心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

失敗にはまり込んだとき

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誰でも失敗はするものですが、失敗してしまったときには、そのことで落ち込んだり、失敗感をしばらく引きずったりすることもあると思います。失敗したことで心の中でネガティブな感情を引きずってしまうこともあるものかもしれません。

失敗をひきずるというのは、例えば、自分で自分にダメ出しをして、失敗した時の様子や、言われたことや感じたことを何度も頭の中でリピートしながらネガティブな感情に浸ってしまうような感じ、かもしれません。似たようなことを経験したことのある方はおられるでしょうか?

失敗したときには、罪悪感にとらわれやすいものかもしれません。仕事で失敗をしてしまって、それでテンパって余計に失敗しやすくなるようなパターンを想像してもらうとわかりやすいかもしれませんが、失敗したとこで罪悪感を強く感じて、失敗したことに意識をとられすぎて、本来の仕事に集中できなくなったり、余計に失敗しやすくなる、という感じになることもあるかもしれません。

恋愛関係や人間関係での失敗であれば、悪いことをしてしまったという罪悪感にとらわれて、相手との間に壁ができたように感じて、心で繋がることが難しくなってしまったり、よくない雰囲気になることもあるかもしれません。言ってしまったことや、やってしまったことへの後悔の念にとらわれてしまうこともあるかもしれませんね。


失敗した時に求められることというのは、失敗から学ぶことであり、失敗にはまり込むことではないのではないかな、と思っています。なるべく、学びの方に意識をスイッチする、ということができた方が良いです。

罪悪感は心のエネルギーを奪います。何が正しくて、何が間違っているのか、とか、相手が悪いのか、自分が悪いのか、ということを考えはじめると罠のようなものにはまり、良くないところばかりに心の焦点が当たるために、それだけで精神的に疲れてしまいます。罪悪感に心のエネルギーを割くのではなく、この失敗から何を学べるのか、という方にエネルギーを割いた方がいいです。自分や相手や環境など、悪いところ探しの手を一旦止めて、何を学べばよいのか、ということに意識をスライドさせてみてください。

罪悪感が教えてくれているのは、あなたがここに関して取り組む必要がありますよ、というサインです。そのサインが拾えたなら、自分自身や誰かのことを否定する時間は終わりにして、自分を責めているエネルギーや、そこから逃げ出そうというエネルギーを、学び、自分が成長する、ということの方に注ぎ込むことができます。

自分が普段している思考や行動パターン、あるいは習慣のようなもの。そこを変化させることが求められている時に、往々にしてネガティブな感情を感じる出来事はおきます。罪悪感が教えてくれるものは、あなたに変化が求められている、ということです。普段している思考や行動パターンのようなもの。あなたにとっての「普通」。あなたにとっての「当然」。そこを変えることには抵抗感を感じやすく、大抵はあえて変えたいとは思わないものです。ただ、ネガティブな感情を感じるときというのは、そこにあえて手を入れていくときのきっかけになるもので、大概の場合、自分でもどこをどう変えた方がいいのかというのは、誰かに何かをいわれるまでもなく、自分でわかっているものです。ただ「わかっちゃいるけど、やりたくない」ということを後回しにしていると、それは回り回って、トラブルであったり、何か嫌な想いをすることであったり、ネガティブな感情を感じるような出来事となって、私たちに学びや変化を強く求めてくる事態をまねき寄せたりします。

おそらく、私たちは、何をどうすれば良いのかを自分で知っています。ただ、やりたくないから、そこを見たくないから「どうしたら良いのかわからない」ということにして、問題を後回しにしたりしているのかもしれません。

もし、仮にそうだとしたら、何か気づけることはあるでしょうか?
誰かに何かをいうのでもなく、自分の心の中に秘密にしておくこととして、その自分でも自覚している何かが、あなたの意識上にちらりを顔を見せたりしたでしょうか?

