心鈴泉-心理学とカウンセリング

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頑張っているのに人から責められてしまう

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自分は頑張っているつもりでも、周囲にはその頑張っているということが知られていないことは、時にあることだと思います。あんまりそういう一面を人に見せないようにしていたり、基本的に一人でやっていて、他の人には頑張っているということがあんまり見えにくいような状況であれば、その姿が人に知られていないというのは、普通にあることかもしれませんね。

ただ、頑張り過ぎていて、どこか無理をしているようなところがあったり、一つのことに意識が集中しすぎていて、そこ以外でちゃんとできていないような部分があった時に、それを人から責められる、ということがあります。人間なんでもかんでも完璧にこなす、というのは難しいですし、頑張りすぎていたり、無理をしているような時は、そういったミスに近しいことをやってしまいがちですが、そういうときに限って、人から責められるというのも辛いものです。

精神的にいっぱいいっぱいになっている時に、人から責められるというのは、気持ち的にかなりこたえます。こんなに頑張っているのに、なぜ責められなければならないんだ、という気分にもなりますし、自分の心情に配慮がないことに対して、なんとも言えない気持ちにもなりやすいものです。一番自分のことをわかって欲しいような、身近にいる人や、愛する人から責められることで、張り詰めていた糸がぷっつりと切れてしまうような感じになることもあるものかもしれません。

いっぱいいっぱいの時に人から責められると、その言葉は本人にとっては、まるで、もっと無理をしろ、とか、もっとやれ、と言われているように聞こえてしまいがちです。細かい状況を知らないところでの指摘になることもありますので、やるのが当たり前、とか、できないのが悪い、というニュアンスが、その言葉の中には含まれていることがあります。言われた本人にとっては、全く理解されていない気分になったり、その人が敵にように見えたり、あるいはそのことで自分の罪悪感を強く刺激されたりして、全てを投げ出したい気分になることもありがちです。


普段から、孤立して一人で抱え込んで無理をするような行動パターンを持っていると、頑張っているのに空回りしたり、頑張りを人から認めてもらえなかったり、できていないところを人から責められたり、というパターンにハマりやすいです。ここで、自分のことを理解してくれないことに対して、こっそりと不満を抱え込んでしまったり、あるいは、気持ちの限界がきてから全部をぶちまけてしまったりするようなパターンもあると思います。

ただ、こういったことがあった時に、自分の中にも精神的な未熟さのようなものはなかっただろうか、と自分自身に問いかけてみたら、どんな答えが返ってくるでしょうか?

例えば、何も言わなくてもわかってもらいたい、という甘えのようなものがあったかもしれません。人の意見を取り入れるような余裕がなく、頑なになっているような部分があったかもしれません。自分の成し遂げたいことへの執着が強く、周囲に対しての配慮を切り捨てているような部分があったかもしれません。

一生懸命だったと思います。限界ギリギリまで頑張っていたと思います。ただ、一人で抱え込むのではなく、周囲ともっとコミュニケーションをとることができていたのなら、今よりももっと精神的に成熟した状態で、物事を進めることができていたかもしれません。


犠牲を手放して、周囲とコミュニケーションをとっていくこと。愛する人や身近な人に対して、自分が抱えている大変な状況や、辛さを感じていることについてシェアしていないのなら、していった方が良いです。どうせわかってくれない、と思うかもしれません。相談しても無駄だと思えるかもしれません。ただ、あなたのことを大切に思っている人ほど、そういうことは一人で抱え込むのではなく、自分にも分かち合ってほしい、と思っています。

心配されるのは面倒、と思うかもしれません。色々意見されるのが嫌、と思うかもしれません。自分がやりたいようにやることを止められたら嫌だ、と思うかもしれません。自分で解決できるから別にいいや、と思うかもしれません。ただ、頑張りすぎていて無理をしているような時というのは、一人でなんでもかんでもやるのが限界に来ている時です。

この瞬間だけのことを考えたら、今は一人で耐え抜きたい、と思うかもしれません。ただ、長期的に見ると、無理を重ねるということは、身体を壊すとか、人間関係にダメージがあるとか、精神的にきつくなってくるなどのマイナス面が出て来やすいものです。一人で抱え込むやり方を少し手放して、周りとコミュニケーションをとって、自分の痛みを知ってもらうようにしてみてください。そこで耳の痛くなるような意見も出てくることがあるかもしれませんが、相手を信頼して、その中に少しでも自分が取り入れられるなと思える要素があるのなら、取り入れようとしてみてください。話したくない相手に無理に話す必要はないですが、あなたのことを大切に扱っていると思える相手には、できるだけ、あなたの痛みを教えてあげてください。それが、あなたのためにも相手のためにもなります。


もしかしたら、あなたは周囲に対して、何も言わなくてもわかってもらいたい、というだけではなく、信頼して見守っていてほしい、と思っているかもしれません。特に身近な人や、愛する人に対しては、そういう想いを持ちやすいものかもしれません。

ただ、相手の立場に立って考えた時に、それは簡単なことだと思えるでしょうか?
どちらかというと、相手からあなたのことをみた時に、何をしているのかわからないし、何を考えているのかわからないし、ただただ心配、という印象を与えるようなものにはなっていないでしょうか?
その状態で、何も言わなくてもわかってもらいたいし、信頼して見守ってもらいたい、と思うのは、子供が親に求める愛情に近しいもののような感じはしないでしょうか?

もちろん、愛する人に対して、そういうことをしてくれる、もしくは、しようとしてくれる人もいます。ただ、それをやってくれて当たり前のことのように考えているのであれば、あなたは自分の中に、ある意味では甘さのようなものを抱えている、と言えるかもしれません。それができるかどうかは、相手の状態や成熟度にもよりますし、あなたがどのくらい相手に自己開示できているかにもよります。

あなたのことを大切に扱ってくれる人に、あなたの痛みを分かち合ってあげてください。頑張って無理をしている時ほど、自分のことでいっぱいいっぱいになっている時ほど、そのことを忘れていないか、振り返ってみてください。


相手にあなたの痛みを分かち合う時に鍵になるのは、あなたが相手を理解して信頼することです。相手には相手の事情があるので、あなたの一部分しか見えていなかったり(どこか勘違いしてあなたのことを理解している部分もある)、相手も相手でいっぱいいっぱいになっていることがあったり、精神的に未成熟な部分を抱えていることもあります。あなたが相手にやってもらいたいと思っているように、あなたが相手を理解して信頼してあげてください。それができるほどに、あなたは相手からの援助を受け取りやすくなりますし、あなた自身が、精神的に成熟していくことになります。


頑張っている時に人から責められてしまう、ということがある時に、振り返ってみてもらいたいことを私なりに書いてみました。精神的に追い詰められている時にありがちなことかもしれませんが、もし、そばにあなたのことを想ってくれている人がいるのなら、一人で抱え込むというのは、あんまり良い選択肢ではないです。ここに書いたことで、何か一つでも役立つことを持って帰ってもらえるのなら幸いです。