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心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

後悔を乗り越えていくための4つのステップ

心理 恋愛

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心の中に後悔があると、自分でもよくないと思っていても、後悔していることにどうしても意識が持っていかれてしまって、気持ち的に前を向きにくくなったり、目の前のことに対して気持ちが向かなかったりすることがあります。

恋愛に関することでの後悔がある場合、次の恋愛に進むときの障害になったり、今付き合っている相手がいたとしても、彼以外の誰かに執着があるような感じになることもあります。

例えば、前の彼に対して、本当は別れたくなかったという想いが残っている場合は、あの時にもっとこうしていれば良かった、といった後悔が心の中にあるかもしれません。自分が言ってしまったことに関して、言わなければよかったと思えるようなことや、本当はやってあげたほうが良いとわかっていたのに、勇気がなかったり、ためらいのようなものがあって、してあげられなかったことがあるような場合も、後悔が心の中に生まれるものかもしれません。自分にとって、今でも大切だと思える相手であるほどに、そういった後悔は強くなるものかもしれません。

なくしてしまったものや、壊れてしまったものに関しての後悔がある場合、今持っているものが色あせて見えてしまったりすることもあるかもしれません。例えばそれが自分自身にとって、強い思い入れのあるものであれば、そこから生まれてくる後悔に心が締め付けられるような感覚を持つ方もおられるかもしれませんね。

後悔があると、心の一部が過去にとらわれてしまい、今ここにあるものを十分に見ることができないような感じになりがちです。そこから前に進んでいくために、どうしていくのがいいのか、、、、そのあたりを今回は書いていきます。


①起こったことを受け入れる

自分の中で、後悔していることに関して、はっきりとその出来事を受け入られているなら、このステップは不要です。ただ、どうしても認めることができなかったり、起こったことを否定したい気持ちがある場合は、まず、事実を受け入れる、というステップが必要になります。

例えば、後悔として、前の彼と別れなければよかった、といったものがあるとします。そういった後悔も抱えつつも、実は心の中がごちゃごちゃになっていて、・・・本当は別れていないんじゃないの?・・・まだ付き合っているといえるんじゃないの?・・・といった意識も残っている場合は、まずそこをはっきりさせることが求められてきます。

例えば、仕事上で失敗してしまったに対する後悔があるとします。ところがあまりにそれが自分にとって重たい出来事であるために、・・・失敗した事実を認めたくない・・・なかったことにしたい・・・・といった意識もある場合は、そこを自分の中ではっきりと認めることが求められてきます。

頭では何が起こったのかわかっていても、心ではその事実を受け入れられない、といった場合、後悔を乗り越えていく、ということが難しくなります。いろんな事情や、想い、考えなどがあるかもしれませんが、前に進むためには、まず起こったことを受け入れるということが、そのスタートになります。


②感謝する

後悔していることに関連したもので、何か感謝できることはないでしょうか?恋愛に関しての後悔であればその相手のことであったり、恋愛に関してことでなくても、それに関連したことでつながりを感じた人やお世話になった人、自分を支えてくれたもの、などなどに対しての感謝、です。

想いが強い分だけ、感謝できること、というのはたくさんでてくると思います。後悔を抱えていると、否定的な想いや、怒り、喪失感、などなど、ネガティブな感情も強い、かもしれませんが、そこは少し脇に置いといて、嬉しかったことや、ありがたかったこと、といった感謝できる部分を、探してみてください。

感謝できることを思い起こしてもらって、心の中で、相手にその感謝を伝えるところをイメージしてもらうと、心がふわっと軽くなるような感覚を感じることができると思います。

どんどん感謝できることを、心の中で相手に伝えてみてください。自分の心が、少しずつ軽くなっていく感覚を感じていく、ということができたときに、自分の中にある、過去の後悔に執着していた部分を少し軽くすることができます。


③執着を手放す

後悔しているものに関して、自分の中にどんな執着があるか自分なりに見てみてください。やってみると、色んなものが出てくると思います。この執着が強いほど、後悔の度合いも強くなります。恋愛に関連した後悔であれば、相手に会いたい、話したい、愛されたい、といった、相手に依存したいという想いから出てくる執着が代表的なものです。失ったものに関しての後悔であれば、その失ったもの自体への執着、といった感じです。どんな執着があるかは人それぞれだと思います。自分なりに心の中をさぐってみてください。

執着を手放す、というのは、執着しているものから心理的に距離を取る、ということです。諦めるというより、そこから距離をとろうと心の中で決める、ということが大切になります。

実際に執着を手放すということに取り組んでみたい、という方向けに私が書いた別サイト内の記事があります。心の中で行うエクササイズのようなものなのですが、執着を手放すといってもどうやったらいいのかよくわからない、という方は、色々考えるより、実際にこのエクササイズをやってもらった方が理解しやすいかも、と思っています。

執着を手放すイメージワーク

 

④罪悪感を手放す

後悔を抱えている場合、何かしら自分自身を責める罪悪感のようなものが心の中にあります。罪悪感には大きく分けて2種類あって、やらなかった罪悪感と、やってしまった罪悪感があるのですが、自分の心の中を探ってみて、どんな罪悪感があるのか見てみてください。

罪悪感が教えてくれているものは、あなたには変化がもとめられていますよ、という学びへのサインです。罰すること自体が目的というより、変化が目的であるとしたら、自分を罰したいという欲求のようなものは一旦わきに置いて、その変化に必要となる学びに注力するということが求められてきます。ここでは自分を罰することに意識をとられるのではなく、学びを生かすということを選択する、ということが前に進んでいくための一つのポイントになってきます。

