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心鈴泉-心理学とカウンセリング

人間関係、恋愛、仕事の各シーンで使える心理学についての記事を記載しています。

相手から感謝の言葉が返ってこないときにおすすめの自己分析

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良かれと思って相手にしてあげたことに対して、向こうから感謝の言葉が返ってこなかった時に、腹がたったり悲しくなったりしたことはあるでしょうか?

感謝が返ってくるどころか、こちらのしたことに対して文句をつけてきたりダメ出しをされたり、なんてことがあったりしたら、だったら最初から何もしなければよかった、って思うこともあるかもしれません。

何か相手にしてあげて、それを相手に受け取ってもらえて、感謝の言葉のやり取りがあって、という流れがあるといい感じですが、そうなっていないということは、自分と相手との間で、どこか気持ちがすれ違っている部分があります。

相手はこういう態度をとるのではないか、という予想があるとしたら、その予想のベースになっているのは、相手はこういう人だ、という相手に対する理解です。何かしてあげた時に、ネガティブな反応が返ってくることが最初から想像できているなら、もともと何もしないはずです。そういう想像をしてなかった、ということは、相手に対する理解が何かしらずれていた可能性があります。超能力者ではないので完璧に相手の反応を想像する、なんてことはもちろんできなかったとしても、相手に対して、こういう反応であってほしい、という期待はあったかもしれません。


相手がこちらに対して、どちらかというとネガティブな反応をしているということは、こちらのことを相手も理解できていない可能性があります。自分が気分を害しているということに関して、相手がある意味無神経な反応をしていたとしたら、そこには、悪気があるというより、そこまで気分を害されるとは相手も思っていなかった、かもしれないです。

例えば、旦那様の無神経な一言で奥様がキーっとなる、というパターンが様々なご家庭で繰り返されているかもしれませんが、これは、旦那様に悪気はなくとも、奥さんの地雷ポイントを旦那様がわかっていなくて、家庭内で誤爆が起きているわけです。旦那様も最初からどこに地雷原があるか知っていれば、誤爆は防げたかもしれません。ただ、奥様の方が旦那様に「ここに地雷源があるから避けてね。」なんていうことはわざわざ言っていない、、はず。言わなくてもわかってもらわないと困る、という想いがあるからです。

この、言わなくてもわかってもらいたい、と相手に期待しているような部分があると、事故は起こりやすいです。言わないと伝わらないことって、親しい間柄でもけっこうあります。

相手のことを理解できていない部分があったり、自分のことが相手に十分に伝わっていない部分があったりすると、そこが気持ちのすれ違いを生んで、片方に悪気はないのにもう片方が傷ついてしまう、ということがあります。相手から感謝の言葉がないとき、相手を責める前に、そういったすれ違いの部分がないか、ちょっと振り返ってみるのもおすすめです。


この振り返りをするときに、最初にチェックしておいた方がいいのは、自分の中にある思い込みの部分です。自分の中では当たり前だと思い込んでいるけれども、相手にとっては当たり前ではない、という部分があると、気持ちがすれ違いやすくなります。

人間関係では、何か問題があったときに相手に変わってもらうことを期待して、心の中で相手のことを責めているばかりだと、状況が全然良くならない、ということが多いですが、自分の方に変えることができるポイントがあって、そこを動かすと状況が好転する、ということもまた多いです。

自分の中で当たり前になっていること、を動かすことはできないでしょうか?

ここは抵抗感を感じやすい部分なのですが、これを許容できた度合いだけ、相手との間にある溝を埋めていきやすいです、、、といっても何か犠牲的なことをするわけではないです。

自分の中で当たり前と思っている部分には、自分の心の中の弱かったり未成熟な部分を、ちょっと誤魔化して正当化しているような部分があったりします。

その正当化のために、ここは当たり前になってもらわないと困る、といったある意味ちょっと甘えたような部分を自分でも誤魔化しつつ持っていたりするので、そこを手放していきましょう、という話です。犠牲的になるというより、自分自身を成長させる、という感じです。

そんな誤魔化している部分なんてないよ、と言いたい気持ちが出てくることもありますが、ここはできれば真摯に向き合った方が、受け取れる部分が大きくなります。自分の心の中を分析してみてください。感謝してくれない相手のことを責めようと思っていたら、自分側にそのまんまそれがブーメランで返ってくることも、この分析では出てくることがあります。

たとえば、感謝の言葉をいうのがおっくうで、めんどくさがっているだけなんじゃないの!、と心の中で責めていたら、自分の方も、相手に言うことがおっくうで、めんどくさがって伝えなきゃいけないことを伝えていない部分が見つかる、という感じです。いやいや、相手より自分の方がまし、とか、正当化の言い訳がたくさん出てきたりもしますが、今は誰かに弁明を聞いてもらうような状況というより、自分の心と向き合っているだけですので、正直になってみてください。

完璧な人なんていないですので、自分に対して甘くなっているような、未成熟な部分は何かしらあるものです。ここで自分を責めてしまうより、自分にもまだまだ甘ちゃんな部分があるんだなあ、というくらいの認識で良いと思います。

そうすると、相手にダメな部分はあるけれども、自分にもダメな部分があって、どこかお互い様ともいえるかも、という感じの、余裕というか、隙間のような部分が心に生まれてきます。その隙間がそのまま自分が成長する要素を入れるための空きスペースになります。

自分の中で当たり前になっていた部分を動かそうとしてみて下さい。空きスペースができた後であれば、考える余地があると思います。どう変えるのがいいでしょうか?


当たり前になっている部分をちょっとでも動かすことができたら、自分と相手の間にあるコミュニケーションで変えたほうがいいところを、振り返ってみてください。

相手に対して理解が足りていないところはないでしょうか?
自分が相手に理解を求める前に、伝えられていないことはないでしょうか?
伝え方に工夫ができるところはないでしょうか?
振り返ってみたら何かしら思い当たることが出てくると思います。


相手から感謝の言葉がないことに、何かネガティブな感情を感じた時には、自分の中で当たり前になっている部分や、自分と相手との間のコミュニケーションで変えられるところはないか、一度じっくりと分析してみてください。

そこで自分が変化を起こせた分だけ、相手から感謝の言葉がないことに対してネガティブな感情を感じていたところから前に進んで成長していくことができます。

 

 

わがままな人に振り回される心理

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身近にいる人のわがままに振り回されているように感じることはあるでしょうか?
相手の考え方のようなものを押し付けられて、何か犠牲的にふるまわないといけないような状況になる感じです。

相手からの愛情や友情を失うことを怖れて、本当はしたくないのに、わがままに付き合ったり、相手の言い分を飲み込んでいたりすることはあるでしょうか?
嫌われたり、責められたりしたくないから、犠牲的なふるまいをしてしまうような感じです。こういった犠牲的なふるまいをしているような感覚があるときというのは、自分の心の中で自分自身のことを責めてしまうこともあるかもしれません。

ただ、本心ではこれはあんまりよくないんだろうなあ、ということを感じているとしたら、その人との関係性をちょっと見直した方がよいかもしれません。


もし、この犠牲をやめたらどうなってしまうと思っているでしょうか?
あんまり考えたくないことかもしれませんが、相手が求めてきていることについて、断る、ということをやっていくと、どんな結果が想像できるでしょうか?
今よりも状況が悪くなる怖れがでてくるかもしれませんが、その怖れの内容はどんなものでしょうか?

