心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

束縛する心理+束縛された時の対応方法

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自分のことを束縛してくるパートナー。束縛が辛い、と感じるとき、実はパートナーから束縛を受けているというより、自分で自分のことを縛っているというのが心の中で起こっていることだったりします。今日はそのあたりのことを書いていきます。

自分を束縛するパートナーの心理は単純で、不安や心配があるからあなたを束縛する、という感じになっていますが、それを見て、自分が不安を感じる、という感情の連鎖が起きます。
「期待に応えてあげなかったらダメなんじゃないかな」
「期待に応えなかったら見捨てられるんじゃないかな」
自分も束縛をしていたり、束縛する側の気持ちがわかるから、裏切れないと思ってしまったり、断れなくなってしまう、、、、。だから、相手の期待が重荷になって束縛されてるって感じてしまいますが、本当は自由、です。

「自由に振舞ったらわがままなんじゃないだろうか」
「相手を傷つけてしまうんじゃないだろうか」
という罪悪感を感じたり、
「裏切られるんじゃないだろうか」
「私のことを好きじゃなくなるんじゃないだろうか」
という怖れを感じて、自由に振る舞うことができなくなってしまうとしたら、、、、本当に問題なのは相手の束縛、というよりも、自分の心の中で起こっていること。そこに目を向けてあげることが求められてきます。


「本当に自由に振舞っていいの?」
「自由にして本当にうまくいくの?」
と思うかもしれませんね。自由に振る舞うことで、相手がなんとかあなたをコントロールしようと、あなたの罪悪感や怖れを刺激するような手段を使ってくることは、よくあります。それを見て、あなたが不安になったり心配になることもあるかもしれません。

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相手の心理としては、あなたを見て勝手に不安になったり心配になっていて、それを自分の感情の問題ではなく、あなたの行動のせいにして「こっちを不安にさせないでくれ!」とあなたのことを心の中で責めながら、あなたをコントロールするために、あなたが罪悪感や怖れを感じそうなことをする、という感じです。

ここで大切なのは、不安を感じているパートナーに愛情を注いであげるということです。それと同時に、あなたも自分自身に愛情を注ぐということ。自分を大切にする、ということが大切です。そのためにあなた自身が自由を受け取るということを、自分自身に許可してあげること。

パートナーのいいなりになって犠牲的に振る舞うと疲れてしまいますし、そんなことを自分にさせているパートナーに恨み言を言いたくなります。パートナーを愛しているからやる、というよりも、パートナーから嫌われたくないからやる、もしくは、否定されたくないからやる、という感じになっていきます。ただ、それは、、、、お互いが本当に望んでいることではないはずです。


パートナーの期待やコントロールにそのまま応えるのではなく、別のやり方で愛情を送ってあげること。相手のコントロールを受けて仕方なくやる、という犠牲的なやり方ではなく、あなたなりのやり方で、パートナーをいっぱい愛してあげてください。相手が十分に愛されていることを感じられるくらいに。

不安や心配を感じて小さくなっているパートナーの弱いハートの部分を見て、そこに愛情を注いであげること。パートナーがその愛情を受け取れた度合いだけ、パートナーがそこで成長していけるのであれば、パートナーはあなたを束縛しなくてよくなっていきます。

あなたをコントロールしようとするややこしいパートナーの一面はそんなに重要視しなくても良いです。どちらかというと、そちらばかりを見て、あなたも不安を感じて、ある程度相手のいいなりになったり、我慢できなくなってケンカをしたり、、、、というのが続いていくと、お互いに愛情を与えられないし受け取れない感じになります。

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それよりも、パートナーの中にある、傷つきやすくて、あなたが離れていくことを怖れていて、小さくなっている弱いハートを見いだそうとしてみてください。そして、そこに手を差し伸べてあげようとしてみてください。

パートナーがあなたを束縛しようとしてもすべて空振り(あなたに聞く耳がない)で、あなたはあなたのまま自由に振舞いながらも、パートナーをただ愛し続けることができたとき、まず、あなた自身が楽になります。

ただ、少し、ネガティブな部分の話もするならば、パートナーがそんなあなたについてこれるかは、パートナー次第かもしれません。ついてこれないパートナーに無理にあなたが合わせようとすると、少し辛い展開になりますが、ちょっとダークなことも書いているので割愛します。(メルマガには例をあげて書いてます。)


束縛する心理と束縛された時の対応方法について、私なりに掘り下げて書いて見ました。愛情を注いでいく中で、心配性のパートナーが成長していくためのサポートをあなたができるなら、最高の展開だと思いますが、そこに至るまでに様々な葛藤があったり、あなた自身が成長を求められることも多いかもしれませんが、何か、一助となる部分があるのなら幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

過去に誰かを責めた分だけ、自分自身のことを責めてしまう

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自分のことを心の中で強く責めているとき、同じような内容で、実は他の人のことも責めている、ということがあります。

