできるみたいだけれども、自分にはあんな風にできない、と思えるような経験を通して、無力感や人によっては絶望感のようなものを感じることもあるものかもしれません。

大人になっていくに従って僕たちは、やらなければならないことや、やるべきこと、というものを抱えていきます。義務や役割、とかいったものです。お金を稼ごうとするなら、やって当たり前のこと、というのが出てくることもありますし、日々の暮らしの中でも、やらないといけないこと、というのは、何かしら出てきたりします。やりたいこと、といったものの出番がやって来るというよりも、そういった義務的なものが、ある意味では重要度の高いものとして、僕たちの上に積まれていきます。もしくは、何かやりたいことがあったとしても、それをやりたいなら、これをやらないといけない、というように、僕たちの上には、仕事、のようなものが積まれていきます。そこで、やるべきことや、やらなければならないことに対処することに疲れていく感じになることもあるかもしれません。

そんな中で、今、やりたいこと、よりも、それ以外のことに意識を奪われていきがちになると、僕たちの中から、やりたいことに向ける意欲や、ワクワク感のようなものが遠ざかっていきます。


今振り返ってみて、自分の心の内側は、どんな感じになっていると思えますでしょうか?
やりたいことやワクワク感のようなものが心の中にあったとしても、その上に、我慢、罪悪感、身の程を知る、劣等感、無力感、絶望感、やらなければならないこと、やるべきこと、義務感、役割、などいろんなものが積み重なって、ワクワク感や、やりたいことをやりたいという想いが、心の底の方に沈んでしまって、非常に見えにくくなってしまっている、としたら、もし可能ならその部分をもう一度表に出る形にしてあげたい、と思えるでしょうか?


今、ワクワク感を感じられる部分があまりないとしたら、まずは、それを求めることからスタートしてみてください。仕事でも趣味でも遊びでもなんでも良いのですが、ワクワク感を感じさせてくれるものを、どんな形でも良いので取り入れようとしてみてください。今まであんまり意識していなかったとしたら、ワクワク感を感じられるものを見つけるまでに時間がかかることもあるかもしれませんが、ちょっと意識して探してみてください。充実感を感じるためには、今やっていることの価値や意味を自分が感じている、という要素が求められてきます。ワクワク感があって、好きで楽しいことをやっているエネルギーに触れることができた度合いだけ、それを実感しやすくなります。

ただ、誰かから決められたことや、周囲で言われていることの中に、自分が価値を感じたり、意味を感じる、という要素は直接的には生まれません。やっていることの価値や意味を感じる、という部分には、自分が考えて、自分が決める、という部分が求められてきます。自分にとって何が楽しくて、何がワクワク感を感じるもので、何が居心地が良くて、何が好きで、どうありたいと思っているか、という部分が大切です。そういったものががないところをベースにして、誰かが言っていることや、どこかで耳にしたようなことの中から、無理やり自分がやりたいことを探そうとしても、ちょっと無理があります。そういったことも何かのきっかけにはなります。ただ、一番大切なのは、自分が何を感じているか、という部分です。


ワクワク感や楽しさといった部分を、今感じることができないのだとしたら、昔はどんなことに感じていたでしょうか?
昔感じていた感覚を、いま感じれないようにブロックしているような部分が自分の心の中にあるとしたら、それは何でしょうか?
罪悪感や絶望感のようなものがあって、自分で自分のその部分をブロックしていることも、もしかしたら、あるかもしれません。ワクワク感や楽しさを感じにくくなっているというだけではなく、自分でそれを抑え込んでいるような感じです。

もし、そういったものがあると感じるのなら、自分の心に聞いてみてもらいたいことがあります。そのブロックは手放すことはできるものでしょうか?
手放せるとしたら、手放したいでしょうか?

過去は必要かもしれなかった、自分を縛るルールのようなものがあるとして、それは今もまだ必要なものでしょうか?
今はもう必要ないかもしれないと思えるのなら、手放すということを心の中で選択してください。ブロックが解消された度合いだけ、ワクワク感や楽しさを感じるためのスペースが心の中に生まれていきます。


充実感を感じられなかったり、やりたいことが見つからないと思えるような時のことについて、私なりに掘り下げて書いて見ました。自分がどんなことに、ワクワク感や楽しさを感じるでしょうか?やりたいことが見つからない時や、毎日の中に充実感がない時には、その部分にフォーカスを当ててみてください。

 

依存体質

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好きな人のことに没頭しすぎて他のことが見えなくなったり、そこで感情を振り回されすぎる、ということはあるでしょうか?