例えば、断った後で罪悪感を感じることになるかもしれません。わがままを断る自分の方がわがままな気がしてきて、なんだか自分の方が間違っているような、自分の方が悪いような気がしてくるような感じです。断ることに対して罪悪感のようなものがあるケースって多いと思います。

他には例えば、嫌われる、という結果が想像できるかもしれません。言い分を通そうしてくる相手に対して、断る、という態度をとった結果、怒られたり、人格否定されるようなことを言われたり、拒絶されたりするような感じです。

結局断りきれない、という未来も想像できるかもしれません。相手に言い負かされた結果、断っている自分の方が間違っている気がして、それだったら、最初から断らなければよかった、と後悔してしまうような感じです。


犠牲的になってしまうことの裏側には、こういった自分の心の中にある感情がベースになっていて、断ることに対しての抵抗感のようなものがある、というようになっています。「断ればいいのに」なんて他の人から言われたことがある方もおられるかもしれませんが、そんなとき、そうは言ってもそんな簡単には断れないよ、なんて思っちゃったこともあるかもしれませんね。

断るということに対して相手がどんな反応をするかは相手次第なのですが、ここで大切なのは、自分の内面にどんな感情があって、犠牲的にふるまってしまっているのか、という部分です。本当の自分を出したら嫌われるかもしれない、とか、自分には価値がないから、犠牲的にふるまってでも相手に好かれるようなことをして、関係性を維持していくようなことをせねばならぬ、といった考えや感覚のようなものが心の底の方にあると、この犠牲から抜け出すことが難しくなります。

わがままに振り回される、といったことの裏側に、そういった抵抗感のようなものが自分の中にあるような感じがしたなら、その部分をちょっと見直した方が良いです。


罪悪感の例を最初の方に書きましたが、この、わがままを聞かないとなんだか申し訳ないような感覚、というのは、自分自身に対する評価が低いところに理由の一つがあります。自分のことが無価値に感じられて、そんな私でも付き合ってくれている相手に、何かしないと気が済まないような感覚です。

それがあるときに、相手にわがままを言われて、そこにこたえられない自分が申し訳ない、、、、、これが罪悪感になってくるのですが、ちょっとおかしくないでしょうか?

相手と自分の立場が入れ替わったとしたら、どう感じますか?
わがままを言うのが自分で、それを聞いているのが相手で。相手がわがままを断ってくる、というシーンを想像してみてほしいのですが、断る、ということはそんなに悪いことでしょうか?なんだかちょっと違うな、という感じがしたなら、一歩前に進んでいます。

自分のわがままは許せないけど、相手のわがままは聞かないといけない、のはなぜでしょうか?
相手が上で、自分が下だから、でしょうか?
だとしたら、それはなぜでしょうか?

なんかおかしいなって思ってもらいたいです。自分の中に、犠牲的な行為をとることが当たり前のようになっている部分があって、それがこの違和感にマヒしてしまうような部分を作り出しています。違和感に気付いたなら、そもそも、この犠牲はやめても良いのではなかろうか、という風に感じてもらいたいです。

犠牲をやめると関係性は変わります。相手が上で自分が下、という関係性を持ってくれないとイヤ、と思ってくる相手は自分から離れていきますが、その関係性は自分にとって本当に必要でしょうか?

自分には価値がない、という思い込みがあると、自分を下だと扱ってしまうような態度をとってしまいがちですが、そういう思い込みを持ちやすい人にとって求められてくるのは、自分の価値に気付く、という部分です。そのために重要になってくるのは、自分のことを大切に扱ってくれる人とのつながりであって、自分を低く扱う人とのつながり、ではないです。

自分を低く扱う人とのつながりから受け取れるのは、やっぱり自分には価値がないんだ、という感覚のリフレインです。違和感に気付いたのなら、もう、そのつながりからは卒業して、自分のことを大切に扱ってくれる人とのつながりを優先していく、もしくは、そういった関係性がまだないなら、そういった関係性を求めていく、という方向を向くようにしていった方が良いです。


相手が精神的に幼くて、依存的なふるまいが日常になっているようであれば、程度にスルーするくらいで良いです。わがままを常に聞いてあげようとするのではなくて、応えられないことは断るし、できることなら聞いてあげることもある、というくらいがちょうど良いです。自分も相手に少しならわがままも言えるし、それを断られても相手側の事情を考慮できる、というくらいが自然です。それがどちらか一方に傾いているような関係性なら、ちょっと不自然です。そのアンバランスさを察知して、何かおかしいなって思ってもらいたいです。相手のペースに巻き込まれてその関係性が当たり前なんだと思ってしまっているのであれば、その状況に違和感を感じることが大切です。

ただ、一方的にわがままを聞いてあげないといけないような状況も、中にはあると思っています。とても辛い環境ですが、、、。自分のことを低く扱っているわけではなかったとしても、その環境下である程度やっていかないといけない、ということであれば、まずその環境からの抜け出し方を考える、ということと、それも難しいようであれば、一人でそれを抱えようとするのではなく、誰かのサポートを受ける、ということをお勧めします。話を聞いてもらうだけで少し楽になれる部分がありますし、具体的な話を聞いてもらう中で、自分では思いつかなかった助言を受け取るということも、そこでは出てきます。一人では抱えないこと、というのが辛い環境ではとても大切になってきます。


わがままな人に振り回されるように感じるときは、自分の中に自分自身のことを低く扱っている部分がないか、ちょっと心の中をチェックしてみてください。低く扱う部分があると、わがままな人を周囲に引き寄せてしまう、ということも起きやすいです。

 

 

好きな人を忘れる方法

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好きな人のことを忘れたいとき、気持ちがすぐに切り替えられる方が楽ですが、なかなかそれも上手くいかない、といったこともあると思います。好きな人のことを忘れられないでいると、日々の暮らしが色あせて見えたり、次の恋に気持ちが向けられなかったり、心の中が空虚な感じになってむなしさを感じる、などなど、他にも様々なネガティブな感情や感覚を感じやすくなります。自分の中にある誇りのような部分が、失われてしまうような感覚を持つ方もいらっしゃるかもしれません。

好きな人のことを心の中で整理していくためには、自分の心の中にある執着を手放すこと。気持ちが切り替わえられないのは、心の中に執着が根強く残っているためですので、この部分をいかに手放していくのか、というのが好きな人を忘れるときにカギになってきます。

ただ、大好きな人との別れはとても悲しく、どうしてもその人の事を心の中で強く求めてしまうものかもしれません。今すぐ会いたいという気持ちが出てきても、それが叶わなかったり、一緒にいて楽しかったときや、愛されていた日々の思い出に浸ってしまったりして、寂しさが心に溢れてどうしようもない気持ちになることもあるかもしれません。

自分が今まで生きてきた人生の中で、他の誰よりも特別だった人との別れであれば、なおのこと気持ちを手放すことが難しくなります。まるで自分自身の心の中に占めている、最も大切な部分がなくなってしまうような感覚があがってくることもあります。そういうとき、心の中にぽっかりと穴が開いてしまうような気持ちになりがちなものかもしれません。

