心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

失敗にはまり込んだとき

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誰でも失敗はするものですが、失敗してしまったときには、そのことで落ち込んだり、失敗感をしばらく引きずったりすることもあると思います。失敗したことで心の中でネガティブな感情を引きずってしまうこともあるものかもしれません。

失敗をひきずるというのは、例えば、自分で自分にダメ出しをして、失敗した時の様子や、言われたことや感じたことを何度も頭の中でリピートしながらネガティブな感情に浸ってしまうような感じ、かもしれません。似たようなことを経験したことのある方はおられるでしょうか?

失敗したときには、罪悪感にとらわれやすいものかもしれません。仕事で失敗をしてしまって、それでテンパって余計に失敗しやすくなるようなパターンを想像してもらうとわかりやすいかもしれませんが、失敗したとこで罪悪感を強く感じて、失敗したことに意識をとられすぎて、本来の仕事に集中できなくなったり、余計に失敗しやすくなる、という感じになることもあるかもしれません。

恋愛関係や人間関係での失敗であれば、悪いことをしてしまったという罪悪感にとらわれて、相手との間に壁ができたように感じて、心で繋がることが難しくなってしまったり、よくない雰囲気になることもあるかもしれません。言ってしまったことや、やってしまったことへの後悔の念にとらわれてしまうこともあるかもしれませんね。


失敗した時に求められることというのは、失敗から学ぶことであり、失敗にはまり込むことではないのではないかな、と思っています。なるべく、学びの方に意識をスイッチする、ということができた方が良いです。

罪悪感は心のエネルギーを奪います。何が正しくて、何が間違っているのか、とか、相手が悪いのか、自分が悪いのか、ということを考えはじめると罠のようなものにはまり、良くないところばかりに心の焦点が当たるために、それだけで精神的に疲れてしまいます。罪悪感に心のエネルギーを割くのではなく、この失敗から何を学べるのか、という方にエネルギーを割いた方がいいです。自分や相手や環境など、悪いところ探しの手を一旦止めて、何を学べばよいのか、ということに意識をスライドさせてみてください。

罪悪感が教えてくれているのは、あなたがここに関して取り組む必要がありますよ、というサインです。そのサインが拾えたなら、自分自身や誰かのことを否定する時間は終わりにして、自分を責めているエネルギーや、そこから逃げ出そうというエネルギーを、学び、自分が成長する、ということの方に注ぎ込むことができます。


自分が普段している思考や行動パターン、あるいは習慣のようなもの。そこを変化させることが求められている時に、往々にしてネガティブな感情を感じる出来事はおきます。罪悪感が教えてくれるものは、あなたに変化が求められている、ということです。普段している思考や行動パターンのようなもの。あなたにとっての「普通」。あなたにとっての「当然」。そこを変えることには抵抗感を感じやすく、大抵はあえて変えたいとは思わないものです。ただ、ネガティブな感情を感じるときというのは、そこにあえて手を入れていくときのきっかけになるもので、大概の場合、自分でもどこをどう変えた方がいいのかというのは、誰かに何かをいわれるまでもなく、自分でわかっているものです。ただ「わかっちゃいるけど、やりたくない」ということを後回しにしていると、それは回り回って、トラブルであったり、何か嫌な想いをすることであったり、ネガティブな感情を感じるような出来事となって、私たちに学びや変化を強く求めてくる事態をまねき寄せたりします。

おそらく、私たちは、何をどうすれば良いのかを自分で知っています。ただ、やりたくないから、そこを見たくないから「どうしたら良いのかわからない」ということにして、問題を後回しにしたりしているのかもしれません。

もし、仮にそうだとしたら、何か気づけることはあるでしょうか?
誰かに何かをいうのでもなく、自分の心の中に秘密にしておくこととして、その自分でも自覚している何かが、あなたの意識上にちらりを顔を見せたりしたでしょうか?

ちなみにカウンセリングをしていると、本当に最後の最後の方になってから、こういった核心の内容が出てきます。聞いているこちらからすると「最初にいってよ〜」と言いたくもなったりしますが、なぜか、最後の方に核心部分はでてきやすいです。不思議なものですね。


失敗にはまり込んだ時、というので罪悪感にフォーカスを当てて掘り下げて書いてみました。ネガティブな感情に浸る癖のある人は、一度はまり込むと、ドツボにはまったかのようになってしまうこともあるかもしれませんが、本当はどうするのがよいのか、あるいは、本当はどうしたいのか、というのは基本的には自分が一番よくわかっているもの。ただ、それをみたくなくて回り道をするというのも、よくあることなのかもしれません。