何か失敗をしてしまったと感じるときや、誰かを傷つけてしまったように感じるとき、心の中で自分のことを強く責める、ということは誰しもあるものかもしれません。このとき、過去に自分が誰かを責めた分だけ、自分自身のことを責める、というパターンが心の中に潜んでいることがあります。

小さい頃、両親からしてもらえなかったことや、両親からされたことで、何かとても傷ついたと感じるようなことがあったときに、心の中で両親を責めたという経験があったとします。ここで良くあるパターンとしては、心の中で両親を責めていることと、同じようなことを自分がしてしまったときに、自分自身を責める、という感じになるというものです。

両親に対しての心の中での攻撃、というのは、非常に強いものになることがあります。親に対して、どうしても許せない、と思ったことや、今でも腹が立つこと、というのはないでしょうか?

私自身もそういう部分はあり、過去には強く責めていたこともあります。メルマガの方には細かいことも書きましたが、自分が大人になり、親に対して責める気持ちを手放していき、そして、今度は自分が親の立場になり、子供たちを見た時に、私にも至らない点はたくさんあるかもしれないな、なんて今は思っています。

 

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親にされたことや、してもらえなかったこと、というのは過去のことかもしれません。ただ、その体験や、そのときに感じた苦しみや怒りを今でも心の中で抱えていると、その痛みは、今も心の中で繰り返されることになりますので、過去のこと、という風にはならず、形を変えて、現実の中に出てくることがあります。それが、自分がまるで両親の立場で、今度は、自分が責められる側にような立場となって、です。それが再現されると、心の中で、自分自身のことを責めるような感じになります。


一番効果的なのは、自分自身や、両親のことを責めている思考を、もっとより良いものに変化させることです。

そのときの状況を振り返って、被害者と加害者だけがいる風景を、別の解釈ができるように理解を深めていくことが出来れば、自分が体験する感情も変化していきます。

親は加害者ではなく、親の中にも痛みがあって、充分に愛情が送れなかったのかもしれません。自分自身も本当は、親を責めたいのではなく、何か親の力になってあげたかったのだけれども、幼かったために、力になってあげることができなくて、そこで心を閉ざしてしまっていたのかもしれません。

ネガティブな見方しかできなかったことも、その時の状況に別の角度から光を当てることで、親や自分自身のことを、被害者でも加害者でもない、という理解に進めることが出来たとき、自分自身をそのときの状況から解き放つことができるようになります。

 

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罪悪感。長年抱えているものほど、その存在を忘れて心の中の奥深くに根付いているような感じになりがちなものかもしれません。親子関係がルーツになっているものであれば、今度は自分が親となった時に、別の形で蘇ってくることは、よくあること。心の中で深く根付いているものほど、自分にとっては手放し難く、心の中で地雷のようになり、ときにあることがきっかけになってどうしてもイライラしてしまったり、どうしても人に強く当たってしまうようなこともありがちなもの。

自分が誰かのことを強く責めているときに、相手のことはさておき、自分の中でなんでそんなに強く人を責める気持ちがでてきているのかを掘り下げてみると、自分の心の中に根付いているそんな地雷に気づけることもあるかもしれません。


人によっては、特定の誰かというより、もっと大きな存在、、、、
例えば、神様や世界を責めている、というパターンもあります。不条理さや不公平さ、世界の仕組みそのもの、そう言ったものに対して疑問を持ち、そんな状態にした誰か(=世界そのものや、神様的な存在)を心の中で強く責める、というもの。これをすると、無意識のうちに、こんな自分が神様や世界に愛されるわけがない、という認識になります。

それが間違っていると言いたいわけではないです。正しいとか間違っているではなく、それぞれの人の選択、あるいは、それぞれの人の生き方、の話かと思います。ただ、そのことと自分の心の中に根付いている罪悪感は心の中で密接にくっついていて、神様は許さないけど、自分のことは許す、というのは、わりと無理です。そうすると、相手を絶対に許さないのと同時に、自分自身のことも絶対に許せない、ということで、自分自身が罪悪感に起因する苦しみを抱えつづける、ということに結果的になります。それもまた、個人の自由、なのかもしれませんが。


ただ、もし、自分の中にある罪悪感と誰かを責める気持ちが一緒になっていることに気づけたのなら、その誰かを責める気持ちを手放してあげるという選択肢もあるということも、覚えておいてもらえると、幸いです。

 

ダメ出し

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口にはしないものの、自分以外の誰かのことを、心の中でダメ出しする、というのをしたことはあるでしょうか?