大好きだったその人の事を本当は助けてあげたかった、という想いを持たれる方もいらっしゃるかもしれません。近くにいて、その人の心の中にある弱さや、心に痛みがあるような部分をもっと支えてあげたかった、といった心残りのようなものがあると、その感覚を別れた後も引きずりやすくなります。それが強いほどに好きな人を忘れにくくなります。

好きだった人に対して、強いネガティブな想いを抱くかたもいらっしゃるかもしれません。許せなかったことや、今でも心に引っかかっているその人の言動に心が縛られてしまって、恨みであったり、嫉妬の感情だったり、その人の事を心の中で責める気持ちが強いばかりに、余計に好きだった人に、心がとらわれてしまうようなケースもあります。こういったこともまた、好きな人への執着の形の一つ、といえるものかもしれません。執着が強いと、好きな人の事を忘れたくても忘れられない、というような葛藤が心に生まれることもあるかもしれません。

好きな人を忘れるときに、ひっかかってくるこの様々な感情の部分を上手く昇華していくことで、好きな人のことを心の中で整理していくことができます。そのためにカギになってくるのが、執着を手放す、ということと、自分を変える、ということです。それぞれ記述していきます。


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1.執着を手放す

執着を手放すというのは、好きという気持ちを投げ捨てるというのとはちょっと違って、執着している対象から、心理的に距離をとる、という感じになります。心理的に距離をとる度合いをグーンと上げていくと、普段からあんまり意識することがなくなり、そこに心がとらわれる感じではなくなっていき、心が軽くなっていきます。

仮に、執着している対象がふっと意識にあがってくるような機会、例えば実際にその人が視界に入ってくるとか、声が聞こえてくるとか、そういうことがあったとしても、執着を手放して心理的に距離が取れていると、それについて大して気にしなくてよくなります。必死で、その相手を意識しないように頑張る必要もなくなるような、そんな意識の状態です。

その意識の状態になるための方法を、以下の3つのステップに分けて記述しました。
・感謝する
・執着を手放すエクササイズ
・今を楽しむ

・感謝する

自分の心の中で、好きな相手に感謝を伝えてみてください。相手に対して、ネガティブな感情もたくさんあると思いますが、それらはちょっとわきに置いて相手に感謝できる部分を、探してみてもらってもいいでしょうか?

やっていて心の中で、相手にその感謝を伝えるところをイメージすると、心がふわっと軽くなるような感覚を感じることができます。これは実際にやってみてください。

心の中で相手を責めて、
「お前のせいで、今の私はこんなことになっている!」
といった感じの重たい思考を抱いていると執着を引きずりやすくなります。相手に感謝できるところを見つけて、
「ありがとう。バイバイ。」
っいった感じの想いを抱くと、執着を手放して次に進みやすくなります。

もしかしたら、感謝しようとしても、相手を責めたい部分の方ばかりをたくさん思いつくこともあるかもしれません。その場合もあえて、自分のために、感謝できることを何かしら探してみてください。

・執着を手放すエクササイズ

以下の①~⑤のエクササイズをやってみて下さい。

①自分への問いかけ
以下の質問を順番に自分に問いかけてください。
・執着を手放すことができますか?→はい、いいえで答える。
・執着を手放しますか?→はい、いいえで答える。
・いつ手放しますか?→いつ手放すかを答える。
答えるのは即答で、直感で思いついたことで答えてください。答えはいいえ、とか、無理、といったネガティブなものでも全然OKです。何回か繰り返してみて、自分の心がほんの少しでも軽くなる、というのを感じてみてください。

②執着の代わりに受け取るもの
執着を手放すと、心の中にスペースが生まれることになりますが、よくあるのは、せっかく執着を手放したのに、空いたスペースにまた同じものが入ってくる、ということです。それを防ぐためにも、自分の成長につながるようなことで、執着を手放すかわりに受け取りたいものを、何かあげてみてください。
※後で使うので、何かにメモしておいてください。

③執着を手放す宣言
心の中で執着している相手を強くイメージしてください。イメージできたら心の中でこう宣言してください。
「私はXXへの執着を手放します。」
宣言したら心の中でイメージしたものから一歩離れてください。離れたときに、自分の中から色んな感情があがってくることがありますが、これは執着を手放すプロセスが進んでいる重要なサインです。ただ、その感情のままに感じてあげてください。

④相手への感謝
イメージの中で感謝の言葉を相手に言って下さい。感謝を伝えたら、相手はどんな反応をするのかも、想像してみてください。感謝を伝えたら相手からさらに一歩離れてください。

⑤手放して受け取る宣言
執着を手放す代わりに受け取るものを心の中で読み上げてください。(※先ほどのメモです。)
「私はXXへの執着を手放す代わりに、○○○を受け取ります。」
宣言したら心のイメージの中で、相手からぐ~んと離れて距離をとってください。相手が見えなくなるまでどんどん離れてください。

①~⑤をやってみて、どんな感じがするでしょうか?
やる前と比べてみて、心が軽くなった、とか、ちょっとすっきりした感覚があったら一歩前進です。自分がちょっとでも良くなった部分として、どんなものがあるか心の中を見てみてみるのもお勧めです。

執着は一度手放しても、自分の心の中にまた執着が戻ってくることがありますが、その場合はエクササイズ再度やってみてください。①なんかはそれほど時間を使わず、わりとお手軽にできるので、それだけやる、といったものもOKですし、①②を省略して③~⑤だけやる、というのもOKです。大切なことは執着を手放す感覚を、もう一度、思い起こしてもらう、ということです。繰り返すことで、より執着にとらわれにくくなっていきます。

・今を楽しむ

今を楽しむために、自分のやりたいことって何だろうって考えてみたら、どんなものが出てくるでしょうか?
何も思いつかない場合は、直感を使ってぱっと頭にひらめいたことを、いくつか紙に書いてみて、その中でよさそうなものを選んでみてください。自分のやりたいことを熱中するくらいにできると最高です。

いくつか例を挙げるとこんな感じです。自分がやりたいと思えることなら何でも良いと思います。ヒントになれば幸いです。
・海外旅行や国内旅行。行ったことのない土地に行って、刺激を受ける。
・引っ越し。新しい土地で、新しい生活を始める。
・行ったことのないカフェにいったり、前から気になっていたバーやレストランに行く。
・新しい趣味を始めてみたり、やったことのない習い事に挑戦する。スポーツやジム通いなど。
・何か資格をとることに挑戦する。
・料理する。少し手がかかるようなものを作って、友達を呼んでホームパーティーをする。
・ヨガや瞑想、禅などに挑戦する。最近では、マインドフルネス、なんていうのもありますね。心穏やかな時間を過ごす中で、自分自身の内面を磨くのもいいかも。

大切なことは、今を楽しむ、ということです。何かやりたいことに集中することで、相手に対しての執着を手放すプロセスがよりスムーズに進みます。やりたいことをやることは、自分の人生を充実させて、自分自身がより魅力的になっていくことにもつながります。

 

