心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

空回りしているように感じているときにやった方が良いこと

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思考や感情や感覚に分離があると、やりたいことがうまくいかずに空回りしているような感じになることがあります。そういうときは、少し休息を挟んで心と体をリセットしてあげたり、自分でなんとかしようとするのを一旦手放して流れに身を委ねたり、そもそも自分が本当にやりたいことってなんだろう、ということを一旦整理してみる、といったことが有効だったりするのですが、今回の記事では、そのあたりのことを書いていきます。


本当にやりたいことと実際にやろうとしていることがアンマッチなために空回りする、というのでいくつか例をあげると、こんな感じかもしれません。

その1:「周りから認められるようなことがしたいけど、周りから認められない」
・欲しいもの:周りから認められたい。
・手に入れるための手段:周りから認められるようなことをする。
・手に入れるためにやりたいこと:認められるようになるための何かの行動。
・行動の結果:本当にしたいことはそういう行動ではなく、ただ認められたいだけなのだが、何をしても認められたとわかるような結果が出ない。
・その体験から自分が受け取る感覚:空回りしているように感じる。

その2:「すごいことがしたいけど、全然すごいことができない。」
・欲しいもの:万能感。俺スゲーとか、私すごいイケてる、って感じること。なんでも思い通りになっている感覚。
・手に入れるための手段:すごいことをやって、周りからすごい人だという扱いを受ける。やることなすこと良いリアクションが返ってくる。そんな結果を出す。
・手に入れるためにやりたいこと:すごいこと。
・行動の結果:本当にしたいことはすごいことそのものではなく、なんでも思い通りになるという状況がほしいだけで、実際は別に何もすごくない、ということがわかるような結果がでる。
・その体験から自分が受け取る感覚:空回りしているように感じる。

うまく言えないのですが、認められるようなことをして認められるようになりたい、とか、すごいことをして俺ってすげーと思いたい、というのは、別におかしなことではないと思います。なかなか上手くは言えないのですが、そういうものが欲しくなるというのは変なことでもなんでもなく、ある意味では、自然なことかもしれません。私の場合、それに近しいことをやりたくなった時に「それってそもそも本当にやりたいことだっけ?」と自問自答して、答えがNoであれば、これは違うな、と思って手を出さないようにしています。ただ、過去にはそんなことにも手を出したことがあります。その場合、答えがNoなのに、あえてそこに手を出して物事を進めだすと、空回りを感じさせられるような体験をしていました。

最初の方で例に挙げたのは、承認欲求や万能感の空回りですが、こういったものに限らず、恋愛においても、それ以外の物事についても、自分が本当にやりたいこととやっていることや感じていることが分離していたり、何かやりたいこととやるべきことがアンマッチしているような部分があると、やりたいことがすっと形になるというより、何かごちゃごちゃしたものが混じったり、思ったような結果や感覚を受け取れないような、空回りしているかのような結果を受け取りやすいです。恋愛でよくありそうな例もあげるなら、こんな感じかもしれません。

その3「魅力的な人と付き合いたいけど、そういう人とは縁がない。」
・欲しいもの:イケてる恋人。その恋人から惚れられている。私幸せ。
・手段:綺麗になる。イケてる異性の気を引く。惚れさせて付き合う。
・やりたいこと:手段と同じ。
・行動の結果:イケてる異性には相手にされない。イケてない異性から言い寄って来られる。頑張って努力しているつもりだが、そういうのは本当にしたいことではないので、だんだん疲れてくる。
・その体験から自分が受け取る感覚:空回りしているように感じる。

とはいえ、私自身も体験ありますが、恋人がなかなかできなくて、婚活とか頑張っていても上手くいかない時期が長々と続いたりすると、空回りしているように感じて、そこで辛さを感じることがあるかもしれません。


空回りしていると感じるのなら、一度自分がやっていることを振りかえってみて、それが本当に自分がやりたいことなのかをチェックしてみてください。もしかしたら、本当にやりたいことではないのだけれども、欲しい結果を手にするために、あえて無理をしていると言えなくもない部分があるかもしれません。

思考は現実化します。やりたいこととは異なることをやっていたり、良い結果が出ることが自分にはふさわしくないなど、望む結果を遠ざけるような思考や感情や感覚があると、自分の心の中でエネルギーが分散するために、空回りしているような感じを受け取りがちです。欲しいと思いながらも本心では別のことを思考していたり、本当はこれじゃないんだけど今は仕方なくこれを一旦目指すとか、純粋な願いというより、何か不純物が混じったような感じの想いを抱いた場合もエネルギーは分散し、空回りしやすくなります。空回りしているエネルギーを調整していくためには、分散している思考・感情・感覚をつなげていく、ということが大切です。

少し休息を挟んで心と体をリセットしたり、自分でなんとかしようとするのを一旦手放して流れに身を委ねる、といったことも、その調整方法の一つです。例えば、今すごく頑張っているけど空回りしているなら、一旦手を止めてみて、一歩引いて状況を俯瞰して見てみると、また違ったものが見えてきます。
「あ、ここ無理してたな。」とか、
「これはやらなくてもよかったかも。」とか、
「ここで必死になってたけれども、ここ頑張ってもあんまり意味なさそう。」とか、
「これを犠牲にしてでもやろうとしてたけれども、そもそも、こういう犠牲が良からぬものをおびき寄せていたのでは?」など。

すぐに何かを解決できるような気づきはないかもしれません。ただ、無駄に力が入っていた部分や、意味のない犠牲をしていた部分など、空回りを生み出していたものに気づくことはできます。ただ、一旦手を止める、ということは必要かもしれません。手を止めることを自分自身に許可していないと、「そうはいっても今はこれをやるしかない」といった感じの、心の中でひたすらにアクセルを踏みたくなる気持ち(ある意味では、義務感や罪悪感に近しい感覚)にひっぱられて、一歩引いて状況をみることが難しくなるためです。

何かをやめると、代わりに、他のことができるようになります。例えば、犠牲をやめると、余裕がでてきます。余裕があると、新しいことに力を向けれるようになります。執着を手放すと、代わりに、心の中にスペースができます。例えば、変なこだわりがあるような部分を手放すことができると、こだわりがあるために見ないようにしていた他の手段や可能性の部分に、手が届くようになります。空回りしているときは、エネルギーの浪費がありますが、空回りを生み出していた部分を少しでも解消していくことができると、自分が欲しいものにエネルギーを注げる状態になっていきます。