私も経験ありますし、今でもやっちゃうことがありますが、心の中で誰かにダメ出しをすると、その人に問題があるかどうかは置いといて、自分の気分があまり良いものではなくなります。

投影の法則、というのがあります。自分の心の中の一部を他人に映し出す、というものですが、ダメ出しをしているとき、自分の中の悪い部分を相手に投影して、そこを攻撃している、ということがあります。

他人の悪い部分を見てダメ出しをしているつもりでも、結局見ているのは自分自身。そこに気づかないで「これは私のことじゃない」って思っていても、結局、自分自身にも似たような部分がある、ということに気づいていないということがあります。

 

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人のとある部分をみたときに、そこを悪い部分として判断したくなる気持ちがふとあがってきたとき、そのまま、ダメ出しをするという選択肢があるかもしれませんし、そっとしておく、という選択肢もあるかもしれません。ただ、そこにはもう一つ別の選択肢もあります。それは、この人が見せてくれているのは自分のどんな部分なんだろう、という目でみてみる、というものです。

心清らかな人になりましょう、なんていうつもりは全くないのですが、ダメ出しをしていることのベースには、あなたと私は違う、っていう思考があります。でも、それって本当でしょうか?

もし仮に、こんな部分が私にもあるかも、なんてちらりとでも感じたら、強く否定したり抵抗したい気分になるかもしれません。自己嫌悪のようなものがあがってくることもあるかもしれません。

ただ、こんな私も私なんだって受け取ることができたときに、自分の中のその部分を封印したり、自己嫌悪したり、自己否定することなく、統合していくことができるようになります。そうすると、今まで苦手だった人とも繋がることができるようになったり、ある意味では、自分の枠を広げたりすることができるようになります。


ダメ出しをしちゃダメ、と言いたいわけではないのですが、こんな部分は私の中にはない、とか、この人と私は別、なんて、人をシャットアウトするような意識を持つと、上に書いたようなことが見落とされることになります。

それは自分の心を窮屈にしてしまったり、人との間に隔たりを生み出してしまうことにつながります。

例えば、もしいれば、という話ではあるのですが、周囲にいる人で、よく人にダメ出しをしている人のことを思い浮かべて見てください。

その人のことを想像してみて、過剰に周囲に対してダメ出しをしすぎていることで、何か周りの人たちとの間に隔たりができていたり、その人の器が制限されたり、あるいは、人として小さいように感じたり、「あなたにも同じような部分あるけど」って言いたくなったりするようなことはないでしょうか?

自分がダメ出しをしているときのことを客観視してみると、何か気づけることはないでしょうか?


ダメ出しをしたい気持ちがでてきたとき、その人が見せてくれているのは、もしかしたら、自分の中の弱さの部分かもしれません。過去に封印した心の傷の部分かもしれませんし、もしかしたら、自己嫌悪しているような部分かもしれません。

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ネガティブな感情というのは、私たちに何かを教えようとしてくれているメッセージのようなものだと、私は思っています。ネガティブな感情を感じなくなければOKなのではなく、そこからのメッセージを受け取って糧にすること。そして、役目を終えたネガティブな感情を、そっと手放してあげること。この一連のプロセスがどこかで詰まると、そこが心の中で炎症を起こす。そんな気がしています。延々と続く罪悪感や、長年抱えている心の傷。何かに対しての強い執着。根深い嫉妬や恨みやわだかまりなど、全部そうなんじゃないかなって思っています。

もしかしたら、心の中でふと誰かにダメ出しをしたい気分になった時というのは、心の中に残っているそのプロセスに気づくための入り口のようなものかもしれません。ダメ出しをしても良いと思います。しなくても良いと思います。ただ、もしダメ出しをしたとしたら、そこには否定された自分自身が心の中で佇んでいるのかもしれない、、、、ふと気が向いた時に、そんなことに少し目を向けてもらえば、なんて思います。

メルマガの方には、私の場合は実際のところどうなのか、というのも軽く書きましたが、私も誰かにダメ出しを絶対にしないわけではないですし、ここに書いたことで自分にも当てはまるところは多いよなあ、なんていう気分になりながら、この記事を書いています。

何かしらお役に立つところがあるのなら、幸いです。

 

こんなに好きなのに相手からはそこまで想われていない

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恋愛は自立と依存の関係性になりやすいです。理想は相思相愛でお互いがお互いのことを同じくらい好き、なのですが、どちらか片方の気持ちが強くて、もう片方は少し落ち着いた気持ちでいると、気持ちが強い側が依存で、落ち着いてる側が自立、という感じになります。

このとき、依存側はとても感情を感じやすくなります。嬉しいことも楽しいことも相手以上に感じやすいですが、悲しいとか寂しいといったネガティブな感情も感じやすくなって、これが悩みのタネになります。

「私のこと本当に愛してくれてるのかな」
「もっと一緒にいたいのに、なんかそっけないな」
という感じですが、ここからちょっとこじれてくると
「他に好きな女がいるんじゃないの」
「忙しいって本当に?好きならもっと会おうとしてくれたり、LINE返してくれたりするんじゃないの」
とか思いやすくなります。

女性が依存側で、男性が自立側で書いてみましたが、逆のパターンももちろんあります。カウンセリングで悩み相談となると、女性依存側、のケースが圧倒的に多いかもしれません。