恋愛でよくあるのは好きな人への気持ちが大きくなるだけではなく、その人に対しての依存が出てくるような感じのものです。これにはまると、常にその人のことを考えてしまって、その恋愛とは関係のない他のことにはほとんど興味がなくなったりすることもあります。時に被害妄想のようなことも頭に浮かんできて、独り相撲のようなものを心の中でしてしまうこともあり、それでだんだんと苦しくなってしまうこともあります。経験したことのある方もおられるかもしれませんね。

これはあくまで一例ですが、心の中に抱えている劣等感や、自分には価値なんてないといった感覚や、愛されたいし認められたいという感覚などなど、そういった心の中に抱えている、ある意味ではネガティブなしがらみのようなものから解放されたい、という想いを抱えているような時に、目の前に素敵な人がいて、もし、この人と繋がることができたなら、その全てから解放されるかも、なんて思えるのなら、その相手に飛びついて、思いっきり依存したい、という気持ちになるかもしれません。

これもまた一例ですが、好きな人はいるけれども、相手が自分のことをどう思っているのかがわからない、といった感じの不安感のようなものを抱えている時も、依存心は刺激されやすいかもしれません。自分にダメなところはないだろうか? 嫌われてないだろうか? 他に好きな人がいるんじゃないだろうか?
そういった怖れのようなものを抱えていて、その怖れをコントロールしたいがために、相手に何かを常に確認したくなったり、過剰に相手との関係性を持とうと必死になったりすると、非常に精神的に不安定になります。この場合も、他のことが考えられなくなって、相手に対しての依存が強くなって、だんだん辛くなっていくパターンにはまり込み易くなります。

人を好きになるということ自体はとても素晴らしいことです。好きな人がいることで、毎日が輝いている感じになったり、とてもイキイキした感じになったりもします。ただ、そこで相手に依存するような部分が強くなってくると、その依存の度合いだけ、なんだか重たいものが自分自身にのしかかってきます。人を好きになるということは、そういう風になるということだ、ということを感覚的に覚えてらっしゃる方もおられるかもしれませんね。そうなるのが怖すぎて、相手のことをこれ以上好きにならないように心をガードする、ということを恋愛の中でやってらっしゃる方もおられるかもしれません。


相手のことは好きなまま、この依存の部分を軽くすることができる、と思えるでしょうか?
もし、そんなことができるなら、やって見たいと思えるでしょうか?
好きな相手に強く依存する、というのが癖のようになっていると、お付き合いすることになったとしても、相手との関係性が重たくなりやすく、そこで愛されている感覚を受け取る、というよりも、不安感や怖れのようなものを感じている状態を受け取りやすくなります。

恋愛の中では、どちらかが相手から精神的に自立していて、どちらからが依存している、という関係性になることがあります。フィフティ・フィフティではなく、どっちかが惚れた側で、どちらかが惚れられた側、という感じでしょうか?
好きになって相手に依存するような感じになった場合、基本的に相手は素っ気なかったり、相手から都合の良い時だけ利用される感じになってしまうことがあります。もちろん、それ以外のパターンもあるのですが、ここで、好きになると相手に強く依存する、というのが癖のようになっていると、そういった関係性を引き寄せやすくなります。

もし、好きな相手に依存しすぎるような癖が自分にあるとして、それを変えれるとするのなら、変えてみたいと思えるでしょうか?
そういうのが癖になっているとしても、それをしているのは自分自身の心、です。仮に付き合う相手に問題があったとしても、そんな相手を選んでいるのも自分自身、ですので、その部分を変えることができるのも、自分自身だけです。もし、自分の中の依存しがちな部分を変えることができるとしたら、やってみたいと思えるでしょうか?