自分自身の心の中に一歩踏み込んで、自分の本音の部分を見つめてみてください。
「どうして、それが欲しいと思うんだろう?」
「本当に欲しいものって何だろう?」
「本当にやりたいことって何だろう?」

自分が欲しいものを手に入れるために、やるべきこと、というのは何かしらでてくるかもしれません。欲しいものを手に入れるための手段に対して、こだわり、のようなものが出てくることもあるかもしれません。ただ、やるべきこととやりたいことがごちゃごちゃになっていたり、やりたいこととそのための手段が自分の中で区別がつかなくなってしまっていたり、欲しいものを遠ざけるような物事への強い執着があると、空回りを感じやすくなります。

欲しいものが手に入らないで、あるいは、やるべきことがうまくこなせないで空回りが生まれているというのであれば、そこには必ず、思考の矛盾や心の葛藤のようなものがあります。矛盾や葛藤がある中から気持ちを切り替えて、シンプルに物事を見れるようになるために、自分の心の根っこにある願望をみつめてみてください。
「私、本当はどうしたいんだろう?」
ここに対する答えを基準にして、今自分にできることを整理してみたときに、やらなくていいことや、手放した方がいいものも見えてきます。


空回りをしているように感じているときにやった方がよいことを今回は書いて見ました。空回りをしているときというのは、すごくエネルギーをかけても一歩も前に進むことができず、苦しい想いをすることや、疲れ切ってしまうことも多いと思います。そんなときに、ここに書いたことを役立ててもらえるのなら、幸いです。

 

小さな楽園を作る

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自分の周りにいるごくごく身近な人たちとの間に、ありのままの自分でいられる居心地のよい関係性を作って、そこで自分の価値を感じることができたり、楽しさや嬉しさを感じることができるのなら、その場所は、ある意味では自分にとっての居場所といえるようなものではないかな、と思っています。タイトルに書いた、小さな楽園、というのはその親しい人との関係性や、その居場所のようなもののことです。

楽園というと少し大げさかもしれませんが、その関係性はかけがえのないものであり、それがないのと、それがあるのとで、人生から受け取れるものは大きく変わってくると私は思っています。

自分を取り繕う必要がなく、普段の自分から逸脱することもなく、頑張りすぎる必要もなく、ただ自分が自分のままでいるだけで、親密感を受け取ることができるような場所はとても価値が高いものだと思います。その場所にたくさんの人をいれなくてもよく、例えば自分とパートナーだけとか、息子・娘との間だけとか、家族の中だけとか、自分と信頼できる親友たちだけとか、仲間といえる人たちだけとか、限定的に少人数の中でだけでも、そこに居場所のようなものを感じられるのなら、それは素敵なことだと思っています。もちろん、そこにたくさんの人が含まれていても良いのですが、規模がごくごく小さくてもよいので、小さな楽園、なんて書き方をしています。

小さな楽園が1つでもあることで受け取れる恩恵には様々なものがありますが、全ての人にとって、そんな小さな楽園が必ずしもあるとは限らないかもしれません。ただ、私はこんなことを思っています。
「どんな人にでも、小さな楽園を作ることはできる。」
絶対に作らないといけないわけではないです。ただ、毎日が色褪せて見えたり、おもしろくなかったり、そこに苦痛があるようなときに、そこを変えていくための一つの手段として、小さな楽園を作る、という選択肢もあると思っています。そんな話を今回は書いていきます。


全ての人と仲良くなるというのは難しいことかもしれません。全ての人の前で、ありのままの自分をさらすというのは、やっている人もいれば、そんなことはできないという人もいるのではないかな、と思っています。残念ながら相性のよくない人もおり、誰とでも仲良くできるとか、誰とでも小さな楽園が作れる、というものでもないのかもしれません。ただ、自分の周りに、そんな小さな楽園が1つでもあるのなら、あるいは、小さな楽園を1つでも増やしていけるのなら、それはとても素敵なことだと私は思います。

小さな楽園があると、それを基準に他の人との関係性を見つめることができます。小さな楽園の中で自分が感じていることや自分がしている振る舞いと、それ以外の誰かとの関係性を比較することで、無理をしている自分にきづくこともできます。

集団の中にいると、その集団の中での当たり前や普通のこと、といった感じのものがありますが、それが自分にとって居心地がよいものであるとは限らないです。その集団の中で強い罪悪感を感じたり、無価値な自分を感じることもあるかもしれません。集団に馴染めないことから浮いた自分を感じることもあるかもしれません。

そんな自分がおかしいのか、あるいは、その集団がおかしいのか、それとも、その集団と自分があわないだけなのか、などといったことに意識を奪われると、思考の迷路をさまよっているかのごとく、心の中に疑いや迷いのようなものが生まれることもあるかもしれません。ただ、小さな楽園があると、そこにいるときの自分と、その集団のなかにいるときの自分を比較することで、罪悪感や自分を無価値に感じがちになっていた心の偏りを、通常の状態にリセットしてあげることもできるかもしれません。

家族と一緒にいても、パートナーと一緒にいても、友人と一緒にいても、親密感やつながりを感じられなかったり、わかってもらえていない感じがしたり、緊張感のようなものを感じることもあるかもしれません。何か引っかかっていることがあったり、あるいは、理由はわからないけれども、居心地の良さを感じられなかったり、ありのままの自分ではいられなかったりすることもあるかもしれません。お互いがお互いにとって空気のような存在で、ただ、何も感じないだけ、ということもあるかもしれません。

自分の心の内面は周囲に映し出され、心の中にある怖れや罪悪感など、人とつながるときにブロックとなっている部分が、その関係性のなかに出てきます。だから、その関係性の中で感じていることは、基本的に全て自分の内面にあるものとつながっています。

もし、小さな楽園を作ることができて、そこで居心地の良さや親密感を感じることができるのなら、それは自分の内面に、それを作り出すものがあるということを意味しています。ある意味では、小さな楽園があるということは、あなたはあなた自身のことを部分的にでも肯定している、といえるのかもしれません。


小さな楽園。このキーワードを聞いた時に、あなたはどんなことを想像したでしょうか?
私が語ろうとしている「小さな楽園を作る」ということについて、あなたの周囲の人たちとの関係性の中で、どんなことを思い巡らせたでしょうか?
小さな楽園を作ったらそれで終わりというものでもなく、そこで親密感やつながりを受け取って幸せを感じつつも、そこでの絆をより深めていったり、新しい住民をそこに招き入れたり、あるいは、新たな楽園を作り出すことにトライをしていけるものだと思っています。

