心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

やりたいことが見つからない

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やりたいことがないと、ダメ、という訳でもないと思うのですが、やりたいこととか、好きなものが見つからないということに、頭を悩ませている方もおられるかもしれない、なんて思っています。
「今、やりたいこととか、好きなものとかは特にないかなー」
というお気楽な感じでも全然良いと思うのですが、この最初の「今」の部分がとれて、私、やりたいこと、ずーっとない、、、、私はなんて空虚な人間、、、、なんて方向に思考がいくと、ダークな気分になってくることもあるかもしれません。

「私がやりたいことって何だろう?」
仕事を意識した時に、このあたりのことを自問自答する機会は多いかもしれません。やりたいことを仕事にする、というのは素敵なことだと思います。どうせ仕事にするのなら、少しでもモチベーションを感じるものを、という気持ちを抱くのも自然なことかもしれません。ただ、好きなことを仕事にしたつもりが好きなこと以外もやらないといけない、とか、実際やってみたら思っていたのとなんか違う、とか、それで本当に食べていけるのなら、とか、色々そこには混ざってくるものもありますが、それはさておき、、、、。

そもそも「私がやりたいこととか、好きなことって何だろう」って考えた時に、自分の内側から何も出てこないような感覚がある場合、まず、そのスタートラインに立てていないように感じる方もおられるかもしれません。


ただ、そういったことを考えているうちに、こんなことを言いたくなった方はおられるでしょうか?
「やりたいことがないと、あかんのかい!」
→ あかんことないと思います。

こんなことを考えたことのある方もおられるかもしれません。
「好きなことがなかったら、そもそも、どこに向かったらいいのかわからない。好きなことがないと、何もできないのでは?」
→ どこに向かったらいいのかわからない感は、でてくるものかもしれません。

誰かにこのことを相談した時に、こんなことを言われたことのある方もおられるかもしれません。
・何でもいいから一生懸命に取り組んでみなよ。
・いろんなことを試してみたらいいんじゃないかな?
そういうの耳にタコができるくらい聞いた、なんて思ったとしても、ブラウザバックしないでいただくとありがたいです。今回、私の伝えたきことは、それらとちょっと角度を変えて違うことですので、よろしければもう少しおつきあいを。


私は記事の中で、執着を手放す、ということをよく書いています。私の記事をよく読んでくださっている方は、それこそ「手放す」というキーワードを、目にタコがでてきるくらい目にしているかもしれません。今回もまず私が伝えたきことは、手放す、です。といっても、やりたいことが見つからないと言っているのに、何を手放せというのか、と私を問いただしたくなるかもしれませんね。

それがどんな状況であれ、自分自身が体験していることというのは、自分自身がその状況になることを望んでいたり、それが自分にはふさわしい、ということを心の中で選択している部分があります。
「やりたいことがない」と感じているということは、その状況を作り出している自分自身の感情や思考があります。
ただ、現状にOKを出せていないということは、少なくともそこに変えた方が良いものがあるということを自分が感じているということになります。手放した方がよいのは、その変化をブロックしている部分です。

例えば、自分自身のこうありたい、という気持ちと、自分自身が実際にはこういう感じ、という間のずれが大きくて、自分自身がやりたいことというのはこういう感じのものじゃないとダメ、という感覚と、本来の自分自身がモチベーションを感じることとの間にずれが生まれたとします。これは、手放した方がよいものの一例ですが、この場合に手放した方が良いのは、この「自分自身がやりたいことというのはこういう感じのものじゃないとダメ」の部分です。本来の自分自身がモチベーションを感じることがあったとしても、その思考によって意欲をシャットアウトされると「やりたいことがない」になります。

例えば、自分のやりたいことというのは、言葉にはうまくできないから人には言いたくないけれども、ふわふわっとしたイメージのようなものはなんとなく心の中にある、とします。そのイメージはなんとなく幼くて、それを人に伝えようとしても、恥ずかしい想いをすることになりそうだから、なんとなく心に秘めている、とします。この場合、たとえそれが、あなたが本当にモチベーションを強く感じることだったとしても、
「あなたのやりたいことは何ですか?」と問われた時に、それがそのまんま口にされることはないかもしれません。その代わり、あなたの大人の部分から出てくる思考はこれになります。
「やりたいことがない」
この場合、私が手放した方がいいと思うのは「自分がやりたいことというのは人に堂々と伝えられるようなものじゃないとダメ」の部分です。この場合は、やりたいことがないわけではなくて、言葉や形にできていないだけです。であれば、言葉や形にできるように自分の想いを育成していく、ということなら、あなたはまだモチベーションを感じられるかもしれません。ただ、ダメ出しが強いと、OKを出せるレベルまで育成するのにすごく困難さが生まれるかもしれません。ダメ出しを手放してハードルを下げるか、OKでるまで育成を頑張るのかは、、、、、その人次第かもしれませんが、私のおすすめは、できる限り手放して、そのハードルを下げてあげる、です。手放してハードルが下がった分、想い(大義名分のようなもの)の育成よりも、やりたいことの現実化のほうにエネルギーを注げるようになるからです。