執着を手放すこと。これが鍵になります。好きな相手にしがみつくのではなく、手放すことができた度合いだけ、愛されるための余地を自分の心の中に空けてあげることができます。

執着を手放すというのは、好きになるのをやめる、ということではないです。好き=相手に執着する、という構造が心の中にできあがってしまっていると、好きな相手への執着を手放すことに対して抵抗感のようなものが出てくることもありますが、執着を手放しても、相手のことを好きなままでいることはできます。

好きな相手に執着すると、その執着の度合いだけ、あなたは自分の魅力をちょっとずつ、すり減らしていきます。相手から見ると、自分に執着をしてくる異性は、執着の度合いが強いほど魅力的に見えにくくなります。執着をすると自分の異性としての価値が下がります。その結果、あなたが好きな人は、あなたのことを価値のない相手として扱う傾向が出てきます。例えば、執着をすればするほど、相手から鬱陶しくされたり、適当な対応をされたりします。

執着があると、あなたは、相手にあなたを愛させたくなります。相手に言葉を求めたり、行動を求めたり、時間を求めたりしたくなり、相手を縛りたくなります。実際にそういったことをしないように頑張って意識したとしても、なんとなくそういうのを求めるような態度がかもし出されて、なんだか重たい雰囲気が、あなたの周囲に生み出されていきます。それはあなたの異性としての魅力を台無しにします。

執着を手放すと、相手に自由を与えて、自由にあなたを愛させてあげることができます。相手はあなたを愛さなくても良いけど、愛する。相手はあなたに言葉をかけなくても良いけど、言葉をかける。相手はあなたに×××しなくても良いけど、×××する、、、、と行った状態をあなたが受け取るためには、執着を手放すことが鍵になります。


執着を手放すと考えた時に、どんな感情を感じるでしょうか?
抵抗感があるのなら、執着を手放すかどうかは置いといて、今自分の中に抵抗感があるのだなあ、というのをただ認めてあげてください。執着を手放すことに抵抗感があるのは、ある意味では自然なことです。自分の中に執着がある、ということと、それを手放すことに対しての抵抗感がある、ということをただ認めて、その存在を感じてみてください。自分の中に執着と抵抗があることについて、OKを出してあげてください。執着しちゃだめ!抵抗しちゃだめ!と自分を押さえつけるのではなく、今の自分の状態にOKを出してあげてください。今の自分の状態を認めてあげること。それがスタートになります。

今の自分の状態を認めることができたら、以下の順番で自分に質問して、直感で答えてみてください。
①抵抗を手放せますか?→Yes/Noで答える。
②抵抗を手放しますか?→Yes/Noで答える。
③いつ手放しますか?→いつかを答える。
質問と答えは、声に出してもいいですし、声に出さなくてもいいです。答えはNoでもネガティブなものでも全然構わないです。ただし、質問したら考え込むことなく、即答してください。これを何回か繰り返してみてください。その流れの中で、ふっと、あ、抵抗を手放してもいいかもな、と思えるなら良い感じです。

抵抗を手放してもいいかもしれない、と思えるなら、次に、以下の順番で自分に質問して、直感で答えてみてください。
④執着を手放しますか?→Yes/Noで答える。
⑤執着を手放しますか?→Yes/Noで答える。
⑥いつ手放しますか?→いつかを答える。
これも先ほどとやり方は同じで、ネガティブな答えでも良いので、直感で即答するというのを繰り返してみてください。

やることは単純です。ものすごく気合を入れて、執着を手放すぞ、と力むというよりも、ふっと力を抜くかのように手放してあげる、といった感覚に近いかもしれません。

好きな人のことで、あるいは、不安感や怖れにとらわれて、必死でしがみついていたその執着の力をふっと抜いて、一歩、好きな人への意識から距離を置いてあげる、というくらいの感覚です。
好きなまま、一歩離れる。
好きなまま、ちょっと向けていた意識を軽くする。
この軽さが、人からの愛情を受け取れる余地をあなたの心に作り出します。

相手に向けていたコントロールしたいような感じの意欲を、ふっと軽くする。怖れや不安感にかられて必死になっていたその意識から、ちょっと距離をおく。相手に精神的に強く依存している意識から、ちょっと離れて、ちょっとニュートラルな状態に戻る。必死に連絡を取ろうするのではなく、自然な間を取れるようにする。好きな相手を諦める、とか、その恋愛自体を投げ捨てるとかではなく、好きなまま、ただ執着を手放す。好きなまま、ただ依存を軽くする。それができた度合いだけ、あなたが纏っていた重たい雰囲気は軽くなります。