後悔から学べることとして、どんなものがあるでしょうか?自分自身に変化がもとめられているとしたら、それは何でしょうか?これらを自分なりに定義することができたとき、その後悔は自分の人生に無駄なものではなく、意味のあるものだった、という別の見方が自分の内側に生まれていきます。

罪悪感があるとき、×××を許さない、というルールのようなものが自分の内側に存在しています。自分以外にも誰か許せない人はいないでしょうか?同じように責めている人がいるとしたら、それは誰でしょうか?罪悪感を手放すとき、その人に対しての攻撃も手放す、ということが求められてきます。

といっても、今後もその人の好き勝手を許容する、という意味ではなないです。過去やってしまったことに対して、ずっと攻撃性を持ち続けるのではなく、その人を責めることをいったん手放してみる、ということです。その人や自分自身への攻撃に意識が向くと、過去に自分の力がそそがれてしまいますので、学びや変化といった今現在自分が抱えている課題に力が向かなくなります。罪悪感を手放す、ということは、過去を手放して、今に意識を向ける、ということです。

罪悪感を手放す、という宣言を心の中で行ってください。そして、罪悪感を手放す代わりに、学びを受け取る、という宣言を心の中で行ってください。

執着が強いとここで抵抗感が出てくることがありますが、その場合は、③執着を手放す、のところに書いているエクササイズを試してみてください。


今回の記事では、後悔を乗り越えるための①~④の手順に分けて記載しました。人によってはピンとこないステップもあるかもわかりませんが、その場合は、自分のなかでしっくりとくる部分だけでも、受け取ってもらえると嬉しいです。

特に「②感謝する」のステップはわりと感情が動きやすいので、そこから得られるものもまた感じてもらいやすいかと思います。

後悔があって前に進んでいけないように感じた時に、ここに書いたことを実際に役立ててもらえると幸いです。

 

真面目すぎる性格

心理 考え方

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真面目すぎる性格が災いしてなのか、マナー・ルール・常識といったようなものから外れているように思えた時に、そこで過剰にイライラを感じたり、ストレスを感じる、というケースがあります。

真面目ということ自体は悪いことではないのですが、過剰な厳しさや正しさのようなものがあって、人に対して余計にイライラしてしまったり、それでストレスを抱え込んでしまっているようなところがあるのであれば、その厳しさや正しさのようなものは、もしかしたら、少し手放したほうが良いかもしれません。

ただ、ここでポイントになってくるのは、何にイライラを感じているか、という部分です。心の中に発生するイライラは、そこに何かしら自分にとって見ておいた方がいい部分があるよ、ということを教えてくれているサインのようなものです。

ストレスのもとになっている、自分の中にある正しさや厳しさを作り上げている思考にはどんなものがあるでしょうか?例を挙げるとこんな感じかもしれませんね。
・真面目にやるべきことをしてる人がいるなか、やるべきことをしない人がいるのが許せない。
・完璧じゃない状態が許容できない。
・既読無視にイライラする。人のことを無視して放置する態度が許せない。
・人の中にずるさのようなものが見えた時に、許せない気持ちが出てくる。

許せないものを無理に許す必要はないのですが、そこで自分がイライラやストレスを過剰に感じてしまっているのだとしたら、その許せない出来事から少し心理的に距離を置けるようになった方が、問題に対してより柔軟な対応ができるようになります。

完全に自分の中にある正しさや厳しさを消去するわけではなく、ちょっとその問題をわきにおいておけるような意識の状態を、手放す、と仮に表現するなら、その、手放す、ということができている状況を心の中に作ることができるようになると、自分が感じているイライラやストレスを軽減できるようになります。


イライラを形作っている思考は手放すことができるものです。自分にも当てはまること、を探すことがその方法の一つです。例えば、やるべきことをやっていない人を許せない、という思考があるばら、自分にも、やるべきことをやっていない、という部分がないか探してみる、というのが最初のステップです。イライラを感じたときに、その人を責めている内容とは少し異なることだとしても、やるべきことをやっていない、といったことで自分にも当てはまる部分がないか探してみて、自分にも当てはまることが見つかったら、、、、なぜ自分はそうしているのか、という理由を探す、というのが次のステップです。

ただ、それらを探すということに心理的な抵抗感がでてくることもあります。ちょっと想像してみてほしいのですが、本当はどうするのがいいのかわかっているのに、あえてそうしていない、ということを仮に自分がやっているとしたら、そこに弱さのような部分が隠れています。めんどくさかったり、恥ずかしかったり、怖かったり、自信がなかったり、といった感じのようなものです。私はしなくてもいいんだ!、なんていう自分を例外扱いしているような思考もそこには隠れていることがあります。

真面目すぎる性格、とはまた違う感じと言えるかもしれませんが、本当はやったほうがいいとわかっているのにあえてしていない、という感じになっているので、そこには未成熟だったり、幼い部分が眠っています。誰しもこういった弱点のような部分は抱えているとしても、正直、これはあんまり見たくないと思えるような部分であるほどに、自分の中で何か誤魔化したくなったり、自分にはそんな部分は無いし言い訳のようなものもない!、と言いたくなる気持ちも出てくるかもしれません。