ちなみにカウンセリングをしていると、本当に最後の最後の方になってから、こういった核心の内容が出てきます。聞いているこちらからすると「最初にいってよ〜」と言いたくもなったりしますが、なぜか、最後の方に核心部分はでてきやすいです。不思議なものですね。


失敗にはまり込んだ時、というので罪悪感にフォーカスを当てて掘り下げて書いてみました。ネガティブな感情に浸る癖のある人は、一度はまり込むと、ドツボにはまったかのようになってしまうこともあるかもしれませんが、本当はどうするのがよいのか、あるいは、本当はどうしたいのか、というのは基本的には自分が一番よくわかっているもの。ただ、それをみたくなくて回り道をするというのも、よくあることなのかもしれません。

 

不公平感を手放す

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自分ばかりが損をしていて、何か不公平な感じに思えるようなことはあるでしょうか?
ときに私もそんな状態に陥ることがあります。ちょっと時間を置いて、その時の状況を思い出してみると、、、、だいたいむすっとした表情をして怒っていて、周囲に良からぬ雰囲気を漂わせています。あとで思い返してみて、そんなに怒らなくてもよかったかな?、なんて思ったりもします。

みなさんはどうでしょうか?
ごく最近でも、ちょっと前の話でも、何かしら不公平感を感じたようなことはあるでしょうか?

不公平を感じている時というのは、どこか、公平であるのが当たり前、という感覚があって、何をもって公平であるのか、というのが、独りよがりの基準になっているようなことも、ときにあるものかもしれません。ある意味では「こうなるのが当然」という期待や自分のルールのようなものを基準にして、怒りや不満を感じている状態、なんていう解釈もできるかもしれません。


受け取れるものを変えれるように、何かしらの切り替えのようなものができると、違う結果を受け取れるようになります。態度を変える、行動を変える、環境を変える、人間関係を変える、などなど、自ら変化を作り出すことができたときに、受け取るものは変化させることができます。

間違ったことをまかり通させた方がいい、ということを言いたいわけではないのですが、不公平さを作り出しているように思える問題のある人を批判したり、その人をなんとか変えたい、という気持ちは一旦脇に置いといて、自分が感じている不公平さに対する怒りや不満に執着するのではなく、まずは、もっとより良いものを受け取れるように自分自身を変化させる、という選択肢、についての話をしたいと思っています。

不公平を作り出しているように思える人や状況に対してどう働きかけるか、というのにも、いろんな選択肢があると思いますが、ここで鍵になってくるのは、自己の正当性ではなく、主体性、です。

不公平さを感じている裏側にある、自分の思っている通りになっていないことに対する怒りや不満。そこに意識を集中して、モヤモヤしているだけで息苦しさを感じ続けるよりも、どう変化を生み出していくかに意識を持って行った方が、自分自身を楽にさせてあげることができる、という話をしたいと思っています。その方が、不公平感を手放しやすくなります。

 

例えば、怒りや不満の裏側に隠れている期待を手放して、その代わりに目標を設定する、というのもおすすめです。

目標自体が、誰かから何かを奪う、ということであったり、自分だけがより多く何かをもらう、というようなものはまた別の問題を作り出すので、できれば避けたほうがいいです。自分の成長につながるようなもので、自分自身が望んでいる結果につながるようなものを目標にすること。そのためには、自分がどうしたいのかを軸にすることが大切になってきます。

自分がどうしたいのか、ということを中心にして物事を見ると、不満や怒りをベースにして周囲をみるよりも、よりシンプルな見方ができるようになります。誰かに何かを言われた、とか、何かをされた、といったことを中心に物事を見るのではなく、自分自身がどうしたいのか、ということをベースにして、やりたいことに向けて何かを試みて、その結果を受け取る、ということが中心になっていきます。


ただ、何かを試みたとしても、不公平感がある状況が急に変わるわけでもないと思います。期待を手放すといっても、面白くないものは面白くない、、、、そういう感覚をどうしても抱えてしまうものかもしれません。