依存しすぎて振り回される度合いが軽くなり、不安感や怖れにとらわれすぎないようにできます。鍵になっているのは、執着を手放す、という部分です。


好きな人に依存しがちになっている時のことについて、執着を手放す、という観点で私なりに掘り下げてみました。執着を手放す、というのは、恋愛に限らず、いろんな状況に活用できるものです。自分の心が苦しさを感じている時というのは、それを生み出している要因に、なんらかの執着が自分の心の中にあり、それを軽くすることで、苦しさを軽くすることもできる、というものです。読んでいただいて、何かしら役立つことがあれば、幸いです。

 

セドナメソッドについて
「手放せますか?→はい/いいえで答える。手放しますか?→はい/いいえで答える。いつ手放しますか?→答える。」の部分はセドナメソッドを使っています。セドナメソッドについては本も出版されておりますので、興味のある方は読んでみて下さい。

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

 

セドナメソッドの公式ホームページは以下のものです。

The Sedona Method | Heal Yourself by Letting Go | Official Site

 

将来への不安におそわれて何もやる気が起きないとき

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ふとしたことがきっかけになって、先のことを考えたときに不安感が出てきて、それが引き金となって、何にもやる気が起きなくなる、ということがあります。不安感が出てきたときに、それがずっと心の中から去ることなく、片隅にずっと引っかかるような感じになったり、ネガティブなことばかり考え込んでしまいがちになることで、そこに自分のエネルギーが持っていかれるような感じ、でしょうか。そこで、何事にもやる気がなくなったり、遊びや趣味をあんまり楽しめない、という感じになることがあります。

人が抱く不安感にはいろんなものがあると思います。例えば、ずっと恋人ができないかも、とか、このパートナーとやっていけるのだろうか、とか、ずっと独身かも、とか、このまま今の仕事を続けられるのだろうか、とか、老後のことや、自分の体の不調な部分のことを考える方もおられるかもしれませんね。

パートナーと別れたときに、次を考える余裕もなくて、そういった不安感が出てくる方もおられるかもしれません。無理がたたって仕事をやめることになった方で、そんなことを考える機会を持たれる方もおられるかもしれませんね。


もし、この気持ちを切り替えれるようになりたいとしたら、どうするのが良いと思えるでしょうか?
楽しめることを見つけたいと思っても、何も楽しめないとしたら、どうしたらいいでしょうか?
ゆっくりと心を休めたいと思っても、不安感ばかり出てきて、心が疲労感ばかりを感じているとしたら、どうするのがいいと思えるでしょうか?

ネガティブなことばかりを考え込んでしまっている心の中を整理するとしたら、ちょっと立ち止まって、一度、この不安感の部分に切り込んで見てもいいかもしれません。

不安があるとして、どんなことに怖れを感じているでしょうか?
どうなってしまうことを怖れているでしょうか?
不安が的中してしまった時の自分を想像したときに、どんな風に感じるでしょうか?
怖れや不安感を感じているときは、それを少し具体的にしてみる、というのも一つの手です。怖れというのは、実際には見えていないものや起こっていないことを自分の中でより大きく感じてしまうことから強まるものですが、実際に目にしてみると、なんだこんなものか、と思えることもあります。怖れをみつめてみたときに、何か気づけることはあるでしょうか?

ネガティブな感情は、あなたに変化のサインを教えてくれるものです。変えたほうが良い思考や、物事の考え方、感情の扱い方、そういったものがあるときに、ネガティブな感情が、あなたには変えたほうが良い部分がありますよ、ということを教えてくれるために表面に出てきます。だから、あなたに求められることは、そういう感情を感じないようにブロックすることではなく、その感情が教えてくれるメッセージを受け取ってあげることです。

もし、あなたが感じる不安感や怖れが、あなたに伝えてくれているサインのようなものがあるとしたら、それは何だと思えるでしょうか?
そこでもし何か気づけることがあるとしたら、それもまた、今の状況を前に進めるための一つのきっかけにできます。


不安があって、何もやる気が起きなくて停滞しているような感じはあるかもしれません。ここで、少し視点を変えて、そこを切り抜け出ることができるとしたら、本当は、どんな風にしていきたいと思えるでしょうか?自分がどうありたいかを想像してみるとしたら、どんなイメージが出てくるでしょうか?
そのイメージを思い浮かべたときに、そこにたどり着きたいと思える意欲の部分を、自分の心の中に感じようとしてみてください。