依存側にいるとき、ラブラブな状態なら良いのですが、ネガティブな感情があがってきやすくなって、楽しさというより苦しみの部分が大きくなっているのなら、相手をどうこうしようという部分というより、依存を手放して成長していく、という部分が大事です。

「いかに相手に自分を愛させるか」とか、
「いかに相手に惚れさせるか」ということに興味がいきやすいかもしれませんが、依存側のままだとあんまりその試みはうまくいきません。相手の気をひくために、頑張って相手のためになるようなことしてあげたとしても、相手の気持ちがなびく感じにはなるというよりも、空回りをしやすいです。

依存を手放すこと。相手を好きでいることをやめるとか、もういっそのこと別れてしまう、ということではなく、執着している部分を手放すということが大事です。

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どんな執着があるか、というと、恋愛で相手に依存しているのであれば、相手にこうしてもらわないと私の気がすまない、とか、相手がこういう感じじゃないと、どうしてもネガティブな気持ちになってしまう、というものがあるはず。そういうのが執着となって、相手に期待という形で無言のプレッシャーを与えている状態になると、相手の気をひくというよりも、その真逆で、相手がそこから逃げ出したくなる感じになります。執着の部分をいかに手放していくのか、というのが鍵です。

強い依存があるときは、相手への期待や執着の部分が大きくなって、
いつも求めるのは自分からになったり、いつも自分から予定を決めにいったり、
いつも自分から連絡をしていたり、頑張るのはいつも自分、尽くすのはいつも自分、とか、
釣った魚に餌をやらない男にひっかかった女みたいになりがちです。そういう状態を生み出している期待や執着を手放すことができると、この関係性が変わります。


惚れられている状態、というのは自立側からすると、楽です。自分はなにもしなくても相手があれこれ動いてくれるので、都合の良い時には相手の動きに乗っかって、都合の悪い時には断ったり無視しておけばよく、自分が好き勝手やっても、相手は相変わらず自分に依存しているわけですから、相手にために何かを頑張る、というのはあんまりしなくなります。言い方は悪いですが、自立側というのは、どこか傲慢になりがちです。

ところが依存を手放されると「あれ?」と思う出来事が多くなります。そろそろ来るはずの連絡がこない。会っても媚びる感じがない。
いつもと違って、なんかちょろくない。
いつもと違って、自分から動かないと話が進まない。
いつもと違って、こっちの都合で予定を決めさせようとしてもうまくいかない。
結果的に、あれ?、と思わせることができ、自立側の傲慢さが切り崩されることになります。

といっても大したことをしている訳でもなく、恋愛のテクニック的な話でもなく、やることはただ単に、強い依存を手放すこと、です。強い依存の部分がある意味では、パートナーの悪い部分を引き出していた訳ですから、それをやめて、ごくごく自然な関係性に戻す、ということです。

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良くない話も少し書いておくとするのなら、相手側に気持ちがなく、ただあなたをいいように利用したかっただけの場合、(つまり、ろくな男じゃなかった場合)、そのまま関係性がフェードアウトになることもあるかもしれません。相手は楽ができなくなるわけですから、それでもあなたと付き合おうと思うかどうかが相手に問われるわけで、それでめんどくさくなったり、他に代わりがいるようなら、相手はあなたに価値を感じなくなって、去っていきます。依存を手放せていると、ここで相手が去った時に「はい、さようなら」と思えます。ただ、強い依存をしている状態のままだと、相手のそういう良くない部分も見抜けなくなります。


依存を手放す方法は色々とあって、メルマガ版でも、1つ簡単なものを紹介していますが、このサイト内でも手放しのエクササイズは色々と書いてあるので、参考にしていただければと思います。

恋愛関係の中で、相手との温度差を感じた時の話を書きました。何かしらお役に立てるところがあるのなら、幸いです。

 

停滞感があるとき

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何か達成したことがあるとしても、そこに良い方向の変化があまり感じられなくて、
停滞感のようなものを感じることはあるでしょうか?

停滞感があるときというのは、自分自身の内側に何かしらその停滞感を生み出している要因が隠れていることが多いです。もちろん、結果が出るまでに時間がかかるような場合もありますので、決してあきらめず、良い結果がでるように意識して、自分ができることをやっていく、ということは求められることはあるとは思います。ただ、停滞感を感じているとしたら、それはもしかしたら「あなた自身に変化が求められていますよ」というサインかもしれません。

停滞感を生み出す要因となる、自分の思考を探してみてください。例えば、悪い結果が出ることに不安や焦りがあるかもしれません。願望が実現することに強


い執着があるかもしれません。大切な一歩を踏み出すことに対して強い抵抗感があるために行動ができていないのかもしれません。

自分の足を引っ張るような思考や感情があると、良い結果を受け取れる方向に物事が流れていかず、もどかしくなるような状況を生み出しがちです。そのとき自分自身の中にある、停滞感を生み出す思考に気付く、ということが大切です。

気付いたら手放すこと。古い思考を手放して、もっとより良い、自分の望む結果を生み出すような思考を新たに選択していくこと。それが、停滞感の解消につながっていきます。


停滞感があるとき、行動した方が良いとわかっていることがあるのに、なぜか行動できていない、というケースは意外と多いかもしれませんね。やらなければならない、もしくは、やりたいことがあるのに、何かおっくうだったり、重たい腰があがらない、という感じになることはあるでしょうか?

