心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

パートナーに変えて欲しいところがあるとき

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パートナーにわかってもらいたいことがあるとき、いつもどうしているでしょうか?
言いにくくて我慢していたり、仮に言ったとしても、なかなか言いたいことが相手に伝わらないようなケースもあると思っています。

人を変えるのは難しいと思えるかもしれません。言ってもわかってもらえなかったり、喧嘩になったりするくらいなら、あんまり言いたくないという気持ちにもなることもあるかもしれません。ただ、そこに辛さを感じているのなら、どうコミュニケーションしていくか、ということも考えていった方がよいかもしれません。

ただ、相手にダメ出しをして責め立てる感じだと、関係性に波風が立つだけで、本来話したいことが全然伝わらないことになるかもしれません。


恋愛関係の中で、お互いにとって何か課題のようなものがあるときには、自分からリーダーシップをとって動く方がパートナーシップはうまくいきます。ただ、相手に不満がある場合には、どちらかというとそういった気持ちにはなりにくく、相手がしてくれないことを心の中で責めて、相手に何かをやらせようとしたくなるかもしれません。ただ、基本的には相手をコントロールしようとすればするほど、恋愛関係はこじれやすくなります。

どういう風にすれば上手くいくか?
自分がリーダーシップをとっていくとしたら、まずは何ができるか?
そこに気持ちを持っていく方が良いのですが、相手に文句や不満があるときには、
「そもそも相手が悪いのに、なぜ自分が動かないといけないのか?」
「相手が変わらないとダメ。そもそも自分にできることなんてないんじゃないの?」
という気分にはなりやすいかもしれません。

じゃあ、何ができるのか?
相手に変わってもらいたい時に、自分にできることってなんなのか?
そんなことを考えても、ため息をつきたくなることもあるかもしれません。できることはもうやってる、なんていう気持ちにもなるかもしれませんね。

長年付き合っている同士であれば、諦めるしかない、と思えることもあるかもしれませんし、あんまり言い過ぎても仕方ない、ということもあると思います。相手を変える、ということは基本的にはできないことかもしれませんし、自分にできることって、あんまりない、という風にも思えるかもしれません。

ただ、辛さを少しましにできたり、相手の成長を促すことができたり、自分が相手の足を引っ張っているところがあるのなら、自分がそれを改善するなど、もしかしたら工夫できる余地は何かしら残っているかもしれません。そのための最初の一歩としておすすめなのは、まずは、相手を理解するところからはじめる、というものです。

 

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あなたがストレスを感じている問題行動を相手はどうしてするのか?
軽く相手のことを想像してみて、その理由をちょこっと考えてみたら、どんなことが思いつくでしょうか?
相手の立場に立って、相手のことを理解しようという意識をもって想像してみたら、どんなことが考えられるでしょうか?

文句や不満があるときは、相手に理解してもらいたいことがたくさん出てくるかもしれません。ただ、パートナーシップの中でコミュニケーションが求められる時、できるなら、まずは相手を理解すること、相手を理解してから自分が理解されるということ、を意識した方が良いです。理解するためには、相手にちょっと聞いてみないとわからないことや、よく観察してみた方がよいこともあるかもしれません。

もしかしたら、自分が普段している言動や振る舞いが、相手の問題行動を誘発する原因になっていることもあるかもしれません。それに気づくには、まずは相手のことを理解することが求められてきますが、自分が変わったら、相手も変わる、ということもあるため、自分にも原因がある場合には、それだけで片付いてしまうこともあります。


相手のことが少し把握できたら、どうすれば伝わるか、を考えてみること。間違いを指摘するより、素直に感じていることを言ったり、お願いしたりするようが伝わりやすいです。例えば、「なんで○○してくれないの?」と問い詰めるよりも、「○○してくれたら嬉しい」とお願いした方が伝わりやすいかもしれません。

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どうせ言ってもわかってもらえない、とか、わかってくれないことに身構えすぎると、疑いの気持ちが相手に伝わって、相手の聞く気をあなたが奪うことになります。相手のことを信頼してあげることも大切です。相手を信頼した上で、一番相手に届きやすいタイミングや言葉を選ぶ、ということも大切です。

何回か言わないとなかなか問題行動が止まらない、というケースもあると思います。習慣化しているような行動パターンを手放すのには、時間がかかることもあるためです。その場合は、相手が行動パターンを変えられるようにフォローし続けること。ある意味では、パートナーを教育するくらいの気持ちが求められることもあるかもしれません。教育するためには自分もちゃんとしなければいけない部分も出てくるので、お互い成長することが求められてくる部分もあるかもしれませんが、この場合は、その成長プロセスそのものへの信頼、が大切です。


