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心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

パートナーに強く執着してしまう

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付き合っている状態でも、パートナーに対して心の中に不安のようなものがある場合、パートナーへの強い執着が生まれることがあります。

執着があると、愛情を試すようなことを繰り返したり、パートナーが自分から離れていかないように束縛し続けたりしたくなることもあります。この場合、過剰にわがままを言って、それに応えてくれるのをみて安心しようとしたり、ルールのようなもの作って、それをパートナーに押し付けたりするケースも中にはあるかもしれません。

パートナーへの執着が強いと、パートナーに対して精神的な依存をしているような感じになります。自分がパートナーに対して不安感をもった度合いだけ、パートナーに不安感の解消に必要となる行動を要求するので、パートナー側の負担が増えます。自然とパートナー側の自己防衛が引き出されますので、なんとなくそっけない感じになったり、積極的に向こうから連絡を取ってはもらえなくなったりします。それにより、余計に不安感が出てくるので、執着が強化される、という悪循環が生まれます。


不安感を感じているとき、この不安感を感じる原因はパートナー側にある、と思うと、パートナーに対して改善を求めたくなります。ただ、改善を求めても、断られるケースがあります。理由は状況によって色々ありますが、相手から断られている限り、その不安感は解決されないことになるでしょうか?もしそう思うなら、自分自身の精神が不安定なのは相手のせいだ、と心の中で責めていることになります。

「あなたが私の言うことを聞いてくれない限り私は不幸になる。今、私を不幸にしているのはあなただ!」
という精神的な脅迫をしていることになります。精神的にパートナーに依存しているときは、パートナーのことは見えていないことが多いので、まさかそれがパートナーに苦痛を与えることにつながる、なんていうことには、気付かないことの方が多いかもしれません。

パートナーに強く執着している状態でお付き合いをしている場合、どういう形であれパートナーに何かを負担させています。今まで、どんなことでパートナーを責めたことがあるか、を振り返ってみて、そこに幼い理由で責めていたものはないかを考えてみたら、どんなものが出てくるでしょうか?

自分の精神的な幼さから、パートナーに求めていた部分があるなら、その問題の解消は、本来パートナーの義務ではなく、自分自身の課題です。自分の課題を放棄した分だけ精神的に不安定になりますが、その解消をパートナーの義務にして押し付けて誤魔化している、ということに気付くことが求められてきます。


パートナーへの強い執着と不安感があると、パートナーからの愛情を受け取りにくくなります。パートナーが愛情を送ろうとしても、不安感と執着があると、その愛情のエネルギーはブロックされてしまいますので、受け取る側もどれだけ愛されているかが感覚的にわからなくなります。どちらかというと、愛されていない、と感じやすいです。パートナーから見ると、いくら愛そうとしても、愛情を受け取ってもらえているようには見えないので、だんだん疲れてきます。疲れていくなか、愛情を受け取ってもらえない代わりに、本人の不安感の解消に必要となる犠牲的行為を求められますので、さらに疲れていきます。この悪循環を断ち切るには、不安感と執着の解消に、本人が向きあう必要があります。パートナーからの協力があった方がよいケースもありますが、主体的に動かないといけないのは本人です。


執着を手放すこと。パートナーに強く執着してしまっているとき、手放すのには強い抵抗があると思いますが、本当に欲しいものは、パートナーをコントロールすることで得られる一時的な安定ではなく、パートナーからの愛情だと思います。執着を手放した方が、パートナーの愛情を受け取りやすくなる、と言ったら信じてもらえるでしょうか?

パートナーに強く執着してしまうと、パートナーから見た時に、あなたの魅力が大幅に損なわれます。好きだから付き合っているので、パートナーにとってもあなたと一緒に過ごす時間は、価値のある時間であり、貴重な時間なのですが、執着されることでその価値が下がります。

あなたに強い執着がある場合、パートナーはあなたと一緒にいる間、愛情があるという証明をしつづける義務を負います。信頼関係があってその証明をする必要がない場合は、パートナーはあなたと過ごす時間をただただ楽しいものとして受け取ることができ、あなたの魅力を十分に満喫できます。逆に強い執着があって愛情の証明が必要になる場合は、あなたと一緒に過ごす時間、パートナーのあらゆる言動に、いちいちあなたのチェックが入ります。口には出さなくても、あなたの心の中ではチェックが確実に入ります。そしてこのチェック判定がNGになったとたん、あなたの機嫌が悪くなり、それはそこにいるパートナーのせいになります。

執着が強くなると、それに比例してあなたの心の名に地雷が増えるので、パートナーにとってあなたと過ごす時間は、あなたが地雷をたくさん埋まめた危険地帯を「あなたとのデートは楽しいよ!」と笑顔で歩くという、ものすごく難易度の高いミッションになります。価値あるデートの時間が、苦行の時間へと変わっていくのは想像できるでしょうか?この愛情証明欲求が、あなたの魅力を大幅に損ないます。愛があれば乗り越えられる?愛があるなら、そんなミッション自体を撤去してあげてください。

実際に執着を手放すということに取り組んでみたい、という方向けに私が書いた別サイト内の記事があります。心の中で行うエクササイズのようなものなのですが、執着を手放すといってもどうやったらいいのかよくわからない、という方は、色々考えるより、実際にこのエクササイズをやってもらった方が理解しやすいかも、と思っています。