これは私が勝手に思っていることですが、例えば誰かと恋愛関係になるということは、そんな小さな楽園を作るためのきっかけの一つ、なのかもしれません。例えば結婚というものは、その小さな楽園の大幅なリフォームをする、ということなのかもしれません。より絆を強固にするために。より親密感やつながりを豊かにしていくために。愛し愛される関係性をより深めていくために。

誰かと友達になる、ということも、そんな小さな楽園をつくるためのきっかけの一つ、なのかもしれません。その中には親友と呼べる人や、あるいは、相棒とよべるような人もでてくるかもしれません。そんなあなたにとって大切な人との関係性は、あなたにとって小さな楽園と呼べるもので、あなたの人生をより豊かにしてくれていると言えるものかもしれません。

「どんな人にでも、小さな楽園を作ることはできる。」
この言葉を目にして、どんな風に思ったでしょうか?
今、小さな楽園と言えるものがなくても、もし可能ならば作ってみたいという気持ちを感じる人がいらっしゃるかもしれません。今、小さな楽園と言えるものがあって、ああやっぱりこういうのって大切だな、なんていうことを思う方もいらっしゃるかもしれません。何も思わないし興味もない、と感じる人もおられるかもしれません。あるいは、作りたいけど私には無理だ、なんて思う方もおられるかもしれません。
あなたは何を思ったでしょうか?


自分に価値を見てくれる人。自分が価値を感じている人。お互いがお互いに価値を認め合える人。そんな人との間に、小さな楽園を作れる可能性があります。自己肯定感が低い人は小さな楽園を作れない、そんな風に思える人もいるかもしれません。ただ、私はこう思います。
「どんな人にでも、小さな楽園を作ることはできる。」

自分が普段考えていることや、これはこういうものだと信頼していることは、人生においての、自分自身の立ち位置のようなものを定着させていきます。その立ち位置にふさわしいものを、様々な形でわたしたちは体験し、受け取っていきます。今、小さな楽園がないのならば、それがあなたの今の立ち位置を示しているのかもしれません。

立ち位置を変えること。これはこういうものだと信頼しているものを少し変えてみること。自分が普段考えているものに、新しいものを呼び込んであげること。立ち位置が変わると受け取るものが変わり、その繰り返しが人生を変容させていきます。

自分自身が気づかなかったとしても、出会う人が変わり、人間関係が変わっていくに従って、自分自身が考えることも少しずつ変容していきます。そのなかで縁があって、小さな楽園を作っていくことができる人と出会うこともあります。

自分に価値をみてくれる人との関係性を大切にしてあげてください。自分が価値をみている人との関係性も大切にしてあげてください。そして、お互いがお互いに価値を認め合えているように感じるのなら、その人に一歩近づいてみてください。

もし、自分の心の中に、小さな楽園を作る上でブロックになるような感情や考え方を見つけたなら、それはある意味では、あなたがあなたの思考をかえるチャンスがきた、といえるのかもしれません。あなたがそれを変えた時に、あなたは自分の立ち位置を変えることができ、それはあなたの人生に新しいものを呼び込んでいくことになります。一歩でも半歩でもつま先を少しだけでも、立ち位置を変えて、その変化を受け取ろうとしてみてください。

自己肯定に対する抵抗感がつよいほどに、小さな楽園を作るまでの道のりは厳しくなるかもしれません。ただ、それはたどり着けないということではなく、たどり着くまでの道のりがただ厳しくなるだけで、絶対できないということではないです。ただ、それは小さな楽園を作れないということではなく、一緒に楽園を作れる人が見つけにくくなるだけで、絶対にできないということではないです。自己肯定感が低くても価値を見てくれる人はいるし、そばに来てくれる人はいます。ただ、抵抗が強い度合いだけ、それを受け取るまでのストレスは強くなり、そのことに難しさや怖れのようなものを感じることもあるかもしれません。それでも私はこう思います。
「どんな人にでも、小さな楽園を作ることはできる。」


心と心で繋がれる人と繋がろうと意識することが、小さな楽園を作るための条件になります。

自分と合わない人や、自分の価値をみてくれないように感じる人。自分を下に扱う人や、自分のことが眼中にない人。そんな人たちに自分のことを認めてもらおうと頑張ることにエネルギーを使ってしまうと、小さな楽園は遠ざかります。その人たちとの関係性があなたの人生において重要なところにあるのならば、あなた自身がその場所からそっと離れてあげること。あなたが立ち位置を変えることできたとき、あなたの人生のスポットライトが当たっている場所から、そんな人たちを退場させてあげることができます。自分に価値をみない人たちのことを、重要視しないであげてください。

小さな楽園の作り方は、とてもシンプルです。お互いに価値を認め合える人を見つけて、その人に与えられるものを与え、その人から受け取れるものを受け取り、与え受け取ることを通してその人との関係性を育てていく。ただ、それだけです。

作り方はシンプルなのですが、作れない理由はシンプルではないです。例えば、何か引っかかることがでてくるかもしれません。例えば、何かぶつかるようなところがでてくるかもしれません。例えば、何か許せないことがあるかもしれません。例えば、受け入れられないことがあるかもしれません。例えば、幸せを受け取ることが怖くなることがあるかもしれません。例えば、他に優先したいことが色々とあってなおざりにしてしまうこともあるかもしれません。例えば、気持ちがすれ違ってしまうことがあるかもしれません。例えば、どうしても相手を信じられないと思ってしまうこともあるかもしれません。例えば、ここに書いたことのどれかが相手の心の中に起こって、あなたには理由がわからないまま、関係性が解消されていくこともあるかもしれません。

小さな楽園の作り方はシンプルなのですが、やってみると、そこで色々なことが起こって、その度に、ある意味ではあなたは相手との関係性の中で、あなた自身はどうしたいのか、あなた自身はどういう人間で、この関係性とどう向き合っていこうと思っているのかを、問われるような状況になるかもしれません。

あなたの心の中で感じていることや考えていることが、あなた自身のまさに心の内面が、その関係性に映し出されていきます。そこで至らない自分を感じることもあるかもしれません。相手を責めたくなる気持ちがでてくることもあるかもしれません。小さな楽園を育てていくためには、相手に与えるということと、相手から受け取るということがとても大切になってきます。自分の身を守ろうとしすぎたり、自分の利益ばかりを優先しすぎようとすると、その楽園はいずれ崩壊に向かっていきます。だからもし、あなたが小さな楽園を作りたいという望みを持つのであれば、その楽園のタネとなるような関係性を育てていくために、あなたがその関係性の中でリーダーシップを発揮していくことが求められてきます。