だから、状況をどうこうしようとするというよりも、まずは、自分を大切にして、満足感を感じられるようなものを取り入れることに意識を持っていくのがおすすめです。自己犠牲的な行動パターンがあるのなら、犠牲をできるだけ手放して、体や心に負担がかかっている状況を解消していくこと。

自分がどうしたいのか、ということを軸にして考えていくと、そういった部分で後回しになっているようなことも、見えやすくなってきます。自己正当性を証明するために、誰もやっていないような細部にこだわったり自分自身も苦しくなっているようなところや、どこか空回りだけしているようなところにも、気づける部分があるかもしれません。


不公平さを感じているとき、周囲の状況に自分の感情が振り回されてしまうのはとても辛い状況です。そういうときほど、自分がどうしたいのか、という部分に注目すること。

自分がやりたいことを軸にして、自らが変化を作り出しているように意識を切り替えていくということができたほうが、より楽な自分を受け取れるようになります。


楽な自分を受け取るための1つの選択肢として、主体的な行動をとることができるほどに、自分自身の周囲に対する良い意味での影響力は増えて行きます。その方が、周囲に対して働きかけて、不公平感のある状況を変化させていく、ということにも良き流れがより生み出しやすくなっていきます。

 

罪悪感を感じさせられる

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ある特定の人と話した後に、まるで自分が悪いかのように思えることが多い、という経験はあるでしょうか?
私にもそういった経験はありますが、そうするとその人と接するのがとてもおっくうになってくるのではないかな、なんて思っています。

相性が悪いように思える相手とは、できるだけ心理的な距離を取ることで、自分が感じるストレスを軽減することができるものですが、相手のことはさておいて、ちょっと意識してほしいポイントが1個あります。

それはこの「自分が悪い」という感覚のルーツになっているのは、何でしょうか、という部分です。


「自分が悪い」という感覚は、罪悪感、なんていう言葉で表現したりします。正直あんまり見たくない部分、かもしれませんが、人と接しているときに何か言われたことで、罪悪感を感じる、としたら、、、、、
相手から言われる前に、自分の中でつつかれたくないポイントというのが最初からあって、そこをつつかれるから痛い、ということが、心の中では起こっています。

責められる前から、実は自分でもその部分を責めていた、という言い方もできるかもしれません。自分でも責めているような部分を誰かに突かれた場合、精神的なダメージを受けやすく、それは、自分の弱点のような感じになりがちです。

特的の人と話していると、まるで自分が悪いかのように思える、ということであれば、もしかしたら、その人は弱点を見つけて、そこをつつくのがうまい人、なのかもしれませんし、あるいは、その人にそんなつもりはなくとも、その人の行動パターンが、あなたの罪悪感を刺激しやすいもの、になっているのかもしれません。


罪悪感を感じる、ということは、自分で自分を責めている部分がある、ということですので、その、自分を責める、ということを手放すことができると、同じことを言われたときに、(ダメージが全くなくなるわけではないのですが)受けるダメージをぐっと減らすことができる、ということを意味しています。

ネガティブなことをよく口にする人と一緒にいると、特定の罪悪感はなくとも、ちょっとうっとうしい感じはしますし、何かしらリアクションを求められることもあり、対応するためのエネルギーが必要になりがちですので、そういった相手との付き合いが辛い場合は、できるだけ距離を取った方がいいかもしれません。

ただ、自分の中に自分を責めている部分があって、それが弱点のようになっていたり、自分自身の地雷のようになっているのだとしたら、それはできるだけ手放した方が良いです。


自分の中で良くない部分、というのに対して、罪悪感を感じながら、自分を反省して改善する、というやり方はあんまりお勧めしません。

それよりも、その良くない部分に関して、何かしらの目標設定をして、その目標達成に向けて行動することで、自らを成長させる、という考え方に変えたほうがベターです。その場合も、やっぱり罪悪感が邪魔になってきます。罪悪感があると、それだけでエネルギーが減るので、この成長するためのモチベーションを罪悪感に奪われてしまうことがあるためです。