2.自分を変える

執着を手放すエクササイズの中に、執着を手放す代わりに受け取りたいもの、というのがありましたが、それを実現していけるよう自分を変えていくことで、執着を手放した状態を根付かせることができます。

執着は一旦手放したと思っても、ちょっとした出来事をきっかけに、よみがえってくることがあります。本当に手放せているかをテストされているかのような出来事に、心が揺れることもあります。執着をそこで感じたとしても、もう一度手放せばいいのですが、執着がもう必要のない状態に自分自身を成長させておくことができると、その出来事自体が起きにくかったり、仮にそんなことがあったとしても関係ないと言える、抵抗力のようなものを身に付けることができます。好きな人を忘れるために、自分自身を変えて成長させていくというこの取り組みは、次の出会いにつなげていくための糧にもなっていきます。
(この取り組みは、好きな人とうまくいかなくなった状態からの復縁を考えるときにも、プラスになってくるものだったりします。)

そのための最初の第一歩となるのは、好きな相手との出来事の振り返り、です。好きな相手とのことを振り返ってみて、自分の中でこれは良くなかったなと思える部分から、自分が良くやってしまっているパターン、というのを見つけてみてください。これは、良くないパターンだな、と思えるものに気付いたら、そのパターンをどう変えるのがいいか考えてみてください。

例を一つあげると、自分がよくやってしまっているパターンとして、好きな相手と付き合っていても寂しさを感じることが多く、依存的になってしまいがちで、そのうち相手から重たいと思われて、だんだん距離を置かれてしまう、といったものがあったとします。自己分析した結果、自分に自信がなくて、自分が相手にとってあんまり魅力的ではないんじゃないか、という感じがしていて、それもまた良くないので、そういうところも含めて変えていきたい、と思ったとします。

このパターンの場合、どう変えるのが良いでしょうか?
例えば、、、相手に対して依存的になるのではなく、もう少し自立していて精神的に今よりも成熟した状態に成長することで、相手から重たいと思われるのではなく、相手から一緒にいたいという感じをもっと持ってもらうようになり、寂しさも今ほどには感じなくなっていくようになりたい、、、といったものも良いかもしれません。
(あくまで一例です。)

パターンをどう変えるのがいいだろうか、というのを考えるときに、一緒に、自分自身をどういう風に変えるのがいいだろうか、というところもセットで考えてみてもらえれば、と思います。

振り返りが終わったら次にやることは、自分を変えるということを実行に移していくためのアクションです。
自分が変わったところを心の中で想像してみて、そこをゴールとしたときに、どのくらいの時間があればゴールにたどりつけそうな気がしますでしょうか?
なんとなくでもいいので、だいたいこのぐらいにはゴールに手が届きそうだな、という時期を予想してみて下さい。時期が予想できたら、そのときまでにゴールにたどりついているところを心の中でイメージしてみてください。イメージはできるだけ具体的に、できるだけ鮮明にしてみて下さい。イメージができたら、そのイメージを実現するということを心の中で宣言して下さい。こんな感じです。
「私はXXXXまでに、XXXXします。」

時期とゴールを宣言したのはいいものの、自分の心の中を探ってみた時に、本当にそこにたどり着けるのだろうか、という想いがでてくることがあります。この疑いのあるような部分を抱えているのと同時に、そこにたどり着けるということをできれば信じたい、という想いもあると、心の中でその2つのパワーがぶつかって、相殺される感じになります。

疑いの方が強ければどうなるのかというと、上手くいかない感じがしてしまうことから、自分を変える取り組みに対するモチベーションのようなものが下がって、何もしない、という風になることもあったりします。もしくは、取り組みを行ったとしても、どうせ上手くいかないだろう、というような感覚が出てきて、それが心の中で足を引っ張ることになって、結局うまくいかない、という風になることもあります。ある意味では、心の中に2人の自分がいるような感じの状態ですが、この2つを統合するイメージを持てるようになるためのエクササイズがあるので、できればちょっと試してもらいたいです。それは、以下の2つのステップで行います。

①2つに割れたハートをイメージする
座っている状態で始めてほしいのですが、まずは目を閉じて、信じたい自分と、疑いの気持ちがある自分の両方が、自分の心の中にいる、ということをイメージしてみて下さい。
信じたい自分はどんな表情をしているでしょうか?
疑いの気持ちがある自分は、どんな表情をしているでしょうか?
それぞれの自分は、イメージの中で、どんな姿をしているでしょうか?

右手を上に向けて右膝の上に、左手を上に向けて左膝の上において下さい。右手の上に、信じたい自分がいる、というイメージを持ってください。左手の上に、疑いの気持ちがある自分がいる、というイメージを持ってください。それぞれの手に、自分の中にいる2つのハートの部分をイメージできたら、次に進みます。

②2つに割れたハートを統合する
右手に信じたい自分を、左手に疑いのある自分をイメージしたまま、両手を、胸の前で合わせてください。両手を合わせたときに感じる、手の温かみを感じてみてください。両手を合わせたまま、2つに割れたハートが、1つになっているのをイメージしてください。そのハートが1つになったことで生まれる温かみを感じてみてください。
どんな感覚がするでしょうか?

疑いの気持ちのある自分は、慎重になっている自分です。幸せになるために、もう傷つきたくないと思っている自分です。このハートの目的は、幸せになることです。
信じたい自分は、幸せになるために成長したいと思っている自分です。このハートの目的も、幸せになることです。

2つのハートが1つのハートになっている状態をイメージして下さい。その統合されたハートの目的も、幸せになること、です。統合されたハートから、力があふれ出てくる様子をイメージしてください。そして、心の中で、こう宣言してください。
「私は、2つのハートを統合し、ゴールに向かっていくことを選択します。」

宣言した時に、どんな感じがするでしょうか?
そのハートが統合された状態が、あなたの本来のハートの状態です。疑いと信じたい気持ちの両方が出てきて、一時的に分断されていたような部分もあったかもしれませんが、もう一度、その本来のあなたに戻った感覚を、今、味わってみてください。これでエクササイズは終了です。

ハートが統合されて、ゴールに向かうためのパワーが分散しない状態になると、好きな人に執着している状態から、自分自身を成長させて次のステージに向かっていくということをスムーズに進めていきやすくなります。

これに加えて何か継続的にやっていく習慣のようなものを新たに作る、というのがおすすめです。習慣的に当たり前にやっていることというのは、自分が普段考えていることに影響し、自分自身の普段の態度に表れ、周囲に自然と影響を与えて、自分に降りかかってくる様々な現実を作り出していきます。

ゴールにたどり着くときに、自分がやること以外に、自分に訪れるラッキーさだったり、周囲の人たちから受け取るもの、といったある意味外部的な要素が必要になってくる場合は、それを招き入れるために自分が起こす変化のような部分が必要で、もし、それを可能にできるとしたら、どんな習慣を自分に取り入れるのがいいか、ということも考えてみてください。

より良い習慣を取り入れて継続していくことは、ゴールにたどり着くための近道になります。達成困難に思えるようなゴールほど、この習慣を取り入れるという部分は大切になってきますので、ぜひトライしてもらえれば、と思います。


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好きな人を忘れるときにカギになってくる2つの要素。執着を手放す、ということと、自分を変える、ということを書いていきました。