重要なのは、実はその弱さの部分からイライラやストレスは誘発されやすい、ということです。非常に気づきにくいのですが、イライラしたりストレスを感じる要因の一つに、自分の中にあるその部分を見るのが嫌だ、というのもあったりします。真面目すぎる性格からの影響というより、人の中に見える自分自身の未成熟な部分に過剰反応をしてしまう心理が影響してきます。

この自分の内側を見つめていくときに出てくる抵抗感の対処としては、直観を使う、というのがおすすめです。直観を使うことで、抵抗が出る前に、アイデアを取り出すことができます。思いついたことをどんどん直観で出していった後、色々出した中からこれかなと思えるものを選ぶと、あれこれ考えてひねり出すより、より簡単に早く見つけることができます。


自分も同じことをしている、ということと、なぜそんなことをしているかの理由がわかったら、次に、自分の中のその部分を変えるとしたら、どう変えるのかを決めていきます。決めたら、自分の中にあるその部分を手放す、ということを心の中で宣言し、その決めた行動を実行に移します。それを習慣的にやっていくことで、行動が繰り返されることになり、その繰り返しが、変更後の思考を定着させていくことになっていきます。

人の中に見える未成熟な部分を攻撃してイライラしたりストレスを感じるのではなく、自分の中にある未成熟さと向き合って、成長していくことを選択する、という感じです。

未成熟な部分を放置しておくと、それが見せつけるかのように、同じように未成熟さを抱えている人の行動が目につくように、歓迎したくない出来事が引き寄せられ、イライラしやすくなります。成長を選択できると、出来事自体が起こりにくくなりますし、仮にそういう未成熟な部分を見せられる出来事が起きたとしても、イライラやストレスを感じにくくなります。

私自身もこの振り返りをすることがありますが、これはなんというか、心の中をどぶ掃除しているような感じがしています。やらない理由の部分に気付いたときには、自分にがっかりすることもあります。非常に心理的に厳しいと思えるときもありますが、学びもまた大きいものだと思っています。


人の中に見える不真面目さにイライラやストレスを感じてしまっているときは、ちょっと角度を変えて、自分にもあてはなることはないだろうかって、振り返ってみてくださいませ。それは、成長の一つの機会にすることができるものです。

自分の子供を愛せないときの話

心理 育児

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お子さんをお持ちの方で、自分の子供が愛せない、と感じたことのある方はいらっしゃるでしょうか?

自分の心に余裕がないと、子供からぶつけてこられる甘えや反抗に対して、受け止められなくなることも、時にはあるかもしれません。成長していくにしたがって、子供は色んな面を親に見せてきますが、その中で、どうしてもこの部分は受け入れられない、という部分が出てくることもあるかもしれません。愛おしいというより、憎らしいとまで感じてしまうことも、ときにはあるかもしれませんね。

ただ、子供を愛せないという感覚は、親にとってはとても強い罪悪感を感じるものかもしれません。ダメな親だな、と自分で自分のことを強く責めたくなる衝動が出てくると、自分を何とか正当化したくなったり、あるいは、なんとか子供を愛することができるように、必死にやろうとするんだけれども、やっぱり子供を見ていると腹が立ってきて、どうにもならない気持ちを抱えてしまうものかもしれません。


人の心の動きとして、自分のことを嫌いになればなるほど、周囲から嫌われやすくなり、自分ことを心の中で攻撃するほど、周りから責められる、といった法則のようなものがあるのですが、これは大人に限らず、子供にも同じようなことが起きます。

たとえば、お子さんがあることを体験して、自分のことを
「僕は悪い子供だ」
と思ったとします。(実際にそれを口にするかどうかは別として。)で、自分のことを心の中で激しく攻撃するとします。そうすると、上に書いた法則のようなもの、、、周りから責められる、が起きることがあります。例えば、親から怒られる、とか、先生的な立場の人から怒られる、といったようなことです。

子供をよく見てみると、このあたりの心の動きが見えることがあります。よくある流れはこんな感じです。
①子供がわがままをいったり、何か失敗をしたりする。
②親は子供に対して何かしらのネガティブな反応をする。
③子供はそれを見て、僕が悪い子供だから、こんな反応をされるんだ、と勘違いする。
④親からもっとネガティブな反応を引き出せるようなことを子供を行う。
⑤実際に親が強くネガティブな反応をする。

④の部分の具体例はこんな感じです。
・注意されたことに対して、憎たらしい顔をして言い返してくる。
・可愛くない顔をして大声で泣く。
・スーパーマーケットの床で寝そべる。

子供の中に罪悪感や自己嫌悪のようなものがあるほどに、親に対して余計に怒られたり嫌われるかのような反応を引き出すようなことをする、という感じです。これは子供に限った話ではなくて、大人も似たようなことはやります。とはいっても、スーパーの床で寝そべるというのとは、もちろん、異なります。

例えば、何か罪悪感のようなものを感じた時に、身近な人に対して、よくないとわかっているのに、あえて衝突してしまうようなことを言ってしまった、という経験がある人もいらっしゃるかもしれません。ここには色んなパターンがありますが、子供、大人にかかわらず、人の心にはそういった振る舞いをしてしまう仕組みのようなもの、があると思ってもらった方がいいかもしれません。

子供と接していると①→②→③→④までの流れ、というのは、ちょくちょく起きます。とくに④のところが、親にとって強い嫌悪感を感じるようなものだった場合、⑤の段階で、子供を愛するのが難しい、と親が感じる、というのは想像できますでしょうか?