ただ、そこに至るまでの障害となるものも、頭に思い浮かべることができると思います。私には無理、とか、こういう状況があるから今はできない、とか、何かしらそれがすぐ手に入るとは思えない理由のようなものがあると思います。そうでなければ、あなたはすでにそれを手にしているはずなので、そうでないということは、そこには理由があると思います。その理由が重いものであるほどに、意欲は削がれていきやすくなります。(ここで、より気持ちが燃えるという人も中にはいらっしゃるとは思いますが。)

あなたが今感じている不安は、この意欲と障害の話に少し関連している、ということはないでしょうか?
あるいは、むしろ大いに関連している、という方もいらっしゃるかもしれません。

自分の心の中に2つのパーツがあって、片方はやりたいことの方を向いていて、片方はそれとは逆方向のやりたくないという気持ちや怖れや不安、あるいは、問題点のようなものの方向を向いていて、両方が違う方向に向かって進もうとしていて、心の中に葛藤が生まれて、一歩も前に進めないという状態になることがあります。このとき、行動としては何もしていなかったとしても、心だけは疲れます。なぜなら、2つの方向に向かって、思いっきり力がかかって引っ張りあっているので、何もしていないように見えてもエネルギーが大量に消費されていくからです。

ここで求められることは、この2つに分かれている心のパーツを1つに統合してあげることです。怖れを感じていても不安感があってもそれ自体が悪いわけではなく、怖れがあることで気づけることもあったりするので、むしろメリットと言える部分もあるのですが、その副作用が強すぎて、ネガティブな感情に飲み込まれて何もできなくなってしまっているのだとしたら、そこを調整してあげる必要があります。

簡単なエクササイズがあるので、興味のある人は試してみてください。

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①2つに割れたハートをイメージする
エクササイズの内容をさらっと読んでみて、一通りのことができる、誰にも邪魔されない時間を用意してください。

用意が出来たら、まず、落ち着いて深呼吸して、リラックスして下さい。

そして、目を閉じて、意欲のある自分と、ネガティブな気持ちがある自分の両方が、自分の心の中にいる、ということをイメージしてください。

意欲のある自分はどんな表情をしているでしょうか?
ネガティブな気持ちがある自分は、どんな表情をしているでしょうか?
それぞれの自分は、イメージの中で、どんな姿をしているでしょうか?

充分にイメージが出来たと感じたら、右手を右膝の上に、左手を左膝の上において下さい。そして、両手をひっくり返してください。手の甲が下で、手の裏側が上を向いている状態です。

そして、右手の上に、意欲のある自分がいる、というイメージを持ってください。左手の上に、ネガティブな気持ちがある自分がいる、というイメージを持ってください。

両手に、自分の中にいる2つのハートの部分をイメージできたら、次に進みます。


②2つに割れたハートを統合する
右手に、意欲のある自分を、左手に、ネガティブな気持ちがある自分をイメージしたまま、両手を、前の前で合わせてください。

そして、両手を合わせたときに感じる、手の温かみを感じてみてください。

両手を合わせたまま、2つに割れたハートが、1つになっているのをイメージしてください。そして、そのハートが1つになったことで生まれる温かみを感じてみてください。

どんな感覚がするでしょうか?

ネガティブな気持ちがある気持ちのある自分は、慎重になっている自分です。もう傷つかなくて済むように、一生懸命になっている自分です。ネガティブなママでいたいわけではなく、安全を確保することに一生懸命になっている、というハートです。つまり、このハートの目的は、自分自身を大切にしたい、あるいは、自分の中のある一部を大切にしたい、というものです。

意欲のある自分は、自分の中にある、素直に前を向いて好きなことをして人生を歩いていきたいと思っている自分です。自分の中にある問題を乗り越えるために、一生懸命になっている自分です。このハートの目的も、自分自身を大切にしたい、というものです。

2つのハートが1つのハートになっている状態をイメージして下さい。その統合されたハートの目的も、自分自身を大切にしたい、です。統合されたハートから、自分自身への愛があふれ出ていくことをイメージしてください。

次に、ネガティブな想いに押しつぶされそうになっている、あなた自身の姿をイメージしてみてください。そして、そこにあなたの統合されたハートからあふれ出た愛が、シャワーのように降り注ぐところをイメージしてください。

その分断されたハートは、統合されることで、自分自身を大切にする、ということに集中して、力を発揮されるようになります。そのパワーを感じてみてください。

そして、心の中で、こう宣言してください。
「私は、2つのハートを統合し、自分自身を愛することを選択します。」

宣言した時に、どんな感じがするでしょうか?