パートナーに変えて欲しいところがあるとき、というテーマで、私なりに掘り下げて書いてみました。夫婦で一緒にいて、自分が変わったところもあれば、奥さんが変わっていったところもあり、両方あってお互いに徐々に居心地がよくなっている、という感覚が私にはありますが、最初はもっとお互いにストレスを感じることが多かったように思います。メルマガの方には私自身が体験した話を書きましたが、見守るということや、変わって欲しいという期待や執着を手放すということも、もしかしたら大切かもしれません。

パートナーシップでストレスを感じるところ。そこには、お互いが成長するためのヒントがたくさんあるものなのかもしれない、なんて思っています。ここに書いたことで、何かしら参考になるところがあるのなら、幸いです。

 

バカにされている、と感じて傷ついているとき

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バカにされる、ということがすごく嫌、という方はいらっしゃるでしょうか?私自身は昔それがすごく嫌で、ちょっとしたことでもそう受け取ってしまうというような、過剰反応をしてた時もあるくらいだったのですが、もし、同じような方がおられるのなら、参考になることをお伝えできるかも、なんて思っています。

バカにされるのが好きな人、もしくは、全く気にならない人、というのは流石にいないかもしれません。ただ、周りからバカにされる、という体験がなんだか多いような気がする人の場合、心の中で誰かをバカにしている、もしくは、ダメ出しをしている、という部分がないかチェックしてみたほうが良いかもしれません。

心の中でやっていることは、他の人からは見えなくても、自分自身がそれで損をしている、ということがあります。この、心の中で誰かのことをバカにする、というのもそうです。


私は、小さい頃、周りからバカにされている、ということに対して、すごく敏感に反応する子供でした。

家族からバカにされているかどうか、とか、友達からバカにされているかどうか、というのを常にチェックしていて、そのセンサーにひっかかるや否や、怒りが爆発する、という感じでした。

その反対に、自分の心の中で周りをバカにするということをやっていました。特に家族に対して、大切にされていないと感じるときほど、家族との間に壁を作り、相手に対して何かダメなところを探して、そこを心の中で見下して批判する、という感じです。

その反対に、相手から自分のダメなところを笑われたり、バカにされているように感じると、普段自分が心の中でやっていることが、時間差で全部自分に跳ね返ってくるので、ものすごく辛くなるんですね。それがあまりにも辛いので、自己防衛のために怒りがわきあがってくる、という感じでしたが、これは、もともと自分が心の中で誰かをバカにしている、というのが原因でした。

直接バカにしていた相手から、バカにされるというのが自分に返ってくる、というわかりやすい形ではなく、誰かをバカにすると、別の形で、しかも時間差があって、しかもバカにしていた人とは全然関係のない人からそれが自分に返ってきていたので、この因果関係に気づいたのは、心理学を学び始めてからだいぶたった後でした。

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心理学に、投影の法則、というのがあります。自分の心の一部を相手の中に映し出す、というものですが、私が体験したのは、それとはまたちょっと違うパターンのもので、自分が周囲に発信していることが、自分に返ってくる、というものでした。

そのことに気づけなかった私は、自分をバカにしてくる相手を批判し、(つまり心の中でバカにしかえした)、そしてそれがまた時間差をつけて別の形で自分に返ってくる、というのが無限にループするような世界で生きていた、といえるかもしれません。

ただ、その部分を手放していくにしたがって、自分がバカにされている、ということにとらわれなくなっていき、また、上記の因果関係に従って、自分がバカにされると感じる体験もなくなっていきました。

無限ループ。気づけない限り永遠に抜け出せない、なんて考えると、ちょっと怖い気もします。ただ、心理学を学んでいくに従って私が理解できたことなのですが、同じような嫌な体験が繰り返されるようなパターンが人生の中に垣間見える場合には、これと近しい無限ループが発生していることがあります。

といっても、こういう場合には不思議なことに、
「あなたは今おかしな状態に陥っていますよ」
というサインのようなものが何かしらその人の身に必ずやってきます。身近に自分のことを大切にしてくれている人がいる場合は、その人が気づいて、ひとこと物申してくれたり(他人から見た方がよく見えるということは往々にしてあります)、私みたいに心理学を学んでいく過程で得た様々な気づきのなかにそれが含まれていたり、お子さんがいらっしゃる場合は、お子さんに注意していることが自分にそのまんまリターンされてきたり(XXしなさいと注意したら、別のことで自分がXXしていないのに気づいて焦るなど)、そのパターンは様々です。これを無視すると、これまで通りのループがただ回り続けますが、無視せずにそのサインを理解して必要な対処を行えば、ループから必ず抜け出すことができます。