執着を手放すイメージワーク


パートナーへの強い執着は、せっかくの貴重なお二人の関係性を破壊するエネルギーを持っています。執着は手放すことができれば、その関係性に自然な愛情のエネルギーの循環を呼び戻すことができるものです。お付き合いしているときに、その関係性が重たくなっているように感じるときは、執着を手放すということに、一度取り組んでみてくださいませ。

 

男性の好意が苦手なタイプ

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男性から好意を持たれると気持ち悪くなってしまう、というケースがあります。例を挙げるとこんな感じです。
・今まであまり意識してこなかった男性が、自分に好意を持っているというのがわかったとたんに、気持ち悪くなってしまう。
・今まで良いイメージを持っていた男性が、自分に好意を持っているというのがわかったとたんに、避ける対象になってしまう。
これが行き過ぎると、どんな男性も受け入れることができない、という風になってしまうこともあります。

男性の振る舞いや態度に問題があって、女性が気持ち悪さを感じてしまうケースは置いといて、どんな男性に対しても、好意を持たれたとたんに受け入れられなくなるということが起こっているとしたら、男性側ではなく、女性側にフォーカスすることに意味が出てきます。この嫌悪感をもってしまう要因がその女性の心理の中にあるのだとしたら、それは何でしょうか?

全てがそうだとは言わないのですが、よくあるケースは、自分の中のセクシャルな部分に関して抵抗感が強い、というものです。自分で自分のセクシャルな部分に対して、嫌悪感をもっていると、そこは封印したくなるものなのですが、男性が好意をもって近づいてくると、そうも言ってられなくなります。その男性の態度や目線などから、自分のセクシャルな部分を意識されせられやすくなり、嫌悪感を感じやすくなる、という感じになります。自分はセクシャルな部分を嫌っているわけですから、こんな嫌な部分に魅力を感じて近づいてくる男性のことが気持ち悪くて仕方なくなります。

近づいていった男性からすると、相手からケダモノ扱いをされているような気分になるかもしれません。「オレ、そんなつもりじゃないのに、、、、」と思っても、自分にドン引きしている女性の目から「やらしい!変態!」と物語られるという、非常に悲しい展開になるかもしれません。

セクシャルな部分というのは、ある意味ではとてもパワフルなエネルギーがあり、そこに溺れてしまうと、コントロールできなくなる、といった怖れも抱きやすいものです。そこにある程度抵抗感が出てくるのは自然なことです。ただ、この抵抗感があまりにも強すぎて、嫌悪感を抱くレベルになると、どんな男性ともお付き合いすることが難しくなってしまう、という感じになります。

両親からの影響であったり、昔から自分の中に根付いているセクシャルな部分についてのものの見方であったり、その嫌悪感が出てくるルーツは様々です。

男性からセクシャルな部分に魅力を感じられることに対する抵抗感を形作っている思考にはどんなものがあるか、という部分を見てみることで、新たな気付きがでてくることもあります。自分のセクシャルな部分にどんな見方をしているか、とか、両親から影響を受けている部分があるとしたらどんなものがあるか、とか、男性が自分のセクシャルな部分に魅力を感じているシーンを想像したらその男性に対してどう思うか、とか、切り口を変えて、自分の中にどんな思考があるのか探ってみることで、そのルーツをさぐる糸口が見えてくることもあります。


このケースに当てはまる場合、近づいてくる男性に問題がある、のではなく、自分の中にあるセクシャルな部分を自分自身が嫌悪している、という部分に嫌悪感の発生源がある、ということに気付くことが大切です。自分が嫌がらないような近づき方を男性側に求めるのは、あんまり効果的ではないです。そこでどれだけ逃げても、セクシャルな部分に対する嫌悪感は、いずれ問題になってきます。

嫌悪感を手放すこと。もし自分の中に嫌悪感を形作っている価値観やものの見方があるのなら、どんなものがあるか自分の心の中を掘り下げてみていって、その中で手放せるものがあるなら、手放すことが大切です。思考を手放すことは、嫌悪感の緩和につながります。

自分の中のセクシャルなエネルギーに慣れること。嫌悪感を手放したくても、今まで抵抗してきたものを受け入れるのは、やっぱり怖いものです。いきなり男性にガンガン来られたら逃げたくなってしまうのは当然のことかもしれません。ただ、徐々にそのエネルギーに触れていくことで、慣れていくことができれば、嫌悪感を緩和していくことができます。男性からの目を意識した服装をしてみるのもお勧めです。自分に好意をもってくれている男性の中で、まだ抵抗感がましな方がいれば、その方から逃げるのではなく、友人として接するのも良いと思います。少々ギャンブル的ですが、とりあえず付き合うということをして、そこで慣れていくという経験をされたことのある方もおられるかもしれませんね。


異性からの好意に対して嫌悪感を抱くことがあるとしたら、自分の内側に、セクシャルな部分に対しての嫌悪感はないだろうか、という着眼点をもってみて下さいませ。セクシャルな部分に対しての嫌悪感は、ゼロにはできない(別に抹消しなくてもいいと思います)かもしれませんが、思考の見直しと、そのエネルギーに対する慣れのようなもので、ある程度緩和できるものです。現実問題として困ったことが出てきた場合は、その緩和を考えてみるのも、おすすめです。

 

何か特別な存在になりたい、という気持ちの扱い方

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特別な存在になりたい、という気持ちから、成し遂げたいことや達成したい夢のようなものが出てくることがあります。