そのハートが統合された状態が、あなたの本来のハートの状態です。たくさんの出来事があって、分断されかもしれませんが、もう一度、その本来のあなたに戻った感覚を、今、味わってみてください。

これでエクササイズは終了です。

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このエクササイズには、信頼する、というテーマがあります。2つにハートが分断された状態が本来の状態ではなく、統合された状態が本来の状態であり、それを思い出して、心の中に自分自身に対する、あるいは、人生を前に進めていこうということに対する信頼感のようなものをハートの中に取り戻していく、というきっかけづくりをするのが、このエクササイズの目的です。信頼の力が発揮されるほどに、自分自身が抱えている問題を乗り越えていくことがやりやすくなります。

エクササイズを実施するなり、他の方法でも良いのですが、自分の中で信頼感のようなものが、自分の心の中にあることが感じられるようになると、その先に自分の人生のビジョンのようなものを垣間見ることもできます。


将来への不安におそわれて何もやる気が起きないとき、というテーマに関して、エクササイズを交えて、私なりに掘り下げて書いて見ました。ここに書いたことで、何かお役に立つことがあれば、幸いです。

 

頑張っているのに人から責められてしまう

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自分は頑張っているつもりでも、周囲にはその頑張っているということが知られていないことは、時にあることだと思います。あんまりそういう一面を人に見せないようにしていたり、基本的に一人でやっていて、他の人には頑張っているということがあんまり見えにくいような状況であれば、その姿が人に知られていないというのは、普通にあることかもしれませんね。

ただ、頑張り過ぎていて、どこか無理をしているようなところがあったり、一つのことに意識が集中しすぎていて、そこ以外でちゃんとできていないような部分があった時に、それを人から責められる、ということがあります。人間なんでもかんでも完璧にこなす、というのは難しいですし、頑張りすぎていたり、無理をしているような時は、そういったミスに近しいことをやってしまいがちですが、そういうときに限って、人から責められるというのも辛いものです。

精神的にいっぱいいっぱいになっている時に、人から責められるというのは、気持ち的にかなりこたえます。こんなに頑張っているのに、なぜ責められなければならないんだ、という気分にもなりますし、自分の心情に配慮がないことに対して、なんとも言えない気持ちにもなりやすいものです。一番自分のことをわかって欲しいような、身近にいる人や、愛する人から責められることで、張り詰めていた糸がぷっつりと切れてしまうような感じになることもあるものかもしれません。

いっぱいいっぱいの時に人から責められると、その言葉は本人にとっては、まるで、もっと無理をしろ、とか、もっとやれ、と言われているように聞こえてしまいがちです。細かい状況を知らないところでの指摘になることもありますので、やるのが当たり前、とか、できないのが悪い、というニュアンスが、その言葉の中には含まれていることがあります。言われた本人にとっては、全く理解されていない気分になったり、その人が敵にように見えたり、あるいはそのことで自分の罪悪感を強く刺激されたりして、全てを投げ出したい気分になることもありがちです。


普段から、孤立して一人で抱え込んで無理をするような行動パターンを持っていると、頑張っているのに空回りしたり、頑張りを人から認めてもらえなかったり、できていないところを人から責められたり、というパターンにハマりやすいです。ここで、自分のことを理解してくれないことに対して、こっそりと不満を抱え込んでしまったり、あるいは、気持ちの限界がきてから全部をぶちまけてしまったりするようなパターンもあると思います。

ただ、こういったことがあった時に、自分の中にも精神的な未熟さのようなものはなかっただろうか、と自分自身に問いかけてみたら、どんな答えが返ってくるでしょうか?