例えば、私自身にとって、奥さんや子供との関係性は小さな楽園と言えるものなのですが、日々の暮らしの中で、いまだに至らない自分を感じることや、相手を責めたくなるようなことはちょくちょくあります。そこでリーダーシップを求められていることを感じて、えいやっと気合いをいれて行動することもちょくちょくあります。たぶん、これから先もずっとあります。だからこれは、ずっとやっていくことなんだろうなあ、なんて思っています。そして私はそのことを、あり、だと思っています。


誰かとの間に、小さな楽園が育っていっていることに気づいたのなら、その関係性の中で、お互いを認め合い、お互いを大切にし合っていることに心の中で感謝をして、その居心地の良さを十分に受け取ろうとしてみてください。相手との親密感を感じながら、その小さな楽園の中で、自然と自分自身が自分に価値をみているということを感じようとしてみてください。

愛される自分になれるように頑張るということを、手放してあげてください。ありのままの自分で、ただ相手の価値を見て相手を大切にしようとしていること(=相手に与えるということ)が、相手から自然にリターンしてきて、あなたが相手から価値をみられて大切にされているということを感じてみてください(=相手から受け取るということ)。与え受け取ることを通して、あなたが自分自身のことを肯定している瞬間を、その小さな楽園の中で、たとえ一瞬だったとしても感じとろうとしてみてください。


小さな楽園を作る、ということを今回は書いてみました。作り方はとてもシンプルです。お互いに価値を認め合える人を探して見つけ、その人に与えられるものを与えて、受け取れるものを受け取り、与え受け取ることを通してその人との関係性を育てていく、です。特別なことはなにもしなくていいし、テクニックが何もなくても大丈夫です。ただ、作れない理由は無限に出てきます。小さな楽園を作る前にも、作っていく途上にも、作った後にも。あとは、そんな作れない理由に対処していくだけなのですが、それをめんどくさいと思ったり、やりたくないと思えることもあるかもしれません。だから「この人(人たち)となら、それもありだ。」とあなたが思えるかどうかは、結構重要かもしれません。

ただ、小さな楽園を作る、というのは幸せを感じたり、自分自身がよりよいものを受け取っていくための一つの手段です。それができないからといってダメな訳ではないし、今それがないからといって悲観するものでもないと思っています。ただ、もし、あなたがこれを読んで、小さな楽園を作りたいと思えたり、今それはあるけれどももっとそれを育てていきたいと思えたり、もっとそんな関係性を増やしていきたいと思えるのなら、私はとても嬉しいです。

ここに書いたことで、何かしらお役に立てることがあるのなら、幸いです。

 

私は大丈夫って言ってしまう

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本当はいっぱいいっぱいなんだけど、大丈夫って言ってしまう、という癖のようなものを持っておられる方はいらっしゃるでしょうか?
弱いところやダメなところを隠して、本当は限界なんだけど強がって意地と見栄をはって、「私は大丈夫」って言っちゃうようなタイプの方です。私は大丈夫って強がりながら、苦しい状況をなんとかギリギリ乗り越えていくというのは、ある意味では自立的な大人の部分を心の中に持っている、と言えるかもしれません。

頼れる人がいなくて、自分一人の力でなんとか乗り越えていかなきゃならないときは、そういう部分が求められてくることもあるかもしれません。ただ、誰にも頼らないっていうところが強すぎる方の場合、パートナーに素直に頼ったほうがよいような場面でも、ついつい弱さのようなものを見せれずに強がってしまう、なんてこともあるのではないかなと思っています。無理をして、頑張りすぎて、強がるのにも疲れ切って限界を迎えた結果、何かが破綻したり、パートナーとの関係性が壊れてしまうということもあるかもしれません。

完璧な自分でありたいという想いがあったり、助けてって言えないという部分もあるかもしれません。ただ、本当はもっと素直になれるのなら、できればそのほうがいいと思っているという本音もあるのなら、ときにその強がりな部分を手放すことも必要かもしれません。


素直になったほうが良いかもしれないとは思いつつも、いざやろうとするとちょっと難しかったり、やっぱりそれだけはできない、という感じになる方もおられると思います。例えば、こんなことを考えたことはあるでしょうか?
・パートナーを本当はもっと信頼したほうがいいのかもしれないけれど、弱い自分を見せるのはやっぱり怖い。
・助けを求めたら手を差し伸べてくれるとは思うけれども、なんだか申し訳なく思う。
・自分の中の弱さを見て、こんな自分でいいのかなって思ってしまう。そんな自分を隠すかのように、頑張らなきゃいけないって思ってしまう。

その反面、強がりすぎるのもよくないと感じている部分もあるのではないかな、と思います。例えば、こんなことを思ったことはあるでしょうか?
・もし限界を迎えてしまうことがあったとしたら、それは頑張れない自分が悪い、と思う。
・強がり続けるのには、どこか無理があると自分でも思うことがある。
・いつか限界がくるかもしれない。

素直になったほうがいいとは思いつつも、そこに抵抗感のようなものがあって、心の中に葛藤を感じておられる方もいらっしゃるかもしれません。


抵抗感を作り出しているものが自分の心の中にあるとしたら、それはどんなものだと思えますでしょうか?
・助けを求めることについて申し訳ないと思う、罪悪感、のようなもの?
・パートナーに弱さを晒すことに対して感じている、怖れ、のようなもの?
・弱さを持っている自分について、こんな自分でいいのかなって自分の価値を低く扱っている、無価値感、のようなもの?
私が例に挙げたもの全てでしょうか。あるいはそのどれでもなく、ここに言葉になっていない、あなたなりにもっている何か、でしょうか?

頑張ることそのものは、良いことかもしれせん。より完璧であろうとすることも、良いことかもしれません。ただ、そうすることの目的が、罪悪感や怖れや無価値感、あるいは、あなたなりに抱えている何かを隠すためだったり、誤魔化すためだったとしたら、あなたは2重に頑張る必要性が出て来ます。頑張ることそのものに使うエネルギーとあわせて、隠すことに使うエネルギーが必要です。例えば、弱さを見せないようにするためのエネルギー、常に強い自分を取り繕うためのエネルギー、そういったものが必要になります。一生懸命頑張らないといけないときにも、ある意味では余計なことにもエネルギーを回す必要がでてきます。

隠さなきゃいけない、と思っているということは、あなたはそれをやりたくてやっているというより、やらなければならない、と思ってすることになります。やりたくてやっているときというのは、心に疲れを感じることもありますが、やりたいことをやっているがために、心に報酬も運ばれてきます。たとえば、充実感だったり、達成感だったり、楽しい感じだったり、わくわくする感じがそこにはあります。ただ、やりたい訳ではなく、やらなければならないからやっている、というのは、この報酬の部分が欠けているため、あなたはそこで疲れていくことになります。頑張ることに無理がある度合いだけ、そこで燃え尽きてしまいやすくなります。


その弱い部分や隠したい部分は、本当は、あなたが一番愛されたい部分だったりはしないでしょうか?
もしかしたらそれは、あなたの心の中の痛みがある部分かもしれません。そういった部分は、デリケートで傷つきやすく、限られた人にしか触れてもらいたくない部分であり、
優しくされたい部分でもあることが多いです。あなたの場合はどうでしょうか?