例えば、それは「好きなことがないとダメ」と自分自身に厳しいジャッジを出しているそのダメだしをする思考を手放して、もっと気楽な感じを受け取った方がいいよ、ということかもしれません。仮に、好きなことを見つけるために、あらゆることを一生懸命にやりすぎて疲れ切っている人がいたとしたら、この人は好きなことをしているというより、「好きなことを見つける」というハードワークを自分に課して義務感で行動をしていることになります。好きなことをするというのは自分自身を縛る延長線上にあることではなく、自分自身がある意味では自由に振舞うことの延長線上にあるものです。「好きなものがないとダメ」と自分を縛っている状況の延長線上に、自由に「好きなことをしている」状態が生まれる、、、、というのは、ちょっと不自然かもしれません。


やりたいことが見つからない時は、やりたいことを見つけたいという気持ちと、それをブロックする部分との間で、エネルギーの押し合いがあり、硬直状態が生まれています。そんな硬直状態が長く続いているような場合、そこに変化を呼び込むための一手としておすすめなのは、まず、自分の心の中にブロックしている部分があるということを認めてあげること、なんて私は思っています。

「何がブロックになっているのだろう?」
それがなかなか思いつかないこともあるかもしれません。もちろん、上に私がいくつか書いた例をみて、何かしら気づきがあったとしたのなら、幸いです。ただ、なかなか思いつかないような場合は、ヒントを得るためのやり方の一つとして、メリットとデメリットを探してみる、というものがあります。
・やりたいことがみつからないことで、むしろメリットがあること
・やりたいことがみつかってしまうと出てくるデメリット
思いつきでも何でもいいので、両方足して最低でも5個くらい出してみてください。こういうのをやると、たいてい本音は最後の方に出てくる傾向がありますので、やるのであればなるべく頑張ってひねり出してみてください。このメリット・デメリットの部分から、変化をブロックするマインドが生まれてきます。

ブロックに気づいたら、まずは自分の中にあるそのマインドを受け入れてあげてください。そんなことを思っているからダメなんだ、なんて、自分自身にダメだしをせずに、自分にはそんな部分もあるのだな、ということを静かにただ受け入れてあげてください。ブロックがあるがために、ある意味では助かっている部分もあると思います。否定するのではなく、そのマインドをただ受容してみてくださいませ。


もし、そのブロックを手放したいと思えるのであれば、以下のことを順番に自分に問いかけてみてください。
1.そのブロックを手放せますか?
2.そのブロックを手放しますか?
3.いつ手放しますか?
直感で即答してください。回答は、はい、いいえ、どちらでも構わないです。いつ、の問いかけに対しては、とにかく今は無理、とか、わからない、でも良いです。一通り答えたら、もう一度、1から順に繰り返してください。できれば、何回か繰り返してみてください。特にそのブロックが根深く自分の心の中に張り付いている場合は、ネガティブな答えがでやすいかもしれません。ただ、ネガティブな回答を最初していたとしても、何回か繰り返していくうちに、ポジティブな回答に変わっていくという変化を感じられることがあります。そのプロセスこそが、ブロックが手放されていく流れを生み出していきます。このエクササイズを実際にやってみることで、少し心がふわっと軽くなる感覚を感じてもらえるのなら、幸いです。


やりたいことが見つからない、というときのことを、私なりに掘り下げて書いてみました。苦しみを感じている時というのは、それを生み出しているものが心の中にあり、それを手放すことができたときに自由さを感じることができます。やりたいことに気づいてそこにモチベーションを感じる、ということを阻んでいるものが心の中に制約としてあるのであれば、その制約を解除してあげた方が、やりたいことをして楽しむ、というための心の余裕のようなものをより多く受け取ることができます。やりたいことを無理やり探す、というよりも、この自由さの部分をより多く受け取っていきながら、やりたいことと出会えたり、やりたいことにだんだんと気づいていくという流れの延長線上に、やりたいことで自己実現していく、という部分が生まれてくる、なんて思っています。

ここに書いたことで、何かしらお役に立てることがあるのなら、幸いです。



セドナメソッドについて
「手放せますか?→はい/いいえで答える。手放しますか?→はい/いいえで答える。いつ手放しますか?→答える。」の部分はセドナメソッドを使っています。セドナメソッドについては本も出版されておりますので、興味のある方は読んでみて下さい。

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

 

セドナメソッドの公式ホームページは以下のものです。

The Sedona Method | Heal Yourself by Letting Go | Official Site

 

いつも相手に冷められてしまう

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付き合い始めの頃は相手からの好意があったのに、付き合っているうちにだんだん相手が冷めてきて、最終的にお別れすることになる、といった恋愛の終わり方があります。

恋愛が終わるとき、その別れの理由には様々なものがあると思います。例えば、価値観の行き違いや、どうしても許せない出来事があってお別れになることもあれば、ケンカ別れなど。ただ、そういう衝突があった訳でもなく、単純に気持ちが冷めたからお別れすることになった、ということもあると思います。人によっては、過去を振り返ってみると、誰がお相手であってもこのパターンが繰り返されている、、、なんていう方もいらっしゃるかもしれません。

いつも相手が冷めて別れることになってしまう、というパターンが繰り返されている場合、自分に何か問題があるのではないだろうか、とか、異性に愛される自信がない、といった感覚をお持ちになられる方もおられるかもしれません。いつも恋愛がうまくいかなくなることから、自分にダメ出しをされる方もおられるかもしれませんし、行き詰まりのようなものを感じて、そこで悩みや迷いのようなものを抱くかたもおられるかもしれません。