 

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ただ、バカにされたと感じるときは大抵、相手を変えたい、という衝動が往々にしてやってきます。自分をバカにする相手が間違っているわけですから、間違っていることを発言した相手を修正したくなります。まずは、謝ってもらい、認識を変えてもらい、二度とそんなことを言わないようにしてやりたくなりますが、、、、上記の因果関係からすると、そんなことをしても、あまり効果的ではないです。

相手が自分をバカにした理由。たぶん、相手は相手で別のループに生きています。人をバカにするのなんて、いっけん、さぞ良い気分がするような気がするかもしれませんが、たぶん、ろくなもんじゃないです。(私が人をバカにするループで苦しんだからこそ、そう思えるだけかもしれませんが。)ただ、それは相手の問題です。

あなたがバカにされた理由。表面的にはあなたに何か身体的な特徴があったり、人と比べると劣っているように見えるところがあったり、センスが悪かったり、仕事に不出来な部分があったりしたのかもしれませんが、本当の理由が、あなたが別の誰かをいつかどこかでバカにしていて、それが自分に返ってきているだけなのだとしたら、バカにされたということの意味あいが全く変わってきます。


ただ、私はこんな風にも思っています。
「心の中で誰もバカにしていなかったとしても、誰からもバカにされなくなる、という訳ではない。」
その辺りのことはメルマガの方に少し解説を書きました。ざっくりいうと、他人が自分のことをどう扱うのであれ、自分が自分のことをどう扱うのかということが大切、ということなのですが、語りたいのは理想論というより、つまり、それがどういうことなのか、というあたりです。


バカにされている、と感じて傷ついているときのことを、私なりに掘り下げて書きました。何かしらお役に立つところがあるのなら、幸いです。

 

私がカウンセリングをどうしてやりたいと思うようになったか、という話

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私に心理カウンセリングに興味を持つきっかけをくれたのは、図書館で何気なく手に取った一冊の本でした。図書館には勉強しに来ていたのですが、ちょっと疲れて集中力が落ちてきたので、休憩がてらフラフラと勉強とは関係のない本棚に向かい、そこに並んでいる本のタイトルをほーっと眺めていたとき、何の気なしに手に取った心理学関係の本。

内容をざっくり言うと、自分自身の内面を分析していくことで、心の中をセルフヒーリングしていくような、そんな感じのものでした。今となっては書店に行けば類似した内容のものはありふれているのかもしれませんが、25年以上も前の当時の私にとっては、こんな内容のものもあるのだな、というので新鮮さを感じたのを覚えています。

自分が周囲から劣っていると強烈に感じていた当時の私にとって、その本に書かれていた内容は、まさに自分が知りたかったことに出会えた、というものでした。私がそのときにいつも感じていた劣等感。どうやって乗り越えたらいいのかわからなくて、とても苦しみを感じていたのですが、そのヒントがもらえたような気がしました。この時点では特にカウンセリングをやりたいとも思っていないですが、これが最初のきっかけ、だったように思います。

小学校の頃は、太っている、ということをすごく気にしていて、大人になってからは、髪の毛の薄さや恋愛経験のなさをすごく気にしていました。劣等感が強すぎるあまりに、色眼鏡をかけて世の中をちょっとひねくれた感じで見ていたかもしれません。


図書館に来ていたのは、大学院を受験するための勉強をするためでしたが、そもそもなんで大学院を受験しようとしたのかというと、就職する、というのがとても怖かったからでした。どんなことを仕事にするのか、という選択を一旦保留にして、もう少し勉強しながら考える時間をとる、といったある意味では逃げの一手、だったかもしれません。

就職した場合、会社の中で歯車となって働かされ、そこでほとんどの時間を過ごすことになるのだとしたら、その会社だったり仕事だったりが好きじゃなければ、すごく辛いだろうなあ、と思ったのです。

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下手をすると、そういう辛さを老人になるまで延々と感じながら働き続けて、老人になった頃には自分には何も残っていない。そんな人生を歩むことになるのかも、なんて想像をして、背筋がぞっとしたのを覚えています。この感覚は人によって違うと思いますし、人によっては、そんなの当たり前のこと、と思える部分もあるのかもしれませんが、当時の私は、そこに恐怖を感じました。