そのために何か頑張らなきゃいけなかったり、無理と思えるようなものにも挑んでいかなければならない、というとき、そこに抵抗を感じるあまりに、いま一つ本気になれなかったり、あきらめのような境地に至ることもあり、そういうとき、特別になりたいという気持ちと「がんばりたくない」という意識の間で、何とも言えない葛藤のようなものがでてくることがあります。

ある程度得意なものがあって、本気になったら達成できそう、という状況であれば、余計にその葛藤は高まりやすいかもしれません。

また、この、特別な存在になりたい、という意識は、自分と人とを比べて、自分は人とは違う、と言いたいというところから来るので、ある意味では、自分と周囲の人とを分離するような、つながりを断ち切るかのような性質も少し持っています。プライドが高い、という感じにもなりやすいです。そのため、ここから孤立感や寂しさが生まれてくることもあります。

その反面、人から認められたい、といった承認欲求のようなものともつながっています。自分は違うからと周囲の人を遠ざけておきながら、その人たちから尊敬のようなまなざしで見られたい、といった、なんとも言えない感じになりやすいです。

ちょっと厄介な性質を持つ、特別な存在になりたい、という意識ですが、ある程度であればみんな持っているものと言えるかもしれません。ただ、これが強すぎると、状況によっては、そのことで辛さを感じる方もおられると思います。今回は、その気持ちの取り扱い方、というところを少し掘り下げて書いていこうと思います。


心の奥の方には、自分で自分の価値を知っているような部分があります。ただ、様々な経験を通して、それを否定するような思考も同時に心の中に作り上げられています。例を挙げるとこんな感じです。
・大切な人から愛情をもらえなかった。→自分は愛される価値がない。
・自分が認める人から否定された。→自分は人から認めてもらえるような人間ではない。
・頑張ったけど結果につながらなくて、実力不足を感じた。→自分には才能がない。

自分で自分の価値を感じたいけれども、こういった思考があるために、その価値を感じることができない、となったときに、その経験やマイナスの思考を帳消しにできるような、何か特別なものを求める気持ちが出てきます。自分が特別優れているということを何とか証明したい、という欲求が強くなるほどに、特別な存在になりたい、という意識が強くなります。

自分で自分の価値を知っている部分とつながることができれば、この欲求は手放すことができます。自分の価値を否定する思考がその邪魔をしてきますので、その思考を手放すことが、自分の価値を知っている部分とつながるためのカギになってきます。

特別優れているということを証明するために、何かを成し遂げる、そのために本気になる、という手段もあります。自分が価値を感じれる何かを成し遂げた時、自分の中にある、自分を否定する思考が弱くなり、自分で自分の価値を知っている部分とつながりやすくなり、一瞬ですが、そこでは自分の価値を感じることができます。とはいえ、これはあくまで一つの手段です。

自分を否定する思考を手放して、自分の価値を知っている部分とつながること、それができれば、特別になりたい、という気持ちにとらわれなくなっていきます。


私たちには何かしら欠点があり、完全ではないです。人間関係にはトラブルが起きることもあり、何事もうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあります。ただ、それらの出来事自体は自分の価値を否定するものではないです。その出来事に自分の解釈で「私に価値がない」と判断をして、自分で自分の価値を下げている、というのが心の中で起こっています。

特定の人から愛されなかったからといって、自分の価値が下がるわけではないです。もちろん、下げることは可能です。これは自分で決めれることです。何かに失敗したからといって、自分の価値が下がるわけではないです。自分で下げると決めている、というだけです。

自分の心の中を掘り下げてみて、自分を否定する思考にどんなものがあるか見てみるとしたら、どんなものが出てくるでしょうか?どんなものであれ、それは絶対的なものというより、自分自身で決めていることだということに気付くことができたら一歩前進です。

自分の価値に関する判断は、自分自身に主導権があります。もし自分に主導権がなく、誰かから何かを言われて価値が決まる、ということであれば、そのコントロールできない誰かに自分の価値がゆだねられることになりますので、自分の価値がとても不安定になりますが、もし、そうだと思っているなら、それは誤解です。何か出来事が起きた時に、自分の価値に関して行われる解釈は、主体的に自分自身が行うことができるものです。

ただ存在しているだけで価値がある、という思考を主体的に選択することもできます。理由があって価値がある、という訳ではなく、自分が自分自身を見失っていなければ、自分の価値を感じている部分とつながれる、という状態は、自分で作れます。価値を決めるのは自分自身だからです。

なんでもありじゃないか、と思われるでしょうか?実際、その通りです。自分自身のことを自分の頭の中でどう解釈するか、という話なので、なんでもありです。自分が自分自身をどう解釈するか、というのが、自分に価値を感じれるか、という部分とそのままイコールになっています。

誰かにダメ出しをされた、とか、誰かから嫌われた、というのは、あくまでただの出来事です。どう意味づけするのかは自分が主体的に決定できます。だからどうした、と思うのも、自分の勝手です。私はなんてダメダメなんだー、と解釈するのも、自分の勝手です。

今の私はダメダメだー、特別なことを成し遂げなきゃー。という解釈をすると特別な存在になりたい、というふうになります。そういう解釈をするのも自由です。もしここで、特別な存在ってそう思ったらなんだかバカバカしいな、って思えたなら、それも一つの解釈です。