後半の、自分を変える、に関しては、好きな人を忘れるだけではなくて、その先につながってくるものも見据えて効果のありそうなものも書いたので、ちょっと詰め込みすぎた感もあったのですが、いかがだったでしょうか?
エクササイズとかめんどくさいと感じた方もおられたかもしれませんが、好きな人を忘れたいときにはおすすめのものですので、ぜひトライしてもらえれば、と思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

セドナメソッドについて
「手放せますか?→はい/いいえで答える。手放しますか?→はい/いいえで答える。いつ手放しますか?→答える。」の部分はセドナメソッドを使っています。セドナメソッドについては本も出版されておりますので、興味のある方は読んでみて下さい。

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

 

セドナメソッドの公式ホームページは以下のものです。

The Sedona Method | Heal Yourself by Letting Go | Official Site

 

人生やり直したいと思ったときの乗り越え方

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人生のリセットボタンを押したいと思ったことはあるでしょうか?
いろんなものが行き詰って、夢も希望もないと思えるようなタイミングがあるとそういうことを考えたくなることもあるかもしれません。

行き詰まりがあると、そこで絶望を感じることもあります。自分ができることは全部やったし、仮にやれることがあったとしても、もう気力がないという状態であれば、絶望を感じて、もうどうしようもないと思えることもあるかもしれません。

人生には流れのようなものがあります。今体験していることの延長線上に次の体験があり、相互に関連してつながっています。自分が望んでいることがその流れの延長線上にあるように感じられなければ、今の流れとは全然異なる別の人生の中に、飛び込めるなら飛び込みたいと思うかもしれません。ただ、それはファンタジーな世界の出来事であり、それを現実に引き寄せたいと願うなら、そこには別のアプローチが求められてきます。


人生の流れを形作っているのは、自分の中にある思考の積み重ねです。ここで言う思考というのは、普段頭の中で考えていることですが、意識的にしているもの以外に、無意識的にしているもの、も含みます。例えば、ものの見方、感情の感じ方、物事に対する自分の反応の仕方や態度、といったものです。

自分の中にある膨大なこれらの思考の積み重ねが、自分の人生を形成しています。量が多いので、その全体像が急に変わることはないのですが、様々な体験や選択を通して、それは少しずつ変わっていき、自分の人生の流れに変化を生み出していきます。

自分が成長することで、自分自身が体験することが変わったということを経験したことがある方はおられるでしょうか?成長することで、自分の思考が変わると自分が人生から受け取る流れも変わります。

今いる環境が嫌になって、環境を変えたけれども、自分自身が体験することは結局それほど変わらなかったといったようなことを経験したことがある方はおられるでしょうか?
環境が変わったことから、自分自身がより良い影響を受けて、自分自身も何か変化するような部分があると、人生から受け取る流れも変わるのですが、そういったことがないと、環境だけ変わって、自分が人生から受け取る流れは大して変わらないといったことが起きます。


思考を変えると、人生の流れが変わります。とはいっても、表面的な思考を1つ変えても、大きな流れにはあんまり影響は出ないです。その代わり、いろんな思考のルーツになっているような根っこの部分を変えると、それが他の思考に連鎖的に影響を与えるので、自分自身を大きく成長させるきっかけを作ることができます。

特に、自分の絶望に関係しているものが心の底にある場合、それをより良く変化させることができると、自分が人生から受け取る流れは大きく変化します。ただ、心の底に根付いているものを変化させることは、心理的に強い抵抗を感じやすいものです。カウンセリングの場でも、「それだけはイヤ!」、という部分こそが、絶望しているときに最も変化を求められている部分、ということがあります。

この抵抗感は、自分の中の変わることを求められている部分はどこなのか、というのを自己分析するときのヒントになります。自分が今まで嫌で避けてきたことの中に、自分自身の思考を変えることが求められている部分があり、それが今の人生の流れを変えていくときのカギになってきます。

もし、今絶望している以上に嫌なことがあるとしたら、何でしょうか?
そんなこと考えたくないし、そんな部分は見たくもない、という感覚がもしあるなら、それはとても重要なサインです。抵抗感があるということは、自分は、今何をしたらいいのか本当は知っている、ということを意味しているからです。


絶望している人の心の中には、知恵と才能があります。知恵というのは、自分が何をするべきか知っている部分です。ただ、それを見るのがすごくイヤなのです。なんでイヤなのかは、、、人によってそれぞれ様々な理由があると思いますが、ここで知っておいてほしいのは、自分にはそこに気付くための知恵が備わっている、ということです。その知恵にアクセスするかしないかは、自分で選ぶことができます。

次に、、才能というのは、成長する力のことです。思考は変えることができ、変化させたときに才能が華開いていきます。ただ、僕たちは成長することに怖れを感じます。

残念ながら、成長するということは良いこどづくめではないです。例えば、以下の2つの質問を自分にしてみてください。
①成長しないことで得られるメリットはないでしょうか?何か成長しない方が自分にとって都合がいいことはないでしょうか?
②成長してしまうことで出てくるデメリットはないでしょうか?成長してしまうと自分にとって都合の悪いことはないでしょうか?

これらを自問自答すると、結構意外なものが出てくることもあります。自分でも気づいていなかった成長することに対する抵抗感を見つけることができます。

僕たちはこういった抵抗感を使って、ある意味では、無意識的に日常的に、自分で自分の才能に制限をかけていることがあります。手持ちの知恵と才能に関して強く抵抗してリミッターのようなものをかけていることで、物事が行き詰まって絶望を体験する、という人生の流れがやってきているのだとしたら、そのリミッターはできるだけ解除した方が良いです。


絶望を体験して、人生やり直したいと思えるようなときは、自分の中にある知恵と才能に向かい合うことが求められているときです。これは誰かに言われても、絶対にやりたくない部分だと思うことが多いものですし、今まで避けてきた部分かもしれません。ただ、抵抗感を手放すという選択ができるのは、自分だけです。

前に進もうという選択をしたいときに、誰かのサポートがほしい場合には、人に頼るのもありです。絶望があるときというのは、結構、一人では解決できないようなものを一人で抱え込んでいるようなこともあります。人とのつながりというのは、この絶望を解除していく状況下で、とてもパワフルに作用します。ただ、そのためには、自分自身が成長するために、一歩踏み出す、ということがとても大切です。それなしに人に頼ろうとしても、上手くいかないです。なぜなら、自分が変化することなしに、状況だけ変えようとしても人生の流れは変わらないからです。


人生やり直したいと思ったときというのは、ある意味ではとても追いつめられていて、感情的にも本当に辛いときだと思います。そんなときに、ここに書いたことを少しでも役立ててもらえるなら幸いです。

 

 

子供が自分の課題を見せてくれる

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自分と親との間の関係と、自分と子供との間の関係で、似たような部分が出てくることがあります。全てがそうだという訳ではないのですが、自分が親から受け継いだ様々ものは、自分の子供にもそのまま継承していく感じになりやすいためです。その中で自分が親との関係でクリアにできていなかったものが、子供との関係でも出てくることがあります。