私はその時点で、女友達も一人もいませんでしたし、彼女いない歴=年齢、という状態でした。自分の人生に特に大きな変化が訪れないまま、このまま時間を進めて行ったときのことを想像したときに、老人になるまで辛さを抱えて働きながら、彼女もおらず、結婚することもなく、、、、という人生のレールが自分の目の前にしかれているように見えました。劣等感で心が一杯で無力さを感じていた当時の私にとって、正直、このときに感じた不安感と恐怖感には、すさまじいものがありました。

そのときに出会ったのが心理学。私はそこにすがりつきました。結果的に、私はその後、自分なりにやりがいを少しでも感じれることをみつけて就職をし(今はフリーランスで仕事をしています)、恋愛をして、その後、パートナーと結婚をすることになります。といっても、心理学で全て解決!、なんていう上手い話ではもちろんなく、メルマガの方には、心理学を学んでいく中での失敗談のようなものや、セミナー風景なんかもちらりと書きましたが、紆余曲折はたくさんありました。

ただ、仮に、当時の私が今の私をみたらすごく安心するとも思えますし、ここに至るまでに心理学から私が受け取った恩恵はすごく大きかったと思います。

 

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自分なりに興味をもった心理学関連の本を読んだりもしましたが、友人に誘われて、最終的にそれを教えてくれるところにいくことにしました。そこで実際に心理カウンセリングやセミナーを受けたのですが、そこでの臨床体験も通して、いろんなことを学ぶことができました。その中で一番影響が大きかったと思えるのは、罪悪感を手放す、ということです。

罪悪感を手放すまで、私は自分が罪悪感を抱えているという自覚が全くありませんでした。息を吸うように自分のことを責めていて、自分が悪いというのが当たり前のことすぎて、それが本来の自然な心のありようから大幅にずれている、ということに全く気づいていなかったのです。

罪悪感を手放すことができたとき、一言でいうと、自分自身がすごく楽さを受け取ることができたのですが、この感覚を言葉で表現するのはちょっと難しいです。もしかしたら、これは言葉で伝えられることではなく、体験してみないとわからないことなのかもしれませんが。

自分が背負っていた重たい荷物を下ろしたような感じかもしれません。下ろしてみて初めて、自分が背中に抱えていたその荷物の存在に気づけるようになりつつも、今までなんでこんなものを背負っていたのか不思議に思えた、、、そんな感じでした。

劣等感と無力感にさいなまれていた自分。自分のことでいっぱいいっぱいで、周りはほぼ何も見えていなかったと思います。この罪悪感は、表面的に私が認識していた劣等感と無力感のルーツとなっていた感情でした。改めてその荷物(=罪悪感)をみてみたときに、こんなものを背負っていたら、そりゃあ、周りを見る余裕なんてなかったよなあ、なんて妙に納得したのを覚えています。


心理学を学んでいただけではなく、人の縁にも恵まれていたのかもしれませんが、色々とあって、今はフリーランスの仕事をしながら、結婚して子供も生まれ、家庭を築いてぼちぼち幸せに生きています。

そんな中、カウンセリングを通して、学んだことを提供していきたいとも思うようになり、自分でもカウンセラーとしての活動を始めるようになりました。

ブログに色々と書いているのも、そんな自分が学んだことや知っていることも、お伝えしていくことで誰かの何かの役に立つのなら、という想いもあって書いています。

 

心が傷ついたときに始まる誰かへの攻撃

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誰かに心を傷つけられた、と感じるような体験。誰しもが経験するようなことかもしれませんが、ちょっと変わったものの見方として、心の傷は自分でつける、というものがあります。何を言っているのかわかりにくいかもしれませんし、わかったとしても受け入れにくい考え方かもしれませんが、人の心の仕様の一つ、といえるものです。

傷ついたという体験をしたとき、私たちは、その出来事で自分が傷つく、という選択を心の中で行っています。誰かから責められたり、裏切られたり、孤独だったり、精神的に過酷な状況、というのは実際あると思いますし、まさに試練といっていいような出来事、というのは確かにあると思いますし、私にもそういうときがあります。とても辛いと感じますし、自分の心が傷ついているようにも感じることもあります。

ただ、それは傷つくということを自分自身で選択しているときだけです。

 

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心の中を深く見ていくと、出来事と、自分の反応、の間に隙間のようなものがあり、そこでどう反応するかということを自分で選択して決めている、ということに気付くことができます。