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おっくうに感じているのは、単純に自分の怠慢さから来るもの、という風に思うと、何とか自分を駆り立てようとしてみたり、もしくは、やっぱりやる気が起きないから、今はやめとこう、という風になりやすいかもしれません。ただ、ここで、行動することに抵抗感を感じているのだとしたら、それは何故なのか、に気づくと色々なものがみえてきます。

いつも同じようなことで抵抗を感じていることがあれば、それは自分にとって弱点といえる部分かもしれません。よくよく抵抗のある部分をみていくと、本当はやりたくないことであり、もっと違うことに取り組みたい、という自分の本心に気付くこともあるかもしれません。抵抗を感じていることがあれば、一度、なぜ自分の中でやることに抵抗があるのかについて、一度じっくりと時間をとって見つめてみるのもおすすめです。

コンフォートゾーン、なんていう言葉があります。いつもと同じことの繰り返しは居心地よさもあって、そこに留まっていたい気持ちがわきあがってきやすいものですが、そこから一歩踏み出すとなると、怖れを感じやすいものです。私自身、新しいことをするのに抵抗感や怖れを感じることがあります。ただ、そのことに気づくことができると、じゃあ、その抵抗感や怖れに対してどうしていくか、ということを主体的に選択することができるようになります。

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やりたいことがあるのに、なかなか実現しなかったり、やらなければならないことに、いまいちモチベーションがあがらないことがあるとしたら、それは、自分の中に、その抵抗感を作り出す思考が何かしらあります。

例えば、やっても無駄、と思っていたり、成果が出ないに決まっている、という思い込みがあったり、こんなこと自分がやるべきことではない、と思っていたり、など、自分で自分の足を引っ張るような思考、かもしれません。それこそ上に書いたようなコンフォートゾーンを抜け出すことに対する抵抗感、かもしれません。

ただ、その反面、自分を前に進めようとする思考も同時に自分の中にあります。やりたいという気持ちがあったり、そこに意義や意味を見出している部分もあったり今これをやっておくことで、後々良いことになりそう、とか、何か人の役に立てそう、などなど。前に進みたいという思考と、抵抗感のある思考の両方が存在するために、自分の中で葛藤が生まれるために、葛藤を処理するのにエネルギーを奪われてしまうと、ここでモチベーションがガンガン下がる、なんていうこともあります。

この場合、自分の中にある抵抗感を生み出す思考を変えていくことが求められてきます。その思考を手放して、あらたな思考を選択することが出来れば、自分の心の中にある抵抗の部分が和らぎますので、前に進める力の方が勝り、自然とモチベーションがあがります。


私の場合どうしているのか、という具体例はメルマガの方に書きましたが、簡単にいうと、停滞感があるときは、自分の内側にある停滞感を作り出している部分を見つめてみて、行動することへの抵抗感があるようなら、それがどこから来ているのかを見極め、それを作り出している自分の思考に気付き、その思考を手放して、新しい思考を選択する、という感じです。

停滞感があるとき、その自分自身を見つめること自体を非常にめんどくさい、と感じるかもしれませんが、やってみて、新しい思考を選択する、ということができたときは、受け取れる成果も大きいものです。

もしよければ、一度試してみてくださいませ。

 

長谷川泰三さんに語りかけられたような気がした話

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昔、長谷川泰三さんという方にお世話になったことがあります。

とても人間的に魅力にあふれた方で、心理カウンセラーとしての腕はただ一言、天才。といっても彼が天才かどうかというのは、本当のところ私にとってはあんまり重要ではなくて、ただただ、彼のことが純粋に好きで、もしかしたら好きすぎるあまりに、天才、なんて思ってしまっているのかもしれません。

赤裸々に自己開示する人。TVドラマになったものを見たこともなければ、彼の書いた本も読んだことがないのですが、彼から聞いた話で今でも思い出せるエピソードは色々とあり、今でもときに彼の話し声を思い出すことがあります。

モンスターみたいな顔をした人。でも、なぜだかそれがとても愛嬌があって、女性からも男性からも、とにかく人にモテる人。話し上手で聞き上手。相手の存在を丸ごと包み込むかのような心の温かさをもった人。そして、5年前に亡くなった人。

心理カウンセリングの集客で行き詰まって考えが煮詰まり出しているときに、少し目線をずらして、他のところはどんなことをやっているのかを参考にさせてもらおうと色々と見ている中で、ふと、彼のことを思い出して、彼がやっていたVリターン研究所って今どうなっているのかな、なんてことがちょっと気になったことがありました。