大切なのは、それを決めているのは自分自身だということに気付くということです。


自分の心の中に、自分を否定する強力な思考がある場合、自分に価値を認める解釈をしたくても、その思考に引っ張られて、主体的に自分の価値を決めたくても、上手くいかないことがあります。

自分の価値を下げているのは自分自身だという自覚がありつつも、そこを変えることができなくて歯がゆい思いをする感じになりますが、その場合は、自分を否定する思考を手放す、ということを主体的に選択する、ということがカギになります。

自分を否定する思考は、過去に行ってきた思考の積み重ねで作り上げられており、自分の心の中に深く根を下ろして、完全に馴染んでしまっているものもあります。自分を変えるということは、それがどんなものであれ、大なり小なり抵抗感を感じることがあるものですが、思考を手放すときも、そういった抵抗感がでてくることがあります。

抵抗が強い場合は無理やり手放そうとするより、その抵抗感を認めてあげる方が上手くいきます。抵抗感を認めることができたら、抵抗感を手放す。抵抗感を手放せたら、自分を否定する思考を手放す。といった感じでステップを踏む方が、心の中に深く根を張っていたネガティブな思考をスムーズにはがしてあげることができます。


これはあくまで手段の一つですが、心から愛するパートナーと出会い、その人から自分が愛されるという体験を通して、価値を受け取る、という方法もあります。愛する人から愛されるという体験は、自分を否定していた思考を解きほぐして、自分の価値を自分に認める、ということを主体的にしていくためのきっかけにすることができます。

自分が価値を感じる何らかの成果のようなもの、に向けて本気で取り組む、というのも一つの手段です。本気で取り組んで成果を上げれたときにも、自分を否定する思考を解きほぐして、価値を受け取る、ということをするきっかけにできます。

きっかけ、という書き方をしたのは、そういった手段を使ったとしても、最後の最後、自分が主体的に自分に価値を見出す、というところで、やっぱり自分には価値がない、という判断もすることもできるためです。自分が愛する人から愛されたからと言って、でも自分はダメダメだー、という解釈を心の中ですることができます。何かを成し遂げたからと言って、でも自分は大したことない、という解釈を心の中ですることができます。それらはきっかけにすぎず、最後は自分で決める、という主体性が求められるからです。特別な存在になりたいと思って、何らかの結果を出して、色んな人から、特別な存在という風な扱いをされても、この部分は同じです。でも本当の自分は空っぽだ、という解釈を心の中でできてしまうからです。


自分の価値は主体的に自分が決めています。まずはそれに気づくこと。次に、どう価値を感じているか、が問われています。私自身は、どんな人も存在しているだけで価値がある、という考え方をしていて、それを自分自身にも当てはめています。仲間や家族や恋人がいて、そのつながりのようなものから、自分自身の価値を感じている、というのも人もいらっしゃると思いますし、仕事を通じて自分の価値を感じるという人もいると思います。人それぞれ自由に、価値を感じている状態があって、自分自身にとってしっくりくるものであれば、何でもよいと思います。

 

 

後悔を乗り越えていくための4つのステップ

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心の中に後悔があると、自分でもよくないと思っていても、後悔していることにどうしても意識が持っていかれてしまって、気持ち的に前を向きにくくなったり、目の前のことに対して気持ちが向かなかったりすることがあります。

恋愛に関することでの後悔がある場合、次の恋愛に進むときの障害になったり、今付き合っている相手がいたとしても、彼以外の誰かに執着があるような感じになることもあります。

例えば、前の彼に対して、本当は別れたくなかったという想いが残っている場合は、あの時にもっとこうしていれば良かった、といった後悔が心の中にあるかもしれません。自分が言ってしまったことに関して、言わなければよかったと思えるようなことや、本当はやってあげたほうが良いとわかっていたのに、勇気がなかったり、ためらいのようなものがあって、してあげられなかったことがあるような場合も、後悔が心の中に生まれるものかもしれません。自分にとって、今でも大切だと思える相手であるほどに、そういった後悔は強くなるものかもしれません。

なくしてしまったものや、壊れてしまったものに関しての後悔がある場合、今持っているものが色あせて見えてしまったりすることもあるかもしれません。例えばそれが自分自身にとって、強い思い入れのあるものであれば、そこから生まれてくる後悔に心が締め付けられるような感覚を持つ方もおられるかもしれませんね。

後悔があると、心の一部が過去にとらわれてしまい、今ここにあるものを十分に見ることができないような感じになりがちです。そこから前に進んでいくために、どうしていくのがいいのか、、、、そのあたりを今回は書いていきます。


①起こったことを受け入れる

自分の中で、後悔していることに関して、はっきりとその出来事を受け入られているなら、このステップは不要です。ただ、どうしても認めることができなかったり、起こったことを否定したい気持ちがある場合は、まず、事実を受け入れる、というステップが必要になります。

例えば、後悔として、前の彼と別れなければよかった、といったものがあるとします。そういった後悔も抱えつつも、実は心の中がごちゃごちゃになっていて、・・・本当は別れていないんじゃないの?・・・まだ付き合っているといえるんじゃないの?・・・といった意識も残っている場合は、まずそこをはっきりさせることが求められてきます。

例えば、仕事上で失敗してしまったに対する後悔があるとします。ところがあまりにそれが自分にとって重たい出来事であるために、・・・失敗した事実を認めたくない・・・なかったことにしたい・・・・といった意識もある場合は、そこを自分の中ではっきりと認めることが求められてきます。