前に進みたくてもなかなか前に進めないときというのは、前に進めないように無意識のうちに心の中でブレーキを踏んでいることがあります。ブレーキを解除してあげることができると、今までとは違う結果が受け取れるようになりますが、そのためには、自分が抱えている心理面の課題(=どこでブレーキを踏んでいるのか)を明確にして、そこをクリアしていくということが求められてきます。1つの別れも、恋愛を通して自分自身を成長させていくためのプロセスの1つです。このありがたくないパターンの繰り返しから抜け出していくためにどうするのがいいのか、というあたりを今回は書いてみましたので、よろしければ読んでみてくださいませ。


恋愛関係では、惚れた側が相手に依存しているような感じになり、その反対に惚れられている側が自立しているような感じになりやすいです。相思相愛で惚れている度合いがだいたい同じくらいだとバランスが良いといえるかもしれません。ただ、そのバランスが少し崩れている感じだと、どちらかというと自立している側が恋愛関係の主導権を握る感じになります。このとき、依存側は別れたいなんて思いもしないかもしれませんが、自立側は別れも選択肢としては見えているような、、、、そんな感じになることもあります。

例えば、相手からアプローチしてこられて、自分が付き合うことにOKして、恋愛関係がスタートしたとします。最初は自分が自立側で、相手が依存側、という感じです。最初は何とも思っていなかった相手に対して、「好き」という気持ちが自分の中でだんだん大きくなっていくのに対して、相手側の心の中にある「好き」という気持ちが落ち着いてくると、この依存側と自立側が入れ替わるという逆転現象が往々にして起こります。自立側は依存側ほど感情を感じず、冷静に物事を判断できる状態になります。そうなると、自立側はまるで恋愛感情が冷めてしまったかのように感じやすくもなります。必ずこうなるという訳ではないのですが、、、ここで自立側が別れを選ぶことになると、恋愛関係が終わりを迎えます。


心の中に、大切な人が自分から離れていくことへの悲しみや、人から見捨てられる悲しみ、あるいは、愛されない悲しみのようなものがある場合、パートナーから愛される自信がない、といった感覚を覚えることがあります。この場合、お付き合いしている人がいても、相手から本当に愛されているか不安になったり、いつかは別れることになるという思考が頭の中に根付いたりします。その結果、本当に愛されなくなったり、本当に別れることになってしまう、という事態をおびき寄せやすくなります。自分が自立側で相手が依存側の場合は、まだこの怖れがただの幻想であったのが、逆転現象が起きて相手が自立側にたった途端に、この怖れが現実になる、ということが往々にして起きます。

「自分には人から愛されるような価値はない。」
悲しみがあるとき、そんな風に自分自身を判断してしまいたくなる気持ちが湧いてくるかもしれません。自分のことを価値があると感じられないから自分のことが嫌いになったり、自分の弱い部分や心に痛みのある部分を自分では愛することができないから、パートナーからそこを愛されたいと強烈に願ったりすることもあるかもしれません。

もしかしたら、パートナーに対してこの部分を愛してもらいたいと期待した瞬間に、「好き」という気持ちが心から溢れてきて、今まで自立側だったのが依存側に大きく傾く、なんていうこともあるかもしれませんね。

この場合、少し時間はかかるかもしれませんし、じっくりと腰を据えて取り組んでいくことになるかもしれませんが、自分自身を愛することや、自分に価値を感じていく、ということがとても大切になってきます。見捨てられる悲しみや、自分自身に価値はないなんて判断してしまっているマインドを手放して、自分自身を愛することを選択していくこと。特に、自分の弱い部分や依存的な部分に関して、誰か(例えばパートナーとか)に何とかしてもらうことを期待する気持ちがちょっとあるのに、それが全然叶えられないのであれば、まずは自分自身がその部分を愛していく、ということがとても大切です。

恋愛関係にあるパートナーと自分の間には感情の共鳴が発生しやすくなります。簡単にいうと、同じことを感じやすくなります。必ずしもそうなる訳ではないのですが、自分の中にある依存的な部分を愛せない気持ちも、パートナーに伝搬することがあります。その気持ちが伝搬したとき、パートナーが自分のことをどんな風に感じるか、それは何となく想像できると思います。だから、この部分を自分でケアするということが、とても大切です。同じことの繰り返しを断ち切るためにも。

自分自身の成長のプロセスを信頼してあげてください。恋愛は自分の心の内面を思い知らされるかのような場面が多いものかもしれませんが、そこで学べることは大きく、成長した度合いだけ、恋愛の中で自分が体験することも変化していきます。望んでいる結果が自分のもとに訪れることを信頼できた度合いだけ、より良い結果がやってきやすくなります。だからこそ、同じことの繰り返しではなく、違う結果、より良い結果が自分に訪れることを信頼してあげてください。


上に書いたことは自分の内面で起こっていることと、それに対するケアの話ですが、それ以外にも、パートナーとの恋愛関係を終わりに向かわせるような行動パターンがある場合には、その行動パターンを手放していく、ということが大切です。いくつか例をあげます。ここに書いた以外にも色々なパターンがあるかとも思います。良からぬ行動パターンに気づけたのなら、その都度手放していく、ということが大切です。