例えば、母親がとても厳しい人で、幼いころからとてもつらく当たられた経験があったとして、それについて、母親に対して、怒り、のようなものを感じている女性がいる、とします。そこでこの女性は自分の母親のことを反面教師のように扱って、私は絶対にあんな母親にはならない、と思ったとします。

ところが、人間だれしも完璧ではないので、24時間365日、常に良い親ではいつづけるというのは、とても難易度が高いミッションです。精神的にいっぱいいっぱいになって、ついつい自分の子供に対して、今まで否定してきた自分の母親と似たような接し方をしてしまう、ということがあります。

お子さんをお持ちの方でこれと似たような経験をされて、
「私、お母さんと一緒じゃん!、何やってんの私!」
なんて思ったことがある方も、もしかしたらおられるかもしれませんね。親から受けた良い影響だけ子供に与えて、悪い影響は子供にいかないようブロックしたいものかもしれませんが、なかなかそうもいかないことがあります。

ただ、自分の親のことを心の中で強く責めていると、その度合いだけ、自分自身が同じようなことをしてしまったときに強い罪悪感を感じることになります。ある意味では、自分が親に対してかけていた「おまえは最低の親だ」という恨みつらみが自分自身にはね返ってくるようなものかもしれません。

間違ったことをしているのだから、その人が反省するのは当たり前だ!、と思うでしょうか?自己攻撃に浸るのもその人の自由なのですが、罪悪感というものは取り扱い方によっては、自分自身の心を押さえつけるだけではなく、他の人との関わりに悪影響を及ぼすようなところがあります。自分のことを責めれば責めるほど、心に余裕はなくなり、子供との関係が行き詰ります。罪悪感で心が満たされて、今、お母さんいっぱいいっぱいだから、あなたにやさしくできないの!、なんて内心思ったことがある方もいられるかもしれません。


子供を通して自分自身を見せられている、そんな風にも思います。子供との関係の中で、自分がどうしても受け入れにくかったり、否定したくなる部分があると、それは自分自身に跳ね返ってきます。

例えば、子供がやるべきことをやっていなかったとして、それに怒りを感じたとします。ごはんを食べない、服を着ない、おもちゃを片付けない、歯磨きしない、手を洗わない、風呂入らない、大声で叫ぶ、暴れる、すぐ泣く、食べ物で遊ぶ、わがままを言う、生理的な問題を起こす(オブラートにつつんでみました)、まあ、いつもそんなことばかりするという訳でもないですが、子供というのはまあ色々とやらかしてくれます。私はそんな子供の一面も嫌いではないですが、対応するのに疲れを感じるときもあります。

親としては、子供がちゃんとするように誘導したり、あえて厳しく叱ったり、放っておいたり、言い方をちょっと変えてみたり、まあ、あれやこれや工夫すると思います。ところが、いつもいつもそういうわけにもいかないので、ときには、我慢できなくて、子供を育てるというよりも、何か感情的になって、爆発するということもあると思います。

もし、そこで少し冷静になるタイミングがあれば、一つ、こんな風にも考えてもらえれば、と思うことがあります。それは、この子は私に何を見せてくれているのだろうか、という自分自身への問いかけです。


子供に対してかける言葉は、それは優しい言葉であれ厳しい言葉であれ、自分の内面の未成熟な部分や弱い部分にも同じように響いています。子供を叱った言葉は自分にも縛りを生みますし、子供にぶつけた怒りは自分に跳ね返ってきます。子供を愛そうとした度合いだけ自分の内面に慈愛の感覚があふれ、子供を愛しいと感じているとき、この子の親で良かったという感覚が心にあふれます。

自分の親との関係性の中でクリアにできていなかったものが、子供との関係でも出てきているのであれば、子供との関係の中で、今、その課題のようなものに取り組むことが求められています。子供が自分に見せてくれているものは、ある意味では、もう一度そこに取り組むチャンスであり、子供からの贈り物、といえるものかもしれません。

子供を愛しいと思える度合いだけ、そこに取り組むためのモチベーションは高くなります。親との関係では、今更、と思えることでも、子供に関しては、まさに今起こっている問題。時間がかかるかもしれませんし、思考錯誤をくりかえすことになるかもしれませんが、人生においてその意欲を持つことには、非常に高い価値があります。


親も人間ですから、何事にも完璧というのは無理かもしれませんが、そうだとしても、子供と一緒に自分の未成熟な部分を成長させていくことはできます。
私自身、そういった子供からの贈り物を、抵抗せず受け取っていこうと思っています。

 

 

嫌いな人の対処の仕方

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嫌いという感情は、自分の心の中に嫌いスイッチのようなものがあって、誰かの言動によってその嫌いスイッチが押されたときに、その人のことを嫌いになる、といった感じになっています。

 

ある意味では、自分が嫌いな人は、嫌いスイッチを押す要因を持っている、と言えるかもしれません。それが多くの人が共感しそうなスイッチだった場合は、自分が嫌いな人は、他の人も嫌いかもしれません。そういった、多くの人にとっての嫌いスイッチを押すタイプとして、私がよく聞くのは以下のような感じです。

 

・キレやすい。攻撃的。
・プライドが高い。人を見下す。
・自己中心的。
・否定的、批判的な発言ばかり言う。
・マイナス思考。
・だらしない。不潔。
・空気が読めない。
・自慢話が多い。

 

この記事を読みに来た人で、嫌いな人、というときに心に浮かんだ人は、上に書いた内容に当てはまる部分は少なからずあったりするかもしれません。ただ、その人の全てが嫌いというのとは少し違って、好きな部分もあるんだけれども、こういう部分が嫌!、というの形もあると思っています。

 

例えば、彼氏とか彼女とか旦那様とか奥さんとか、基本的には好きなんだけれども、こういう部分を感じると、その瞬間相手のことが嫌いになる、という感じのケースもあるんじゃないかと思っています。よく聞くのはこんな感じです。

 

・思いやりがない。
・一言多い。
・嘘をつかれる。
・依存・束縛・嫉妬がある。
・浮気性。ほかの異性と仲良くする。
・一緒にいて退屈。
・積極的じゃない。こちらに興味がない。

 

嫌いになったとき、もうイヤ!、で済めばいいですが、その人にまつわることで対処しなければならないことがある場合は、ちょっと大人の対応が求められることもあるのではないかと思っています。

 

今回はそんな風に、人のことを嫌いに感じた時にどうしたらいいか、といったことを、全く異なる2つのアプローチに分けてまとめました。


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①嫌いな人のことをどう扱ったらいいか

嫌いな人がいるために感じるストレスを減らすためには、その人との関わり方を工夫することでストレスを軽減するか、自分の心の中にある嫌いと感じてしまう部分の方をなんとかするか、どちらかの対処になります。両方するというのももちろんありですが、まずは、前者の関わり方を工夫する、ということに注目していきます。

 

心理的に距離をとることができるとストレスを減らすことができます。そのためにとれる手段は以下の通りです。

・なるべく関わらない
・割り切る
・言葉にする
・味方を作る

 

・関わりを減らす

その人との関わりを減らすためには、一人でいるよりも誰かと一緒にいるようにした方が、余計な干渉を防げます。

立場上、その人と関わらなければならないときも、密接にかかわるよりも、必要最低限のことにとどめて、距離をあけて関わるようにすること。関わりが減ることで、心理的に距離をとることができます。嫌いな人と仲良くしようとするよりも、適切な距離感の中で上手くやっていこう、という意識の方が良いです。