例えば、何も言わなくてもわかってもらいたい、という甘えのようなものがあったかもしれません。人の意見を取り入れるような余裕がなく、頑なになっているような部分があったかもしれません。自分の成し遂げたいことへの執着が強く、周囲に対しての配慮を切り捨てているような部分があったかもしれません。

一生懸命だったと思います。限界ギリギリまで頑張っていたと思います。ただ、一人で抱え込むのではなく、周囲ともっとコミュニケーションをとることができていたのなら、今よりももっと精神的に成熟した状態で、物事を進めることができていたかもしれません。


犠牲を手放して、周囲とコミュニケーションをとっていくこと。愛する人や身近な人に対して、自分が抱えている大変な状況や、辛さを感じていることについてシェアしていないのなら、していった方が良いです。どうせわかってくれない、と思うかもしれません。相談しても無駄だと思えるかもしれません。ただ、あなたのことを大切に思っている人ほど、そういうことは一人で抱え込むのではなく、自分にも分かち合ってほしい、と思っています。

心配されるのは面倒、と思うかもしれません。色々意見されるのが嫌、と思うかもしれません。自分がやりたいようにやることを止められたら嫌だ、と思うかもしれません。自分で解決できるから別にいいや、と思うかもしれません。ただ、頑張りすぎていて無理をしているような時というのは、一人でなんでもかんでもやるのが限界に来ている時です。

この瞬間だけのことを考えたら、今は一人で耐え抜きたい、と思うかもしれません。ただ、長期的に見ると、無理を重ねるということは、身体を壊すとか、人間関係にダメージがあるとか、精神的にきつくなってくるなどのマイナス面が出て来やすいものです。一人で抱え込むやり方を少し手放して、周りとコミュニケーションをとって、自分の痛みを知ってもらうようにしてみてください。そこで耳の痛くなるような意見も出てくることがあるかもしれませんが、相手を信頼して、その中に少しでも自分が取り入れられるなと思える要素があるのなら、取り入れようとしてみてください。話したくない相手に無理に話す必要はないですが、あなたのことを大切に扱っていると思える相手には、できるだけ、あなたの痛みを教えてあげてください。それが、あなたのためにも相手のためにもなります。


もしかしたら、あなたは周囲に対して、何も言わなくてもわかってもらいたい、というだけではなく、信頼して見守っていてほしい、と思っているかもしれません。特に身近な人や、愛する人に対しては、そういう想いを持ちやすいものかもしれません。

ただ、相手の立場に立って考えた時に、それは簡単なことだと思えるでしょうか?
どちらかというと、相手からあなたのことをみた時に、何をしているのかわからないし、何を考えているのかわからないし、ただただ心配、という印象を与えるようなものにはなっていないでしょうか?
その状態で、何も言わなくてもわかってもらいたいし、信頼して見守ってもらいたい、と思うのは、子供が親に求める愛情に近しいもののような感じはしないでしょうか?

もちろん、愛する人に対して、そういうことをしてくれる、もしくは、しようとしてくれる人もいます。ただ、それをやってくれて当たり前のことのように考えているのであれば、あなたは自分の中に、ある意味では甘さのようなものを抱えている、と言えるかもしれません。それができるかどうかは、相手の状態や成熟度にもよりますし、あなたがどのくらい相手に自己開示できているかにもよります。

あなたのことを大切に扱ってくれる人に、あなたの痛みを分かち合ってあげてください。頑張って無理をしている時ほど、自分のことでいっぱいいっぱいになっている時ほど、そのことを忘れていないか、振り返ってみてください。


相手にあなたの痛みを分かち合う時に鍵になるのは、あなたが相手を理解して信頼することです。相手には相手の事情があるので、あなたの一部分しか見えていなかったり(どこか勘違いしてあなたのことを理解している部分もある)、相手も相手でいっぱいいっぱいになっていることがあったり、精神的に未成熟な部分を抱えていることもあります。あなたが相手にやってもらいたいと思っているように、あなたが相手を理解して信頼してあげてください。それができるほどに、あなたは相手からの援助を受け取りやすくなりますし、あなた自身が、精神的に成熟していくことになります。


頑張っている時に人から責められてしまう、ということがある時に、振り返ってみてもらいたいことを私なりに書いてみました。精神的に追い詰められている時にありがちなことかもしれませんが、もし、そばにあなたのことを想ってくれている人がいるのなら、一人で抱え込むというのは、あんまり良い選択肢ではないです。ここに書いたことで、何か一つでも役立つことを持って帰ってもらえるのなら幸いです。