・良かれと思って彼の世話を焼きすぎた結果、女としてみられなくなる。ただの彼の世話焼き係、話の相談相手、ある意味お母さんみたいになる。
・自分の異性としての魅力が低いと感じていて、そこを埋め合わせるために行動で魅力の低さをカバーしようとする。尽くしすぎた結果、相手にとってあなたが頑張るのが当たり前になり、相手になめられる。
・依存側に回ってからも何度も何度も相手に「好きだよ」と言い、自立側に回って冷静になっている相手から「好き」のメッセージを引き出そうとする。
・自分の面倒を相手に見させようとする。最初はよかったものの、自立と依存の逆転が起こってきて、相手がだんだん自分の面倒を見るのに疲れてきても、気にせず相手に自分の面倒を見させようとする。

客観的に見るとやめたほうがいいと思えることでも、いざ自分のこととなるとやっちゃってる、、、、ということもあるかもしれません。


いつも相手に冷められてしまう、というときにみておいたほうが良いことについて、今回は掘り下げて書いてみました。何かしらお役に立つところがあれば、幸いです。

 

過去の傷跡を自分の勲章のようにする

benzo10さんによるイラストACからのイラスト

昔体験した辛いことや傷ついたことについて、自分の中でその部分をあえて大切にしている、といったようなことはあるでしょうか?
何を言っているのかというと、、、、例えば、ベテラン社員が新人に過去の自分の仕事上での苦労話を、わりと誇らしげに語っているところを想像してみてください。そのエピソードは、ある意味では「乗り越えてきたこと」であり、人から「偉いね」って認めてもらいたいような部分かもしれません。新人が「よしよし偉かったねー」って返してたら微妙な空気になるかもしれませんが、それはさておき、、、、。
人には語らないまでも(語ってても良いのですが)、自分の中で大事にしている過去の傷跡、というので思い当たるようなものはあるでしょうか?

昔傷ついた時に、自分は間違っていない、とか、相手や周りが間違っている、と思ったとしたら、心の中で自分なりの正しさのようなものが作られて、それが自分なりの価値観の一部となっていくことがあります。その場合、その価値観を大切にするのと同じように、その傷跡も大切にしていくことで、過去の傷跡を引きずるようになってしまうこともあります。

それがあるがために、何か頑ななものの見方を形作ってしまうことになったり、誰かに対する批判や、誰かとの対立を生み出したり、犠牲的な感じで物事を進めてしまったり、という感じになることもあるかもしれません。


過去の傷を生み出したその体験が教えてくれるのは、誰が正しいのか、ということではなく、自分にそこを乗り越える力がある、ということです。

傷ついているところには、罪悪感があったり、無力感があったりしますが、さらにその下に、才能だったり、とても純粋な想いのようなものがあります。例えばそれは、痛みや辛さを乗り越えていく力だったり、愛であったり、優しさであったり、誰かを助けたい、という想いであったり、とても強い情熱が眠っているケースもあるかもしれません。

過去の傷を勲章のように扱って、その部分への執着が強くなっていくと、傷ついたときに自分を守るために生まれた正しさの部分や、罪悪感や無力感に縛られてしまいやすくなります。そこに意識を強く向けるがために、心の中のエネルギーが注がれた度合いだけ、自分が本来持っている才能の部分はブロックされて出てきにくくなります。

過去に傷ついたことで、今でもその傷跡を大切にしているような部分があったとしたら、それを手放すのには抵抗があるかもしれません。その傷跡はまるで自分の一部のようになっていて、それを手放すと自分が自分でなくなってしまう感覚を持つ方もおられるかもしれません。

ただ、それは誤解です。傷跡を手放したときに、自分が自分でなくなってしまうのではなく、傷跡の下側にある、才能や愛や情熱や優しさの部分を、今よりももっと楽に与えていける自分自身を受け取ることができるだけです。過去の傷跡への執着を手放したとしても、過去に傷ついた、ということの重みが軽くなるだけで、いつでも思い出すことはできる学びのある記憶として、心の中には残り続けます。


もし、過去の傷跡を大切にしてしまっている部分があって手放した方がよいかもしれない、なんて少しでも思えるのだとしたら、ぜひ、手放すことにトライしてみてください。過去の傷跡への執着を手放すことで受け取ることができる、心が軽くなったり、楽さを感じる、といったことをぜひ体験してみてもらえれば、なんて思っています。

 

誰にでもできる執着を手放すイメージワークのやり方

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自分の中で何か行き詰りのようなものを感じているときに、自分の心の中にある執着を手放す、というのはとても効果的です。

例えばよくあるケースとしては、失恋から立ち直りたいときに、相手に対してまだ残っている執着の部分を手放す、というのものがあります。

恋愛に限らず、何か行き詰まりを感じているときには、何かに対しての執着が残っているがために前に進むことができなくなってしまっている、なんていうことが良くあります。

そんなとき、自分が何に執着しているのかに気付いてそれを手放す、ということができると、行き詰まりを解消していくためのプロセスを、よりスムーズにスタートできるようになります。

ただ、執着を手放したくても、なかなかうまくいかない、とか、ピンとこない、とか、やり方がわからない、と思われる方もおられるのではないかな、と思っています。

以下に、誰でもできる執着を手放すイメージワークのやり方、を書きました。執着を手放すということに、わずかにでもモチベーションを感じていただけるのであれば、ぜひ一度トライしてみてもらえれば、なんて思っています。