良くない部分を改善したいという気持ちがある場合には、罪悪感を手放した上で、別途、目標設定をする、というのが私のお勧め、です。


ただ、どうしても手放せない、としたら、そこには、自分以外に責めている誰かがいます。その人が許せないから、自分自身を許すこともできない、っていうことが心の中で起こっていて、それがブロックになっているがために、ずーっと自分のことも責め続けてしまう、なんていう感じになります。

この場合は、相手のためではなく、自分のために、その相手を許す、というのがおすすめです。

家族のなかに許せない人がいて、そのとある人と自分が同じことをしているのが嫌で、自分のことも責め続けていて、罪悪感があるほどに、余計にイライラしてしまったり、よくない行動パターンを生み出してしまう、というネガティブなスパイラルにはまり込むことがあります。

この場合、非常に効果的なのは、その家族を許す、という手段です。強い抵抗感を感じやすいアクションではありますが、問題を作り出している根っこの部分を引っこ抜くことができるので、これがはまると、すごく良い結果を受け取れたりします。


自分の周りに、やたらと罪悪感を感じさせてくる人がいて、それが苦痛になってきている場合は、自分の中の罪悪感を手放す、ということにトライしてみてください。

自分でも改善した方がいいな、と思える部分がある場合には、自分を責めるのではなく、目標設定に考え方を切り替える、ということ。罪悪感を手放すことに抵抗感が強くある場合には、自分以外の誰かを許す、ということにも、あわせてトライしてみて下さい。罪悪感を手放すことができた方が、より自分自身を楽にさせてあげることができます。

ここに書いたことで、何かしらお役に立つところがあるのなら、幸いです。

 

衰えを感じたとき

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私自身が何か衰えを感じた時にどんなことをしているのか、というのを今回は書いてみようと思っています。いつもの記事に書いているような、心理学的にどう、というのとはちょっと違っていて、みなさんに提案したいというよりも、今自分が取り組んでいることで、やってみて比較的うまく回っているように感じるものをシェアするような感じの内容です。

衰えを感じたときはそれに抵抗しようとするよりも、衰えが出ていることを受け入れた上で、何かしら無理が生じているところに手放せるものがないか見直してみる、というのがいいんじゃないかな、と私は最近考えています。

手放した分だけ余裕のようなものが生まれます。例えば、それを使って新しいことを始めたり、新たな習慣やスキルなどを身に付けたりすることができるので、その余裕分は、自分自身を成長させていくための白地として活かすことができのではないか、というアイデアです。

成長期には何かを手放すとか考えなくても、伸び代という白地を使って成長のためのアクションができます。ただ、衰えを感じ始めた時には、自分自身に伸び代がまだ残っているのかを考えるよりも、別のものを使うという選択肢もあってよいかもしれません。その一つとして、手放す、というのもありなのではないかなと最近思っています。


衰えを感じるとき、というと、例えばこんな感じかもしれません。
・すでに限界だというのに仕事や責任をさらに上積みされるようなとき、それでも昔は根性で乗り越えていけたが、今や体がついてこなくなった。
・そこまでの無理をしているつもりはないのに、なぜか疲労や辛さを感じるようになった。
・集中力・持続力・スピードなど、自分自身のパフォーマンスの低下をひしひしと感じるようになった。
・新しいことにチャレンジするのが辛い。心が守りに入ってきているのを感じるようになった。

気持ちだけでもできるだけ若くあろうとする、というやり方もあるかもしれません。こんなことではいけないと自分にカツを入れる、というやり方もあるかもしれませんね。どんなやり方であれ、何かしらパワーが内側から湧き上がってくる感じがあるのであれば、ありなのかなあ、なんて思っています。

ただ、何をするにしても、老体に鞭を打つような感じにはならない方がよいかもしれません。体と心から「もう無理」というサインが何かしら出ているのに、その声を無視して突っ走ろうとしても、体と心から急ブレーキがかかってびっくりすることにもなりかねないかも、なんて思っています。