頭では何が起こったのかわかっていても、心ではその事実を受け入れられない、といった場合、後悔を乗り越えていく、ということが難しくなります。いろんな事情や、想い、考えなどがあるかもしれませんが、前に進むためには、まず起こったことを受け入れるということが、そのスタートになります。


②感謝する

後悔していることに関連したもので、何か感謝できることはないでしょうか?恋愛に関しての後悔であればその相手のことであったり、恋愛に関してことでなくても、それに関連したことでつながりを感じた人やお世話になった人、自分を支えてくれたもの、などなどに対しての感謝、です。

想いが強い分だけ、感謝できること、というのはたくさんでてくると思います。後悔を抱えていると、否定的な想いや、怒り、喪失感、などなど、ネガティブな感情も強い、かもしれませんが、そこは少し脇に置いといて、嬉しかったことや、ありがたかったこと、といった感謝できる部分を、探してみてください。

感謝できることを思い起こしてもらって、心の中で、相手にその感謝を伝えるところをイメージしてもらうと、心がふわっと軽くなるような感覚を感じることができると思います。

どんどん感謝できることを、心の中で相手に伝えてみてください。自分の心が、少しずつ軽くなっていく感覚を感じていく、ということができたときに、自分の中にある、過去の後悔に執着していた部分を少し軽くすることができます。


③執着を手放す

後悔しているものに関して、自分の中にどんな執着があるか自分なりに見てみてください。やってみると、色んなものが出てくると思います。この執着が強いほど、後悔の度合いも強くなります。恋愛に関連した後悔であれば、相手に会いたい、話したい、愛されたい、といった、相手に依存したいという想いから出てくる執着が代表的なものです。失ったものに関しての後悔であれば、その失ったもの自体への執着、といった感じです。どんな執着があるかは人それぞれだと思います。自分なりに心の中をさぐってみてください。

執着を手放す、というのは、執着しているものから心理的に距離を取る、ということです。諦めるというより、そこから距離をとろうと心の中で決める、ということが大切になります。

実際に執着を手放すということに取り組んでみたい、という方向けに私が書いた別サイト内の記事があります。心の中で行うエクササイズのようなものなのですが、執着を手放すといってもどうやったらいいのかよくわからない、という方は、色々考えるより、実際にこのエクササイズをやってもらった方が理解しやすいかも、と思っています。

執着を手放すイメージワーク

 

④罪悪感を手放す

後悔を抱えている場合、何かしら自分自身を責める罪悪感のようなものが心の中にあります。罪悪感には大きく分けて2種類あって、やらなかった罪悪感と、やってしまった罪悪感があるのですが、自分の心の中を探ってみて、どんな罪悪感があるのか見てみてください。

罪悪感が教えてくれているものは、あなたには変化がもとめられていますよ、という学びへのサインです。罰すること自体が目的というより、変化が目的であるとしたら、自分を罰したいという欲求のようなものは一旦わきに置いて、その変化に必要となる学びに注力するということが求められてきます。ここでは自分を罰することに意識をとられるのではなく、学びを生かすということを選択する、ということが前に進んでいくための一つのポイントになってきます。

後悔から学べることとして、どんなものがあるでしょうか?自分自身に変化がもとめられているとしたら、それは何でしょうか?これらを自分なりに定義することができたとき、その後悔は自分の人生に無駄なものではなく、意味のあるものだった、という別の見方が自分の内側に生まれていきます。

罪悪感があるとき、×××を許さない、というルールのようなものが自分の内側に存在しています。自分以外にも誰か許せない人はいないでしょうか?同じように責めている人がいるとしたら、それは誰でしょうか?罪悪感を手放すとき、その人に対しての攻撃も手放す、ということが求められてきます。

といっても、今後もその人の好き勝手を許容する、という意味ではなないです。過去やってしまったことに対して、ずっと攻撃性を持ち続けるのではなく、その人を責めることをいったん手放してみる、ということです。その人や自分自身への攻撃に意識が向くと、過去に自分の力がそそがれてしまいますので、学びや変化といった今現在自分が抱えている課題に力が向かなくなります。罪悪感を手放す、ということは、過去を手放して、今に意識を向ける、ということです。

罪悪感を手放す、という宣言を心の中で行ってください。そして、罪悪感を手放す代わりに、学びを受け取る、という宣言を心の中で行ってください。

執着が強いとここで抵抗感が出てくることがありますが、その場合は、③執着を手放す、のところに書いているエクササイズを試してみてください。


今回の記事では、後悔を乗り越えるための①~④の手順に分けて記載しました。人によってはピンとこないステップもあるかもわかりませんが、その場合は、自分のなかでしっくりとくる部分だけでも、受け取ってもらえると嬉しいです。

特に「②感謝する」のステップはわりと感情が動きやすいので、そこから得られるものもまた感じてもらいやすいかと思います。

後悔があって前に進んでいけないように感じた時に、ここに書いたことを実際に役立ててもらえると幸いです。

 

真面目すぎる性格

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真面目すぎる性格が災いしてなのか、マナー・ルール・常識といったようなものから外れているように思えた時に、そこで過剰にイライラを感じたり、ストレスを感じる、というケースがあります。

真面目ということ自体は悪いことではないのですが、過剰な厳しさや正しさのようなものがあって、人に対して余計にイライラしてしまったり、それでストレスを抱え込んでしまっているようなところがあるのであれば、その厳しさや正しさのようなものは、もしかしたら、少し手放したほうが良いかもしれません。