ぽちぽちと彼の名前でGoogle検索をしたら、Wikipediaに彼のページが出ているのを見かけて、そこから、Vリターン研究所のHPのリンクをタップしたら、謎の中国語サイトがでてきて、「あ、もうやってないんだな」なんて思ったことがあるのですが、そんなときに、ふと、
もし、仮に、彼が生きていて、
もし、仮に、彼にこのことを相談をしたら、彼はなんて答えるのだろうか?、
なんてことがちょっと気になったことがありました。

今日はそんなことを、ふと、思ってしまったときの出来事を書いてみようと思います。


多分、今から私が書くことは、実際に彼がそう言ったというよりも、私の頭のなかで繰り広げられた自問自答なのだと思います。心の中には、自分自身の心を浄化するような機能があって、そこから、いろんな直感や気づきが受け取れる、なんていうことが実際にはあります。

多分、今から書くことも、そんな心の浄化作用が働いた結果、まるで、彼の声を聞いて、まるで、彼のカウンセリングを受けた気分にただ勝手になっているだけなのだと思います。

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ただ、そうだとしても、そこで聞こえた彼の声はあまりにも優しくて、あまりにも生きていた時のままで、あまりにも本当に彼が語りかけてくれたかのように聞こえたので、ちょっと、いやかなり、心が動いてしまいました。

別にそのときのやりとりを、あえてこのブログに書く必要性なんてないのかもしれません。ただ、普段私がどんなことを考えていて、感じているのかというのを、彼にならって赤裸々に自己開示するのもありかなあ、なんて思えたので、ブログに書いてみることにしました。

以下、会話形式ですが、やすぞうさん、というのが、長谷川泰三さんのことです。文章があまりにも長くなってしまうので、4割くらい割愛して記述します。(メルマガの方には全文掲載しています。)


やすぞうさん
「もっと安見くん、自信持ったほうがいいよ。自信のなさってのが安見くんの足をひっぱってるんじゃないかな」


「メルマガ作ってるんですけど、これがなかなか登録者数が伸びなくて。」

やすぞうさん
「メルマガって、安見くん、ほんまにそれで来てもらえるって思ってるか?」


「む・・・・」

やすぞうさん
「そこや。自信のなさが出てるのは。
僕も自信なかった。自信ないからセミナーの前とかすっごいいつもビビってた。
だけど、やった。偉そうなことはいえんけど、安見くんもその一歩がいるんちゃうかなぁ。
自信満々とはいわんけど、もっと違うアプローチ考えてみ。
メルマガの内容も、そこから見えてくるものあるやろ。
メルマガはもうちょっと頑張る余地あるよ。」


「そうですかね・・・・」

やすぞうさん
「今までのクライアントさんに言われたり、感謝されたことって安見くんあるやろ。思い出してみ。
僕からはあれこれ言えんけど、いってもらったことや、聞いたことを思い出してみ。
そういうのを受け取ることやろなあ。まずはそっからや。」


「受け取ること、、、、うーんそうかもしれません。
というか今困っているのは集客、なんですけどね。」

やすぞうさん
「集客なあ。まあ、僕も偉そうなことは言えんけど、お客さんのことを安見くん研究してないんじゃないかな?
研究してるか?
どんな人が来てくれてるか。
その人たちがもっと来てくれるにはどうしたらいいか。
受け取ることってのは、そういうことやぞ。
僕も自信なかったけど、僕に価値を見てくれたり、感謝してくれる人はいっぱいいた。
怖かったけど、僕もそれを受け取ったから、何人もカウンセリング来てくれる人がいてくれたんじゃないかなあ、
って思うよ。
テクニック的なところは色々あるけど、結局、そこかなあ。」


「なるほど、、、。」


翌日、言われたことを思い出して、受け取るとか、自信、をテーマにしようとしたが、何をどうしたらいいのやら、と悶々としていたら、やすぞうさんに再び語りかけられました。

やすぞうさん
「ほらまた下向いた。まあ、今の状態で自信ありますっていったら、それはそれで、ホンマかって言うけどな。
最初に何やったらいいかわからんねやろ。
ブログのブックマークのコメント欄に本気でコメントしてくれてる人いるやろ。
それ見てみ。
じっくり時間をかけていいよ。
それで思ったこと、感じたことに素直になってみ。
他にも色々あるけど、まずそれやり。」

※ブックマークしていただいている方々、本当に感謝です。ありがとうございます。

自分
「はい。やります。」

しばらく見ていると、途中で何度か話しかけられました。

やすぞうさん
「安見くん。今自信のなさがあがってきているのをしっかり見ときや。
仕事でもそうやろ。自信があるとき、人に影響力あるの安見くんわかってるやろ。
自信がない安見くんの話は誰も聞かない。誰にも影響力が発揮できないのね。
だから、安見くんは自信ってマントラのように僕は言ってるのね。
自信や。口すっぱくいうけど、安見くんは自信。