体と心の声を無視するよりも、それらに耳を傾けてみたときにどんな答えが返ってくるのかを参考にして、どこに無理があるのかをセルフチェックしてみて、無理があるところを無理が生じないように何かを手放す、というのもありなのではないか、なんて思っています。

よければ、過去に書いた以下の記事を参考にしてみてください。

shinrinsen.hatenablog.com


私自身の体験としては、衰えを感じた時にいろんなことに対するモチベーションが急落したことがあります。なんでこんなにモチベーションが落ちているのか、というのをよく見てみた時に、絶望に似た感覚が心の中に隠れていて、その絶望の中身をよく見てみると、自分自身が老いていくことや、死に近づいていくことへの怖れのようなものを強烈に感じていた、ということに気づいたことがあります。それに気づいた時に
「そりゃあモチベーションも落ちるよな。」
と、なんだか腑に落ちた記憶があります。

あくまでこれは私の個人的な考え方ですが、衰えや老いというのは、死に近づいていく自然なプロセスの中の一つだと捉えています。どんな人であれ最後にはそこに向かい、終わりを迎えます。そのプロセスを否定するのではなく、受け取って感じて消化していくのがよいのではないか、なんてその時に思いました。ちょっと小難しいことをいっているかもしれませんが、自分の心の内側を見た時に、生を感じている部分と、死を感じている部分の両方があって、この2つを自分の内側で統合していけるように思いました。生にしがみついて、死を恐れるのではなく、両方を自分の人生に練りこんでいき、そのダイナミズムを感じる、といった感じのイメージを持った時に、すっと受け入れることができて、モチベーションが復活した、という体験をしたことがあります。

もし参考になれば、、、、と思いつつも、私個人の感覚的なところが非常に強いものをあえて文章にしたので、他の人からすると何を言っているのかよくわからない感じになっている気もしており、あんまり参考にはならないかも、なんてことを書いていて思いました。もっと伝わる書き方ができると良いのですが。


衰えを感じた時にどうしていくのがよいのだろうか、ということで、最近私が思っているアイデアの部分を書いてみました。何かしら参考になれば、幸いです。


いつもと違って、アイデアベースの話を書いたということもあり、読まれた方がどう感じられるものなのか、ちょっと気になっています。ご意見やご感想など、コメントやブクマなどに書いていただければ筆者はすごく嬉しいです。

 

親のことがどうしても許せないとき

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両親のことで、どうしても許せない、という部分はあるでしょうか?

私自身の話を少しすると、子ども時代に経験したことで親のことがどうしても許せなくて、ずーっとその情景を思い出しては、怒ってばかりいたことがありました。腹が立ちすぎて、一日中何も手につかないこともあったくらいです。親にされたそのことは当時の私にとって、ピンポイントで私の心の一番痛いところにヒットしていたので、どうしても水に流せなかったのを今でも覚えています。

今現在の私は、心の中で許しを選択したので、当時のことを思い出しても何とも思わなくなりました。親も人間。欠点、弱点、至らないところ、あるのが普通、なんて思っています。ただ、それによって子供時代に自分が大きなダメージを受けてしまうと、そのときのことが、どうしても許せなくなってくることもあるものかもしれません。

「なんで、そんなひどいことをするの?」
「どうして、わかってくれないの?」

そんな風に思うこともあると思います。

人間には誰しも欠点や弱点がある、なんてことがあるのだとしても、いざ親を許す、となると、どうしてもそんな気になれないことがほとんどなんじゃないかな、なんて思っています。自分自身や、身内のこととなると途端に厳しめのものの見方をしてしまう、なんてのは、あるある、かもしれません。

今回はそんな、親のことで許せないって思えるようなことがあるとき、のことを書いていきます。


今あらためて、、、、、大人になった自分から見て、その許せない親って、どんな人物でしょうか?
イヤな面が色々と思い浮かぶかもしれませんし、いいところも思い浮かぶかもしれません。

その中で特に、親の弱い所、だったり、親が苦手にしているところ、親が越えられない壁、何かへたくそなところ、不器用なところ、かっこ悪いところ、情けないところ、にちょっと注目してみてください。

親の中にある自分が責めたいところ、というより、親の中にある弱い部分です。それを見て、今、どんな風に感じるでしょうか?