ただ、ここでポイントになってくるのは、何にイライラを感じているか、という部分です。心の中に発生するイライラは、そこに何かしら自分にとって見ておいた方がいい部分があるよ、ということを教えてくれているサインのようなものです。

ストレスのもとになっている、自分の中にある正しさや厳しさを作り上げている思考にはどんなものがあるでしょうか?例を挙げるとこんな感じかもしれませんね。
・真面目にやるべきことをしてる人がいるなか、やるべきことをしない人がいるのが許せない。
・完璧じゃない状態が許容できない。
・既読無視にイライラする。人のことを無視して放置する態度が許せない。
・人の中にずるさのようなものが見えた時に、許せない気持ちが出てくる。

許せないものを無理に許す必要はないのですが、そこで自分がイライラやストレスを過剰に感じてしまっているのだとしたら、その許せない出来事から少し心理的に距離を置けるようになった方が、問題に対してより柔軟な対応ができるようになります。

完全に自分の中にある正しさや厳しさを消去するわけではなく、ちょっとその問題をわきにおいておけるような意識の状態を、手放す、と仮に表現するなら、その、手放す、ということができている状況を心の中に作ることができるようになると、自分が感じているイライラやストレスを軽減できるようになります。


イライラを形作っている思考は手放すことができるものです。自分にも当てはまること、を探すことがその方法の一つです。例えば、やるべきことをやっていない人を許せない、という思考があるばら、自分にも、やるべきことをやっていない、という部分がないか探してみる、というのが最初のステップです。イライラを感じたときに、その人を責めている内容とは少し異なることだとしても、やるべきことをやっていない、といったことで自分にも当てはまる部分がないか探してみて、自分にも当てはまることが見つかったら、、、、なぜ自分はそうしているのか、という理由を探す、というのが次のステップです。

ただ、それらを探すということに心理的な抵抗感がでてくることもあります。ちょっと想像してみてほしいのですが、本当はどうするのがいいのかわかっているのに、あえてそうしていない、ということを仮に自分がやっているとしたら、そこに弱さのような部分が隠れています。めんどくさかったり、恥ずかしかったり、怖かったり、自信がなかったり、といった感じのようなものです。私はしなくてもいいんだ!、なんていう自分を例外扱いしているような思考もそこには隠れていることがあります。

真面目すぎる性格、とはまた違う感じと言えるかもしれませんが、本当はやったほうがいいとわかっているのにあえてしていない、という感じになっているので、そこには未成熟だったり、幼い部分が眠っています。誰しもこういった弱点のような部分は抱えているとしても、正直、これはあんまり見たくないと思えるような部分であるほどに、自分の中で何か誤魔化したくなったり、自分にはそんな部分は無いし言い訳のようなものもない!、と言いたくなる気持ちも出てくるかもしれません。

重要なのは、実はその弱さの部分からイライラやストレスは誘発されやすい、ということです。非常に気づきにくいのですが、イライラしたりストレスを感じる要因の一つに、自分の中にあるその部分を見るのが嫌だ、というのもあったりします。真面目すぎる性格からの影響というより、人の中に見える自分自身の未成熟な部分に過剰反応をしてしまう心理が影響してきます。

この自分の内側を見つめていくときに出てくる抵抗感の対処としては、直観を使う、というのがおすすめです。直観を使うことで、抵抗が出る前に、アイデアを取り出すことができます。思いついたことをどんどん直観で出していった後、色々出した中からこれかなと思えるものを選ぶと、あれこれ考えてひねり出すより、より簡単に早く見つけることができます。


自分も同じことをしている、ということと、なぜそんなことをしているかの理由がわかったら、次に、自分の中のその部分を変えるとしたら、どう変えるのかを決めていきます。決めたら、自分の中にあるその部分を手放す、ということを心の中で宣言し、その決めた行動を実行に移します。それを習慣的にやっていくことで、行動が繰り返されることになり、その繰り返しが、変更後の思考を定着させていくことになっていきます。

人の中に見える未成熟な部分を攻撃してイライラしたりストレスを感じるのではなく、自分の中にある未成熟さと向き合って、成長していくことを選択する、という感じです。

未成熟な部分を放置しておくと、それが見せつけるかのように、同じように未成熟さを抱えている人の行動が目につくように、歓迎したくない出来事が引き寄せられ、イライラしやすくなります。成長を選択できると、出来事自体が起こりにくくなりますし、仮にそういう未成熟な部分を見せられる出来事が起きたとしても、イライラやストレスを感じにくくなります。

私自身もこの振り返りをすることがありますが、これはなんというか、心の中をどぶ掃除しているような感じがしています。やらない理由の部分に気付いたときには、自分にがっかりすることもあります。非常に心理的に厳しいと思えるときもありますが、学びもまた大きいものだと思っています。


人の中に見える不真面目さにイライラやストレスを感じてしまっているときは、ちょっと角度を変えて、自分にもあてはなることはないだろうかって、振り返ってみてくださいませ。それは、成長の一つの機会にすることができるものです。

自分の子供を愛せないときの話

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お子さんをお持ちの方で、自分の子供が愛せない、と感じたことのある方はいらっしゃるでしょうか?

