心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

人からよく攻撃を受けるように感じる時

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人からネガティブなことやきついことを言われて精神的に大きなダメージを受けてしまう、ということが多い方はおられるでしょうか?
割と言われやすい人であったり、何かと敏感に反応してしまって傷つきがちな方、というのもおられると思っています。

そんな言い方をしなくていいのに、と思うことが多かったり、なぜか馬鹿にされるような言い方をよくされてしまっていたり、自分ばかりがきついことを言われる、と感じることが多い、という方はおられるでしょうか?
私自身も割と言われやすい方かも、なんて思っていますが、よく攻撃を受けることでちょっと面白くない想いをされている方がおられるのであれば、少し思い返してみてもらいたい部分があります。


自分の心の健全性を保つために、できることなら、あんまり気にしないようになれれば、と思ったことはあるでしょうか?
スルースキルなんていう言葉や、鈍感力、なんていう言葉もありますが、もし、きついことを言われたとしても、そこでダメージを受けることがなければ、もしくは、ダメージを軽減できるようになれば、今よりももっと楽なのに、なんて思ったことはあるでしょうか?

自分がどういう反応をしているかに注目してみたとき、、、、相手のネガティブな言葉を、本当は真面目に相手にしなくていいのに、適当に無視していてもいいのに、全然真に受けなくていいのに、ある意味では、真に受けてしまう、という部分があるかもしれません。

三国志という歴史書があるのですが、お話の中でちょくちょく、戦に勝つために相手を挑発する、といったシーンがあります。挑発に乗るかどうかは相手次第なのですが、挑発に乗った相手はだいたい負けます。お話を読んでいるこちらからしたら「怒ったらダメだぞ〜、怒ったら負けるぞ〜、あ、怒った。これは負けたな。」という風に客観的にみれるのですが、戦いの時代を生きていた武将達にとっては、本気で本気の死活問題に関わることで、挑発で言われていることもどうせわかっている癖に、怒って挑発にのってしまって、負けて命を落としたり、領地を失ったり、負けたことを主君から責められたりするわけです。

これだけは言われたら許せないって思っている部分を突かれると、それを無視することは非常に難しくなるものかもしれません。スルーすることを許可できない部分がある、と言っても良いかもしれません。もし、突かれたら非常に痛い、自分の弱点のような部分が自分の心の中にあるとしたら、どんな部分があると思えるでしょうか?


例えば、罪悪感。例えば、自己卑下しているような部分。例えば、劣等感。例えば、自分には何の価値もないと思っているような部分。自分で自分のことを責めていたり、おとしめているような部分を心の内に抱えていると、そこを突かれた時に、私たちの心は攻撃されたと感じ、傷つけられたように反応します。

この時、気づいている人も、気づいていない人もいるかもしれませんが、とある法則のようなものが働きます。それは、心の内に秘めているそれらの自己攻撃性は、他人からの攻撃をおびき寄せる、というものです。
「なんとも思っていないことはあんまり言われないし、言われても気にならないが、気にしていることは人から割と突かれやすくなるし、突かれると心が痛む。」
実際に体験された方や、思い当たるところがある方もおられるのではないかと思います。

もし可能なら、自己攻撃性を手放してあげてください。どんな罪悪感をかかえていらっしゃるでしょうか?
もしかしたらそれはもう過去のもので、いつまでも自分のことを責め続けていなくても良いかもしれません。自分のどんな部分を卑下しているでしょうか?
自分の欠点として扱って自分の心の中で責めている部分を手放して、それもまた自分の一部として受け止めることができた方が、今よりももっと楽になれるかもしれません。

もしそういったことが難しいようであれば、ただ、気づいてあげる、というのでも一歩前進です。例えば、私は、こんな罪悪感を持っているから、ここを突かれたら弱いんだなって認識してあげること。自分の弱点を把握していると、実際にそこを突かれたときの反応が多少はましになります。自分の受け止め方として「そんなことを言われるなんてすごくショックだ!」という衝撃的なものではなく、「ほらやっぱり来た。くると思ったよ。」というものに変えることができます。ダメージがなくなるわけではないですが、少しくらいは軽減することができるのではないか、と思います。(ただ、本格的にダメージを軽減したいと思ったら、自己攻撃性を最終的には手放していくことが求められてきます。)