パートナーにだけでも、あなたの弱い部分を見せて、頼ってみることはできるでしょうか?
勇気がいるかもしれません。抵抗感もあるかもしれません。ただ、これができた時に、よりパートナーと深くつながることができ、愛し愛されている感覚を受け取ることができるようになります。
そんなことができるとしたら、やってみたいと思えるでしょうか?

私は大丈夫って言って自己完結させることで、特に問題が出ていないうちはそのままでもいいかもしれません。ただ、パートナーシップには様々なことがおき、このままではもう無理だと感じるような、変化が求められるような状況になることもあります。

そんなときに、パートナーに何かをゆだねたり、心の中の弱さや痛みの部分を分かち合ったり、パートナーに助けを求めることができるなら、そこを乗り越えていくことができるかもしれない、、、、
そんなことを思えるようなときに、ここに書いたことを少し思い出してもらえれば幸いです。

 

子供を見守る

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子供を見守っていたい、とは思っていても、子供が心配であれこれ口を出してしまう、ということはあるでしょうか?信頼もしてあげた方がいいのはわかっているのだけれども、親のエゴ、のような部分というか、親からすると、子供のできていない部分や幼い部分や弱い部分を見て、そこを守ってあげたかったり、育ててあげたかったり、助けてあげたかったりするような部分があって、愛情と心配がなにか一緒になってしまっているような部分もあるものかもしれません。

親も人間なので、子供がしたことで、何か自分に不利益や不都合が生まれる部分があると、そこが心配になって、子供にあれやこれや言ってしまったり、思ってしまう、というところもあるかもしれません。子供は未成熟な部分があるので、親の都合もそこまで考えていられないのも仕方ない、ということを頭ではわかっていても、どうしても感情が出てきて、子供に親の都合を押し付けてしまう、ということもあるかもしれません。


子供に対して守ってあげたいと思うということは、ちょっと観点を変えると、もし、自分が守らなかったら、この子はどうなると思っているのかというと、そこには怖れのようなものが眠っています。

この怖れが心配を作り出していきます。怖れがあると子供の弱い部分や未成熟な部分をクローズアップしてみているので、子供をそういう風に扱うようになります。親が子供に対して、「あなたは弱くて未成熟だ」、という扱いをするので、これは子供からすると面白くないわけです。

ここで親が子供の価値のある部分や、可能性や才能のある部分をクローズアップしてみてあげると、自然と子供をそういう風に扱うので、信頼している部分が子供に伝わります。親が子供に対して、「あなたはできる」、という扱いをするので、これは子供にとってとても気持ちがいいです。

愛する子供の弱い部分を知っているからこそ心配だけど、価値も知っているから信頼もしたい、というジレンマが生まれることもあると思います。その中で、信頼を送る、ということは、子供の未成熟な部分を、臭いものに蓋をするように見ないようにする、ということではなく、未成熟な部分も、価値があって可能性がある部分も両方見てあげて、そのうえで信頼することを心の中で選択する、という感じです。この信頼が、子供を見守る、ということのベースになっていきます。


ここで課題になってくるのは、親の心の中にある、執着のような部分です。

親は子供のダメな部分を見ているとき、自分の中にあるダメな部分を重ねてみています。自分ができていなくて心の中で嫌っていたり、責めているような部分を、子供の中に同じようにあるのを見てしまうと、とても攻撃的になりやすいです。

ここで大切なのは、そこを攻撃することではなくて、子供の成長を見てあげることです。子供のダメな部分だけじゃなく、価値のある部分や可能性のある部分を見て、信頼を送ってあげる、という話を少し上の方で書きましたが、子供の成長を見守る、というときにはそういったことが求められてきます。ただ、親の心の中に、自分のダメな部分を嫌っていたり、責めているような部分に強く執着するような部分があると、それがすごく難しくなります。

例えば、親が子供のころ勉強しなくて成績が悪かったのに、子供に対して、勉強しろ!、と強く説教する、なんていうのがあったり、、、、

自分が親に対して心配をかけまくっていたのに、子供が心配をかけるようなことをすると、むむむ、っとなったり、、、はい、これ私ですね。

ある意味では、子供は親にとって、自分の良い部分や悪い部分を映し出して見せてくれる鏡となるようなところがあるので、子供の中に見える課題は、親にとっても課題、となってきたりします。

子供の価値や可能性のある部分を見ると、親にとって、何か、自分が誇らしく思えてきたりしますし、子供の不出来な部分や、未成熟な部分を見ると、親にとって、自分がダメなように思えます。これを子供のせいにするのではなく、自分にとっての課題と受け取って、子供と一緒に成長する、ということが大切なのかなあ、と思っています。

だから、子供を信頼する、ということは、親にとって、自分自身を信頼する、ということにもつながってきます。

例えば、子供がなにかやらかすと、親は周りからどう見られるか、ということを考えると、子供がやることは、親である自分にも影響してくることは想像できると思います。
このとき、心配なのは、子供のことでしょうか?
それとも、自分の保身でしょうか?
そうなったときに、自分自身を信頼できるでしょうか?
ここが不安定な分だけ、子供を見守る、というよりも、そういう問題が起きないように子供をコントロールしたくなります。

コントロールに失敗して、子供が何かやらかすと、子供のことより、自分の保身で頭がいっぱいになってしまうこともあるかもしれません。親も人間ですからね。それでも、そこで子供に対する愛を選択できた分だけ、子供と一緒に親も成長できるものなのだと思っています。


色々書きましたが、親も人間ですから、何事にも完璧というのは無理ですよね。子供と一緒に、自分の未成熟な部分も成長させていきたい、なんて思っています。

 

素直になれなくてパートナーに疑いをもってしまうようなとき

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パートナーが自分のことを好きと言ってくれていても、なかなか信じることができなかったり、相手の気持ちを疑ってしまうようなことはあるでしょうか?