こんな部分を見ようとしてみてください。
親は、親自身が子供だった頃、周りから大切にされていたでしょうか?
それとも、自分と同じように、何か心に傷を負うような体験をしていたでしょうか?
ちょっと、想像してみてください。


親に何か怒りを感じているとき、上の立場の人間に対して、下から目線で突き上げる感じで、ちょっと被害者的な視点から、あんたは本当にひどい親だよ、って批判をするという感じなりやすいかもしれません。そのポイントからちょっと離れて、大人の目線で、親の弱い部分を見てみる、という試みをしてもらいたいって思っています。なぜなら、その方が親のことをあるがままに見れるためです。

弱い部分をもっている一人の人間である親を見て・・・・、決して完璧ではないですし、自分のことでいっぱいいっぱいなことも多い親、至らないところも多い親、それを見て、どう思うでしょうか?

例えば、こんなことを思うかもしれません。
・これ以上アレコレいっても仕方ないって、諦めの気持ちが出てくる。
・なんだか、自分に似てると思えてくる。
・ある意味では、かわいそうな人間かもしれない、と思えてくる。


ここで、私から一つ聞きたいのですが、この弱い部分を抱えている親のことを、助けてあげたいって思える部分はあるでしょうか?
助けたいとは思えないかもしれませんが、もう、許してあげよう、なんてことを、少しでも思えたのなら、その人はすごくラッキーです。

なぜなら、親のことを責め続けるより、親に対して、許しを選択できた方が、はるかに自分自身が楽になれるからです。


親のことを責めている間、その責めの言葉は、まわりまわって自分自身を責める矢となって帰ってきます。親のことで怒り狂っている間は、自分自身、何も受け取れません。それが、どれだけろくでもない親だったとしても、親を責める、という行為は、とにかく自分の人生にろくでもないことをおびき寄せます。

親と似た感じの人物が、親とは関係のないところで自分の人生に登場して、その人との人間関係で嫌な思いをしたり、自分に子供ができたときに、親と同じことをしている自分に気づいて、強い罪悪感を感じたり、そんなことを自分に感じさせるような行為をした子供に対して、すごく冷たい態度をとってしまったり、親と同じことをしないように意識するあまり、手を出せない領域が生まれて、それが収入を増やしたい時の心理的なブロックになったり、、、などなど。

もちろん、そのことも含めて親のせいにする、ということもできますが・・・・、それはあまり賢い選択とは言えないかもしれません。


もし、親の許し、にトライしたいという気持ちが少しでも芽生えてくるのなら、ぜひ、トライして、今よりも楽な自分を受け取ろうとしてみてほしい、なんて私は思っています。そこで、その親を責め続けるという束縛から解放されることで、どれだけ楽になれるか、ということを、実施に体験していただければ、幸いです。

 

元のパートナーに戻って欲しい、なんて思うとき

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パートナーとの心理的な距離が近づいてくるにつれてお互いに素の部分が見えてきたり、結婚してから生活や仕事や今後のことなどについて色々と見えてきたりする中で、最初の頃は優しくて良い部分が見えていたパートナーに対して、ネガティブな気持ちも抱くような状況も出てくることがあります。そんなとき、パートナーに対して、なんだか人が変わったみたいに感じて、元の優しかった頃のパートナーに戻って欲しい、なんて思うことがあるかもしれません。

今回はそんなときのことを、書いていきます。


優しかったパートナー。気遣いがあったり、こちらの気持ちをわりとくんでくれたパートナー。それが結婚したら(もしくは、長くつきあっていたら)なんだか様子が違ってくる、、、、。なんだかピリピリしていて余裕がなかったり、こちらを放置したり、そっけなかったり、冷たかったり、あの頃のパートナーに戻ってほしい、というか、戻れ、なんて言いたくなる気持ちを抱えていたら、自分自身もピリピリして余裕がなくなってくるものかもしれません。