自分を犠牲的に扱う癖のある人は、嫌いな人が寄ってきやすいような振る舞いをしてしまうことがあります。例えば、常に一人で行動するとか、嫌いな人が近くにいるとミスが多くなるとか、嫌いな人がいる環境を回避する行動をとらない、などなど、、、、心理的に距離をとるためには、その犠牲を手放して、まずはなるべく関わりを減らせるように行動した方が良いです。

 

・割り切る

関わりを減らしても、嫌いな人からはどうしても不快な情報が入ってきます。そういうときに、、、
「あの人はああいう人だから。」
「ああ、また言ってるな。」
「ああ、またやってるやってる。」
といった感じで、何かあってもそこにとらわれず、心の中でまともにとりあわないことです。別物として割り切ってスルーするようにすることで、心理的に距離をとることができます。

例えばその人が口うるさい上司で、高圧的にガミガミ言ってくるようであれば、その人の言っていることをそのまま聞くのではなく、頭の中で愛嬌のあるアニメのキャラクターの声に変換して聞いてみる、というのもありです。例をあげるとこんな感じです。

 

上司(変換前)「同じことを何度言わせるつもりだ!」
↓↓↓
〇ッキー〇ウス(変換後)「同じことを何度もいわせないでよ!」

 

上司(変換前)「全然できていないじゃないか!」
↓↓↓
アン〇〇マン(変換後)「あれれ~。全然できてないよ~。」

 

内心ぷっとなってしまうくらいに(顔に出てしまうとまずいですが)、心を軽くすることができると、その軽くできた度合いだけ、嫌いと感じている部分から心理的に距離を置くことができます。

ここでやってはいけないのは、その人が何かしてきたことで、「私がダメなんだ」と自分を責めるようなことをすることです。

自分自身を見つめるならば、自分を責めるのではなく、別の方法からのアプローチが良いです。別の方法からのアプローチについては、次のポイントの「その人を嫌っている自分自身に目を向けてみる」で扱います。

 

・言葉に出す

嫌な出来事はため込まないで、人に話したり、日記に書いたりして言葉にして外に出すこと。心の中にため込んでいる状態だと、実際には嫌いな人と一緒の時間を共有していなくても、頭の中でその嫌だった時の情景や感覚を引きずりやすくなります。

心理的に距離をとるために重要なのは、この頭の中にはびこっている嫌な感覚を手放す、という部分です。言葉には力があり、出来事を言葉で表現することで頭の中でリフレインされていた嫌な感覚を、別の形に整理することができるようになります。

 

・味方を作る

嫌いな人との関わりの中であった嫌なことに関して共感してくれる味方を作ること。これは、人に話すというところからもつながってくる部分です。嫌いな人との関わりで疲弊しがちな心も、味方がいるのといないのとで、感じ方が大きく変わるのは想像できると思います。

共感してもらっているという感覚が自分の心を強くしてくれます。味方が実際に話を聞く以外になにかしてくれるわけではなかったとしても、嫌いな人に対して、より強い心をもった状態で接することができるようになります。

嫌いな人がいる環境の中にそういった味方がいると、上記にあげた「関わらない」「割り切る」といったこともやりやすくなります。


4つの手段を書きましたが、こういったことで心理的に距離をとることができるようになると、嫌いな人に対して心の余裕が生まれてきます。余裕が生まれると、その人のことをより客観的に見れるようになってきます。

その場合にお勧めなのが、ダメな部分だけではなく、その人の良い部分も見る、ということです。人を嫌うということは、あまり気持ちの良いことではないですが、もし、その人の良い部分もあわせて見れるようになると、より、その人と接するときのストレスを軽減することができるようになります。

 

②その人を嫌っている自分自身に目を向けてみる

これは、ちょっと自分を見つめるための時間が必要になってくるアクションになります。自分を見つめることに力を割いていくので、①に書いた現実の問題に対処する、というのとは全く取り組み方が異なります。

 

やり方としては、自分の中にある嫌いスイッチの分析していきます。その人のどんな部分が嫌いでしょうか?その人に問題がある部分はひとまず置いといて、自己分析して嫌いだと感じているその理由を探ってみてください。

 

たとえば、嫌いな人をAさん、として、Aさんはとても怒りっぽい人で、あなたはその怒りっぽいところが嫌い、だったとします。

 

Aさんの問題がある部分に目を向けてしまうと、Aさんが怒りっぽいのが悪い、とか、あれは何とかしないとAさんも不幸になる、とか考えてしまうかもしれません。なんであんなにAさんは怒りっぽいのだろうか、とAさんの分析を始めてしまうかもしれません。いくらAさんを分析しても、自分自身を分析していくことをしないと、自分を見つめる、ということにはつながりにくいです。Aさんの分析は、Aさんのことを考えて腹が立つだけで終わるので、あんまりお勧めはしないです。

 

おすすめなのは、Aさんの怒りっぽいところを見るのではなく、なぜ、自分が怒りっぽい人を嫌いなのか、というところを掘り下げる、ということです。

 

怒りっぽい人を好きな人なんていないじゃないか!何を言っているんだ!と思われるでしょうか?
まあ、、、、それはそうかもしれません。

 

ただここで大切なのは、怒りっぽい人に対して嫌悪感を抱くのは人それぞれレベルが異なる、という部分です。今、あなたにとって、怒りっぽい人に対する嫌悪感が非常に大きくて、現実にそこと直面して困っている、という部分に注目していきます。

これは何も例に挙げたAさんの怒りっぽい部分に限らないです。


別の例ですが、今付き合っている彼がいるとして、その彼の中にある人を見下す部分が嫌い、だとします。その場合は、なぜ、人を見下す、という要素をあなたが嫌っているのか、というところを分析していきます。

 

これもまた、人を見下す人間を好きな人なんていないだろう!と言いたくなるかもしれません。
重ね重ねすいません、、、、それもそうかもしれません。

 

ただここで大切なのは、その嫌悪感のレベルは人によって異なる、という部分です。他の人がどうあれ、今、あなたはその嫌悪感が強くて困っている、という部分に注目していきます。

 

嫌いになるな、と言っているわけではないです。嫌いであることが間違っている、と言っているわけでもないです。あなたにとって、嫌いだと感じるのは、あなたの心の中にあるどんな部分がルーツになっているか、に興味を持ってほしいと私は思っています。

 

自分自身が強い抵抗感を感じる要素に関しては、そこに自分自身の心の傷が隠れていることがあります。例えば、人を見下すということに関連したことで、何か痛みが心の中にある場合、その痛みを再体験することに対して防衛反応が生まれることがあります。そうすると、人を見下すという部分を持っている人に対して、強い嫌悪感を持ちやすくなります。


興味を持ってほしいのは、嫌いな人がいかにダメか、ということではなく、自分の心の痛みがどこにあるのかという部分と、その痛みの取り扱い方です。そこに痛みがあるということに気付くということ。自分の心を知ることは、心の中を整理して適切な力を心から引き出すためにとても役立ちます。ある意味では、嫌いな人は、自分自身の課題を見せてくれる鏡のようなものと言えるかもしれません。