子供は自己嫌悪や罪悪感を感じると、親から嫌われるような表情や行動を無意識にとりますが、親がそこに同調してしまうと、子供を愛することが難しくなります。子供が自己嫌悪や罪悪感を感じる心には、親がもっている考え方や価値観も影響しており、親が子供にされたら一番嫌なことを、ピンポイントで子供が引き出すことも可能、だったりします。

ここで親が⑤のところで、
「ああ、君は悪い子供だね。君が君自身を認められないのと同じように、私も君を受け入れられないよ。」
と子供が③で行った無意識の思考に対して同意をして、それに沿った行動をとってしまうと、後で、
「私はなんてひどい親なんだ。」
という反省会が心の中で繰り広げられてしまうかもしれません。


子供は親の課題を見せてくれます。子供はそのことを自覚してわかってやっているわけではなかったとしても、ときにその課題の見せ方には容赦がないこともあります。親からすると非常に精神的にきついと思えるような状況になることもあります。

自分の子供が複数いる場合に、この子はOKだけど、この子はOKじゃない、というのが出てくることもあります。この子のこういうところがダメだから、自分はこの子を愛せないんだ、という風に考えてしまいがちですが、100%子供のせいにすると思考停止し、問題解決の糸口が自分の手元からこぼれます。そういうときほど、その子が自分に見せてくれている課題は何だろうか、という風に視点を変えてみることが求められてきます。

自分の課題の方に意識を切り替えると、状況の見え方が変わってきます。表面的には子供に問題があるように見えても、本質的には自分の課題だということに、そこでは気付くことができます。自分の心の中で、未解決のまま放置している課題や、弱点や苦手といえる部分にも触れることが求められてくることもあります。ある意味では、これが育児の難易度をあげる要因になることもあります。

子供を愛することが難しい、のではなく、その子に問題があるのでもなく、自分が自分を成長させることが難しい、というのが、今行き詰っている問題の本質だと心から思えるなら一歩前進です。

子供は天からの授かりもの、だとしたらある意味では、自分の課題と向き合う機会も天から同時に授かった、といえるかもしれません。

 

 

無気力を手放す

人生

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絶望に浸っていると、無気力になりやすくなります。特定の1つのことに対して無気力になるだけではなく、大部分のことに対して意欲的ではなくなる、という感じになりやすいです。

本当にほしいものをあきらめた時、代替品で満足しようとしても、あんまり満足できないために、代替品に対して意欲的になれないとしたら、本当に欲しいものに対しての絶望が深まるほどに、無気力もまた深まっていくものかもしれません。

 

shinrinsen.hatenablog.com

上の記事の中で書いていることでもあるのですが、絶望を感じているときには、それを乗り越えていくための知恵と才能の部分を発揮していくことに対して、自分の中に抵抗感があるということを認める、ということと、その抵抗感を手放していく、ということが大切になってきます。

絶望を乗り越えていきたいときに、自分の中の無気力さに悩まされることがあります。自分の気持ちを整理して、前に向かって進んでいこうと決めたのに、気持ちが乗らなかったり、なんだか心の中でぐずぐずしているような感覚がある場合は、無気力さを手放すことが求められてきます。


絶望を乗り越えたいと思えるのであれば、情熱であったり、何かをしてみたいという意欲のようなものが、心の中にあることを意味しています。ただ、無気力が心を占めていると、情熱や意欲に蓋をされているような感じになります。

無気力に心が支配されているときは、自分の内側からエネルギーが全く出てこないような感覚を感じるかもしれません。無気力もある意味ではエネルギーです。そのエネルギーは自分の中の意欲や情熱を封じ込めるような形で使われているので、心の中で無気力と意欲がぶつかって、ぜんぜん力はでてこないんだけれども、その葛藤にエネルギーが大量に浪費されるような感じになっています。

無気力を手放せば、その度合いだけ、意欲や情熱が心の中からあふれてきます。絶望を乗り越えていくときに、無気力になってしまって、物事を前に進めにくいときは、意欲に蓋をしているこの無気力さを手放していく、ということが求められてきます。

この無気力さを手放せるなら手放したい、という自分の部分に意識を向けようとしてみてください。無気力は手放すことができるもので、それを手放して情熱や意欲を代わりに選択していくことで、今心の中で体験していることを変えていくことができるものです。

 

・無気力を手放すエクササイズ

①気持ちの確認
目を閉じて、右手を開いて自分のみぞおちに当ててください。自分の右手がみぞおちに触れているということを意識的に感じてみてください。自分の心の中にある無気力さが右手に触れられているみぞおちの部分に集まってくるようなイメージをもってみて下さい。そこで、こう自分に問いかけてください。
「無気力を手放せますか?」
はい、もしくは、いいえで即答してください。

②手放す準備
目を閉じたまま、右手を握りしめながら、右手をみぞおちから少し離して、胸の前に持ってきてください。そのときに、みぞおちの部分に集まっていた無気力なエネルギーが右手に移っていくようなイメージをもってみてください。そこで、こう自分に問いかけてください。
「無気力を手放しますか?」
はい、もしくは、いいえで即答してください。

③実行
目を開いて、右手を見てください。ここに自分の無気力なエネルギーが宿っている、というイメージをもってみてください。そこで、こう自分に問いかけてください。
「いつ手放しますか?」
今、と即答すると同時に、自分の右手を開きながら、上に向かって振り上げてください。自分の右手に集まっていた無気力なエネルギーを天に向かって放つような感じです。そこで、無気力さが天に放たれていくイメージをもってみてください。