ただ、それを相手に求めたり、そうなるようにコントロールしたくなる気持ちを持って相手と接しているとパートナーと衝突しやすくなります。
「これが本来の自分だ。」なんてことをパートナーから言われるかもしれません。相手をコントロールしようとしても、思った通りにコントロールできるというよりも、ただ反発を生むだけなのでやめといた方がいい、みたいなことは何回か記事にも書いたことがあるかもしれませんが、コントロールをやめて、その元のパートナーに戻って欲しいという、自分の中にある執着を手放した方がパートナーとの関係性はうまくいきます。


恋愛や結婚に理想を思い描いていた部分も心の中にあるかもしれません。それを今自分の目の前に展開されている現実の中に無理に当てはめようとするのではなく、一旦、今のありのままのありように身を委ねてみてください。

パートナーとの衝突があるときに、なんとか相手に勝って自分の想いを通すことを考えると、物事が行き詰まります。そんなときは、自分が相手をコントロールしようとしていないか、ということと、相手が自分に何か助けを求めていないか、を意識してみてください。

コントロールに気づいたのなら、それをやめること。コントロールしようとすると、その反対に、相手が自分をコントロールしようとしているようにも感じて、相手と自分のどっちが言い分を通すか、どっちが勝つか、ということが重要に思えてきたりします。ただ、そういった勝負をパートナーとの関係性の中に持ち込む、というのは、本当にしたいことではないはずです。

パートナーを思い通りにコントロールしようとするのではなく、パートナーの好きにさせてあげてみてください。パートナーのありのままを見て、そのままを受け入れること。コントロールをする代わりに、、、、パートナーにもダメなところや弱いところがあるというのは見えると思いますので、そこに精神的なサポートが必要そうであれば、サポートをしてあげてください。

関係性が行き詰まってきている感じがするのであれば、状況がうまく回るようにコントロールしようとするのではなく、一旦コントロールを手放して流れに身を委ねながら、なんとかなるさ、という穏やかな信頼をその状況に送ってみてください。


相手が自分に助けを求めてきているように思える時は、一旦、そのメッセージを受け止めてあげてください。その上で、助けを求められていることに対して直接自分にできることがあるとしたら、それは何か、ということと、もしそこに、相手にも成長することが求められている部分があるのなら、自分がその成長のためにどんなサポートをできるのかを考えてみてください。

相手にも成長することが求められている部分を見たときに、パートナーのことを責めたくなる気持ちが湧いてくることもあるかもしれません。責められたときに、それを受け止めて成長する方向に気持ちを持っていく相手ならば、それでうまくいくこともあると思いますが、あくまでそれは手段の一つでしかないです。いくら言ってもわからない、いくら責めても変わらないのであれば、そのやり方は一旦手放した方がよいかもしれません。


お互いの悪い部分が見えてきて、行き詰まりを感じ始めたときのことを私なりに書いてみました。相性が悪いのかな、とか、気持ちが萎えてきた、なんて思うこともあるかもしれませんが、そこで出てきているのは、相性や気持ちの問題というよりも、自分自身の課題とパートナーの課題がパートナーシップの中で解消されるために出てきている、ということも往々にしてあります。

今のパートナーシップの中で、まだここに書かれたことはやったことがないな、という感じであれば、一度試していただければ、なんて思っています。

 

役割に生きると認められても嬉しくない

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職場や家庭の中などで、自然と自分が受け持つことになる役割があるとします。例えば、母親としての役割だったり、上司や部下としての役割だったり、あるいは、パトナーとしての役割、というものもあるかもしれません。

自分自身が選択して行動しているというよりも、その役割の中で、義務としてやるべきだからやっている、という感じばかりになると、楽しさのようなものがなくなっていきます。そこで認められたり感謝されることがあっても、自分自身というよりも、その役割と義務の部分が認められている感じになりますので、嬉しさを感じるというより、別に何とも思わないという感じに近くなりやすいかもしれません。