時間かかってええよ。
そこは時間がかかるところかもしれんな。
でも、そこ抜けたら安見くん一皮むけるよ。」

・・・・・
しばらく見ていたら、少し疲れてだれてきたので、ちょっと中断して一息ついていると、ふたたび、やすぞうさんから語りかけられました。

やすぞうさん
「安見くんが今感じているのは葛藤やね。
自分の価値を認めている部分、受け取れている部分もあるんだけど、
抵抗して自己否定したり、そんな自分を見てくれている価値の言葉を否定しようとしている。
古い防衛の部分やね。
簡単には信じないぞって目を閉じて耳を塞いでいる男の子がいるとしたら、
安見くんはその子にどうしてあげたいかな?」

自分
「ほっておいてあげたいです。」

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やすぞうさん
「そうやろなあ。
それでほっといたんや。ずっと。長い長い間。
その子が自分で目を開けて、耳にあてている手をどかして、
探りながらも外に出て来てくれるのを、安見くんはずっと待ってるんや。
まだ待つつもりか?」

自分
「これは自分自身、なんですね。」

やすぞうさん
「そうやな。安見くん自身やな。
そこでも触れ合える人はいる。そこでも頼ってくれる人はいる。
でも、そこにいても世界は広がらない。
安見くんが一歩前にでること。
セミナーの前に僕がビビってて、そっから一歩前に勇気をだして出たって話をしたことがあったよね。
今度は安見くんの番やで。
それがわかってくると、だいたい安見くんは足を止める。
そこで自信のなさがいっつも出てくる。
安見くん。ここやで。このポイントやで。」

自分
「この子の目を開けてあげる誘導方法がわからないです。
この子はほっておいてほしい子です。
そこをどうやってやったらいいのかわからないです。」

やすぞうさん
「わからない、じゃなくて、やりたくないんや。
安見くんは、ほっておいてほしいし、ほっておいてあげたいんや。
でも、そこにいたら、カウンセラーの道は途絶えてしまう。
安見くんはどうしたい?」

自分
「一歩前に出たいです。」

やすぞうさん
「じゃあ、その子にその想いを共感してもらうことやろうな。
共感してもらうこと。
安見くんの自信のなさってここやろ。
ずっとそこで行き詰まってる。
だから今一歩前にでるんや。
安見くん。今やで。

向き合ってみ。その子と。
その子はほっておいて欲しい子。
自分でやりたい子。
自分でみきわめたい子。
だから、ほっておいて欲しい子。
その気持ちが安見くんは痛いほどわかるはずや。
でも、その子は生まれてからずっと今までそうやってきた。
世界が怖かったんや。
怖くて怖くて、それで今まで生きて来たんや。
まだ、ほっとくか?」

自分
「どうしたらいいのかわからないです。」

やすぞうさん
「それは僕にもわからないよ。
安見くんにしかわからない。
その子がどうやったら目を開くのか。
ただ、安見くん、これだけは気づいているんじゃないかな。
絶対に騙そうとしたらダメ。
絶対に本当のことしか話したらダメ。
絶対にその子をコントロールしようとしたらダメ。
絶対に目を開かせようとしたらダメ。
絶対に耳から手をどかせようとしたらダメ。
本気の本音の言葉しかとどかない。
嘘は絶対言っちゃダメ。
どうしたらいいと思う?
安見くん、考えてみ。

宿題やな、安見くん。
もうすぐ誕生日やもんね。それまでに考えておき。
焦らんでいいよ。せっつかれるの嫌いやろ。
そんな子を心の中に抱えてるんやもん、絶対嫌なはず。
だから僕は安見くんをせっつかないよ。
ただ、これだけは言わして。
今思っているほど、そんなに難しいことじゃないよ。
安見くんなら、わかるはず。
誕生日までに、考えておいで。」


本当に彼の声を聞いたのかどうかはわからないのですが、ただ、こんなに泣いたのは何年振り、という感じでした。

ちなみに宿題は後日、ちゃんと誕生日までにやりました。1月くらい前に送付したメルマガには宿題の内容も書いてます。

 

ケンカの勝率と幸福度は比例しない

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パートナーとケンカしている時、相手のダメな部分が目について、そこを責めたい気持ちになるようなことが多いと思います。相手が間違っていて、自分が正しい、そんな気持ちになることもあるかもしれません。自分の心の中にある正しさのようなものを証明して、ケンカに勝ちたい気持ちにもなるかもしれません。

ただ、そこで仮にケンカに勝って、自分の正しさを証明できたとしても、それが本当に自分が欲しいものなのかというと、本音としてはちょっと違う、と思います。本当に欲しいものは、例えば、パートナーと繋がるということであったり、理解しあえるということであったり、一緒に前に進んでいくということかもしれません。

自分の中の正しさを証明して、相手を完璧に打ち負かしてしまった場合、ケンカに勝つことにこだわりすぎたことで、本当に欲しいものは遠ざかりがち、かもしれません。ただ、争いを避けるために自分が間違っていると感じているものを無理やり曲げるのかというと、それもまた、ちょっと違う、なんて思えるかもしれません。