自分の心に余裕がないと、子供からぶつけてこられる甘えや反抗に対して、受け止められなくなることも、時にはあるかもしれません。成長していくにしたがって、子供は色んな面を親に見せてきますが、その中で、どうしてもこの部分は受け入れられない、という部分が出てくることもあるかもしれません。愛おしいというより、憎らしいとまで感じてしまうことも、ときにはあるかもしれませんね。

ただ、子供を愛せないという感覚は、親にとってはとても強い罪悪感を感じるものかもしれません。ダメな親だな、と自分で自分のことを強く責めたくなる衝動が出てくると、自分を何とか正当化したくなったり、あるいは、なんとか子供を愛することができるように、必死にやろうとするんだけれども、やっぱり子供を見ていると腹が立ってきて、どうにもならない気持ちを抱えてしまうものかもしれません。


人の心の動きとして、自分のことを嫌いになればなるほど、周囲から嫌われやすくなり、自分ことを心の中で攻撃するほど、周りから責められる、といった法則のようなものがあるのですが、これは大人に限らず、子供にも同じようなことが起きます。

たとえば、お子さんがあることを体験して、自分のことを
「僕は悪い子供だ」
と思ったとします。(実際にそれを口にするかどうかは別として。)で、自分のことを心の中で激しく攻撃するとします。そうすると、上に書いた法則のようなもの、、、周りから責められる、が起きることがあります。例えば、親から怒られる、とか、先生的な立場の人から怒られる、といったようなことです。

子供をよく見てみると、このあたりの心の動きが見えることがあります。よくある流れはこんな感じです。
①子供がわがままをいったり、何か失敗をしたりする。
②親は子供に対して何かしらのネガティブな反応をする。
③子供はそれを見て、僕が悪い子供だから、こんな反応をされるんだ、と勘違いする。
④親からもっとネガティブな反応を引き出せるようなことを子供を行う。
⑤実際に親が強くネガティブな反応をする。

④の部分の具体例はこんな感じです。
・注意されたことに対して、憎たらしい顔をして言い返してくる。
・可愛くない顔をして大声で泣く。
・スーパーマーケットの床で寝そべる。

子供の中に罪悪感や自己嫌悪のようなものがあるほどに、親に対して余計に怒られたり嫌われるかのような反応を引き出すようなことをする、という感じです。これは子供に限った話ではなくて、大人も似たようなことはやります。とはいっても、スーパーの床で寝そべるというのとは、もちろん、異なります。

例えば、何か罪悪感のようなものを感じた時に、身近な人に対して、よくないとわかっているのに、あえて衝突してしまうようなことを言ってしまった、という経験がある人もいらっしゃるかもしれません。ここには色んなパターンがありますが、子供、大人にかかわらず、人の心にはそういった振る舞いをしてしまう仕組みのようなもの、があると思ってもらった方がいいかもしれません。

子供と接していると①→②→③→④までの流れ、というのは、ちょくちょく起きます。とくに④のところが、親にとって強い嫌悪感を感じるようなものだった場合、⑤の段階で、子供を愛するのが難しい、と親が感じる、というのは想像できますでしょうか?

子供は自己嫌悪や罪悪感を感じると、親から嫌われるような表情や行動を無意識にとりますが、親がそこに同調してしまうと、子供を愛することが難しくなります。子供が自己嫌悪や罪悪感を感じる心には、親がもっている考え方や価値観も影響しており、親が子供にされたら一番嫌なことを、ピンポイントで子供が引き出すことも可能、だったりします。

ここで親が⑤のところで、
「ああ、君は悪い子供だね。君が君自身を認められないのと同じように、私も君を受け入れられないよ。」
と子供が③で行った無意識の思考に対して同意をして、それに沿った行動をとってしまうと、後で、
「私はなんてひどい親なんだ。」
という反省会が心の中で繰り広げられてしまうかもしれません。


子供は親の課題を見せてくれます。子供はそのことを自覚してわかってやっているわけではなかったとしても、ときにその課題の見せ方には容赦がないこともあります。親からすると非常に精神的にきついと思えるような状況になることもあります。

自分の子供が複数いる場合に、この子はOKだけど、この子はOKじゃない、というのが出てくることもあります。この子のこういうところがダメだから、自分はこの子を愛せないんだ、という風に考えてしまいがちですが、100%子供のせいにすると思考停止し、問題解決の糸口が自分の手元からこぼれます。そういうときほど、その子が自分に見せてくれている課題は何だろうか、という風に視点を変えてみることが求められてきます。

自分の課題の方に意識を切り替えると、状況の見え方が変わってきます。表面的には子供に問題があるように見えても、本質的には自分の課題だということに、そこでは気付くことができます。自分の心の中で、未解決のまま放置している課題や、弱点や苦手といえる部分にも触れることが求められてくることもあります。ある意味では、これが育児の難易度をあげる要因になることもあります。

子供を愛することが難しい、のではなく、その子に問題があるのでもなく、自分が自分を成長させることが難しい、というのが、今行き詰っている問題の本質だと心から思えるなら一歩前進です。

子供は天からの授かりもの、だとしたらある意味では、自分の課題と向き合う機会も天から同時に授かった、といえるかもしれません。

 

 

無気力を手放す

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絶望に浸っていると、無気力になりやすくなります。特定の1つのことに対して無気力になるだけではなく、大部分のことに対して意欲的ではなくなる、という感じになりやすいです。