執着を手放すイメージワーク

1.執着しているもののリストを作る

まず、執着しているものの一覧を作ります。

メモをするのは、紙でもスマホでもパソコンでも、後で自分が読み返せる状態なら、なんでもOKです。

ただし、頭の中、というのは、お勧めできないです。いざ、執着を手放すというときに、強い抵抗感が出ると、手放したいものがなんだったのか本気で忘れてしまうこともありますので、必ずメモしてください。

一覧を作る、と書きましたが、いっぱい書かないといけない、という訳ではないです。

リストに書くものは1つだけでも全然構わないです。執着を手放すのにもすごくエネルギーや時間がかかることもあります。1つだったとしても、その1つを手放すということにとても意味があります。

1つの場合は、その1つだけをメモにしてください。

2.感謝の言葉

執着しているもの。それはある意味では、自分にとってとても必要だったもの、かもしれません。

それがあるおかげで助かった、とか、有り難かった部分もあると思います。そうでなければ、そもそも執着なんてしなかったかもしれません。

だから、執着しているものに対して、探せば何かしら感謝できるところがあると思います。

執着しているものに対して、感謝の言葉を1つずつ作ってみてください。手放したい執着は1つだけの場合は、感謝の言葉を1つを作って下さい。

もちろん思いつくものがたくさんあるのなら、たくさん作ってもらっても全然構わないです。

それを、執着しているもののリストに追記してください。これも必ずメモして下さい。

3.執着を手放す代わりに受け取るもの

やってみるとわかるのですが、執着を手放すと、手放した分だけ心の中にちょっとした余裕というか、余白のようなものが生まれます。

空いたスペースにはそのうち何かが入っていきますが、放っておくとせっかく手放したものがまた舞い戻ってくる、なんていうこともあります。

だから、そうなる前に、代わりにもっとより良いものを受け取れるように、あらかじめ手放した代わりに何を受け取るのかを、自分で決めておいた方が良いです。

自分の成長につながるようなことで、執着を手放すかわりに受け取りたいものを、何か1つ以上あげてみてください(1個だけでも構わないです)。これも同じようにメモしてください。

4.リラックス

1〜3ができたら、いよいよ執着を手放すイメージワークをやっていくことになるのですが、その前に、軽くリラックスする時間を取ってみてください。

お風呂に入る、とかでもいいですし、飲み物を飲むのでも、トイレに行くのでもいいです。

準備段階の1〜3を作るためにあれこれ考えたり、ちょっと脇にそれて落ち込んだり、昔のことを思い出して嫌な気分になったりすることもあるかもしれません。

そこでちょこっとお疲れになられるような方もおられるのではないかな、と思っています。

一旦仕切り直して、気持ちをリセットしてみてください。

※これが特に必要ない、と思えるなら、次にそのまま行ってください。

5.イメージワーク

執着しているもののリストから、1つ選択してください。

心の中でその選択したものを強く思い描いてみてください。そして、心の中でこう宣言してください。

「私はXXへの執着を手放します。」

宣言したら、その心の中で思い描いたものから、一歩離れてください。離れたときに、自分の中にいろんな感情があがってくることがあるかもしれませんが、その感情をそのまま感じてみてください。

次に、感謝の言葉を心の中で読み上げてください。準備段階で作った、執着しているものに対しての感謝の言葉です。内容を忘れていたのなら、メモを読み返してください。

もし、執着を手放す対象が人なら、その人の目を見てその感謝の言葉を伝えてみてください。その感謝を伝えたら、相手はどんな反応をするか自由に思い描いてみてください。

感謝の言葉を心の中で読み上げたら、その心の中で思い描いたものから、さらに一歩離れてください。

次に、準備段階で作った、執着を手放す代わりに受け取るものを、心の中で読み上げてください。

「私は、XXへの執着を手放す代わりに、○○○を受け取ります。」

宣言したら、その心の中で思い描いたものから、ぐ〜んと離れて距離をとってください。どんどん離れて、もうイメージが見えなくなるまで離れてください。

これで1つ終わりです。

執着しているものリストに複数項目を書いている場合は、その数だけ上記の内容を繰り返してください。

6.振り返り

1〜5をやってみて、どんな感じがするか振り返ってみてください。

やる前と比べてみて心が軽くなった、とか、ちょっとすっきりした感覚があったら一歩前進です。自分がちょっとでも良くなった部分として、どんなものがあるか心の中を探ってみてください。

振り返りが終わったら、これで執着を手放すイメージワークは終了です。

執着は一度手放しても、また、執着が自分の心の中に戻ってくることがありますが、その場合は、もう一度手放す、というだけです。

例えば、もう一度このイメージワークをやることで、執着を手放すという感覚をもう一度思い出してもらうこともできます。

その場合、2度目の方が1度目よりもより簡単にできるようになっていると思います。繰り返し手放していくことで、より執着にとらわれにくくなっていきます。

執着を手放すやり方はいくつもありますが、ここに書いたのはあくまでその1つです。

手段・方法はなんでもよく、誤解を怖れずにものすごく簡単にいうと「執着を手放す」と自分の心の中で決めればよいだけですが、その感覚がなかなか掴めないこともあるのではないかな、なんて思っています。