ケンカしている状態。直接言い合っていることもあれば、冷戦状態のこともあると思いますが、そんなとき、やたらと細かい問題が目についたり、相手の言葉尻をとらえたくなる気持ちがあがってきやすいです。

状況を改善したり解決する方法に気持ちが向くというよりも、本来話し合いたいこととは違う細かい問題に話題がそれて、つまらないことで言い合いになったり、余計な一言の言い合いになったりなど、、、、ダメなところを見るのに意識がとられやすくなるかもしれません。

いつも不満を言わずにためておいて、ケンカのときに、あれもこれもと全部ぶちまける、とか、過去に一旦収束したことも、掘り起こして相手にもう一回ぶつける、なんていうケースもあるかもしれませんが、ケンカのときほど、前を向かなければならないのに、前ではなく問題探しの方についつい気持ちがいきがちです。まるで、自分の中にある正しさを優先しようとすると、幸せが遠ざかってしまうかのような、そんな力学があるかのようです。

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自分の中にある正しさと幸せ。もし、この2つを天秤にかけるとしたら、どちらを選ぶでしょうか?
ケンカが続いている時、そんなことが問われている状態なのかもしれません。


大切なのは一緒に前に進んでいくこと。やり方はなんでもあり、です。

ケンカしている状態から一緒に前に進んでいけるようになるための道のりというのは、人によって様々です。なるべくオープンになんでも言い合える方がよくて、それこそ思いっきりケンカしてぶつかり合うことで仲良くなれるという人もいれば、ある程度の距離感も大切で、言い過ぎない方がいいという人もいるかもしれません。セックスが鍵になっているという人もいるかもしれません。コントロールしようとしすぎず、身を委ねることもときに必要だと思う人もいるかもしれません。どんな手段を使うにしても、前に進むという選択をすることが大切です。


もし、幸せになることを最優先したいとしたら、正しさというあなたの心の中にある相手を攻撃するための武器を、どこかで一旦手放すこと。

その武器はあなたの身を守るものかもしれません。ケンカをしているとき、相手の攻撃性を強く感じていると思います。防衛のために身につけている正しさを手放すということに、抵抗感や怖れを感じるかもしれません。ただ、その武器は2人の心をつなげる架け橋を破壊する性質も持っています。正しさではなく幸せを選ぶのだとしたら、正しさに対するこだわりを、一旦手放してみてください。

手放すというのは、投げ捨てる、ということではなく、そこにさいているエネルギーを別のものに向ける、ということ。正しさを優先したい気持ちやこだわりの部分から一旦距離を置いて、それよりも、もっと大切なものに重点をおくこと。正しさを手放す代わりに、前に進むことを選択するとするのなら、できることとして、やった方がよさそうなこととして、あるいは、やりたいこととして、どんなものがあるでしょうか?

いつもお互いに言い過ぎるところがあるのなら、例えば、相手に言いたいことをあれもこれもとぶつけるのではなく、一旦、お互いに心の中を整理するために時間をおく、というのも良いかもしれません。言葉がいつも足りなくて、何も言わなくてもわかって欲しい気持ちが強くて、身を守るために黙ることが多いのなら、心をオープンにしてコミュニケーションする、というのも良いかもしれません。思いやりのある行動をやったほうがよいとはわかっていても、なかなか気持ちが乗らなくて行動するのにためらいがあるのなら、思い切って表面的な態度だけでもなんとか頑張って作ってやってみる、というのも良いかもしれません。多少ぎこちなくても、取り繕ったような感じがあっても、最初の一歩、少なくとも歩み寄ろうとする態度は伝わります。

 

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パートナーを敵ではなく、同じチームのメンバーとして見てあげること。自分の身を守ることを優先するのではなく、チームとして前に進んでいくことを選択すること。自分の正しさへのこだわりが強かったり、パートナーからの攻撃を怖れて防衛的になっている状態と、パートナーに与えて一緒に前に進んでいこうというところに意識を集中している状態とを比べると、私自身の体験としては、後者の方が楽です。一番辛いのはこの意識を切り替えようとする直前の、抵抗感を強く感じているときです。

「やりたくないなー、えーオレから?」
「めんどくさいなー。そもそも悪いのあっちじゃねーの?」
「あっちから動いてくれると楽なんだけどー、えー、リーダーシップとるのいっつもオレじゃね?」
なんて感じの言い訳が心の中から出てきますが、そういうときが一番辛いです。

意識を切り替えて前に進むことを選択して、そこにパートナーがついてきてくれると、停滞していた問題解決が動き始めて、ぐぐっと物事を前に進めることができます。そうなるとあとはただやるだけで、そこからは何も辛くないです。


パートナーとのケンカ、とくに、そのために物事や関係性が行き詰まっているときのことを私なりに掘り下げて書いてみました。何かしらお役に立つところがあるのなら、幸いです。