自分も相手のことが好きで一緒にいたいと思っていたとしても、疑いのようなものが心の中にあると、相手から好きと言われたり、何か良いことを言われたとしても、素直に信じることが難しくなることがあるかもしれません。信じるというよりもこんなことも考えやすくなるものかもしれません。
・本当に好きなのではなく、ただ遊ばれているだけだったりしないのかな?
・なんで自分なんかを好きになってくれているのかな?
・気をひくための嘘をつかれていたりしないのかな?
・自分は騙されているだけだったりしないのかな?

心優しいパートナー。たぶん、私のことは本当に愛してくれているはず、となんとなくは感じていても、それを信じることができないとしたら、それで悩んだり、苦しんだり、あるいは、信じることができないがために、この関係性が終わってしまう展開になることに怖れを感じたりすることもあるかもしれません。


自分の心の中に疑いが生まれているのは、何故だと思えるでしょうか?
相手の気持ちを素直に信じることができないのは、何故だと思えるでしょうか?

色々と例をあげてみますが、例えば、自分の価値を低く扱っているとしたら、こんな価値の低い自分のことを好きになる相手のことを、不思議に感じることがあるかもしれません。
「私なんかのどこがいいの?」
相手がいくら言葉を尽くしたとしても、自分の感覚として自分の価値は低い、とか、魅力的ではない、というものがベースにあると、相手の言葉が嘘くさく感じたり、おかしなことを言っている、というように感じてしまうかもしれません。

例えば、自己嫌悪があり、本当の自分を知ったら嫌われると思って、相手に隠しているようなところがある場合、本当の自分を知らないから好きだと言っている、と思うことがあるかもしれません。自己嫌悪が強くてそこを隠している度合いだけ、相手からの愛情を受け取りにくくなるかもしれません。

例えば、自分自身の心の内面に不安定な部分や未成熟な部分を抱えていると、パートナーの心の中にも同じようなものがあるように感じてしまうことがあります。自分の中のネガティブな部分を相手に投影して、怖れを感じたり、よくないことが起こることを想像してしまって、そこから疑いの気持ちがでてくることがあるかもしれません。

いくつか例をあげましたが、ある意味では、自分の心の中に疑いを生んでいるような部分があって、それがパートナーの愛情を受け取れなくするような心理的なブロックになっているような感じ、かもしれません。
あなたにとって、自分の心の中にあるどんな部分が相手からの愛情をブロックしていると思えるでしょうか?


恋愛関係の中では、自分の心の中の内面、特に感情的なところで抱えている課題のようなものが、様々な形で浮き彫りになってきます。自分にとって自信のないところや、自己嫌悪しているようなところ、人と距離をつくってしまうようなところが、パートナーとの関係性の中でひっかかってくることがあります。パートナーのことが好きだからこそ、この関係性を育てていきたいと思えるからこそ、そこを乗り越えたいと思った時に、そこには自分自身を成長させるチャンスのようなものがあるといえるかもしれません。

パートナーとの間にある親密感をもっと受け取っていきたい、と思えるでしょうか?
パートナーに向けている疑いの部分を、手放していくことができるなら手放していきたいと思えるでしょうか?

疑いがあるとき、パートナーのことをもっと好きになるのが怖くなったり、恋愛関係をほどほどの距離感やほどほどの関係性にしておきたい、という気持ちがでてくることもあります。パートナーともっと親密になっていくことに対しての怖れから、自分の身を守りたくなる気持ちが働くような感じです。ただ、その防衛的な感情があるがために、パートナーとの間に壁ができてしまったり、パートナーシップが行き詰まっていくこともあります。

自分の中で決めている、パートナーとの間の線引きのようなもの。これ以上は信じない。これ以上は親密にならない。これ以上は好きにならない。そんな一線のようなものが、パートナーとの間にあるようなイメージを、思い描いてみてください。そしてもし可能なら、そこから一歩踏み出すことを自分自身に許可してみてください。もちろん、今のままでも良いかもしれません。ただ、自分の中で、大切な人との関係性を継続していきたいのなら、パートナーとの恋愛関係を今よりももっとより良いものにしていきたいという想いがあるのなら、そこから一歩踏み出していくことが大切になってきます。

自分の心の中の何がパートナーとの間に壁をつくっているのかによって、具体的にどうしていくのがいいのかは変わってきます。家族との関係性がパートナーとの間にでてきているかもしれませんし、最初の方で例に挙げたような、自分の価値を感じられないところや、自己嫌悪のようなものがでてきているのかもしれません。自分の心の中を見つめてみて、今ここが自分の中でひっかかっているな、とか、このあたりが自分の弱いところかな、と思えるようなところを探ってみて、そこから一歩前に踏み出していくという選択をしてみてください。疑いを乗り越えて、パートナーに信頼を送るという選択をしてみてください。怖れを感じるかもしれませんが、それができた度合いだけ、パートナーシップから受け取れるものを豊かにしていくことができます。


素直になれなくてパートナーに疑いをもってしまうようなときのことを書いてみました。心の中に疑いが生まれている理由は人それぞれかもしれませんし、具体的にどうしたらいいのかはその理由や状況によって変わってくるかもしれませんが、疑いが強い度合いだけ、パートナーが愛情を送ろうとしてくれているのに、自分の心の中にある疑いの部分がひっかかって、そこで親密感や愛情を受け取れなくなってしまうこともあると思います。それがダメだというわけではないのですが、素直に受け取れた方がパートナーシップをより豊かにしてくことができます。親密感を受け取ることに、素直に愛情を受け取ることに、パートナーを信頼することに、自分の心の中でOKを出してあげてみてください。

 

過去のパートナーとの腐れ縁

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過去に別れたパートナーと今でも連絡をとっていて、どこかお互いのためになっていないような、どこか腐れ縁とも言えるような関係性になっているようなことはあるでしょうか?

そんなときの特徴を書くと、こんな感じかもしれません。
・相手のことを好きな訳ではなく、ただ執着してしまっているだけ。
・お互いのことを良く知りすぎていているから、恋愛感情はもうとっくに薄れてしまってはいても、ただそこに情だけが残っているために、お互いを突き放しきれない。
・一切連絡を断つ方がよいと思っていても、できていない。

過去を変えられないことも、未来を見つめて生きていった方がよいということも思ってはいても、現在の状況を変えることができずに、関係性を継続してしまっているのだとしたら、どうすれば前に進んでいけるのだろうか、と思うこともあるかもしれません。


別れることを選んだのであれば、そこには理由があると思います。この人とは無理だときっぱりと結論を出したこともあったかもしれません。ただ、それでも執着や情のような部分が残っているのだとしたら、例えば、罪悪感のようなものがあって、見捨てるような、突き放すようなことに抵抗感があるのかもしれません。例えば、相手のことを助けてあげたい、と思っているような部分が残っているのかもしれません。例えば、頭の中では終わったことと考えていても、どこか感情的なところで、自分の中で完璧には終わらせられていないような部分が残っていて、それが自分の足を引っ張っているのかもしれません。

この心の底に燃えかすのように残っている執着や情のようなものを、手放せるものなら手放したいと思えるでしょうか?

