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心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

何か特別な存在になりたい、という気持ちの扱い方

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特別な存在になりたい、という気持ちから、成し遂げたいことや達成したい夢のようなものが出てくることがあります。

そのために何か頑張らなきゃいけなかったり、無理と思えるようなものにも挑んでいかなければならない、というとき、そこに抵抗を感じるあまりに、いま一つ本気になれなかったり、あきらめのような境地に至ることもあり、そういうとき、特別になりたいという気持ちと「がんばりたくない」という意識の間で、何とも言えない葛藤のようなものがでてくることがあります。

ある程度得意なものがあって、本気になったら達成できそう、という状況であれば、余計にその葛藤は高まりやすいかもしれません。

また、この、特別な存在になりたい、という意識は、自分と人とを比べて、自分は人とは違う、と言いたいというところから来るので、ある意味では、自分と周囲の人とを分離するような、つながりを断ち切るかのような性質も少し持っています。プライドが高い、という感じにもなりやすいです。そのため、ここから孤立感や寂しさが生まれてくることもあります。

その反面、人から認められたい、といった承認欲求のようなものともつながっています。自分は違うからと周囲の人を遠ざけておきながら、その人たちから尊敬のようなまなざしで見られたい、といった、なんとも言えない感じになりやすいです。

ちょっと厄介な性質を持つ、特別な存在になりたい、という意識ですが、ある程度であればみんな持っているものと言えるかもしれません。ただ、これが強すぎると、状況によっては、そのことで辛さを感じる方もおられると思います。今回は、その気持ちの取り扱い方、というところを少し掘り下げて書いていこうと思います。


心の奥の方には、自分で自分の価値を知っているような部分があります。ただ、様々な経験を通して、それを否定するような思考も同時に心の中に作り上げられています。例を挙げるとこんな感じです。
・大切な人から愛情をもらえなかった。→自分は愛される価値がない。
・自分が認める人から否定された。→自分は人から認めてもらえるような人間ではない。
・頑張ったけど結果につながらなくて、実力不足を感じた。→自分には才能がない。

自分で自分の価値を感じたいけれども、こういった思考があるために、その価値を感じることができない、となったときに、その経験やマイナスの思考を帳消しにできるような、何か特別なものを求める気持ちが出てきます。自分が特別優れているということを何とか証明したい、という欲求が強くなるほどに、特別な存在になりたい、という意識が強くなります。

自分で自分の価値を知っている部分とつながることができれば、この欲求は手放すことができます。自分の価値を否定する思考がその邪魔をしてきますので、その思考を手放すことが、自分の価値を知っている部分とつながるためのカギになってきます。

特別優れているということを証明するために、何かを成し遂げる、そのために本気になる、という手段もあります。自分が価値を感じれる何かを成し遂げた時、自分の中にある、自分を否定する思考が弱くなり、自分で自分の価値を知っている部分とつながりやすくなり、一瞬ですが、そこでは自分の価値を感じることができます。とはいえ、これはあくまで一つの手段です。

自分を否定する思考を手放して、自分の価値を知っている部分とつながること、それができれば、特別になりたい、という気持ちにとらわれなくなっていきます。


私たちには何かしら欠点があり、完全ではないです。人間関係にはトラブルが起きることもあり、何事もうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあります。ただ、それらの出来事自体は自分の価値を否定するものではないです。その出来事に自分の解釈で「私に価値がない」と判断をして、自分で自分の価値を下げている、というのが心の中で起こっています。

特定の人から愛されなかったからといって、自分の価値が下がるわけではないです。もちろん、下げることは可能です。これは自分で決めれることです。何かに失敗したからといって、自分の価値が下がるわけではないです。自分で下げると決めている、というだけです。

自分の心の中を掘り下げてみて、自分を否定する思考にどんなものがあるか見てみるとしたら、どんなものが出てくるでしょうか?どんなものであれ、それは絶対的なものというより、自分自身で決めていることだということに気付くことができたら一歩前進です。

自分の価値に関する判断は、自分自身に主導権があります。もし自分に主導権がなく、誰かから何かを言われて価値が決まる、ということであれば、そのコントロールできない誰かに自分の価値がゆだねられることになりますので、自分の価値がとても不安定になりますが、もし、そうだと思っているなら、それは誤解です。何か出来事が起きた時に、自分の価値に関して行われる解釈は、主体的に自分自身が行うことができるものです。