ちょっと極端な例かもしれませんが、例えば、付き合っているときに、お弁当を彼氏に作るのが楽しかったとしても、結婚してから、奥さんとしての役割の中でお弁当を旦那様に作るのは、だんだん楽しくなくなっていくかもしれません。愛があるから作っているというよりも、義務感だけで作っている感じが強くなっていく、という感じです。

役割に生きると、自分自身が受け取れる部分が少なくなります。

役割なのだからやらなければならない、という部分はあるのですが、義務と役割を手放して自分の選択で行動する、というように変化させていくことができると、受け取れるものが変わってきます。義務と役割を手放す、というのは、その役割でやってしまっている自分の心の中にある、どこか犠牲しているような、仕方なくやっているような感覚の部分を手放していく、ということです。


やらなくていいのなら、もうやりたくない、というのは正直あるかもしれませんが、そこで、やりたくないのに、やらなければならない、と思っている犠牲の部分の下にある、自分の感情に触れてみてください。

何かそこで、本当はやらなくてもいいことをやってしまっていたり、無理して完璧にやろうとしているような、何かバランスが悪いような部分があるのなら、その部分を手放していく、ということが求められてきます。

過去に決めたことや、過去のある時点においては最適に近しい選択だったとしても、状況の変化に応じて、やっていることややり方を少し変えた方が良かったりすることって、掘り下げてみると意外と出てきます。同じことの繰り返しに執着するあまりに、頑張らなくても良いところで、頑張りすぎている部分があるとしたら、そこに使っているエネルギーがちょっともったいないです。ちょっとした無駄の積み重ねが、重荷となって自分に負荷がかかっているのだとしたら、そしてその重荷を下ろしてあげても成果は変わらないのだとしたら、どれを下ろしても問題ないのか、を見つめてみた方がよいです。

その義務と役割を背負うことになった、自分の考え方や価値観の部分を整理してみて、手放せるものは手放してみてください。


もし、整理したうえでもやっぱりやった方がいいと思えることであれば、その、やった方がいい、と思っている部分と、やりたくない、と思っている部分の中で生まれている葛藤の部分を見つめてみてください。

だって、めんどくさいんだもん、って思っている部分です。やった方がいいってわかっているのに、心の中で、駄々っ子ちゃんになってしまっている部分です。

そこで、その駄々っ子っちゃんを無理やり黙らせる、というより、その子の声に耳を傾けてみてください。それは、いつも自分に犠牲ばかりさせていて、全然、自分に楽さを与えていない、というメッセージが自分の内側から出てきているのかもしれません。

いつも頑張っている自分のことを認められていないのかもしれません。なんで私ばっかりって、怒っちゃっている部分もあるかもしれません。

その駄々っ子ちゃんの部分の声に耳を傾けて、まるで子供をあやすかのように、その駄々っ子ちゃんの部分を充分にケアしてあげてみてください。その駄々っ子ちゃんは、自分自身です。自分なのだから、どうしてあげればいいのは、よくわかると思います。

その子を十分ケアしてあげることができたら、次に、その子に、自分がやったほうがいいって思っている部分について、協力してもらうよう頼んでみてください。無理やりやらせる、もしくは、その子の声を無視して義務感でやる、というのはいつもやっていることなのかもしれませんが、ちょっとそのやり方を変えて、その子が受け入れやすいように心の中で頼んでみてください。

そこでその子に、うんわかったって言ってもらえると、心の中の葛藤が軽くなります。そうすると、役割の中で行動するのではなく、自分で選択して行動する、という感じになっていることが感じられると思います。そういう風にできた方が、同じことをするのでもより楽に行動できます。


役割の中で行動していて、全然楽しくないときにはこの一連のプロセスを試してみて下さい。最初はちょっと時間がかかるかもしれませんが、もし、そこで受け取れる楽さを何かしら感じてもらえるのなら、なんて思っています。