今までにも何度も手放そうと思って、ここまで来たのかもしれません。ただ、それでもまだ、どこか執着や情のようなものが自分の心の底の方に残っているのなら、前に進んでいくためにも、区切りをつけていく、ということが求められてきます。


過去のパートナーに感謝できることがあるとしたら、どんなものがあるでしょうか?
執着を手放していくのに抵抗があるとき、心の中で感謝を伝える、ということにトライしてみることで、心の底で未消化だった部分を少し燃やしてあげることができます。長い間見て来たパートナーだけに、文句の一つもいいたくなるようなことも多いかもしれませんが、感謝できることも、色々あるのではないかな、と思います。どんなものが感謝できることとして出てくるでしょうか?
いくつか思い出してみてください。


心の中に、過去のパートナーの姿を思い描いて見てください。パートナーに謝りたいことって何かあるでしょうか?
やってあげたかったけどできなかったこと、十分にはできなかったこと。後悔とまではいかないとしても、仕方ないことかもしれないけど、本当はもっと上手にしたかったこと。受け取ってあげたかったものや、与えてあげたかったもの。罪悪感を感じているようなこと。ある意味では腐れ縁とも言えるような関係性であるのなら、何かしらでてくるのではないかな、と思っています。それを、イメージの中で過去のパートナーに伝えてみてください。伝えたら、イメージの中でそのパートナーから一歩遠ざかってみてください。どんな感じがするでしょうか?


次に、心の中で過去のパートナーに感謝を伝えてみてください。先ほど「いくつか思い出してみてください」と書いていたものです。一緒にいることで、自分が受け取れたもの。優しくしてくれたようなこと。愛情を感じたようなこと。やってもらって嬉しかったこと。感謝できることを思い出してみて、それをイメージの中で過去のパートナーに伝えて見てください。伝えたら、イメージの中でそのパートナーから一歩遠ざかってみてください。
どんな感じがするでしょうか?


最後に、心の中で過去のパートナーにこの関係性を手放すということを伝えてください。伝えようとした時に、抵抗感があるかもしれません。伝えようとしても、躊躇してしまうような、やりたくてもできないような、心の中に葛藤があるかのような感覚を感じることもあるかもしれません。抵抗感がでてもOKです。抵抗感があるのなら、ただ、自分の中にあるその抵抗感を感じてあげてください。

自分の中にある抵抗感を認めてあげながら、自分自身に問いかけて見てください。
「それでも、前に進んでいきたいですか?」
答えがYesなら、気持ちの準備ができたなら、イメージの中で過去のパートナーに、この関係性を手放すということを伝えてください。
伝えたら、イメージの中でそのパートナーから大きく遠ざかってください。遠すぎて、パートナーの姿がもう見えなくなるぐらいに、一気に遠ざかってください。どんな感じがするでしょうか?


大きな何かを手放した時、ある意味では、心の中に大きなスペースができたかのような状態になります。執着を手放した時、ふっと肩の力が抜けたような、何か軽くなったような感覚を受け取られる方もおられますが、ここでよくないのは、手放して心の中にせっかく空いたスペースに、また同じものや似たものが入ってくる、というパターンです。

こういうときには、何か新しいことや、楽しいこと、やってみたいけどやってこなかったものや、チャレンジしたいものなど、心を違う方向に向けてみる、というのがおすすめです。新しい恋愛を受け取る、という方向に目を向けるのも良いかもしれません。古い執着や情を手放した時、新しいものを自分の心の中に呼び込もうとしてください。それが、前に進んでいくときの力になります。


過去のパートナーとの腐れ縁、というテーマで私なりにエクササイズも交えて書いてみました。これに合わせて、連絡を完全に断つ、相手からもらったもので今でも使っているようなものがあるのなら思い切って処分する、向こうから連絡が来ても完全にブロックする、などなど、過去のパートナーに関連したものを、どんどん整理していくということも合わせて進めてもらえれば、と思います。やるまでは抵抗感を感じてなかなか整理ができないような重たさを感じていたものも、手放してみたら、案外あっけなかったりします。その楽さや軽さを感じていただければ、と思っています。

 

パートナーの考えていることがわからない

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何年か一緒にいるけれども、なかなかパートナーとの将来が見えてこないようなときに、気持ちを疑いたくなるような言葉や、本当に好きなら言わないような違和感を感じる一言を、パートナーに言われたようなことはあるでしょうか?

パートナーとの間に倦怠感や停滞感のようなものがあって、この先もこの人と一緒にやっていけるのかなあ、、、、なんて疑問に感じるような、どこかぼやっとした感じの不安感があるときに、パートナーからそんな言葉を言われると、不安感が倍増することもあるかもしれません。

パートナーのことは好きで、自分自身としてはずっと一緒にいたいと思っていたとしても、パートナーが何を考えているのかわからないと思えるようなことがあると、私以外に誰か他に好きな人がいるのかも、なんていう疑いをかけたくなるかもしれません。


以前このブログで書いた記事に「パートナーの気持ちがわからないように感じた時」というタイトルのものがあります。

shinrinsen.hatenablog.com

一言でいうと「パートナーの気持ちがわからない時、私自身はどうしたいんだろう?、という部分が大切」といったことを書きました。
付き合いはじめの頃には気づかなかったパートナーのよくない部分が、付き合っていく中で見えてくることもあるかもしれません。結婚することを優先するとしたら、今のパートナーとは別れを選んだ方がよいと思えることもあるかもしれません。あるいは、色々あったとしても、それでも今のパートナーと一緒にいたいと思えるのかもしれません。不確かなものがある時ほど、自分自身を見失わないこと。そのためには、自分がどうしたいのか、という部分を見つめてみましょう、といったことを書いたのですが、ここで、自分の気持ちとして「このパートナーとずっと一緒にいたい」というのが最優先事項としてあるのであれば、、、、といったところを今回は書いていきます。

 

このパートナーとずっと一緒にいたいとして、自分にできることにはどんなものがあると思えるでしょうか?
振り返ってみると自分にもよくないところがあって、直した方が良いかも、と思えるところがあったりするかもしれません。