物事を考える時に、客観的に、第3者的に見る、という方法がありますが、ネガティブなことを言われている状況を、そんな風に、ある意味では冷静に見つめてみたことはあるでしょうか?
自分自身からの視点、言っている相手側から見た視点、だけではなく、それを見ている周囲からの視点、あるいは、それらを含めた全体の雰囲気を完全に関係のないところから俯瞰した視点など、いろんな角度で見つめて見ると、解釈がそれぞれ違って来ます。第3者的な視点で俯瞰して見て、違った解釈で物事を捉えたときに、改めて自分自身の受けた体験をどのように感じるでしょうか?
感情的ではなく、理論的。傷つくような感じではなく、冷静な感じ。言われた言葉をスルーするための一つの方法として、第3者的に受け止める、というものがあります。少なくとも、相手の言葉の中にある攻撃性に対して、心理的に距離をとって考えられるようになるので、この方法でもダメージを軽減することができます。人からよく攻撃を受けるように感じる方の中で、この方法を試してみたことのない方がおられるのなら、一度試して見てくださいませ。


ネガティブなことを言われて、ネガティブな感情を感じた時、その感情があなたに教えてくれていることがあります。それは、今、あなたの中にある思考の中で、変えた方が良いものがありますよ、というサインです。そこには何かしらの学びのようなものがあります。ネガティブな感情の扱い方としては、その学びに気づいてあげて、学びを受け取ってあげたら、役目を終えたネガティブな感情を手放してあげる、というのがおすすめなのですが、そのためには、このネガティブな感情が教えてくれていることは何だろうか、ということに対しての気づきが求められて来ます。例えばそれは、自分の中にある罪悪感に気づいて手放すこと、かもしれませんし、もう少し物事を客観的に見れた方がいいよ、ということかもしれません。何かあなたがその環境の中で勘違いや取り違いをしていることがあって、そのことに気づいた方がいいよ、ということかもしれません。あるいは、この環境の中では、いちいち細かいことに反応するんじゃなくて、もっと図太く、ふてぶてしい態度を取るくらいでも全然構わないよ、ということかもしれません。どんな学びがそこにはありそうでしょうか? そのことに想いを巡らせて見るのもおすすめです。そこにある学びを受け取ろうとしてみてください。


きついことを言われた時に、それをスルーするときの一つの観点として、そもそもスルーすることを自分自身に許可できているだろうか?
という部分を見つめても良いかもしれません。スルーする、ということは、相手の言葉をある意味では、軽視する、ということです。もっと解釈を進めると、そもそもその相手のことを軽視する、というニュアンスもあるかもしれません。ちゃんと聞いてあげないと、とか、丁寧に対応しないといけない、とか、真面目に耳を傾けるべき!、とか思っていたら、スルーすること自体に抵抗感が出て来ます。例えば、それが悪口だったり、余計な言葉が盛られていたりするのであれば、そういった言葉はまともに聞いてあげるというよりも、まともに相手をしない方がいい言葉、ということはないでしょうか?
自分に対しての気遣いが全くないような、ただただ攻撃的な言葉に、あなたが気を遣おうとはしていないでしょうか?
相手のことを気遣いすぎているルールが自分自身の心の中にないか、チェックして見てください。相手が言って来ていることをスルーする、ということ自体は、実はそんなに難しいことではないです。ただ、あなたの中にそれを禁止するような、そうすることに抵抗するような部分があった時に、スルーができなくなる、ということが起きたりします。もしそうであるのならば、自分自身に対して、相手の言葉をスルーすることに許可を与えてあげてください。


人からよく攻撃を受けるように感じた時のことについて、私なりに大切だと思うポイントをいくつか書いてみました。厳しい言葉の中には、学びがあることもあり、そこに反応している自分自身がいるということきに、なんで反応しちゃうんだろう、とか、なんでこのことをスルーできないんだろう、というのは重要なポイントだと思っています。攻撃に対して攻撃で返すと、またその跳ね返りが自分自身にやって来ます。それがエスカレートして、よくないストーリーを自分の人生に招き寄せることもあるかもしれませんが、攻撃ではなく、そこにある学びだけを受け取って、役に立たない余計な言葉をノイズとしてフィルタリングすることができた方が、より楽に立ち回ることができると思っています。この後半のフィルタリングに、スルースキルを活用するのが良いと思っています。ここに書いたことで、何かしら役立つことがあれば幸いです。