そんなとき、ここに書いたイメージワークを役立てていただければ、と思います。

親との癒着

<a href="https://www.ac-illust.com/main/profile.php?id=vJLuILOv&amp;area=1">ダーダー</a>さんによる<a href="https://www.ac-illust.com/">イラストAC</a>からのイラスト

親との結びつきが強すぎるあまりに、その人にとって親のことが重荷になってくる、ということがあります。よくあるケースとしては、母親との間に癒着があり、その母親からの干渉がうごくわずらわしかったり、母親が感情的になりやすいタイプで、その母親の感情に自分が振り回されてしまうことで、だんだん自分が辛くなってくる、といった感じのものです。

癒着があると、何かと相手のせいにしたい気持ちが湧いてきます。親がXXXしなかったら、余計なことを気にしなくていいのに、とか、親がXXXだったら、もっと楽だったのに、など、色々と思うところが出てくる、という感じかもしれません。ただ、ここで重要なのは、癒着がある場合には、相手がどうであれ、まずは自分自身がどうしたいのか、というポイントです。


主体性を発揮すること。

相手がXXXだから、自分はXXXをする、というように、相手に行動や態度に反応して何かを考えたり行動したりするのではなく、自分はこう思うからこうする、とか、自分がこうしたいからこうする、といった部分をより重要視していくことが大切です。これは言動だけではなく、自分が感じる感情に関しても似た感じのことがいえます。

自分の感情に責任を持つこと。

例えば、腹の立つようなことを言われて腹が立ったのなら、相手が悪い、と言いたくなります。それはおそらく、私が実際にお話を聞かせてもらったとしたら、その状況であれば腹がたつのはすごくわかります、って私もたぶん答えると思います。ただ、自分が感じている感情には、その感情を起こす思考回路のようなものが自分の頭の中にあり、相手がしてきたことに誘発されてはいるものの、最終的にその感情を選択しているのは、自分、という部分が少なからずあります。癒着があると、この「自分が感情を選択している」ということが非常にわかりにくくなります。相手と自分の感情の境界線がすごく曖昧になり、相手がイライラして怒りをぶつけてきたら、自分もほぼ自動的に怒りを感じてそれが抑えられなくなる、という感じになりやすくなります。ただ、それでもその感情を選択しているのは自分自身です。相手のことを責めたくもなるのですが、その前にまず、自分がその感情を主体的に選択しているのだな、ということを受け入れること。それができたときに、初めて、それ以外の感情を選択する許可を自分自身に出してあげることができます。

物理的に、あるいは、経済的に、親との関係性が密接に絡まっているようなケースもあるかもしれません。逃れたくても、粘着的に親との絡みがどうしても生まれるような関係性もあるかもしれません。その場合には、何が正しいのかというより、自分はどうしたいのか、にこだわってみてください。


ただし、親を変えようとはしないこと。相手を変えようとするのではなく、自分がその癒着のある状態から抜け出すということに注力し、相手の行動に対して心理的な距離を自ら開けて、自発的な選択をしていくということが大切です。相手からの干渉に対して、相手が感じているのと同じ感情を選択するのではなく、主体的な反応をしていくことで、相手と自分との間の境界線があいまいになっている状態から、まずは自分だけでも抜け出していくということが大切です。

癒着を手放すという時に、何か相手を見捨てているかのような罪悪感を感じることもあるかもしれません。もし、そんな感覚を覚えることがあったのなら、見捨てるのではなく、これがお互いのためにとってよくない状態だから、自分のためだけではなく相手のためにも、距離を置く、という見方を取り入れていただけた方が良いかもしれません。癒着を手放すことができれば、自分が相手に対して心理的に余裕のある状態を作れますので、もっとよりよい形で関係を構築することができます。もっと自然に相手のことを思いやったり、労わったりすることができますが、癒着がある場合は、それどころではない感じになりがちです。


心の中で親を責める代わりに、感謝できることがないかを探してみてください。普段は相手に対して否定的な想いや、怒り、犠牲的な感じ、などなど、軽い感じというより、ちょっと重たい感じの感覚が強いかもしれません。ただ、やってもらって嬉しかったことや、ありがたかったことなど、感謝の気持ちも探すとたくさん出てくると思います。感謝できることを思い起こしてもらって、心の中で相手にそれを伝えるところをイメージしてもらうと、心がふわっと軽くなるような感覚を感じることができると思います。

その軽い感じが出てきたら、その相手から一歩遠ざかる、というイメージをしてみると、その分だけ、相手との癒着の重たさが少し軽くなった感覚を少し感じることができると思います。心の中でどんどん感謝できることを相手に伝えていって、どんどん相手から離れていくところを想像して、自分の心の中にある癒着の感覚が軽くなっていく感覚を感じていくということができれば幸いです。

相手との癒着があって、怒りをぶつけやすくなっているようなときほど、相手に対する感謝というのを意識してみてください。自分が変わるとそこから受け取れるものも変わっていくということを、ぜひ体感していただければと思います。