まだそういう感覚を持ったことがないという方は、一度、自分の心のなかを注意して見てみてください。

出来事が起きてから自分の反応が生まれるまでの間に、ちょっとした時間差があると思います。たとえ一瞬だとしても必ずそこに間があります。そのときに心の中で起きていること。それが選択です。

そのことに気付くことができれば、自分の感情は、意識的にせよ無意識にせよ、自分自身で選択して決めている、ということに気付くことができると思います。


心が傷ついていると感じている部分について、さらに注意深く見ていくと、そこには誰かへの攻撃が隠れています。これは特定の個人ではない場合もあります。例えば、世の中とか、社会とか。あと、世界、とか、神様、なんていうケースもあります。

心の傷の部分に関して癒しが求められるとき、この誰かを心の中で攻撃している部分に関して、ケアをしていくことがとても有効なことがあります。

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傷ついている部分に関しては、被害者、という意識があります。これは、誰かに何かをされて傷ついた、もしくは、誰かが何かをしてくれなかったから傷ついた、といった意識のことですが、攻撃はそこから生まれていきます。もし仮に、この攻撃の部分を手放すことができれば、それは心の傷を手放すことにもつながっていきます。

自分が傷つく、という選択をしている限り、攻撃している誰かを許す、ということは難しくなります。

もし、その誰かを許すけれども、私は傷ついたままで良い、なんてことを考えるとしたら、口先で許すといっておきながら、自分が不幸になっている背中をその相手に見せつけて、「あなたのせいで私は不幸」と言っているようなもので、それはそれで攻撃であり、ある意味では、自分の身を犠牲にして相手を巻き添えにしようとする復讐、のようなものかもしれません。

攻撃の裏には、罪悪感が隠れています。もしかしたら、誰より許せないのは、自分自身、かもしれません。罪悪感があるとき、自分で自分を許す、ということはとても難しいです。ただ、その攻撃している誰かを許す、ということならば、できないこともないです。できないと言いたくなるかもしれませんが、自分を許すことの難易度に比べたら、だいぶましです。

攻撃している誰かを許すことが、最終的に罪悪感を手放すことにつながっていきます。それが、心の中にある傷を癒すことにつながっていきます。


誰かを許す、ということには、ときにとても大きな抵抗を感じるものかもしれませんし、傷が深いほどに、許せない、という想いも強くなるかもしれません。ただ、許す、という選択ができたとき、それはその人のためというよりも、自分自身のためになります。

全部を許すことはできなくても、一部ならば許すことができるかもしれません。相手のことを許せはしなくとも、理解できる部分は見つけられるかもしれません。完全に水には流せなくても、感謝できるところや、相手のことを認められるところは見つけられるかもしれません。許しが難しい時には、そこにある隔たりに橋をかけるかのように、自分の中で何かしら歩み寄れるようなところがないか探してみるのも、一つの手、かもしれません。歩み寄れた分だけ、自分自身の罪悪感に対しても、よりソフトに扱うことができるようになります。

人間なので完璧ではないです。善意だけではできていないですし、意地悪なところや、残酷なところや、ひどいところもあるものだと思います。ただ、いいところも愛情深い部分も人にはあって、色々とごちゃ混ぜになっているのが人なのだとしたら、誰かを責めている時や、自分自身の罪悪感の部分を見ている時というのは、その中の特に悪い部分に目がいき過ぎているときなのかもしれません。完璧には無理だとしても、もし、歩み寄れるところがあるのだとしたら、どんな部分があるでしょうか?
相手のためというよりも、自分のために。理解や、感謝や、受け入れることや、一部許容できるところがあるとしたら、何がありそうでしょうか?

私の場合はどうなのかというと、メルマガの方には詳細を書きましたが、特に母親に対して心の中で責めている部分が大きく、そこに対して許しを与えていくというプロセスがわりときつかったです。


今まで許せなかった誰かを許す、というのはとても勇気の求められる選択だと思いますし、私が見たことのあるなかでも、とても難しいと思えるものです。ただ、許しを通して得られる恩恵はとても大きく、人生を展開させていくための、大きな一歩、になっていくものです。

もし、許せていない誰かが、今の自分の人生を前に進める時のブロックになっていると思えることがあるとしたら、歩み寄るということにチャレンジしてみるのも良いかもしれません。

 

昔あった嫌なことを思い出してしまう心理

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子供の頃の嫌な思い出、信頼していた人に言われて傷ついた言葉、会社で受けた嫌がらせのようなものなど、昔あった嫌なことをふとしたときに思い出してしまって、なんだかネガティブな気持ちになるようなことはあるでしょうか?