私たちが思考していることには、物事の結果をまねきよせるような力があり、私たちが信じているように、あるいは、怖れているように、物事が流れていくようなところがあります。絶対にうまくいかない、と思っていたら、やっぱりうまくいかなかったり、うまくいかなかったらどうしよう、なんて怖れを抱いていたら、よくない出来事が起こったり、なんていうことがあります。

恋愛関係の中でもこれは作用します。自分が考えていることや感じていること、あるいは、信じていることは、普段の言動や表情や雰囲気にでてきて、それはパートナーからも感じとられるものとなり、パートナーに対して良い影響も悪い影響も与えます。例えば、私には魅力がない、とか、価値がない、とか思っていたら、最初はパートナーもあなたに魅力を感じていたとしても、だんだん「私には魅力がない」という思考にパートナーが引っ張られやすくなります。例えば、私たちはうまくいかないかもしれない、と思っていたら、パートナーも同じように感じやすくなりますし、その反対に、パートナーが考えていることや感じていることが、あなたに影響を与えるという部分もあります。ネガティブなものもポジティブなものも含めて、100%相手にひっぱられてしまう、というよりお互いに影響しあいます。

ずっと一緒にいたいという願望を抱くのであれば、パートナーがどう考えているのかはさておいて、あなた自身、このパートナーシップが上手くいくということを信頼する、という部分が大切です。もちろん、不安に感じることや怖れがあるから、信じたくてもなかなか信じにくい、という部分もあるから、相手の考えていることがわからなくなったり、ときに迷いが出てくることもあったりするものかもしれません。ただ、あなた自身にできることとして、信頼することを心のなかで選択する、ということも心に置いといていただければと思います。


自分はどうしたいのか? その答えが今のパートナーを選びつづけていくこと、なのだとしたら、うまくいかないような可能性があったとしても、今のパートナーとの関係性を育てていきたいというのがあなたの最優先事項なのだとしたら、あなたにできることとして、今のパートナーシップがどんな風に育っていくのかについて、今よりももっと良い状態になったときのビジョンを心の中に思い描こうとしてみてください。そのビジョンににたどり着くための恋愛のプロセスに、信頼を送ろうとしてみてください。

やろうとしたときに、抵抗感が出るかもしれません。自分が何をどう考えるかというよりも、こんなパートナーに対してどう接していくのがいいのか、を知りたいという気持ちが湧いてくるかもしれません。心理学的な何かを使った、テクニックのようなものを身に付けたいと思う人もおられるかもしれません。ただ、ここで大切なのは、相手を変えようとするコントロールの手法を自分が身につけるということではなく、自分自身がより良いパートナーシップを受け取るための土台となるようなマインドを身につける、ということです。そのためには、信頼、が大切です。

2人の関係性はこの先どうなっていくのが良いと思えるでしょうか?
そのビジョンを受け取るために、あなたはどうしていくのがいいでしょうか?
自分にできることとして、何があるでしょうか?

心の中に信頼がなくて、怖れや不安感を強く感じている状態だと、こういうことを聞かれるのも考えるのも辛くなるものかもしれません。良くなっていくビジョンなんてなかなか想像できないし、自分にできることがあるとも思えない、ということもあるかもしれません。自分がどうというよりも、パートナーの方を責めたくなる気持ちがでてくることもあるかもしれません。ただ、そのマインドは、パートナーシップがよくない方向に行く流れを生み出していきます。責められたパートナーは悪いところを直そうというより、逃げたり反撃したい気持ちを抱きやすくなります。「相手が悪い」という思考にパートナーが同調して、パートナーから「おまえの方が悪い」と思われやすくなります。自分にできることは何もないという思考はパートナーにも伝搬して、パートナーも同じように「自分にもできることは何もない」と考えやすくなり、今後も何も変わらないか、あるいは、その行きづまり感や停滞感にパートナーが同調して行くことになりやすくなります。

以前このブログで書いた記事に「将来への不安におそわれて何もやる気が起きないとき」というタイトルのものがあります。不安感があって、自分の中で信頼感のようなものを取り戻していきたいというときに、おすすめのエクササイズも書いています。信頼っていうけれども、どうやってやったらいいの?、と思われる方には、ぜひ一度試してもらえればと思っています。

shinrinsen.hatenablog.com

 

パートナーの考えていることがわからなくて、パートナーシップに停滞感があるようなときに、もし、それでもそのパートナーとの関係性を続けて行くことを強く望むのであれば、そこから、自分自身が一歩前に進んで行くことが求められてきます。

例えば、自分の中にあるネガティブな感情や、それがあることからやってしまっているパートナーに対してのよくない言動などあれば、成長して行くことが求められてくることもあるかもしれません。本音のコミュニケーションができていないところがあれば、思い切って話をしてみることが必要なこともあるかもしれません。パートナーの側の問題、例えば、キャリアに関して行き詰まっているところがあって、それがパートナーシップにも影響しているところがあるのなら、あなたにサポートできるところをもっとやって行った方がよいのかもしれません。そもそも何をやってもうまく行くわけがないと、何かを始める前から決めつけているようなところがあるのなら、まずは、信頼、からスタートをするのが良いかもしれません。結婚するということに対して、ただ単にパートナーが及び腰になっているだけなのだとしたら、自分がリーダーシップを取って行ったり、不安感を取り除けるように動けるところは動いて行ったほうが良いのかもしれません。どんな状況で停滞感が生まれていたり、パートナーの考えていることがわからなくなっているのか、にもよるとは思いますが、基本は同じで、自分が一歩前に踏み出す、という部分が大切です。

ただ、自分にできることをやりきっても、今のパートナーとの間にどうしても未来がみえなくて、自分がどうしていきたいのか、というのを考えた時に、パートナーと一緒にやっていくという状態ではなくなった場合には、今のパートナーとの関係性を手放して行く、という選択肢を考えてみても良いかもしれません。


パートナーの考えていることがわからないとき、相手を責めたくなるものかもしれませんし、自分自身がどこか被害者のような考え方をしたくなるかもしれません。ただ、自分が面白くない状態にある理由を、自分の外側に求めると物事は行き詰まっていきます。パートナーシップに停滞感があるときというのは、苦しいときかもしれません。ただ、そこを抜けて行くために求められることは、自分がどうしたいのか? ということと、自分がやりたいことがあるのなら、そこにむけて主体的に前に一歩踏み出して行くということと思っています。ここに書いたことで何か一つでもお役にたつことがあるのなら、幸いです。