重要なのは、自分への問いかけをしたときに、即答で答える、というところです。右手の部分は、左手でも良いですし、右手左手交互にやってもらっても、何回やってもらっても大丈夫です。私のおすすめは、右手・左手交互に5回ずつ、合計10回、です。
エクササイズをした最後に、こう宣言してください。
「私は無気力を手放す代わりに、情熱と意欲を受け取ります。」

読むだけではなく、実際にやって効果があるかチェックしてみてもらえると嬉しいです。1回やっただけではピンとこなくても、おすすめの右左合計10回やってみて、やる前との違いを感じてもらえると幸いです。無気力でおおわれていた視界がちょっと晴れるのを感じたり、体が軽くなるような感覚があったら素晴らしいです。

手放しても、何かのきっかけで、無気力が戻ってくることがあったとしても、もう一度このエクササイズをやることで、戻ってきた無気力は手放すことができます。手のアクションや、イメージを持つのが面倒だったり、やりにくいときは、3つの自分への問いかけ、
「無気力を手放せますか?」
「無気力を手放しますか?」
「いつ手放しますか?」
をやるだけでも良いです。自分の心の中に無気力な感覚がわいてきても、手放そうと思えばいつでも手放せる、なんて思えたら最高です。


無気力は手放せるものです。無気力を手放したら、情熱や意欲を受け取るということを心の中で選択することができます。ただ、情熱や意欲を向ける対象がない、という場合は、自分が本当にやりたいことは何か、ということを見つめてみるのも、おすすめです。無気力を手放して、自分が何かをするためのパワーが戻ってくるとしたら、それを向ける先はあったほうが良いですし、そういったものがないなら、それを見つける、ということにエネルギーを向けるものありです。

ここに書いたことを実際に使ってみて、役立ててもらえると幸いです。

 

セドナメソッドについて
「手放せますか?→はい/いいえで答える。手放しますか?→はい/いいえで答える。いつ手放しますか?→答える。」の部分はセドナメソッドを使っています。セドナメソッドについては本も出版されておりますので、興味のある方は読んでみて下さい。

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

 

セドナメソッドの公式ホームページは以下のものです。

The Sedona Method | Heal Yourself by Letting Go | Official Site

 

ぞんざいに扱われているように感じるとき

心理

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家族や恋人や友人などから、あんまり大切に扱われていないように感じることはあるでしょうか?
適当というか、乱暴というか、いてもいなくても良いかのように扱われているというか、、、、何かぞんざいに扱われているような感じです。そんな扱いをされているように感じたら、その相手が自分にとって大切な人であればなおのこと、心に痛みのようなものを感じるものかもしれません。

こういうとき、相手との間に壁のようなものを感じることもあると思います。親密感がないというか、仲が良いのかどうか自分でもよくわからないような感じです。もっと大切に扱ってほしいとか、自分の価値をもっと見てもらいたいと思っても、なかなかそういう扱いにはならないとしたら、寂しさのようなものを感じることもあるかもしれませんね。


「あれ?私何かしたっけ?」
そんな風に何か思い当たることがあるなら、修正できるところはしておいた方が良いですし、思い当たることがないなら、コミュニケーションして聞けるところは聞いていく、という対応をした方が良いです。

ただ、自分が問題のあることをしたからそうなっているわけではなくて、何というか、この相手はいっつもそういう扱いをこちらにしてくるな、という状況であれば、自分の中にどんな問題行動があるか、ということを探るのは、ちょっと的外れかもしれません。こちらから聞いても、ちゃんと相手が答えてくれないのであれば、状況次第ではありますが、どちらかというと、ある意味では、相手のそういう態度の方に問題があるという見方もできるかもしれませんね。

そういうとき、ぞんざいに扱われている状況をなんとか良くしようと意識を向けるよりも、相手となるべく距離を置くなり、そういった相手のネガティブな反応はなるべくスルーして気にしないようにする、という方が良いです。

「なんでこの人は自分のことをぞんざいに扱うのだろうか?」
なんてことを考えるとネガティブな感情を感じやすいですが、ここでちょっと視点を変えて、自分で自分のことをぞんざいに扱っていないか、という見方をしてみると、また違った気付きが出てきます。

相手からぞんざいに扱われている状況自体を解決するものではないのですが、自分の中で自分を価値のないように扱っている部分があるなら、それは見直したほうが良いです。


自分のことをあまり価値のない人間だと感じていると、周囲からもそういう扱われ方をします。自分が心の周りにバリアのように壁を作っていると、周囲から距離をとられます。心の内側で起こっていることが、外側に映し出されます。その反対に、外側に映し出されていることは、心の内側で同じように起っています。

自分のことをぞんざいに扱ってくる相手については、その人はその人なりの理由でそうしているのでしょうが、そこを掘り下げても、他人の心の中身は自分がコントロールできる部分ではないので、あんまり気にしすぎても仕方ないです。もちろん、自分の行動に問題があってそうなっているのであれば、そこは修正した方が良いのですが、それ以外の要因で相手がそうしてきている部分については、どうしようもないです。ただ、自分が自分をぞんざいに扱っている部分に関しては、自分がやっていることなので、手の入れようがあります。