一人の時間。例えば、起きた時や寝る前、お風呂に浸かっている時や、家路に向かって一人歩いている時など、最近あったことを色々と思い返すような瞬間に、ふとそんなことを思い出してしまうようなことはないでしょうか?

疲れている時や弱っている時など、メンタル的にネガティブになりやすいときほど、そういった記憶は思い出しやすいかもしれません。記憶は何らかの形で他のものと結びつけて頭の中に格納されているので、何かをきっかけに普段忘れていることを思い出したりするようなことはあると思います。嫌なことはその出来事とセットで感情としても覚えているので、類似した感情を感じると、それをきっかけにその感情を感じた時の出来事も一緒に思い出す、なんていうことも起きます。

例えば、誰かに腹をたてて文句を言いたくなったようなときに、そういえば、あれもこれも腹が立った!、なんていう風に、直接的には無関係な出来事も、怒りという感情で結びついて思い出されることもあります。

 

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その嫌な思い出を忘れたいと思ったことはあるでしょうか?
あるいはその記憶を手放したいと思ったことはないでしょうか?
もし、忘れたいと思っても、忘れられない記憶があるとすれば、その記憶や感情に対しての執着のようなものがあるかもしれません。

もしかしたら、忘れられない、ではなく、忘れたくない、というのが本音かもしれません。許せない人が心の中にいるのであれば、あんなことがあったのを、水には流せない、と思えるかもしれません。あの出来事を、なかったことにはできない、という想いも出てくるかもしれません。

もう2度とそんな目に会いたくないから、そういったことをしそうな人たちを避けるようにしたかもしれません。痛い目にあったから、自分の身を守る術を身につけてきた、という方もいらっしゃるかもしれません。ある意味では、その手痛い出来事があったからこそ、今の自分がいるという部分を感じておられる方もいらっしゃるかもしれませんね。

ただ、もし、その過去の記憶から生まれるネガティブな感情に引っ張られて、嫌な気分に浸ってしまうことがあるとするのならば、その瞬間は、今を生きると言うより、過去に生きているような感じになっているかもしれません。

今も心に残るあなたにとっての過去の衝撃的な出来事。その記憶をなかったことにはできなくとも、その記憶と癒着しているネガティブな感情については、一部手放してあげることができます。


注目してほしいのは、その過去の出来事そのものではなく、そのイメージを見たときにあなたが感じる感情です。仮にその過去を思い返すとしたら、今のあなたがそれを見て何を感じるでしょうか?

怒り、がっかりするような感じ、悲しみ、心が引き裂かれる感じ、言い返せない感じ、罪悪感、自分がちっぽけになったような感じ、様々な想いがそこにあるかもしれません。

心を落ち着けて、その感情の中にゆっくりと入っていくとして、1つの感情を感じていくと、しばらくしたら、別の想い、別の感情が湧き上がってくることになると思います。感情は繋がっていて、イメージとしては、そこからその感情の下に別のもっと深い感情があるとしたらなんだろう、というのを探っていくと、どんどん深い感情に入っていくことができます。

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よくあるのは、幼い頃やずっと昔に感じた古い根深い感情が、何かの出来事に刺激されて、もう一度再体験される、というパターンです。昔あった嫌なことも、よくよく探っていくと、それはさらにそれよりも過去の出来事で感じた感情が再体験されたものだ、ということも、ここで気づくことができます。

メルマガの方には、実際にカウンセリングの場面ではどんなことをしているのか、というのを書きましたが、概要を書くと、基本的には、大人の自分の心の中に、幼かった頃の傷ついた癒されていない子供の部分がいるので、本格的にやるのであれば、そこをケアしていくことで、過去の出来事を思い返した時の受け止め方を変えていくことができる、といった感じです。簡易的にやるのであれば、このブログでも何度か書いている手放しのエクササイズを使うのも1つの手だと思います。


昔あった嫌なことを思い出してしまう心理について書きましたが、出来事の記憶をなくすことはしなくとも、それを心の中でどう感じていて、どういう受け止め方をしているのか、という部分は変えていくことができるものです。ネガティブな感情に支配されそうなときに、ここに書いたことで何かしらお役に立てられるところがあるのなら幸いです。

 

ストーリーを変更する

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カウンセリングの中で、話を聞いていくと、その人自身が持っている考え方や、信じているものの見方が、少しずつ見えていきますが、それは、その人自身が体験する出来事と必ず関係しています。