本当にほしいものをあきらめた時、代替品で満足しようとしても、あんまり満足できないために、代替品に対して意欲的になれないとしたら、本当に欲しいものに対しての絶望が深まるほどに、無気力もまた深まっていくものかもしれません。

 

shinrinsen.hatenablog.com

上の記事の中で書いていることでもあるのですが、絶望を感じているときには、それを乗り越えていくための知恵と才能の部分を発揮していくことに対して、自分の中に抵抗感があるということを認める、ということと、その抵抗感を手放していく、ということが大切になってきます。

絶望を乗り越えていきたいときに、自分の中の無気力さに悩まされることがあります。自分の気持ちを整理して、前に向かって進んでいこうと決めたのに、気持ちが乗らなかったり、なんだか心の中でぐずぐずしているような感覚がある場合は、無気力さを手放すことが求められてきます。


絶望を乗り越えたいと思えるのであれば、情熱であったり、何かをしてみたいという意欲のようなものが、心の中にあることを意味しています。ただ、無気力が心を占めていると、情熱や意欲に蓋をされているような感じになります。

無気力に心が支配されているときは、自分の内側からエネルギーが全く出てこないような感覚を感じるかもしれません。無気力もある意味ではエネルギーです。そのエネルギーは自分の中の意欲や情熱を封じ込めるような形で使われているので、心の中で無気力と意欲がぶつかって、ぜんぜん力はでてこないんだけれども、その葛藤にエネルギーが大量に浪費されるような感じになっています。

無気力を手放せば、その度合いだけ、意欲や情熱が心の中からあふれてきます。絶望を乗り越えていくときに、無気力になってしまって、物事を前に進めにくいときは、意欲に蓋をしているこの無気力さを手放していく、ということが求められてきます。

この無気力さを手放せるなら手放したい、という自分の部分に意識を向けようとしてみてください。無気力は手放すことができるもので、それを手放して情熱や意欲を代わりに選択していくことで、今心の中で体験していることを変えていくことができるものです。

 

・無気力を手放すエクササイズ

①気持ちの確認
目を閉じて、右手を開いて自分のみぞおちに当ててください。自分の右手がみぞおちに触れているということを意識的に感じてみてください。自分の心の中にある無気力さが右手に触れられているみぞおちの部分に集まってくるようなイメージをもってみて下さい。そこで、こう自分に問いかけてください。
「無気力を手放せますか?」
はい、もしくは、いいえで即答してください。

②手放す準備
目を閉じたまま、右手を握りしめながら、右手をみぞおちから少し離して、胸の前に持ってきてください。そのときに、みぞおちの部分に集まっていた無気力なエネルギーが右手に移っていくようなイメージをもってみてください。そこで、こう自分に問いかけてください。
「無気力を手放しますか?」
はい、もしくは、いいえで即答してください。

③実行
目を開いて、右手を見てください。ここに自分の無気力なエネルギーが宿っている、というイメージをもってみてください。そこで、こう自分に問いかけてください。
「いつ手放しますか?」
今、と即答すると同時に、自分の右手を開きながら、上に向かって振り上げてください。自分の右手に集まっていた無気力なエネルギーを天に向かって放つような感じです。そこで、無気力さが天に放たれていくイメージをもってみてください。


重要なのは、自分への問いかけをしたときに、即答で答える、というところです。右手の部分は、左手でも良いですし、右手左手交互にやってもらっても、何回やってもらっても大丈夫です。私のおすすめは、右手・左手交互に5回ずつ、合計10回、です。
エクササイズをした最後に、こう宣言してください。
「私は無気力を手放す代わりに、情熱と意欲を受け取ります。」

読むだけではなく、実際にやって効果があるかチェックしてみてもらえると嬉しいです。1回やっただけではピンとこなくても、おすすめの右左合計10回やってみて、やる前との違いを感じてもらえると幸いです。無気力でおおわれていた視界がちょっと晴れるのを感じたり、体が軽くなるような感覚があったら素晴らしいです。

手放しても、何かのきっかけで、無気力が戻ってくることがあったとしても、もう一度このエクササイズをやることで、戻ってきた無気力は手放すことができます。手のアクションや、イメージを持つのが面倒だったり、やりにくいときは、3つの自分への問いかけ、
「無気力を手放せますか?」
「無気力を手放しますか?」
「いつ手放しますか?」
をやるだけでも良いです。自分の心の中に無気力な感覚がわいてきても、手放そうと思えばいつでも手放せる、なんて思えたら最高です。


無気力は手放せるものです。無気力を手放したら、情熱や意欲を受け取るということを心の中で選択することができます。ただ、情熱や意欲を向ける対象がない、という場合は、自分が本当にやりたいことは何か、ということを見つめてみるのも、おすすめです。無気力を手放して、自分が何かをするためのパワーが戻ってくるとしたら、それを向ける先はあったほうが良いですし、そういったものがないなら、それを見つける、ということにエネルギーを向けるものありです。

ここに書いたことを実際に使ってみて、役立ててもらえると幸いです。

 

セドナメソッドについて
「手放せますか?→はい/いいえで答える。手放しますか?→はい/いいえで答える。いつ手放しますか?→答える。」の部分はセドナメソッドを使っています。セドナメソッドについては本も出版されておりますので、興味のある方は読んでみて下さい。

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

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セドナメソッドの公式ホームページは以下のものです。

The Sedona Method | Heal Yourself by Letting Go | Official Site