自分のことを大切に扱ってくれたり、価値のあるように扱ってくれる人はいるでしょうか?
自分のことを価値のない人間だと感じていると、そういった人たちの言葉や態度は心に入ってこないです。何か勘違いしている、とか、わかっていない、とか思うかもしれませんし、あなたたちにそんな風に思われても嬉しくない、と思うこともあるかもしれません。居心地が悪い、という感覚を持たれることもあるかもしれませんね。こういうとき、あえて相手に嫌われるような行動をとりたくなったり、壁を作って相手との間に親密感が生まれないようにブロックしたくなることもあります。

自分には価値がないと思っていると、無意識のうちにそれを現実化したくなります。自分のことを価値がないように扱う人が現れても、そこに違和感を感じず、いつものこととして受け取りやすくなりますし、たとえ、自分のことを大切に扱ってくれる人がいても、その気持ちを受け取りにくくなります。


自分に価値がないと判断している自分の思考を手放すこと。自分の価値のなさを感じているとき、自分は××だから価値がない、といった判断基準のようなものが心の中にできています。

これらを手放せるでしょうか?

判断基準は絶対的なものではなく、何をもって価値があるか、何をもって価値がないか、というのは、人それぞれが決めることのできるものです。これは普通とか、これは当たり前、といった思い込みのようなものや、××さんが言っているからこれはこういうものなのだ、といった他人の判断基準は重要ではないです。あくまでその判断基準は自分が決めているものです。自分のことを価値のない人間のように感じていることで問題が起こっている場合、今その判断基準が自分自身にとってあまり役に立たないものになっている、ということに気付くことが求められてきます。

もし、その判断基準を手放すとしたら、代わりに何を受け取りたいでしょうか?

自分自身に価値を見る、ということを意識してみてください。自分のなかに価値を見ることができる基準があるとしたら、どんなものがあるでしょうか?今までの判断基準ではどうでもよい扱いになっていたような部分でも、別の視点から見てみた時に、価値を感じることができるような部分というのは、人の中にはたくさん眠っています。

自分自身にこう問いかけてみて、直感で答えてみてください。

今まで自分に認めてこなかった価値って、なんだろうか?

あれこれ考える前に、直感で思いついたことをヒントにしてみてください。例えば、美しさ、というのが直感で思いついたとして、自分では自分に美しさを感じれなかったとします。
その場合は、自分の中にある美しさってどんなものがあるだろうか?
って自分に問いかけてみてください。

100点満点ではなかったとしても、こういうところは、まあ、まだましかな~、と思えるような部分でも良いです。今まで自分では認めてこれなかっただけに抵抗感もあるかもれませんが、自分自身が感じることのできる自分の価値というのは、とても大切な宝物のような部分です。できるだけ掘り出していってみてください。誰かから言われてうれしかったことや、今までは受け取れなかったけれども、こんな風に見てもらえたこともある、といったような経験があれば、思い出してみて参考にしてみる、というのも良いと思います。

過去の判断基準でその見つかった価値や自分自身のことを裁くのは、手放してください。大切なのは、役に立たなくなった過去の判断基準を手放して、自分自身の価値を見ることのできる視点を受け取ることです。


自分の中で自分を価値のないように扱っている部分の見直し方について掘り下げて書いてみました。ぞんざいに扱われることで、自分自身に価値を感じられなくなった時にでも、参考にしていただければ幸いです。

 

 

相手から感謝の言葉が返ってこないときにおすすめの自己分析

心理

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良かれと思って相手にしてあげたことに対して、向こうから感謝の言葉が返ってこなかった時に、腹がたったり悲しくなったりしたことはあるでしょうか?

感謝が返ってくるどころか、こちらのしたことに対して文句をつけてきたりダメ出しをされたり、なんてことがあったりしたら、だったら最初から何もしなければよかった、って思うこともあるかもしれません。

何か相手にしてあげて、それを相手に受け取ってもらえて、感謝の言葉のやり取りがあって、という流れがあるといい感じですが、そうなっていないということは、自分と相手との間で、どこか気持ちがすれ違っている部分があります。

相手はこういう態度をとるのではないか、という予想があるとしたら、その予想のベースになっているのは、相手はこういう人だ、という相手に対する理解です。何かしてあげた時に、ネガティブな反応が返ってくることが最初から想像できているなら、もともと何もしないはずです。そういう想像をしてなかった、ということは、相手に対する理解が何かしらずれていた可能性があります。超能力者ではないので完璧に相手の反応を想像する、なんてことはもちろんできなかったとしても、相手に対して、こういう反応であってほしい、という期待はあったかもしれません。


相手がこちらに対して、どちらかというとネガティブな反応をしているということは、こちらのことを相手も理解できていない可能性があります。自分が気分を害しているということに関して、相手がある意味無神経な反応をしていたとしたら、そこには、悪気があるというより、そこまで気分を害されるとは相手も思っていなかった、かもしれないです。

例えば、旦那様の無神経な一言で奥様がキーっとなる、というパターンが様々なご家庭で繰り返されているかもしれませんが、これは、旦那様に悪気はなくとも、奥さんの地雷ポイントを旦那様がわかっていなくて、家庭内で誤爆が起きているわけです。旦那様も最初からどこに地雷原があるか知っていれば、誤爆は防げたかもしれません。ただ、奥様の方が旦那様に「ここに地雷源があるから避けてね。」なんていうことはわざわざ言っていない、、はず。言わなくてもわかってもらわないと困る、という想いがあるからです。