ある意味では、その人が体験するストーリーは、無意識のうちに、その人自身が選び取っているストーリーである、という見方をすることもできるかもしれません。

そのストーリーが自分の望み通りであった場合はいいのですが、もし、そうでなかったとしたら、それは変えていきたいところかもしれません。ただ、ここでちょっと厄介なことが1つあります。それは、そのストーリーは意識して選んでいるというよりも、無意識にうちに選び取っている部分が大きい、ということです。


ちょっと、視点を変えてみます。

自分自身のことはおいといて、例えば、自分以外の人がやっていることを見たときに、
「なんでわざわざ大変なようにするんだろう?」
「なんでこうしないんだろう?」
と不思議に思ったことはないでしょうか?

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客観的に見た方がよくわかる、という部分はあるかもしれませんが、その人自身が、自分で大変な状況をわざわざ呼び込んでしまっている、ということも、他の人からすると、同じ目に合わないように、いくらでも回避する方法が見つかったりします。

ただ、それをその人自身に教えても、全然その人自身が変わらないで、アドバイスしたのにもかかわらず、相変わらず大変な目にあっている、というパターンもあります。実際、あなた自身の体験としても、「こうやったらいいじゃない」とその人にせっかく教えたのに全然聞き入れられないで、なぜか同じことを繰り返しているような、そんな不思議な光景を見たことはないでしょうか?

これは、違う考え方やものの見方を教えたとしても、その人自身が持っている古い考え方ややり方を手放して、新しいものを身につけない限り、そこを変えていくことができないためですが、ここで視点を戻してみます。


自分自身に当てはめて考えてみてください。

自分に降りかかってくる、様々な出来事、自分が生きているストーリー、もし、それが、自分自身の考え方や、ものの見方が引き起こしていることかもしれない、という話を聞いたら、どう思うでしょうか?

ここを変えていくためには、例えば、やり方の1つとして周りからの「こうやったらいいじゃない」に耳を傾けていく必要もあるかもしれません。自分自身の凝り固まった、考え方やものの見方を変えていく、ということが大切です。古い考え方やものの見方ややり方、古い習慣のようなもの、これらを変えていくには、ちょっと勇気がいります。それが、自分自身を形成している根っこに近いものであればあるほど、その部分を新しいものに切り替えていくのには、勇気がいります。

ただ、もし、自分が体験しているストーリーを変えたいと思うなら、自分が望まないストーリーを、自分が望むストーリーに変えていくために、その勇気を発揮することが求められてきます。


自分が体験しているストーリー。運が悪い、とか、めぐりあわせが悪い、とか、そういう見方をすることもできる部分もあるかもしれませんが、それ以上に、その根っこにある、考え方やものの見方、あるいは、感情の感じ方など、心の状況を形作っているものが、そのストーリーを呼び寄せてしまう、という部分がかなり大きいです。

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まずは、自分がそのストーリーを呼び寄せている、ということに気付く、という部分がとても大切です。

それに気付く、ということは、ある意味では、自分に良くない出来事が降りかかってきているのは、基本的には自分の責任だ、ということを認めることにつながります。

体験しているストーリーが良くないものであればあるほど、それは認めにくいことですし、また、気付けないからこそ、そのストーリーを生きているのだという解釈もできるものかもしれません。感覚的には、認めにくい、というより、「わからない」というのに近いかもしれません。

ただ、もし、そこに気付くことができるなら、次にすることは、そのストーリーを呼び寄せている自分の中にある考え方や、態度、信念、振る舞いを変えていくこと。

一瞬だけ変えてみる、というのではなく、継続する、ということが非常に重要です。なぜなら、何かを変えようとすると、必ず、元に戻ろうとする力が働くためです。

継続しにくい理由がでてきたり、継続したくなくなったり、などなど。結果的に元に戻ったら、いつものストーリーがやってくることになります。

ただ、それでも、ストーリーは変えることができます。自分がそのストーリーを作り出している、ということに気付き、変えるための行動を続けていくことで、それは実現できます。私の場合の体験談はメルマガの方に書きましたが、ストーリーの書き換えは、思い込みの書き換え、といえるものかもしれません。


ストーリーを変更することによって自分の内面を変える、というテーマについて、掘り下げて書いてみました。何かしらお役に立つところがあるのなら、幸いです。

 

束縛する心理+束縛された時の対応方法

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自分のことを束縛してくるパートナー。束縛が辛い、と感じるとき、実はパートナーから束縛を受けているというより、自分で自分のことを縛っているというのが心の中で起こっていることだったりします。今日はそのあたりのことを書いていきます。