あなたが癒着を手放そうとしているときでも、親の頭の中ではあなたとの間に癒着が残っている状態を維持したままで、あなたに接し続けてきます。そんなときほど、あなた自身が癒着のある状態から距離を置くことで、あなただけでも癒着の弊害から逃れることが大切です。少し割り切った感じにはなるかもしれませんが、親があなたに癒着し続けることで親が苦しみを感じることになるのは、究極的には、親自身の課題です。親はあなたに癒着する、ということにおそらく執着があります。年数がかさむほどにここを手放すことへの抵抗感は増していきますので、仮にあなたが親にそれを手放させるようなこと(説得するとか諭すとか)をした場合、おそらく激しい抵抗があります。あなた自身が癒着を手放していない限り、親も癒着を手放すことができないので、罪悪感を感じる部分もあるかもしれませんが、親のことはおいといて、まずはあなた自身が癒着を手放すということが何より大切です。


親との間に癒着があるように感じられるときは、親があなたにどんな感情を揺さぶることをしてくるのであれ、ただ、あなたは親への感謝を忘れることなく、ただそっと癒着を手放してあげるということ。正しさをもって相手を批判して自分の正当性を守ろうとするのではなく、感謝の気持ちを抱きながら、そっと、癒着のある状態から離れてあげるということ。それができたときに、今よりも少し楽な自分を受け取ることができたのならば、幸いです。

 

内なる自分との対話

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自分ではこうしたい、とか、こうするべき、と思っていても行動できなかったり、やる気がおきなかったり、ということはあるでしょうか?
気合で乗り切れるときはいいのですが、ただ、気合いを入れようとしても頭や体がいまいち動かなかったり、気合いを入れる気にもならないこともあると思います。

やりたいはずなのに、もしくは、やるべきはずなのに、動けてなかったり、動く気がしないというときには、心の中にそのブレーキを踏んでいるものが何かしらあります。やりたくない、という気持ちの部分。それが心の中に葛藤を生み出して、何もしていないのに疲れたり、やる前から体がだるかったり重たくなったりします。そんな時に、いまいち気が乗らない、なんていう感じになりやすいです。「やりたくない」という気持ちもあるということに、自分でも自覚がある場合にはその葛藤があるということも理解しやすいかもしれません。ただ、やりたくない、という気持ちを抱えている自覚があまりなかったり、その気持ちがあるということを認めたくないような場合には、葛藤があるということも、もしかしたら気づきにくいかもしれません。


心の中でブレーキを踏んでいる部分。心の中のその部分から送られてきているメッセージに目を向けてみるとしたら、そこにはどんな内容が書かれているでしょうか?
気合いで乗り切れる時は、いちいちその迷惑メールのようなものはスルーしていても、生活にあんまり支障が出ていないように感じるものかもしれません。ただ、体が動かない時、心が重い時、行動できない時というのは、そろそろそのメッセージを迷惑メール扱いするのではなく、一旦は、どんなことを言ってきているのか目を向けてみた方がよいとき、なのかもしれません。

見たいような見たくないような、おそらくはネガティブな内容であろう、心の中から届いているメッセージ。
一度のぞいてみてください。臭いものに蓋をする、ではないですが、その蓋をあえて開けるかのような行為。ある意味では、心の中のドブさらい、を始めるかのような行為かもしれません。私は心理カウンセラーなんぞやっていますが、ある意味では、そのお掃除のお手伝いをしているようなものなのかもしれない、なんて思う時もあります。

こんなときの、おすすめのやり方は2つあります。1つは手放すこと。心の中に自分を押しとどめるブレーキがあるように感じるのなら、なにかしら手放した方が良いもの、、、、例えば、何かに対して執着しているような部分だったり、うまく機能していないやり方や習慣だったり、そもそも見直した方がいい身の回りの環境(住んでいるところやお仕事関連含む)のようなものを手放す、ということ。これはこれで超おすすめなのですが、手放す、というあたりの下りはわりとよく書いているような気もしますので、今回は、もう一つのやり方である、内なる自分との対話、について書いていきます。


「そのメッセージは何か?」
これを自分自身に問いかけてみてください。直感を使ってください。そのメッセージが何かを自分自身に問いかけて、5秒以内に頭にぱっと浮かんだ言葉。それを一つの答えとして受け取ってください。

自分の中に、もう一人の自分がいる、というイメージを持ってみてください。そして、そのもう一人の自分に、そのメッセージの内容の詳細を語らせて、あなたは、そこにツッコミをいれることなく、ただただ耳を傾けてあげて聞いてあげてください。

一通り聞いたら、もう一人の自分と心の中で対話してみてください。もう一人の自分は、ある意味では、自分の本音の部分を語ってくれると思います。今まで自分がおろそかにしている部分がなかったか、とか、封印してきた部分がなかったか、とか、自分で自分のことを理解するために、抜け落ちていた部分がないかに注目してみてください。そこで気付けたことがあったなら、自分がなぜ思うように行動できなかったのかについて深く知ることができます。

その内なる自分に協力を呼びかけることもできます。
自分がなぜ行動できなかったのか?
行動できたとしても、思うように力を発揮できなかったのか?
その詳細な理由を知ったうえで、内なる自分に協力をよびかけてみてください。内なる自分に首を横に振られたのであれば、あなたの方がもう一歩歩み寄らないといけないかもしれませんが、もし、その内なる自分が「うんわかった。いいよ。」と言ってくれるのであれば、内なる自分の協力を得たうえで、自分の行動を変えていくことができます。