この、言わなくてもわかってもらいたい、と相手に期待しているような部分があると、事故は起こりやすいです。言わないと伝わらないことって、親しい間柄でもけっこうあります。

相手のことを理解できていない部分があったり、自分のことが相手に十分に伝わっていない部分があったりすると、そこが気持ちのすれ違いを生んで、片方に悪気はないのにもう片方が傷ついてしまう、ということがあります。相手から感謝の言葉がないとき、相手を責める前に、そういったすれ違いの部分がないか、ちょっと振り返ってみるのもおすすめです。


この振り返りをするときに、最初にチェックしておいた方がいいのは、自分の中にある思い込みの部分です。自分の中では当たり前だと思い込んでいるけれども、相手にとっては当たり前ではない、という部分があると、気持ちがすれ違いやすくなります。

人間関係では、何か問題があったときに相手に変わってもらうことを期待して、心の中で相手のことを責めているばかりだと、状況が全然良くならない、ということが多いですが、自分の方に変えることができるポイントがあって、そこを動かすと状況が好転する、ということもまた多いです。

自分の中で当たり前になっていること、を動かすことはできないでしょうか?

ここは抵抗感を感じやすい部分なのですが、これを許容できた度合いだけ、相手との間にある溝を埋めていきやすいです、、、といっても何か犠牲的なことをするわけではないです。

自分の中で当たり前と思っている部分には、自分の心の中の弱かったり未成熟な部分を、ちょっと誤魔化して正当化しているような部分があったりします。

その正当化のために、ここは当たり前になってもらわないと困る、といったある意味ちょっと甘えたような部分を自分でも誤魔化しつつ持っていたりするので、そこを手放していきましょう、という話です。犠牲的になるというより、自分自身を成長させる、という感じです。

そんな誤魔化している部分なんてないよ、と言いたい気持ちが出てくることもありますが、ここはできれば真摯に向き合った方が、受け取れる部分が大きくなります。自分の心の中を分析してみてください。感謝してくれない相手のことを責めようと思っていたら、自分側にそのまんまそれがブーメランで返ってくることも、この分析では出てくることがあります。

たとえば、感謝の言葉をいうのがおっくうで、めんどくさがっているだけなんじゃないの!、と心の中で責めていたら、自分の方も、相手に言うことがおっくうで、めんどくさがって伝えなきゃいけないことを伝えていない部分が見つかる、という感じです。いやいや、相手より自分の方がまし、とか、正当化の言い訳がたくさん出てきたりもしますが、今は誰かに弁明を聞いてもらうような状況というより、自分の心と向き合っているだけですので、正直になってみてください。

完璧な人なんていないですので、自分に対して甘くなっているような、未成熟な部分は何かしらあるものです。ここで自分を責めてしまうより、自分にもまだまだ甘ちゃんな部分があるんだなあ、というくらいの認識で良いと思います。

そうすると、相手にダメな部分はあるけれども、自分にもダメな部分があって、どこかお互い様ともいえるかも、という感じの、余裕というか、隙間のような部分が心に生まれてきます。その隙間がそのまま自分が成長する要素を入れるための空きスペースになります。

自分の中で当たり前になっていた部分を動かそうとしてみて下さい。空きスペースができた後であれば、考える余地があると思います。どう変えるのがいいでしょうか?


当たり前になっている部分をちょっとでも動かすことができたら、自分と相手の間にあるコミュニケーションで変えたほうがいいところを、振り返ってみてください。

相手に対して理解が足りていないところはないでしょうか?
自分が相手に理解を求める前に、伝えられていないことはないでしょうか?
伝え方に工夫ができるところはないでしょうか?
振り返ってみたら何かしら思い当たることが出てくると思います。


相手から感謝の言葉がないことに、何かネガティブな感情を感じた時には、自分の中で当たり前になっている部分や、自分と相手との間のコミュニケーションで変えられるところはないか、一度じっくりと分析してみてください。

そこで自分が変化を起こせた分だけ、相手から感謝の言葉がないことに対してネガティブな感情を感じていたところから前に進んで成長していくことができます。

 

 

わがままな人に振り回される心理

心理 考え方

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身近にいる人のわがままに振り回されているように感じることはあるでしょうか?
相手の考え方のようなものを押し付けられて、何か犠牲的にふるまわないといけないような状況になる感じです。

相手からの愛情や友情を失うことを怖れて、本当はしたくないのに、わがままに付き合ったり、相手の言い分を飲み込んでいたりすることはあるでしょうか?
嫌われたり、責められたりしたくないから、犠牲的なふるまいをしてしまうような感じです。こういった犠牲的なふるまいをしているような感覚があるときというのは、自分の心の中で自分自身のことを責めてしまうこともあるかもしれません。

ただ、本心ではこれはあんまりよくないんだろうなあ、ということを感じているとしたら、その人との関係性をちょっと見直した方がよいかもしれません。


もし、この犠牲をやめたらどうなってしまうと思っているでしょうか?
あんまり考えたくないことかもしれませんが、相手が求めてきていることについて、断る、ということをやっていくと、どんな結果が想像できるでしょうか?
今よりも状況が悪くなる怖れがでてくるかもしれませんが、その怖れの内容はどんなものでしょうか?