自分を束縛するパートナーの心理は単純で、不安や心配があるからあなたを束縛する、という感じになっていますが、それを見て、自分が不安を感じる、という感情の連鎖が起きます。
「期待に応えてあげなかったらダメなんじゃないかな」
「期待に応えなかったら見捨てられるんじゃないかな」
自分も束縛をしていたり、束縛する側の気持ちがわかるから、裏切れないと思ってしまったり、断れなくなってしまう、、、、。だから、相手の期待が重荷になって束縛されてるって感じてしまいますが、本当は自由、です。

「自由に振舞ったらわがままなんじゃないだろうか」
「相手を傷つけてしまうんじゃないだろうか」
という罪悪感を感じたり、
「裏切られるんじゃないだろうか」
「私のことを好きじゃなくなるんじゃないだろうか」
という怖れを感じて、自由に振る舞うことができなくなってしまうとしたら、、、、本当に問題なのは相手の束縛、というよりも、自分の心の中で起こっていること。そこに目を向けてあげることが求められてきます。


「本当に自由に振舞っていいの?」
「自由にして本当にうまくいくの?」
と思うかもしれませんね。自由に振る舞うことで、相手がなんとかあなたをコントロールしようと、あなたの罪悪感や怖れを刺激するような手段を使ってくることは、よくあります。それを見て、あなたが不安になったり心配になることもあるかもしれません。

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相手の心理としては、あなたを見て勝手に不安になったり心配になっていて、それを自分の感情の問題ではなく、あなたの行動のせいにして「こっちを不安にさせないでくれ!」とあなたのことを心の中で責めながら、あなたをコントロールするために、あなたが罪悪感や怖れを感じそうなことをする、という感じです。

ここで大切なのは、不安を感じているパートナーに愛情を注いであげるということです。それと同時に、あなたも自分自身に愛情を注ぐということ。自分を大切にする、ということが大切です。そのためにあなた自身が自由を受け取るということを、自分自身に許可してあげること。

パートナーのいいなりになって犠牲的に振る舞うと疲れてしまいますし、そんなことを自分にさせているパートナーに恨み言を言いたくなります。パートナーを愛しているからやる、というよりも、パートナーから嫌われたくないからやる、もしくは、否定されたくないからやる、という感じになっていきます。ただ、それは、、、、お互いが本当に望んでいることではないはずです。


パートナーの期待やコントロールにそのまま応えるのではなく、別のやり方で愛情を送ってあげること。相手のコントロールを受けて仕方なくやる、という犠牲的なやり方ではなく、あなたなりのやり方で、パートナーをいっぱい愛してあげてください。相手が十分に愛されていることを感じられるくらいに。

不安や心配を感じて小さくなっているパートナーの弱いハートの部分を見て、そこに愛情を注いであげること。パートナーがその愛情を受け取れた度合いだけ、パートナーがそこで成長していけるのであれば、パートナーはあなたを束縛しなくてよくなっていきます。

あなたをコントロールしようとするややこしいパートナーの一面はそんなに重要視しなくても良いです。どちらかというと、そちらばかりを見て、あなたも不安を感じて、ある程度相手のいいなりになったり、我慢できなくなってケンカをしたり、、、、というのが続いていくと、お互いに愛情を与えられないし受け取れない感じになります。

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それよりも、パートナーの中にある、傷つきやすくて、あなたが離れていくことを怖れていて、小さくなっている弱いハートを見いだそうとしてみてください。そして、そこに手を差し伸べてあげようとしてみてください。

パートナーがあなたを束縛しようとしてもすべて空振り(あなたに聞く耳がない)で、あなたはあなたのまま自由に振舞いながらも、パートナーをただ愛し続けることができたとき、まず、あなた自身が楽になります。

ただ、少し、ネガティブな部分の話もするならば、パートナーがそんなあなたについてこれるかは、パートナー次第かもしれません。ついてこれないパートナーに無理にあなたが合わせようとすると、少し辛い展開になりますが、ちょっとダークなことも書いているので割愛します。(メルマガには例をあげて書いてます。)


束縛する心理と束縛された時の対応方法について、私なりに掘り下げて書いて見ました。愛情を注いでいく中で、心配性のパートナーが成長していくためのサポートをあなたができるなら、最高の展開だと思いますが、そこに至るまでに様々な葛藤があったり、あなた自身が成長を求められることも多いかもしれませんが、何か、一助となる部分があるのなら幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。