このやり方に慣れてくると、体のどこかに痛みや違和感がある場合にも、このやり方を使えるようになります。痛みがある部分を、内なる自分としてイメージして、その部分に語らせてみるのです(慣れてきてからやったほうがいいです、じゃないと、ピンとこない可能性大)。そうすると、「こういうの嫌なんだ」とか、「これがあるから僕は君に痛みを通してそのことを伝えようとしているんだ」とか、思わぬ情報をもらえることもあり、その意見を取り入れることで、すこし状態を改善することができることもあります。それを通して、自分が自分自身の体のことをもっと大切にしていく、ということを学ぶこともできます。


内なる自分との対話。今まで行き詰まりを感じていた部分についても、これを通して、新しい気付きを得て、行き詰まりを解消していくためのきっかけを得ることができることもあります。やってみたことのない方は、一度試してみて下さい。内なる自分。それはある意味では、何より自分のことをわかっている部分です。その存在が伝えようとしてきていることに、一度耳を傾けてみてください。

 

罪悪感があると自分の価値を証明したくなる

ゆんまママさん(https://www.ac-illust.com/main/profile.php?id=WwSoZrPm&amp;area=1)によるイラストAC(https://www.ac-illust.com/)からのイラスト

罪悪感があるとき、自分の良くない部分を何らかの形で補いたくなることがあります。例えば、自己犠牲的な行為であったり、何か価値があると見られている行為をすることで、自分の価値を証明して、自分の悪いところを帳消しにしたくなる、といった感じです。

罪悪感がなければやらないことであったり、本当にやりたいことではない場合、それがどれだけ素晴らしい行為であったとしても、そこから喜びや楽しさを感じることが難しくなります。罪悪感が強ければ強いほど、その行為を、やらなければならない、というある意味では義務感のようなものに、背中を押される感じが強くなります。その結果、だんだんと辛さのようなものを感じてきたり、疲れてきってしまうことがあります。罪悪感が強いあまりに、やらなければならないこと、をたくさんやらされるような過酷な環境にいるのにもかかわらず、自分を罰するかのように、その環境から逃げずにその場所に居続けようとした結果、燃え尽きてしまう、なんていうパターンもあります。


やらなければならないこと、というのは、普段の暮らしの中でも色々と出てくると思います。疲れていても辛くても、そこに一生懸命取り組んでいく、ということが求められることはあるかもしれません。ただ、もし、罪悪感があるために、その疲れや辛さが倍増しているような部分があったとしたら、その罪悪感を手放すことができたほうが、今よりも楽さを受け取ることができるようになります。

罪悪感を手放す、といっても、自分自身を許す、ということはなかなか難しいかもしれません。自分自身を許せてこなかったからこそ今まで抱えてきた罪悪感なので、そこを手放していくためには、少し角度を変えてアプローチした方がうまくいきます。それは、自分自身が許せない、ということの裏側にある、自分以外にも同じようなことで責めている誰かがいないか、という部分です。


自分以外に許せない誰か、に気づくこと。それは誰か?というので、わりとよくあるのは、親、です。親の中に許せない部分があり、それと同じような部分を持っている自分自身も許せない、という感じのものです。自分以外にも同じようなことで責めている人を許してあげるということ。その人のためではなく、自分自身のために。今までその人を心の中で責めていた度合いだけ抵抗感もあるかもしれませんが、これができたとき、自分自身にはめていた罪悪感という足枷を外してあげることができるようになります。

といっても、絶対にダメだと思えることをしている人を許す、なんて、できるわけもないと思えるでしょうし、そもそも、許していいのか?、とも思えると思います。
私がここで言いたいのは、ルールをゆるめましょう、なんでもありにしましょう、なんていうことではないです。自分がそこに引っかかって、その人を心の中で裁いたり責めたりすることにエネルギーを注ぎすぎていると、それが自分自身が何かをするときの足枷になってしまうので、この執着している部分を手放していきましょう、ということです。もちろん「ダメなものはダメ」かもしれません。ただ、そこに過剰反応しているような、自分のなかにある「許せないことにひっかかりすぎている私」への執着を手放した方が良いですよ、といったことをお伝えしたいです。

人を裁くことに執着があると、視野が狭くなります。とある人を見たときに、1個だけでも自分的に絶対NGなところがあるだけで、その人の全人格を否定したくなります。執着が強い度合いだけ、心に余裕が無くなります。自分の中に良い部分も悪い部分も両方あるのに、1個でも悪い部分があるだけで、総合的にはダメなんて判断を自分自身に下したくなります。その思考が自分自身を縛ることになります。その縛りが、自己犠牲的な行為をしたくなる気持ちを生み出したり、義務感からやらなければならないタスクを増やしたくなる気持ちを生み出してしまうことになります。

罪悪感を手放すことができると、犠牲を手放したうえで、今まで行っていたことを変えていくことができます。同じことをやるにもやり方や気持ちの部分を変えていくことができたり、または、違うことを始めることもできるようになります。犠牲があるときには、やらなければならない、という感覚でしか物事を進められなかったのが、自分の中にある、やりたい、という部分を出てしていける感じになってきます。


義務感や自己犠牲をしている感覚があって、疲れ切っていたり、辛さを感じているようなところがある場合には、自分の中にある、罪悪感の部分を手放していく、ということにチャレンジしてみてくださいませ。その先にある、楽さを受けとって、義務感ではなくやりたいことの方によりエネルギーを注いでいける、ということをぜひ体感してもらいたい、なんて思っています。ここに書いたことで、何か一つでもお役に立つことがあるのなら、幸いです。