ただ存在しているだけで価値がある、という思考を主体的に選択することもできます。理由があって価値がある、という訳ではなく、自分が自分自身を見失っていなければ、自分の価値を感じている部分とつながれる、という状態は、自分で作れます。価値を決めるのは自分自身だからです。

なんでもありじゃないか、と思われるでしょうか?実際、その通りです。自分自身のことを自分の頭の中でどう解釈するか、という話なので、なんでもありです。自分が自分自身をどう解釈するか、というのが、自分に価値を感じれるか、という部分とそのままイコールになっています。

誰かにダメ出しをされた、とか、誰かから嫌われた、というのは、あくまでただの出来事です。どう意味づけするのかは自分が主体的に決定できます。だからどうした、と思うのも、自分の勝手です。私はなんてダメダメなんだー、と解釈するのも、自分の勝手です。

今の私はダメダメだー、特別なことを成し遂げなきゃー。という解釈をすると特別な存在になりたい、というふうになります。そういう解釈をするのも自由です。もしここで、特別な存在ってそう思ったらなんだかバカバカしいな、って思えたなら、それも一つの解釈です。

大切なのは、それを決めているのは自分自身だということに気付くということです。


自分の心の中に、自分を否定する強力な思考がある場合、自分に価値を認める解釈をしたくても、その思考に引っ張られて、主体的に自分の価値を決めたくても、上手くいかないことがあります。

自分の価値を下げているのは自分自身だという自覚がありつつも、そこを変えることができなくて歯がゆい思いをする感じになりますが、その場合は、自分を否定する思考を手放す、ということを主体的に選択する、ということがカギになります。

自分を否定する思考は、過去に行ってきた思考の積み重ねで作り上げられており、自分の心の中に深く根を下ろして、完全に馴染んでしまっているものもあります。自分を変えるということは、それがどんなものであれ、大なり小なり抵抗感を感じることがあるものですが、思考を手放すときも、そういった抵抗感がでてくることがあります。

抵抗が強い場合は無理やり手放そうとするより、その抵抗感を認めてあげる方が上手くいきます。抵抗感を認めることができたら、抵抗感を手放す。抵抗感を手放せたら、自分を否定する思考を手放す。といった感じでステップを踏む方が、心の中に深く根を張っていたネガティブな思考をスムーズにはがしてあげることができます。


これはあくまで手段の一つですが、心から愛するパートナーと出会い、その人から自分が愛されるという体験を通して、価値を受け取る、という方法もあります。愛する人から愛されるという体験は、自分を否定していた思考を解きほぐして、自分の価値を自分に認める、ということを主体的にしていくためのきっかけにすることができます。

自分が価値を感じる何らかの成果のようなもの、に向けて本気で取り組む、というのも一つの手段です。本気で取り組んで成果を上げれたときにも、自分を否定する思考を解きほぐして、価値を受け取る、ということをするきっかけにできます。

きっかけ、という書き方をしたのは、そういった手段を使ったとしても、最後の最後、自分が主体的に自分に価値を見出す、というところで、やっぱり自分には価値がない、という判断もすることもできるためです。自分が愛する人から愛されたからと言って、でも自分はダメダメだー、という解釈を心の中ですることができます。何かを成し遂げたからと言って、でも自分は大したことない、という解釈を心の中ですることができます。それらはきっかけにすぎず、最後は自分で決める、という主体性が求められるからです。特別な存在になりたいと思って、何らかの結果を出して、色んな人から、特別な存在という風な扱いをされても、この部分は同じです。でも本当の自分は空っぽだ、という解釈を心の中でできてしまうからです。


自分の価値は主体的に自分が決めています。まずはそれに気づくこと。次に、どう価値を感じているか、が問われています。私自身は、どんな人も存在しているだけで価値がある、という考え方をしていて、それを自分自身にも当てはめています。仲間や家族や恋人がいて、そのつながりのようなものから、自分自身の価値を感じている、というのも人もいらっしゃると思いますし、仕事を通じて自分の価値を感じるという人もいると思います。人それぞれ自由に、価値を感じている状態があって、自分自身にとってしっくりくるものであれば、何でもよいと思います。