例えば、断った後で罪悪感を感じることになるかもしれません。わがままを断る自分の方がわがままな気がしてきて、なんだか自分の方が間違っているような、自分の方が悪いような気がしてくるような感じです。断ることに対して罪悪感のようなものがあるケースって多いと思います。

他には例えば、嫌われる、という結果が想像できるかもしれません。言い分を通そうしてくる相手に対して、断る、という態度をとった結果、怒られたり、人格否定されるようなことを言われたり、拒絶されたりするような感じです。

結局断りきれない、という未来も想像できるかもしれません。相手に言い負かされた結果、断っている自分の方が間違っている気がして、それだったら、最初から断らなければよかった、と後悔してしまうような感じです。


犠牲的になってしまうことの裏側には、こういった自分の心の中にある感情がベースになっていて、断ることに対しての抵抗感のようなものがある、というようになっています。「断ればいいのに」なんて他の人から言われたことがある方もおられるかもしれませんが、そんなとき、そうは言ってもそんな簡単には断れないよ、なんて思っちゃったこともあるかもしれませんね。

断るということに対して相手がどんな反応をするかは相手次第なのですが、ここで大切なのは、自分の内面にどんな感情があって、犠牲的にふるまってしまっているのか、という部分です。本当の自分を出したら嫌われるかもしれない、とか、自分には価値がないから、犠牲的にふるまってでも相手に好かれるようなことをして、関係性を維持していくようなことをせねばならぬ、といった考えや感覚のようなものが心の底の方にあると、この犠牲から抜け出すことが難しくなります。

わがままに振り回される、といったことの裏側に、そういった抵抗感のようなものが自分の中にあるような感じがしたなら、その部分をちょっと見直した方が良いです。


罪悪感の例を最初の方に書きましたが、この、わがままを聞かないとなんだか申し訳ないような感覚、というのは、自分自身に対する評価が低いところに理由の一つがあります。自分のことが無価値に感じられて、そんな私でも付き合ってくれている相手に、何かしないと気が済まないような感覚です。

それがあるときに、相手にわがままを言われて、そこにこたえられない自分が申し訳ない、、、、、これが罪悪感になってくるのですが、ちょっとおかしくないでしょうか?

相手と自分の立場が入れ替わったとしたら、どう感じますか?
わがままを言うのが自分で、それを聞いているのが相手で。相手がわがままを断ってくる、というシーンを想像してみてほしいのですが、断る、ということはそんなに悪いことでしょうか?なんだかちょっと違うな、という感じがしたなら、一歩前に進んでいます。

自分のわがままは許せないけど、相手のわがままは聞かないといけない、のはなぜでしょうか?
相手が上で、自分が下だから、でしょうか?
だとしたら、それはなぜでしょうか?

なんかおかしいなって思ってもらいたいです。自分の中に、犠牲的な行為をとることが当たり前のようになっている部分があって、それがこの違和感にマヒしてしまうような部分を作り出しています。違和感に気付いたなら、そもそも、この犠牲はやめても良いのではなかろうか、という風に感じてもらいたいです。

犠牲をやめると関係性は変わります。相手が上で自分が下、という関係性を持ってくれないとイヤ、と思ってくる相手は自分から離れていきますが、その関係性は自分にとって本当に必要でしょうか?

自分には価値がない、という思い込みがあると、自分を下だと扱ってしまうような態度をとってしまいがちですが、そういう思い込みを持ちやすい人にとって求められてくるのは、自分の価値に気付く、という部分です。そのために重要になってくるのは、自分のことを大切に扱ってくれる人とのつながりであって、自分を低く扱う人とのつながり、ではないです。

自分を低く扱う人とのつながりから受け取れるのは、やっぱり自分には価値がないんだ、という感覚のリフレインです。違和感に気付いたのなら、もう、そのつながりからは卒業して、自分のことを大切に扱ってくれる人とのつながりを優先していく、もしくは、そういった関係性がまだないなら、そういった関係性を求めていく、という方向を向くようにしていった方が良いです。


相手が精神的に幼くて、依存的なふるまいが日常になっているようであれば、程度にスルーするくらいで良いです。わがままを常に聞いてあげようとするのではなくて、応えられないことは断るし、できることなら聞いてあげることもある、というくらいがちょうど良いです。自分も相手に少しならわがままも言えるし、それを断られても相手側の事情を考慮できる、というくらいが自然です。それがどちらか一方に傾いているような関係性なら、ちょっと不自然です。そのアンバランスさを察知して、何かおかしいなって思ってもらいたいです。相手のペースに巻き込まれてその関係性が当たり前なんだと思ってしまっているのであれば、その状況に違和感を感じることが大切です。

ただ、一方的にわがままを聞いてあげないといけないような状況も、中にはあると思っています。とても辛い環境ですが、、、。自分のことを低く扱っているわけではなかったとしても、その環境下である程度やっていかないといけない、ということであれば、まずその環境からの抜け出し方を考える、ということと、それも難しいようであれば、一人でそれを抱えようとするのではなく、誰かのサポートを受ける、ということをお勧めします。話を聞いてもらうだけで少し楽になれる部分がありますし、具体的な話を聞いてもらう中で、自分では思いつかなかった助言を受け取るということも、そこでは出てきます。一人では抱えないこと、というのが辛い環境ではとても大切になってきます。


わがままな人に振り回されるように感じるときは、自分の中に自分自身のことを低く扱っている部分がないか、ちょっと心の中をチェックしてみてください。低く扱う部分があると、わがままな人を周囲に引き寄せてしまう、ということも起きやすいです。