 

以前書いた記事に、心の傷、というタイトルのものがあり、この記事の中で、自分の心の中にある傷に関して、どうやってケアしていくのか、ということを書いています。全てのケースがそうだと断言する訳ではないのですが、心の中にある傷の部分は、僕たちが幼いころに体験したことがきっかけになっていることが多く、自分の心の奥深くに眠っているその部分も、幼いころの自分を大人の自分がケアする、ということができたとき、その痛みのある部分に癒しをもたらしていくことが可能です。 

shinrinsen.hatenablog.com

 

嫌いスイッチをじっくり分析することができたときに、もし、それが幼いころの自分が体験したこととつながりがあるようなら、ぜひ取り組んでもらえればと思います。


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嫌いな人との接し方と、自分自身の内面をケアするという方法、2つの異なるアプローチを書いてみました。どちらかというと、嫌いな人への接し方は現実の中で使えるもので即効性があり、内面をケアするという方は即効性はないかもしれませんが、長期的に見ると自分の成長につながるといえるものかもしれません。ただ、内面を見つめる方は、自分の心の深い部分を扱うことになるので、一人でやるのが難しいこともあります。そんな場合は、カウンセリングを使ってもらうのも一つの手です。

 

身近な人の嫌いな部分に関しては、どうしても相手をコントロールして良くない部分を修正したくなるものかもしれません。ただ、相手を変えることは難しいものです。コミュニケーションを重ねて、信頼を積み重ねていき、相手を変えるのではなく、自分の方がより良く変化して、その成長の流れに相手を巻き込んでいく、という形ではないと、相手から抵抗や反発が返ってくるだけになりやすいです。周囲の人の中に嫌いな部分を見たときは、相手のダメなところが正されていくことが重要なのではなく、自分がその部分に対してどう対処するのか、ということが重要です。

 

嫌いな人との関わりが出てきたときに、ここに書いたことを少しでも生かしていただけるなら、幸いです。

 

心の傷

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幼いころに体験したことで、自分のことを悪い子供だ、と思ってしまって、心の中に罪悪感の種のようなものができることがあります。これは、何も特別なことではなくて、多くの人の心の中にできる感じのようなものです。

私も自分の子供を見ていて思うのですが、こっちにはそのつもりはなくても、子供の方が自分は悪い子供だ、という風に勘違いして罪悪感をいっぱい感じて大泣きしているケースってあります。

今、罪悪感感じるんだろうな~っていうときは、子供はとっても可愛くない感じの表情をします。まるで、愛される価値なんて自分にはないんだ、っていうメッセージが全身から出ているような感じになります。

私から見ると、愛されていることを認めなよ、君は可愛いよ、と思うので、そういう態度で接していると、次第に落ち着いてきて、可愛い表情が出てきます。そういうとき、勘違いが解消されて、愛されていることを思い出すのだろうなあ、という風に思っています。


僕たちも幼いころに、勘違いだったり、あるいは勘違いではなかったり、両親との関係性の中や、そのほか様々な体験をしながら、心の中に大なり小なり傷のようなものが作っていく、というものかもしれません。といっても、これは心の中で起こっている真実というより、そういう感じの見方をすることもできる、という風に思っていただくと幸いです。

普段はあんまり意識することがなくても、こういった心の傷のようなものというのは、あるタイミングで癒されるために浮上してくることがあります。それは現実には、自分自身がそのときの感情を再体験する、という形でやってきます。

これはちょっと気付きにくいのですが、特に大きな苦しみだったり、悲しみだったり、とても辛い感情を感じているときというのは、その感情のルーツをたどっていくと、こういった幼いころの心の傷、というのがカギになっていることって本当に多いです。

そのため、自分の心の中を深堀していくときに、この幼いころにできた心の傷のような部分に触れて、そこをケアしていく、ということが、現実に起きている問題に対応するときに、有効、というケースがあります。直接的には関係していないように思えることも、自分の心の中で、感情ベースではつながりがあって、その深い部分をケアすることが求めれている状況、というのはカウンセリングの場面でもよく出てきたりします。


苦しいことや悲しいことや罪悪感を感じるようなことがあって、自分の心の中を深く見つめる機会があるときには、それはもしかしたら、自分の心の中にもともとあった心の傷が癒されるためにでてきたのかもしれない、と思ってみてください。

その心の傷を癒していくための方法ですが、まずは、幼かったころの傷ついた自分が、自分の心の中にいる様子をイメージしてみてください。これは、カウンセリングの場面で、私がリードしながらやったりすることもあるものなのですが、その子を心の中でケアしてあげることで、その根深い傷の部分に優しく触れていくことができます。

ここで大切なことは、その幼かった自分を否定したり、自分が感じている感情を封印してしまわない、ということです。感情は受け入れて感じていくことで、自然に燃やして解消していくことができます。

イメージの中で、その幼い傷ついた子供を大人の自分が抱きしめてあげてみてください。抱きしめられた子供は、どんな表情を見せるでしょうか?その子がかけてもらいたいと思える優しい言葉をかけてみて下さい。その子供は、言葉をかけてもらったことで、何を感じるでしょうか?自分自身が本当はやってもらいたかったことを、そのイメージの中で大人の自分がやってあげることで、その傷の部分をケアしていくことができます。

傷ついた小さな子供の部分をケアして、受け入れることができた分だけ、今の自分が楽さを受け取ることができるようになります。


その幼かったころの自分が、何か誤解して傷ついていたことに気付くことができるなら、ものの見方を変える選択をすることもできます。

お子さんを持っておられる方なら、自分の子供を愛していないわけじゃないけれども、心に余裕がないときには、ついつい子供の視点から見たら、愛情を感じられないような接し方をしてしまう、という経験をお持ちの方も、おられるかもしれません。

愛したいけど大切にしたいけど、大人達の中にも精神的に未成熟な部分はあって、ときに自分のことでいっぱいいっぱいになって、子供に辛く当たってしまうということもあります。もちろん、子供にはそんな大人の事情はわからないのですが。

自分が幼かったころにできた心の傷にも、そんな大人の事情があったかもしれません。イメージの中で、傷ついた幼い子供が落ち着いてきたら、その痛みを覚えた風景を思い起こしてみて、周囲にいる大人達の中にも、そんな未成熟だった部分はないか、思いを巡らせてみてください。

自分の中に傷ついた部分があるために、自分自身も余裕がなくなって子供につらくあたることがあったとき、自分の両親も同じだったんじゃないか、ということに気付く方もおられるかもしれませんね。親から子へと語り継がれるわけではないですが、考えようによっては、これって先祖代々続いている課題のようなものなのでは、ということを直感的に感じられる方もおられるかもしれません。その場合、あなたがここで対応を変えることができれば、親から子へと伝えられていくものが変容していくことになります。


ここに書いたことに取り組むには、自分の心とじっくり向かい合うことが求められます。時間もとられるかもしれませんが、そこで受け取れる恩恵も大きなものです。苦しいことや悲しいことや罪悪感を感じるようなことがあって、自分の心の中を深く見つめる機会があるときには、ぜひ試してもらえればと思っています。